元隊幹事 顕正会ブログ 活動30年ーなぜ顕正会を捨てたのか。

御本尊を偽造する顕正会は大謗法。戦争天災疫病は謗法が根本原因です。

【18】政府への欺瞞回答は本当か?(2)

2017-11-05 | 18】政府、欺瞞回答は本当か?[2]
(前回のブログからの続き)
●浅井会長の意図…、
御法主日達上人が、
「信者が、数を頼んで横車を押し通し、勝手なことをするという風潮を、もはや許しておくわけにはいかない」と宗門としてのけじめを付ける決意を示されておられる。
その中で、あえて猊下の御指南に従わず、勝手に同じ日蓮正宗の信徒である創価学会員に向けて、政府への回答撤回を足掛かりに公開討論申し入れや機関誌の大量配布、デモ行進などを、解散処分を受けるまで行い続ける。
これで解散処分を受ければ、妙信講員には、妙信講は正しいが故に解散処分になったと思い込ませることができ、解散になっても確実に浅井会長につき従ってくる。
そして、解散処分により日蓮正宗の管轄下から離れて、浅井会長の判断一つで何をしても自由な状態を得ることが出来る…。

― 悪事を働いているのは創価学会の池田大作。日達上人も「もはや許しておくわけにはいかない」との決意は、主に創価学会を念頭に置いておられるのです。
であれば、日蓮正宗信徒として、日達上人の御指南のごとく、創価学会の間違った言動を破折していくことが、池田・創価学会から御遺命を守る事になること、自明の理です。
しかし、浅井会長は、あえて猊下の御指南に背く勝手な行動を、講員を総動員(デモ行進にはご高齢の方や子供もいた)して実行しました。
― 日蓮正宗信徒としての、本来の姿をあえて排除した…
それは、浅井会長に、先に説明した意図があるからではないでしょうか。

●浅井会長が、「基礎教学書」等に、政府への回答を“欺瞞回答”などとタイトルを付け、いかにもゴマカシているとイメージさせて、質問を載せず政府回答だけを載せています(「基礎教学書」352頁)。
なぜか?
なぜ質問主意書の、質問全文を載せないのか?
●質問全文を載せると、創価学会の政府回答が、浅井会長が行ってきたような公開討論申し入れや機関誌の大量配布、デモ行進などを、行う程のものではないことが、わかってしまうからです。
すなわち、浅井会長・妙信講の主張が正しいから解散処分になったのではないことが、わかってしまうからではないでしょうか。

【検証】
●まず質問は、
「創価学会は国が創価学会の宗教的施設を国立として建てることを目的としていたが、この目的は憲法二十条三項および憲法第八十九条に違反したものと考えるがどうか。」
ということで、
創価学会の戒壇と言う宗教的施設を“国立、国費で建てる”ことについての質問であることを、浅井会長は隠しているのです。
すなわち「御遺命の戒壇」についての質問ではないという事です。
・共産党などの外部の者には、「御遺命」の事などわかるはずもない。
あるのは、創価学会の宗教施設を“国費を使って建てる国立”は問題であると、そして、それを目的とした政治活動までも、問題である、憲法違反の疑いがあると云っている。

●政府への回答(「基礎教学書」352頁)
・質問で“国立、すなわち国費を使って建てる”のが問題だといわれた創価学会は、
・「御遺命の戒壇」を“国費で建てる国立の戒壇”として、その建立が目的だと云っていましたが、
・回答では、
「御遺命の戒壇」と“国費で建てる国立戒壇”を切り離して、「御遺命の戒壇」については求められていないので回答するのをやめています。
そして、「本門戒壇」についてのことだと、話をすり替え回答しているのです。

一、から見ていきます。
一、本門戒壇とは、本尊をまつり、信仰の中心とする場所のことで、これは民衆の中に仏法が広まり、一つの時代の潮流となったとき、信者の総意と供養によって建てられるべきものである
・「本門戒壇」の説明をしています。
この回答の“一つの時代の潮流となったとき…”などは、「本門戒壇」=正本堂との布石を打つための蛇足ですが、
本門の本尊の御座所、御安置の所が「本門戒壇」であるので、
下線の「本門戒壇とは、本尊をまつり、信仰の中心とする場所のこと」との回答は、間違っていません。

二、を見ます。
二、既に現在、信徒八百万人の参加によって、富士大石寺境内に、正本堂の建設が行われており、昭和四十七年十月十二日には完成の予定である。これが本門戒壇にあたる。
・本門の本尊が御安置(戒壇の大御本尊御遷座)されるので、その御座所は「本門戒壇」になります。
回答としては、何ら問題はありません。

三、を見ていきます。
三、一時、本門戒壇を〝国立戒壇〟と呼称したことがあったが、本意は一で述べた通りである。建立の当事者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって、国家権力とは無関係である。
・正本堂のことを説明し回答しています。
以前、国立戒壇すなわち国費で建てる戒壇と言ってきたが、これは誤りで、本意は、信徒の供養で建てられるものである。
だから国家権力とも無関係である。
と回答しています。
正本堂は、広宣流布を待つ蔵なので、信徒の供養をもって建立するのは自然なことです、当然国家権力とも無関係です。
■回答として何ら問題ありません。

●検証の結果として、欺瞞回答ではないという事がおわかりかと思います。
・「八月十五日までに、国立戒壇を否定した政府への欺瞞回答を撤回せよ。さもなければ妙信講が政府に対し訂正する」(基礎教学書409頁)
■などと騒ぎ立てる必要などまったくあません。

・現に、浅井会長も、“国費で建てる「国立戒壇」”を否定しているではないですか。
【文証】
『「国立戒壇」とは、国費によって立てる戒壇の意ではない。広宣流布の暁の事の戒壇は、全国民の燃えるような赤誠の供養によるべきである。』(浅井会長著/なぜ学会員は功徳を失ったか188頁)

・浅井会長の云う、
「そしてついに、昭和四十九年八月十二日、覚悟のごとく解散処分が下った。」
「覚悟のごとく」というのは、言い換えれば、「計算通りに」ということでしょうか。
すなわち、妙信講が正しいが故に解散されたと講員に思い込ませ、日蓮正宗の指導を受ける必要もなく、浅井会長の一存で自由にできる状態を得ることができた、と。

「まさしく妙信講は国立戒壇の御遺命のゆえに、信徒団体として死罪にも等しい解散処分をうけたのである」(基礎教学書410頁)
ということが、全くの茶番劇に見えてなりませんが、如何ですか?

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