日蓮正宗寿命寺信徒・元顕正会です。…残された時間は少ない?-浅井会長の作り話(元隊幹事)

毎日のように報告。無理で頻繁な集会参加。締め切りの強迫観念。これが本当に正しい仏法でしょうか?

顕正会員の方々へ

 本当の広宣流布は、浅井会長が「もう眼前」などと言えるような軽々しい事ではありません。
購読推進、広布御供養ー自分以外の分をなぜやらなければいけいのでしょうか。報告々、連絡々、結集々、法戦々、自分の感情をおさえ込むのではなく、一度開放して休んでみてはいかがでしょうか?・・2020年代、顕正会の広宣流布は実現しません。・・顕正会は「本尊を偽造している」謗法だからです。
組織の人には話しづらいこと・・相談頂ければと思います(じゅみょうじ信徒)。Tel:070-1437-5280(共用)

【39】浅井会長の云う「残された時間は少ない」は本当か?

2019年08月14日 | 39】「残された時間少ない」は本当か?
【39】浅井会長の「残された時間は少ない」は本当か?

●浅井会長は、常に、
「残された時間は少ない」と、脅迫的に切迫感を煽(あお)り、追いつめています。

前代未聞の大闘諍に、国立戒壇が、間に合わなければ、
人類は絶滅、日本は亡ぶ。

先日の総幹部会(R1.7)でも、
「大聖人御予言の『前代未聞の大闘諍』『他国来難』は刻々と迫りつつある。
もう残された時間は少ない」と。

■本当でしょうか?

日蓮大聖人の仏法から見れば、
浅井会長の「残された時間は少ない」は“ウソ”、作り話。
なぜなら
『前代未聞の大闘諍』『他国来難』によって、
日本・人類が亡ぶなどと大聖人様は仰せになっていません。

大聖人様が、
『前代未聞の闘諍』『他国侵逼』と仰せられる意は、
例えば、
父が子の過ちを責めるに、
「汝、過(あやまち)を改めなければ、後には身を亡ぼす」(※)
と云うのと同じです。

本当に自分の子が、亡びてもよいとは思っていません。
子に身をまっとうし、家をまっとうしてもらいたい。
子を思う心がこのような言葉になっています。

父は、日蓮大聖人様です。
子は、国主(鎌倉幕府のこの時期は最明寺時頼)です。

大聖人様は、国主が大聖人様を信じないという謗法・あやまちから、
「他国侵逼」により国が亡ぶと仰せられながら、
国主の悔改を願われているのです。(立正安国論の国主諌暁)
本当に国が滅んでしまうとは、仰せになっておりません。

ですから鎌倉時代の蒙古襲来にも日本は亡びませんでした。

それは大聖人様が、
『国を助け給へと日蓮がひかうればこそ、今までは安穏にあり』(種々御振舞御書P1068)
と仰せられる如くです。

鎌倉時代も昭和・平成・令和も「末法」の時代には変わりありません。
『前代未聞の大闘諍』『他国来難』が起きても亡びないのです。

(※)日寛上人:撰時抄愚記(御書文段P325)によりました。


そして、『大地を的とする』大聖人仰せの広宣流布は必ず到来します。

広宣流布し仏国土の姿を、大聖人様は次のように仰せです。

万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、
吹く風枝をならさず、
雨土くれをくだかず、
代はぎのうの世となりて、
今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、
人法共に不老不死の理(ことわり)顕はれん時を各々御覧ぜよ、
現世安穏の証文疑ひ有るべからざるな者なり

(如説修行抄P671)


●「残された時間は少ない」と、ダマされてはいけません。
●顕正会は、浅井会長の指導から、広宣流布を悲壮感的にしています。

日蓮大聖人様の仏法は、
心が豊かになりながら広宣流布を目指すのです。

よろしかったら連絡を下さい 070-1437-5280 寿命寺信徒

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【38】浅井会長の云う「雷門の鼓・・・」は本当か?

2019年07月28日 | 38】浅井会長の云う「雷門の鼓・・・」は本当か?
【38】浅井会長の云う「遥拝勤行」「雷門の鼓・・・」は本当か?

◆浅井会長が指導しいている「遥拝勤行」が、
大聖人様の仏法ではないことを前の記事で述べました。

勤行の行儀(法式・作法)について日蓮大聖人様は、
『行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし』(唱法華題目抄P229)
と仰せられています。
「御本尊様の前に座って行う」
すなわち「御本尊様を前にして、眼に拝する」のです。

浅井会長は、基礎教学書・遥拝勤行の心構えで、
・「勤行の行儀(法式)、場所は御本尊様の御前で眼に拝して」の話と、
・「心のあり方(戒壇の大御本尊様への信心)」の話をすり替えてダマしているのです。

信心は、戒壇の大御本尊様を信ずる「心」です。
信心は「心のあり方」の事ですから、
「信じている人の場所」と「戒壇の大御本尊様の場所」までの距離が関係ないのは言うまでもない事です。

例えば、地方から出て来て東京で暮らす息子娘さんを、
地方に住む親がその息子娘さんを思う「心」、心配する「心」です。
この「心」には、もとより距離など関係はありません。
当然のことなので、いちいち「距離は関係ない」などとことわりません。

浅井会長は、
勤行の行儀(法式・作法)とは別の事である、「距離は関係ない」の語句を強調し、
これが、さも(遥拝)勤行の事であるかのように、すり替えて、ダマしているのです。
・勤行の行儀(法式)、場所は御本尊様の御前で、眼に拝して座って行うのです。


■さらに浅井会長は、
大聖人様の「雷門の鼓・・・」の御金言が、
まるで浅井会長の遥拝勤行を認めているかのような指導をしています。
本当でしょうか?

・しかしこれも浅井会長が会員をダマすための指導と言わざるを得ません。
説明していきます。

浅井会長は、この千日尼御前御返事の御文を、
都合のいいように、
意味の途中から「雷門の鼓・・・」を切り取って(切り文)使っています。

この御文は、その前にある御文から拝さなければ、
大聖人様の仰せが正確にわかりません。
御書を拝します。(便宜上①~③の番号を付与)

佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に、
女人の御身として法華経を志しましますによりて、
年々に夫を御使いとして御訪(とぶら)ひあり。
定めて法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏、
其の御心をしろしめすらん。

譬(たと)へば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾(しゅゆ)に影浮かび、
雷門の鼓は千万里遠けれども打てば須臾に聞こゆ。
御身は佐渡の国にをわせども心は此の国に来れり。

仏になる道も此くの如し。
我等は穢土に候へども心は霊山に住むべし。
御面(かお)見てはなにかせん。心こそ大切に候へ。
(平成新編1290頁)と。

①は、「御登山の志」を褒められているものです。
阿仏房が九十才の御高齢の身でありながら、はるばる佐渡から三度にわたって、
御供養を携えて御登山されました。
それには夫人である千日尼の深い志があってのことであり、
定めて法華経、釈尊、多宝如来、十方の諸仏がその心をよくご存じであろうと、
千日尼の志を褒められているのです。
②は、
・天月は遠くにありながらも、須臾(しゅゆ)に池の水面に影を映す。
・雷門の鼓は千万里の遠くにあっても、打てば即座に聞こえる。
と二つの譬えを示され、
それらと同様に、
「今あなた(妻の千日尼)は佐渡におられて姿こそ見えないけれども、
心は此の国、身延に来られているのと同じである」と、
千日尼の信心・志を讃えられているのです。
③は、
今、千日尼は佐渡にあって、身延と遠く離れているが、
[心は大聖人様がましますこの身延の山に来ている。
このことから、
仏になる道もそうであり、
「穢土」(佐渡・娑婆)のけがれた国土にあれども、
心は「霊山」(大聖人様の身延)に住んでいる。
娑婆即寂光土となる心こそ大切である。

と、仰せになっております。

・「心」こそ大切とは、すなわち「信心」深き「志(こころざし)」が大切であると仰せです。
・勤行の行儀の事(作法)を仰せになったものではありません。
・浅井会長の(遥拝)勤行とは、何ら関係のない御金言です。


浅井会長の基礎教学書・遥拝勤行の心構えでは(P113)では、
②の御文の途中「雷門の鼓・・・」から御金言を切り取り、
③の御文の「仏になる道も此くの如し。我等は穢土に候へども心は霊山に住むべし」
を、“乃至”(基礎教学書)と、切り捨てています。

そして「心こそ大切に候へ」の御金言だけをを切り取って、
「心こそ大切なんだから」と「遥拝勤行」で良いかのように、
巧みにすり替え、会員をダマしているのではないでしょうか。


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【37】浅井会長の云う「遥拝勤行」は本当か?

2019年07月21日 | 37】浅井会長の云う「遥拝勤行の心構え」は本当か?
【37】浅井会長の云う「遥拝勤行」は本当か?

◆浅井会長は、基礎教学書の「遥拝勤行の心構え」(P113)に、
「遥拝勤行とは、
富士大石寺にまします本門戒壇の大御本尊を、わが家より遥かに拝みまいらせる勤行であり、
その功徳は御本尊の御前で行う勤行と全く同じである」

と述べています。
しかしこれは日蓮大聖人の仏法ではありません。
●正しく遥拝勤行とは、
日興上人富士大石寺門流の遥拝勤行とは、御法主上人猊下が丑寅勤行に続いて、
遥拝所にて行う遥拝勤行のことです。
丑寅勤行(午前二時半)は客殿にて毎日、奉修されています。

浅井会長の云うような、
「本門戒壇の大御本尊を、わが家より遥かに拝みまいらせる勤行」
ではありません。


種々の事情により、御本尊を自宅に御安置できずに信仰するのは、内得信仰です。
浅井会長も、
“遥拝勤行”と云わずに、“内得信仰”と云っていました。
『冨士S54.1号』には、
「内得信仰の勤行について」(P35)と題して
“内得信仰”を肯定し、
解説の記事(内容は浅井会長の己義)を数ページにわたって載せています。

浅井会長は、
基礎教学書等で“内得信仰”を“遥拝勤行”と都合が悪くなり言い換えました。

“内得信仰”と云っていたのでは、「いつか御本尊様を受持することができる」と、
会員は思い続けます。
<平成10年頃までの多くの幹部はそう思っていました(ブログ筆者)>

会員に「いつか御本尊様を受持することができる」と思い続けられる事は、
顕正会の組織を維持するには非常に都合の悪い事です。

なぜならば、
御法主上人より御本尊様を御下付(受持)して頂くことが不可能である事を、
浅井会長は知っているからです。
<※顕正会は謗法なので御本尊様の御下付など絶対に有り得ません(ブログ筆者)>

そこで、会員の「いつか御本尊様を受持することができる」との思いを消滅させるために、
御法主上人が奉修される遥拝勤行の名称を盗み流用して、御本尊様を受持しなくてもよいと思わせ、
御本尊様の受持に目がいかないように仕向けているのです。


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【36】浅井会長の「日本国の有無はあるべし」の意味は本当か?

2019年06月24日 | 36】浅井会長の「日本国の有無はあるべし」の意味は本当か?
【36】浅井会長の『日本国の有無はあるべし』の意味は本当か?

◆浅井会長は、基礎教学書のチラシ(広告文)に、
[残された時間は少ない]
『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』と叫ばれた。すなわち、日蓮大聖人を信ずるか背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決するということである。
と、述べています。
しかし、
日蓮大聖人を信ずるか背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決する  
という浅井会長の解釈は、大聖人仰せの意味とは違うものです。

では、この御文の意味はー。
■御法主日如上人猊下の御講義(信行要文4P215)を拝します。
『この(開目抄の)文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅(いえ)に柱なければたもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり』(種々御振舞御書)
 この御文はまさに開目抄御執筆の元意が述べられているところであります。

“大聖人様の不自惜身命の御振る舞い”こそ『日本国の有無』すなわち日本国の存亡の鍵を握っているということです

それはあたかも、家に柱がなければ保たず、人に魂がなければ死人であるのと同じように、大聖人様こそ日本の人々、否、全世界の人々にとって、なくてはならない存在であり、その魂なのであるという意味であります

(※下線等はブログ記述者が付与)

『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』の文意は、
●御法主上人御講義の、
「“大聖人様の不自惜身命の御振る舞い”こそ、日本国の有無、すなわち日本国の存亡の鍵を握っているということ」なのです。
●浅井会長の言う、
「“日蓮大聖人を信ずるか背くか”によって、日本国の有無も、人類の存亡も決する」
のではありません。

この御書のどこにも“信ずるか背くか”との仰せはありません。
浅井会長が、勝手に書き加えているのではなでしょうか。

この御金言は「この文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅(いえ)に柱なければたもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり」まで続けて拝さなければ意味を取り違えます。

浅井会長は、この御書の前後の文を切り捨て、
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の文だけを、切り取り、
“日本滅亡という作り話”(※) を連想させるように「信ずるか背くか」と、勝手に解釈を書き加えています。
これは、大聖人の御金言を破壊する行為ではないでしょうか。

(※)“日本滅亡という作り話”
大聖人様は、
『広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とする成るべし』と仰せです。この、広宣流布は必ず成るとの大聖人様の仰せに逆らう、
「顕正会の勧誘が進まなければ、日本は滅亡」という浅井会長の一連の指導を指します。(ブログ筆者)


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【35】『御本仏を魂とする国はまさしく仏国ではないはか』は本当か?

2019年02月16日 | 35】『御本仏を魂とする国はまさしく仏国ではないはか』は本当か?
【35】『御本仏を魂とする国はまさしく仏国ではないはか』は本当か?

◆浅井会長は『基礎教学書』(P297-P298)に、
「国家意思の表明により建立された本門戒壇に、御本仏日蓮大聖人の御法魂たる「本門戒壇の大御本尊」が奉安されれば、日本国の魂は日蓮大聖人となる(※1)御本仏を魂とする国はまさしく仏国ではないか。」
(※下線はブログ記述者が付与)
と、浅井会長は述べています。

もしこれが、大聖人様の仏法であるならば、
浅井会長は
「御本仏を魂とする国は仏国である」と大聖人様は、○○御書に仰せです。
と、文証を明らかにしなければいけません。
しかし、文証を挙げることは出来ないでしょう。大聖人様の仏法ではないからです。

大聖人様が、「仏国」についてどのように仰せられているか。
■大聖人様は、『立正安国論』に、
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善の帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」
と、仰せられています。
■日如上人猊下の御指南を拝します。(大日蓮737号平成19年5月20日)
「実乗の一善」とは、御本仏日蓮大聖人様が出世の御本懐として御建立あそばされた三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊であり、この御本尊を立つるところに、初めて国を安んずることができるのであります。これが『立正安国論』の正意であります。
 すなわち「実乗の一善」たる法華本門の大御本尊に帰依すれば、その不可思議、広大無辺なる功徳によって、その人の所住の処が仏国土となる(※2)のであります。まさしく娑婆即寂光と現ずることができるのであります。」

(※下線はブログ記述者が付与)

「依正不二(えしょうふに)」の原理により、
「法華本門の大御本尊に帰依すれば、その不可思議、広大無辺なる功徳によって、その人の所住の処が仏国土となる」(下線※2の箇所)
のです。
■「依正不二」を大聖人様は次のように仰せです。
「夫れ十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし。又正報をば依報をもて此をつくる。」(瑞相御書P918)

●この「依正不二」の原理から拝しますと、
「衆生は正報なり 」 法華本門の大御本尊に帰依すれば、その人(衆生)の
(正報は体のごとし)
「十方は依報なり 」 所住の処が仏国土となる。
(依報は影のごとし)

すなわち、
●浅井会長の言うような、
<正報>は、「御本仏を魂とする“国”」ではありません。
●大聖人様の仰せは、
<正報>は、「法華本門の大御本尊(本門戒壇の大御本尊)に帰依する“衆生”」なのです。

大聖人様は、
「日蓮は日本の人の魂なり。」(種々御振舞御書P1065)
と、仰せです。
●浅井会長の言う「日本“国”の魂」ではありません。
●大聖人の仰せは「日本の“人”の魂」なのです。


以上、浅井会長の己義、「御本仏を魂とする国はまさしく仏国ではないか」を破折しました。

   (参照)【1】国立戒壇の - 名称 と 内容 の違い

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【34】日達上人御臨終の相の証言

2018年12月29日 | 34】日達上人御臨終の相の証言
【34】日達上人御臨終の相の証言

 日達上人の御密葬の際の、お別れの儀には多くの僧俗が御尊顔を拝謁(はいえつ)を許されました。私もお別れをさせていただきましたが、御生前と少しもお変わりのない、穏やかな尊願に感銘を覚えたのであります。
 四十年もたって突然出て来た正体不明のねつ造話(浅井会長と内藤某によるウソで固めた作り話)、それもあろうことか血脈付法の御法主上人の御臨終の相に対する悪口雑言は、絶対に許されません。(大白法)

総本山塔中久成坊住職 関快道御尊師(当時は仏寿寺住職)
 日達上人が御遷化なされて、大石寺大奥の対面所に御遺体が御安置されて、御隠尊日顕上人猊下(当時は総監)が枕経をされている時に参列しておりました。また、その前からずっと対面所にいたのですが、お顔を拝見し、とてもきれいで眠っているよう安らかなお顔をされていました。顕正会がいうような「ドス黒い」なんてあり得ない。あと、火葬場に行って御骨を拝見してものすごくきれいな真っ白な御骨で、こんなきれいな御骨があるのか、とビックリしたことを今でも鮮明に覚えています。

妙相寺住職 落合尊福御尊師(当時は大坊所化頭)
 当時、大坊一年在勤の所化頭として総本山で御奉公しておりました。御遷化後、大奥対面所から大客殿に御遺体をお運びするまでの間、唱題しながら御遺体のお側にいましたが、全く生前と変わらない、眠られているような御尊願でした。

総本山塔中南坊住職 藁科鑑道御尊師(当時は大石寺在勤教師)
 私は、日達上人が御遷化されて病院から大石寺大奥の対面所まで、御遺体のお供をさせていただきました。病院から対面所への移動の間や、枕経とその後の御剃髪、御剃顔のときに、日達上人の御尊願を間近に拝見する機会がたびたびありましたが、きれいな御臨終の相でした。このことは山内の多くの僧侶が同じように記憶されていることと思います。

要行寺住職 磯村如道御尊師(当時は大坊・奥番)
 日達上人が十九日にフジヤマ病院に入院されてからは、病院の警護を任され、二十二日の早朝、病室で日達上人が御遷化になられた瞬間にも立ち会いました。
 この間「内藤みどり」というような女性が病院に見舞いに来た、などという事実は絶対にありません。
 私は、その後の枕経から葬儀のすべてに出席しました。御遷化の直後も、また枕経、通夜においても、日達上人の御臨終の相は安らかな、きれいな御尊願でありました。
 顕正会がいうような「ドス黒く、阿鼻獄を恐れ叫んでいるような相」などは全くの嘘であります。

総本山塔中了性坊住職 原田輝道御尊師(当時は妙光寺在勤)
 当時、私は東京妙光寺に在勤していましたが、日達上人が御遷化になられる直前に総本山に登山していて、枕経、納棺、仮通夜に参列しました。素晴らしく、きれいな御姿であったことをハッキリ憶えています。

総本山塔中理境坊住職 小川只道御尊師(当時は総本山内事部)
 私は、日達上人の御遷化の報せを受けたあと、内事部で外部の対応と葬送の準備等を行っていました。大客殿に移られてから、立場上、幾度も御霊棺の中を拝見する機会がありましたが、生きている時のままの姿で、眠っているような御尊願でありました。当時の『大日蓮』の記録に、「遺弟によって、最后の御剃髪、御剃顔が行われ、半眼半口の御温顔に一同新たなる感慨を禁じ得なかった」と記されておりますが、全くその通りです。

総本山塔中蓮成坊信徒 岩松信彦さん(当時は大百法編集室勤務)
 当時の私は、『大白法』(法華講連合会機関誌)の編集室に勤務し、東京に住んでおりました。
 日達上人御遷化の報せを受けた昭和五十四年七月二十二日の朝、法華講連合会の役員方が登山されるということで、私は、車の運転手として東京から大石寺まで何度も往復しました。そして、役員方と一緒に、大奥対面所で、さらには大客殿において、日達上人の御尊願を拝させていただきました。
 日達上人の御尊体は終始、生きておられた時のまま、お綺麗で、今にも目を覚まされるのではないかと思うほど、穏やかに眠っておられるかのようでした。
 顕正会の言う「ドス黒く、苦しそうな表情」などというのは、全く現実をかけ離れた悪口で、デタラメもいいところです。現場にいなかった人の戯言か妄想としか考えられません。


 日達上人の御子息やお孫さん方にお尋ねしたところ、内藤なる親戚はいない。とのこと。
 部外者によるまた聞きの話と、御身内の手記と、どちらを信用すべきか、誰の目にも明らかです。(大白法)




【大日蓮(昭和54年9月号)「総本山第66世日達上人猊下御遷化あそばさる」より】

7月22日 午前 7時 大奥対面所にて御枕経

7月22日 午後 6時 御霊棺 、大奥対面所より、 大客殿東側に用意された祭且へ御遷座。
7月22日 ~ 23 日両日に旦り、午後 7時より日顕上人猊下大導師のもと、仮通夜の儀、執行。

7月24日 午前 10時より、御密葬の 儀が執行せられ、御霊棺は客殿前より、塔中を下り、三門前より 富士宮火葬場へ。
御灰骨還御

●写真にある日達上人御遷化の仮通夜・密葬の儀、御尊願を拝した御僧侶の証言が、
浅井昭衛会長の手にかかると、
「宗門側近の誰もが隠して何も言わないので、今日までわからなかった。」
「ドス黒かった恐ろしかった」(顕正新聞H30.10.5号)
となるのです。




※日達上人御遷化その2(分単位の記録)は記事一覧ページの最後に移しました




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【33】日達上人から日顕上人への御相承

2018年12月22日 | 33】日達上人から日顕上人への御相承
【33】日達上人から日顕上人への御相承

●日達上人から日顕上人への御相承は、昭和53年4月15日に内付なされています。

【御相承について日顕上人御指南】(趣意)

 私が前からも申し上げている通り、昭和53年の4月15日に、決定的な意味での(御相承の)お言葉があったのですが、その前から、日達上人から「譲る」ということについての独自の法門内容や、譲るということに対してのお言葉をいただいていたのです。

 しかし、4月15日がやはり決定的な「譲る」という意義におけるお示しがあったということなのです。

 しかしそれも、形式的な儀式としての血脈相承の形、昔から伝わっているような、例えば34世日真上人の御遷化に伴い、御隠尊日元上人より35世の日穏上人が御相承を受けられた時は、非常にきちんとした儀式があったことが文献に残っていますが、その他の方も、形においてそのような儀式があったと言われるけれども、そういう意味での(日達上人から私への)改まったものはなかったのです。

 でもそれも、日達上人はそのうちにきちんとした儀式をなさるか、その経緯を発表なさるというお気持ちは絶対におありになったと思うのです。
これはもう当然のことですしね。

 また、(日達上人の御遷化になった)昭和54年がちょうど日達上人の御登座20周年だったのです。
 その記念行事をなさることと、それがたしか12月のご予定とお聞きした覚えがあります。
従ってその行事が終った時に御相承のことも正式に発表するというお気持ちがおありだったと拝察するのです。

 そのような情況において前々から(御相承に関する)話はあったけれども、結局、外部に公表するという具体的な形が出てなかったのです。

 それから大先輩で、公的私的な意味でも、若い時には指導も受けていた観妙院さん(法道院第3代主管・観妙院日慈上人)がおられてね。
 その時は私も総監になっていたのですが、(大先輩を差し置いた形で私自身が御相承をお受けしたということについて)やむを得ないから、「実はこれこれこういうことです」ということを観妙院さんにお話しして、また、藤本師(常泉寺住職・常徳院日潤能化)にも話をして、その上から(新法主としての)手続が行なわれたわけです。

 私としては、宗門の正義の上からの在り方、また「大聖人様以来御先師方より伝わって来た法が在る」ということをハッキリと証明する意味においても、私がお承けしたことを発表すべきである、と決断したわけです。
 そういうことで、藤本師もいろいろと考えてくれまして、その晩の通夜の時、当時重役であった常妙院さん(平安寺住職・常妙院日澄能化)から、私が新法主となった旨の発表があったわけです。
(第67世日顕上人『富士の法統』妙教編集室)

【御相承の本義とその“在り方”】
(趣意)

 後世に動揺を起こさぬためには、日淳上人の場合に拝するように、公に御相承の儀式を示されることもあろうが、そもそも御相承の本義は、御一人から御一人への唯我与我の秘伝であるから、

宗祖から日興上人、
日興上人から日目上人、
日目上人から日道上人、
また御歴代先師方の多くの事例

がそうであるように、むしろ公の儀式を伴わない〝内付〟という在り方が基準と拝せられるのである。

 ことに、日目上人の場合のように、大事の天奏(国主諫暁)に当代の御法主として臨むにあたり、万一の備えとして、予め日道上人に法を付してから旅立とうとされれば、その御相承は、公の儀式を伴わない、言い換えれば他の誰にも知らさない、〝内付〟という形をとられることは当然である。

 翻(ひるがえ)って、昭和53年4月当時の日達上人は、学会の第1次教義逸脱問題による大波乱が続く中、御登座20年になんなんとする大御法主として、一歩も退けぬ御立場で事態の解決に当たっておられたが、一方では、四大の御不調により、万一の備えとして、後継のことをお考えにならざるをえない状況であった。

 このような中で、日達上人が次期御法主を選定される場合に、日目上人の先例と同じく、〝内付〟の形をとられるであろうことは、むしろ誰が考えても、当然すぎるほど当然の御措置であるといえよう。
(『慧妙』H14.8.1)
―――――――――――――――――――――
総本山33世日元上人から35世日穏上人、
57世日正上人から58世日柱上人、
63世日満上人から64世日昇上人、
そして65世日淳上人から66世日達上人

〈早瀬庶務部長〉
 これらの御相承が、それぞれの客観的な状況は異なるにせよ、儀式としての形を採られていることはそのとおりだね。
ただし、だからと言って、内付の形を採られた御先師日達上人から御当代日顕上人への御相承が軽いなどと誹謗することはとんでもないことだよ。

〈藤本総監〉
 まさにそのとおり。
700有余年、67代の御法主上人に至る間には、様々な御相承の姿が存したことは言うまでもない。
そして、そのすべてを厳然たる御相承として拝信することが本宗の信仰における根本のあり方だよ。
(『大白法』H15.12.16)

※下線、ブログ筆者付与しました。
以上。


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【32・34】日達上人御遷化前後のご様子

2018年08月04日 | 32・34】日達上人御遷化前後のご様子
【32・34】日達上人御遷化前後のご様子
 日達上人の御遷化について日蓮正宗妙通寺様のホームページからご紹介します。
(妙通寺様御住職は、細井道迅御尊師)

 顕正会では、彼らの前身である「妙信講」を講中解散処分に付した総本山第66世日達上人を逆恨みしています。そして、怨嫉心から「日達は臨終に際して、たくさんの血を吐き、苦しみながら亡くなった」などという悪口を言いふらしています。

  かつて江戸時代、北山本門寺(現在、身延派所属)の僧が、「大石寺の第9世法主である日有は、楠の板に本尊を書いて偽作本尊を作成した。その結果、日有は隠居した後、癩病という重大病を発症して、苦しみ、のたうち回りながら死んだ」と言いふらしたことがあります。

 これは、本門戒壇の大御本尊を否定する、謗法の悪侶の言葉ですが、いつの時代でも、正法を憎む人間は、日蓮大聖人の仏法について正論で大石寺に対抗できないとわかると、御法主上人を怨嫉し、あらぬことを言いふらして人心を惑わすのが常である、ということを証明しているのかもしれません。

 さて、昭和54年7月21日は土曜日でした。日達上人は土曜日の夕方をご家族と一緒に穏やかに過ごされており、夕食も普通にとられました。その際、翌日のご自身の予定を側近の方に伝えられていたほどです。そして就寝され、その数時間後に、成住壊空の法理のもと、肉体としての寿命を全うされて、日達上人は臨終を迎えられました。そのお姿は穏やかで御尊顔はふっくらと、頬には赤みをおびているほどでした。訃報を聞きつけ、ただちに全国各地から総本山に参集してきた僧侶や親族の方々も、その尊い御姿・御尊顔を拝して、深い悲しみのなかにも、報恩謝徳の念をもって静かに唱題させていただいたものです。

 当時、日蓮正宗とは無縁であった浅井会長らが、日達上人のご臨終に接する機会など、あろうはずもなく、まさに「見てきたような…」と言われても反論できないでしょう。

 なお、平成30年9月に開催された顕正会の会合で、日達上人の遠い親類と自称する人物X(人物エックス)が『日達上人の臨終の相は、恐ろしいものだった』『10時間も心臓マッサージをして苦しんでいた』等と語ったようです。
 しかし日達上人のご臨終は、7月22日のまだ夜も明けぬ未明だったこともあり、その場には、日達上人夫人とご子息、そして一部の側近の方だけが立ち会われており、日達上人の遠戚はおろか、こうした発言をした人物の関係者が臨終に立ち会っていた事実は一切ありません。

 そもそも人物エックスは、どのような立場の人間なのか? また「10時間も心臓マッサージ」を続けるなど絶対にあり得ないことなど、どうして、こんな酷(ひどい)いことを、ご遷化から40年もたった今頃、突然言いだしたのか、まったく理解に苦しむところです。


●基礎教学書(P420)に浅井会長は、
「細井日達は、-突如として激甚の心臓発作に襲われ-」
と言っていますが、
これは、会員をダマすための“ウソ”です。

「急死」も“ウソ”。
顕正会員が何も知らないことをいいことに、
ウソにウソを重ねてダマしているのです。



・二十六箇条「時の貫主たりと雖も…」の記事、合わせて見て下さい。
<「己義」⇒「云うこと」⇒「貫主」と、ネジ曲(ま)げる>Click
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【30】2021年-三百万、男子部10万

2018年08月04日 | 30】2021年-三百万 男子部10万
【30】2021年-三百万、男子部10万
■「男子部10万結集」と「顕正会300万」そして「中国の侵攻」
【平成20年8月船橋アリーナ男子部幹部会】
いまや百三十万に達せんとし、三百万も眼前となってきた。三百万の仏弟子の集団が出現し、その先陣たる十万の男子精鋭が結集して大諌暁に立つとき、一国は動く、日本は必ずめざめる。
(浅井昭衛先生講演集P80)

【平成21年8月長野エムウェーブ男子部大会】
他国侵逼の前に、三百万の大陣と、男子部十万結集を成し遂げならない、
私は、平成三十三年、2021年までに断じてこれを成し遂げたい
』(趣意)
(浅井昭衛先生講演集P118)

と、浅井会長は大演説をされていました。

みなさん覚えてますか?
・「平成33年・2021年」までに「300万」、「男子部10万結集」です。

・しかし、途中から「200万」を示すようになります。
・「平成33年の300万」-見通しが立たなくなったからでしょうか?

■男子部十万の結集
昨年の幹部大会で、私はこう言った。
「他国侵逼まで(平成18年から)あと十有余年、その時までに男子部精鋭十万を結集して、大聖人様応え奉ろう。日本を救おう」

(S18.9大宮ソニック男子部臨時幹部会/浅井昭衛先生講演集P13)

三百万の仏弟子と、その先陣たる男子部精鋭十万があるならば、日本は必ず救える。
そしてこの十万は、三万の結集がなればもう眼前ではないか。

十万の男子精鋭があれば、日本は必ず動く。そしてその十万の成否は明年の三万結集にかかっている。
(H20.8船橋アリーナ男子部幹部会/浅井昭衛先生講演集P50)

ついに男子部精鋭三万人の結集が、ここに成し遂げられたのであります。
(H21.8長野エムウェーブ男子部大会/浅井昭衛先生講演集P85)

・三万結集が出来たとの事です。

・三万結集で眼前となった「男子部十万結集」・・・聞かれなくなったのはどうした事でしょうか。

・そして平成30年5月「男子部十万結集」に変えて、
20年代の然るべき時に「本部総会」を埼玉スーパーアリーナで開催する。
東京・埼玉・神奈川・千葉を主力として代表が参加
(H30.5総幹部会/顕正新聞H30.6.5号)
と、発表。

・「男子部十万結集」…どうなったのですか?

■中国の侵略
中国が動き出すであろう2010年代の、まさに入り口に当たっております。この年に三万人の男子部大会を開き、いよいよ十万結集を確実にしたい。
(S18.9大宮ソニック男子部臨時幹部会/浅井昭衛先生講演集P13)

・他国侵逼、中国が動き出すとの宣言は、現実になったでしょうか?

日本に残された時間は少ない。中国の日本への侵攻は、早ければ2010年代、遅くとも2020年代、まさしく「あと十有余年」であります。
(H20.8船橋アリーナ男子部幹部会/浅井昭衛先生講演集P49)

・「早ければ」と言っていた2010年代-、中国の日本への侵攻は、ありませんでした。

・「遅くとも」と云っている、2020年代-にも、中国の侵略はないでしょう。
 浅井会長の根拠のない思い込み(またはハッタリ)だからです。
 大聖人様は、
 蒙古襲来より他に、時期を特定して他国侵逼を仰せになっておられないのです。
 

今はオリンピック(2008年)があるから世界の目を意識しているが、それ以後、必ず弾圧が始まる。「反革命分子」は根こそぎ刈り取られるに違いない。
(平成20年8月船橋アリーナ男子部幹部会/浅井昭衛先生講演集P76)

・北京オリンピックから10年以上経過しています。しかし「反革命分子が粛清される」といったようなニュースが流れてこないのはどうしたことでしょうか。

アメリカの中国問題の専門家は、「早ければ2010年代の半ばにも、アメリカ海軍が西太平洋に入ることは困難を伴うようになるだろう」と予測しております。
(H21.8長野エムウェーブ男子部大会/浅井昭衛先生講演集P113)

・2010年代半ばを過ぎても、「アメリカ海軍が西太平洋に入ることが困難になった」というニュースが流れてこないのはどうした事でしょうか。
・アメリカの中国問題の専門家(名前を示さないのはなぜ?)の話を使った、
浅井会長の予測-、事実になりませんでした。


■三百万、そして人生をかけて

この大仏事に、人生をかけ、命をかけ、何の悔いがありましょうか。
(H20.8船橋アリーナ男子部幹部会/浅井昭衛先生講演集P80,1)
と、訴えています。
・浅井会長は昭和57年に、一万人を集めて開催された武道館大総会の時にも、
顕正会員は今後二十五年の御奉公に自らの一生成仏かけて立ち上がって頂きたい。
と、強々と確信に満ちて宣言されていました。

・しかし、この武道館大総会で、
広宣流布が達成する、できなければ日本は核戦争で滅亡する。
と宣言した25年後の平成19年。浅井会長の言葉は、実現せず虚(むな)しくなったのです。

・「25年の御奉公、一生成仏」をかけてと言っていた、
 平成19年の広宣流布が事実になりませんでした。

・昭和57年の武道館に参加した顕正会員(私も参加した一人)、
 一生成仏かけ、人生をかけて、顕正会に没頭した人たちが、
 どれほど犠牲になったことでしょうか。

・昭和57年武道館大総会の時にも、
 「ソ連の侵略」や「中国の侵略」がある、
 後25年(平成19年)で広宣流布しなければ日本は滅亡する」
 と宣言しています。
・しかし、現実なりませんでした。ソ連に至っては、侵略どころか国家体制が消滅しています。

・宣言した事が出来そうにないと、新たな目標を打ち出して、以前の目標は最初からなかった
 かのように発言しなくなります。

・H20年船橋アリーナ男子部幹部会で、
 「人生をかけ、命をかけ、何の悔いがありましょうか」と、
 浅井会長は訴えていますが、皆さんどう思われますか?

■人生を犠牲にしてはなりません。一度立ち止まって考えてみて下さい。

(参考)何度も変わる広宣流布の浅井会長宣言


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【29】何度も変わる広宣流布の浅井会長宣言

2018年08月04日 | 29】何度も変わる目標と広宣流布の日

●浅井会長は、
「2020年代こそ広宣流布の決戦場である」(H30.6.5号)
「二百万達成の重大意義」(H30.6.5号)
「今、核兵器を使用しての第三次世界大戦が刻々と近づきつつある」(H30.5.25号)
「核を用いてのこの大闘諍が始まったら。人類は絶滅する。日本も亡ぶ」(H30.5.25号)
等々…。
昭和57年以来、約40年、全く実現しないこの種の宣言を、何度繰り返してきた事でしょうか。

●浅井会長の宣言を検証します。

■【武道館23回総会(昭和57年)・浅井会長宣言




「あと二十五年で広宣流布できなければ、核戦争によって日本も世界も絶滅する。日蓮大聖人の御命令はすでに下っている。ここに妙信講は本日より日蓮正宗顕正会と名称を改め、背水の陣で一国広布に出陣する」(冨士昭和五十七年十月号)




< 昭和57年 浅井会長発言の要旨 >
・日本の破局が眼前に迫ってきた
・戦後三十七年続いた安逸の時代は終わり、いよいよ破滅の時代が始まろうとしている
・日本の破局


第一に経済崩壊-国内の経済危機は破局寸前…あと数年で国家機能そのものが麻痺する
第二に食糧危機-ただならぬ異常気象を見る時日本が食糧危機に襲われるのは時間の問題
第三に世界動乱-ソ連という修羅の大国が全世界に脅威を与え第三次世界大戦がまさに起こらんとしている-ソ連は海上輸送路いわゆるシーレーンを攻撃するか、あるいは日本の一部を占領する。それは北海道である可能性が最も強い(筆者註:ソ連は消滅、現在のロシア)

・日本の破局はいつから始まるか-


ある気象学者は来年(昭和58年)の九月に関東大地震が起こると年月まで特定して警告しております。仏法の上から考えて(筆者註:仏法とは何の関係もありません)「当たらずといえども遠からず」と私は思っている。
そのゆえは大聖人様の御在世には文永元年に前代未聞の大彗星が出現しその数年前にあの正嘉の大地震が起きている。
すでに昭和六十一年に大彗星が出現することは確定している。されば大地震もまた遠からずと、そしてこの大地震を号鐘として、それより日本は破局の坂道をころげ落ちていく

・顕正会員は今後二十五年の御奉公に自らの一生成仏かけて立ち上がって頂きたい。

【検証】昭和57年から二十五年後は、平成19年-。どうなったのか。
⇒浅井会長の言う広宣流布は実現しませんでした。
⇒そして核戦争によって日本も世界も絶滅するとの宣言-全く現実になりませんでした。
⇒経済崩壊も、食糧危機も現実にならなかった。。
⇒昭和六十一年の大彗星が出現する前に遠からず起きると言っていた関東大震災も起きなかった。
⇒第三次世界大戦も起きなかった。
※この昭和57年の発言が全く実現しなかったことについて、浅井会長は何の説明も出来ませんでした。
この浅井会長の「作り話」と「ハッタリ」を、武道館に1万人を集めて宣言したということです。
※一生成仏がかかっていると思い込み、広宣流布の達成は自分達にかかっていると思い込んで、この25年間に人生をかけてしまった多くの会員達はどうなってしまったのか。この頃顕正会員だった人達は、特に幹部はほとんど姿を消してしまいました。


■【武道館24回総会(昭和61年)・浅井会長宣言




「ここに大聖人様より発言の資格を給わり(中略)一国広布の最終地点を見据えた具体的な目標を、発表させて頂くものであります。
私は、広宣流布までの目標を、三つの段階に分けて考えております。
第一の目標は百万の達成であります。
第二の目標は一千万。
そして第三が一億までの弘通であります。
まず第一の目標百万を、私は今後十年間で成しとげようと決意しております。
そして百万から一千万までを次の七年で成しとげる。
さらに一千万から一億の弘通を、次の七年で成しとげる。
これが私の決意であります。非力の凡夫の成し得るところではないが、御本仏の御守護を頂けば必ず成しとげられると、私は確信しております。(中略)もうすでに時は来ております。
いま広宣流布ができなければ日本は亡びる。世界は亡びる。」(冨士昭和六十一年四月号)




< 昭和61年 浅井会長発言の要旨 >
◎第一の目標  百万 ・・・・・ 平成 8年(昭和61年から十年)。
◎第二の目標 一千万 ・・・・・ 平成15年(平成 8年から七年)。
◎第三の目標  一億 ・・・・・ 平成22年(平成15年から七年)。
・ソ連の軍事増強はすでに我が国の存立を脅かすほどになっている。
・日本破局の幕開け号鐘となるべき巨大地震も、確実に近づいている。
・破局が早いか、日本の広宣流布が早いか。この一事に、日本の運命も、世界の運命もかかっている。
・顕正会の弘通が進み必ずや英邁な御法主が出現し顕正会の純粋な信心と一筋の御奉公を深く信頼する時が必ず来る。
・顕正会が百万を超える時信心ある学会員は国立戒壇の正義にめざめ顕正会に馳せ参ずることは仏法の道理。
・憲法改正-どの党の議員でも国立戒壇建立の一事について賛成すればよい反対する議員は落とせばよい。

【検証】平成8年の百万、平成15年の一千万、平成22年の一億、全て実現していません。
⇒いま広宣流布できなければ日本は亡びる。世界は亡びる-現実となりませんでした。
⇒もうすでに時は来ている。-現実にならなかったのはウソだったという事です。
⇒破局の幕開けとなる巨大地震-起きませんでした。こういう巨大地震が起きるハズだとの浅井会長の勝手な思い込みです。
⇒破局が早いか広布達成が早いか-両方とも現実になっていません。会員を心理的に駆り立てるための「作り話」。
⇒顕正会を認める御法主上人が出現する-出現しませんでした。顕正会のような謗法の団体を認める猊下がなど出現する事は絶対にありません(謗法厳誡:二十六か条の通り)。浅井会長が自らを認めてもらいたいという願望ではないでしょうか。
⇒学会員が大挙して馳せ参ずることはありませんでした。-顕正会の国立戒壇は、日蓮正宗で言っていた国立戒壇とは内容実態が違います。顕正会の国立戒壇は正義ではありません。仏法の道理で有るはずもなく、浅井会長の謀りです。
⇒憲法改正の実行-出来ませんでした。将来に渡って顕正会の人数では出来るはずもなく論外。一人の議員の当選落選に関与することすら出来ないのは皆さん実感ではないでしょうか。

※昭和57年にあれだけ宣言しておきながら、突如として一国広布の開始を4年もずらし遅らせました。
それでも浅井会長の宣言は実現しない。浅井会長の「勝手な思い込み」「作り話」であること明らかです。

■【昭和62年度幹部大会・浅井会長宣言】




「この百万をいつまでに達成するかについては、昨年の武道館大総会ですでに定めております。この路線にいささかの変更もない。あと九年(平成8年)で必ず成し遂げます。(中略)
大総会は、この百万達成までは開かないことにしたい。それまでの間は、毎年本年のような幹部大会を開いていきたいと思っております。(中略)
次の第三回大総会は、顕正会が百万を達成して第三の戦いを開始する時に、開催する以外にはありません。(中略)ここに、大聖人の御遺命を奉ずる仏弟子五万人を結集し。第三の戦い開始の大儀式を行いたい(中略)
この五万人の大総会こそ、まさしく顕正会が、大聖人様のお待ち遊ばす法戦場に到着したことを顕すものであります。」(冨士281号)




【検証】
⇒平成8年必ず成し遂げると宣言した百万、実現しませんでした。
⇒「第三回大総会」開くことができませんでした。
⇒「第三の戦い開始の大儀式」「大聖人様のお待ち遊ばす法戦場」-浅井会長の「作り話」だからいかようにも変更するのでしょうか。




●【平成9年8月度総幹部会・浅井会長宣言】
「私は前々から『大聖人様のお待ちあそばす大法戦場』ということを、繰り返し云ってまいりました。まさしく本年(平成9年)七月十六日以降の戦いこそ、この大法戦場そのものであります。(中略)そして八月三日の記念幹部会で私は、大聖人様に対し奉り、謹んで一千万の大法弘通をお誓い申し上げた。(中略)あと十五年、いや、限りなくこの時間を縮めていきたい。(中略)顕正会の戦いは、大聖人様の大悲願力のお手伝いをしているのであれば、必ず事は成就する。大聖人様の御守護により、必ず大事に間に合うのであります」(顕正新聞平成9年9月5日号)




●【平成9年9月 仙台会館開館式・浅井会長宣言】
「すでに大聖人御照覧の、御馬前の戦いであります。(中略)この一千万を、私は十五年(平成24年)以内で成し遂げたい。さもなければ他国侵逼に間に合わない」(顕正新聞平成9年9月15日号)




●還御を祝し奉る記念大会(平成10年9月)
「顕正会の会長として、謹んで大聖人様に誓い奉る。一千万は、あと十五年、平成二十五年までに必ず成し遂げること、堅く誓い奉る。」(折伏理論解説書改訂版)




【検証】平成25年、必ず成し遂げると言った一千万。実現しませんでした。
⇒元々平成15年に達成だったハズの一千万。平成25年と目標を10年延ばしたが、実現せず。
⇒「他国侵逼に間に合わない」も現実になりません。ウソ、ハッタリであったことが証明されました

◆「顕正会の戦いは、大聖人様の大悲願力のお手伝いをしているのであれば、必ず事は成就する」
と浅井会長は宣言しました。
⇒成就しなかったという事は、大聖人様のお手伝いではなかった。ウソだったという事です。

◆「大聖人様の御守護により、必ず大事に間に合うのであります」
⇒間に合わなかったということは、大聖人様の御守護は無かったということです。
ハッタリの宣言に大聖人様の御名を利用したということです。

◆「すでに大聖人御照覧の、御馬前の戦いであります」
⇒大聖人の仏法に存在しない「御馬前の戦い」。文証・道理も無い浅井会長の作り話であることが、証明されたのではないでしょうか。


■平成30年7月現在、200万達成と組織でいつにも増して活動している様子がうかがえます。
しかし、顕正会員の皆さん、浅井会長は。200万が出来ても同じことを繰り返すだけです。
過去の浅井会長の宣言が証明しています。
浅井会長の言う広宣流布はニセモノ。
どれだけ苦しい戦いをしても、ゴールは有りません。

200万と言っても、それだけの会員数がいるのではないことは、
皆さん実感としてわかっていると思います。特に幹部の方。

広告にある
「日蓮大聖人を信ずるか背くかによって、日本国の有無も、人類の存亡も決する」
など大聖人様の金言をネジ曲げた浅井会長の謀りです。
「人類は絶滅の危機に瀕している」
「日本は亡国を招かんとしている」
「残された時間は少ない」
など、浅井会長の「作り話」です。

顕正会の200万の前に安倍政権は崩壊すると言った部長さんとやらがいるそうです。
安倍政権も短命ではありませんでしたね。



●200万達成記念幹部会
●20年代の然るべき時に「本部総会」埼玉スパーアリーナで開催する。(顕正新聞H30.6.5号)

何度も何度も自ら宣言した事が、実現しなかったことから、浅井会長は2020年代とか、然るべき時などと、到達点をはっきりと宣言しなくなりました。
しかし、過去に宣言してきたことが実現しなかった、現実にならなかった、という“現証”は曲げようのない事実です。

にもかかわらず、「私は前々から、2020年代こそ広宣流布の決戦場である」などと述べます。
本当に「前々から…」でしょうか?
前々には、
「あと25年(H19年までに)で、広宣流布出来なければ、日本も世界も核戦争によって絶滅する。」と云っていました。
その次は、
「平成22年まで一億、破局が早いか、日本の広宣流布が早いか。この一事に、日本の運命も、世界の運命もかかっている。いま広宣流布ができなければ日本は亡びる。世界は亡びる。」と強々と云い切っています。
また、還御を祝し奉る記念大会では、
「一千万は、あと十五年、平成二十五年(2013年)までに必ず成し遂げる」と宣言しています。
どこにも「2020年代」など、全く出でてきません。

これから開催されるという「200万達成記念幹部会」や「本部総会」、何かと特別な意味合いを持たせようとしていますが、浅井会長は今までと同じような事を、繰り返し云うだけでしょう。
浅井会長が口頭で宣言するだけで、事実上の終着点もないでしょう。

平成28年、浅井会長は、顕正会だけに通じる広宣流布の定義を自ら創作しました



「国民の過半数たる六千万が南無し奉れば、国主も動き、国家意思も決せられ、
四十九院申状の仰せも事相となる。これ事実上の広宣流布である」
「このとき、御生骨はいよいよ光を放ち給う。そしてこの大現証により、残る六千万も一時に信ずるのである」(顕正新聞H28.6.15)
と発表。ウソと謀りに満ちた顕正会ニセモノ広宣流布の定義です。

そしてこの時すでに、
「この二百万は新たな出発点である。」と云い。
「…弘通は加速度を増し、一気に一千万、三千万、六千万となる」と宣言しています。
200万の後も、まだ延々と戦いと言う勧誘活動を続けると、浅井会長は宣言しているのですよ。
いままで見てきた通り、この種の宣言、事実になることはありません。
終着点はないのです。


人生の大事な時間を無駄にしないで下さい。

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