元隊幹事 顕正会ブログ 活動30年ーなぜ顕正会を捨てたのか。

御本尊を偽造する顕正会は大謗法。戦争天災疫病は謗法が根本原因です。

75>「役職を全うしたい」純粋な思い

2022-04-30 | 【最新】
<75>「役職を全うしたい」という純粋な思い。
前々回の記事 <73>
顕正会の活動をするうちに
役職の支配欲、権力欲を求めてしまう
濁った命の人の事を書きましたが、
一方で、
純粋に真面目に、
役職を全うしようと、
必死で活動している人もいました。


ある婦人の話です。
肺を患い、喘息(ぜんそく)のような症状があり、
ひどい時は入院することも度々(たびたび)ありました。
ある時、
支区部長だった婦人(当時)の組織の都合なのか、
病気ゆえの特別な計らいだったのかわかりませんが、
浅井会長と婦人が直接、電話で面談をしたことがあります。
この頃、婦人はまだ夜間に発作を起こしながらも、
元気で活動していました。
その電話面談の中で、
婦人「…この病気もなおりますかねぇ…」
浅井会長「…必ずなおります…」
とのやりとりがありました。

婦人は、
この浅井会長の
「必ずなおります」
との言葉を信じ、
どんなに体調がよくなかろうと
「先生から頂いた役職(後に支区部長から総班長)を全うする」と言って、
必ず勧誘目標(誓願)を達成しようと、
必死で活動していました。

入院が長引くようになると
勧誘(折伏)対象者の名前をノートに書き出し
勧誘(折伏)の対象者を病室に呼んでは、顕正会の話をします。
鼻口に酸素の管を付けながら必死で語っていました。
しかし、日に日に病状は悪化していきます。

「出来るだけ自宅で」との医療方針があり、
婦人宅の二階で、
在宅酸素、ネブライザーなどの医療機器、
ホータブルトイレを整え療養することになりましたが、
ゼェーゼェーと喘息の症状がおさまらず、
殆(ほとん)どうずくまったままの状態です。
そんな中でも、
高齢の総班員の方が亡くなった時
(総班員の息子夫婦が共産党員で葬儀は形式でよいと主張していた)には、
「顕正会で葬儀をあげなければかわいそうだ」と、
自分の体調もかえりみず、
電話を2階に持ってこさせ、必死に息子夫婦を電話で説得、
顕正会で葬儀をすることを了承させました。
そして自ら本部(のM婦人部長:当時)と電話で葬儀の手はずを整えていました。
自分の容態も悪化しかねない、命がけの行動でした。
(無理に動いて肺にガスが溜まると酸素が取り込めなくなる)

最後の入院の時には、
ほとんど自力いで動くことが出来なくなっており、
「浅井先生に申し訳ないなぁ」言いながら、
ついに総班長を降りることになりました。
(姪の方が総班長を引き継いだ)
病床で、
届けられた班長会や総幹部会などのカセットテープを聞きながら、
「早く病気をなおして、みんなと御奉公(実際は御奉公ではなかった)したいなぁ」と
たどたどしくなった口調で、最後まで語りながら、
51才の若さで亡くなりました。
病名は、びまん性汎細気管支炎でした。

浅井会長、顕正会を信じて、
役職を全うしようと、
純粋で健気(けなげ)、そして命がけでした。
しかし、
婦人の病気はなおらず、
臨終は思うようになりませんでした


いかに純粋であっても
「役職を全うしたい」という思考は、
命が濁ってしまった結果、起きてくるのです。

顕正会の組織役職は浅井会長が作ったもの、
浅井会長の名聞名利(※)を推進するための組織ですから汚れています。
その汚れた組織、役職に執着しているゆえに、
命が濁ってしまうのです。
ゆえに心が曇り、仏界に至らず
即身成仏が叶わない。

(※)名聞(名声)-
広告のチラシ、大聖人様、大石寺の名前を利用して掲げ、
そのすぐ下に“したり顔(どや顔)”をした自分自身の写真を載せる。
「私がやっているんです」と言わんばかりの写真です。
顔を売って世間の名声を得たいのでしょう。
本当に仏法を広めるのなら、
大聖人様、大石寺の戒壇の大御本尊様の
功徳のみを述べて、自分自身の写真などどうでも
いいはずです。

(※)名利(利益りえき)-
芙蓉茶寮の商品を売ってる利益、
食品を作るのに
顕正会員をほとんど無償で使って
利益を出しています。
その他にも売っている書籍等みな利益を出しています。
その利益を宗教法人顕正会の財産資産にしています。
(生活を削って活動している顕正会員をしり目に)
日興上人は「学問未練にして
名聞名利の大衆は予が末流に叶ふべからざる事」
(二十六箇条P1884)と仰せられています。
そして、
「先生に申し訳ない」という思考は、
私たち一切衆生を成仏に導いて下さる三宝(※)の恩を
蔑(ないがし)ろにする誤った思考です。
成仏のための修行に、
「先生に申し訳ない」
というような心のあり方を
大聖人様は御教示されておられません。

「申し分けない」を仏法の道理の上で使うとすれば
謗法を犯して申し訳ございませんと、
戒壇の大御本尊様に懺悔滅罪を願う心で
使うのではないでしょうか。
(※)三宝(さんぼう)-
仏宝-日蓮大聖人
法宝-本門戒壇の大御本尊様
僧宝-第二祖日興上人を随一とする御歴代上人

どれほど純粋に真面目に顕正会を信じて活動しても、
大聖人様に背く顕正会では成仏できないのです。


浅井会長、顕正会は、人の心を狂わせます。
今、浅井会長の云う
・遥拝勤行
・忠誠
など、大聖人様の仏法にはありません。
浅井会長が作った邪行なのです。

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74>ロシアが『大闘諍』の口火

2022-04-08 | 【最新】
<74>ロシアが大闘諍の口火
3月度総幹部会(R4)で、
浅井会長は、
いまロシアがウクライナに暴虐なる侵略を開始した。
これ『一閻浮提の大闘諍』の口火であります

(顕正新聞R4.4.5号4面)と演説。
『大闘諍』は、ロシアのウクライナ侵攻が発端(ほったん)になると言う。

つい最近まで、あれほど
“中国、中国”と言っていたのは、
みなさんご存じだと思います。
例を一つ二つあげると、
「仏法の上からこれを見れば、この世界恐慌は、やがて始まる世界大闘諍の前相である。
この大闘諍の震源地は中国である
  (令和3年2月度総幹部会/R3.3.15号1面)
米国・中国の厳しい対立は『前代未聞の大闘諍』を招かんとしているし、
世界恐慌を招くインフレも今始まってきた。
中国の日本侵略もいよいよ眼前に迫りつつある
  (令和3年11月度総幹部会/R3.12.5号4面)
等々…。いくらでも出てきます。

浅井会長は、
世間やマスコミの風向きで都合よく発言を変えます。
地震のことも、
内閣府やマスコミが
「南海トラフ地震がいつ起きてもおかしくない」
との発表や発言になると
浅井会長も
「南海トラフ地震」
(以前は首都圏直下型の地震と言っていた)
と、変説しました。

顕正会の幹部達は、
浅井会長の言う事が変わったと
気付いていても、気付かなくても、
浅井会長が、
「ロシア」と言えば「ロシア」と言う。

大聖人様は、
「慈悲魔と申す魔」(小乗大乗分別抄P710)
と仰せです。
慈悲深そうに外見を見せ、魔の眷属に仕立て上げる魔の具えた力
と学ばせて頂きました。
浅井会長の“魔の通力”で、
顕正会幹部は、“魔の眷属”となってしまいます。

1月度総幹部会(R4)の体験発表で、
知人である元隊長の奥様(婦人部の幹部)が
体験発表の記事になっていました。
顕正新聞(R4.4.25)の記事によると
“三百万を急がれる”無二の師匠浅井…」
と言っているようです。

浅井会長は、
「“三百万”」は、
「平成三十三年(令和3年)、2021年までに断じてこれを成し遂げたい」

(浅井昭衛先生講演集P118-9)
と、断言していたのを、忘れたのか、思考を止めているのか。
“三百万を急がれる”」ではありません。
昨年“三百万を達成”しているのではなかったのか。
婦人部幹部の奥様も、
見事に“魔の眷属”となっているようです。

これが浅井会長の“魔の通力”
顕正会では成仏することは出来ません。

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73>支隊長、総班長になりたいという思い

2022-04-02 | 【最新】
<73>支隊長、総班長になりたいという思い
・顕正会の組織活動(修羅界/諂曲編)

顕正会の組織活動を始めると、
次第に、
支隊長になりたい、総班長になりたい
と思うようになる人が出てきます。
この人達は上の幹部に認められようと
命令に服従する軍隊のように
幹部の指示に、
盲目的に従います。

そして
支隊長、総班長になると
さらに周りや上の幹部の評価を意識して
勧誘(折伏)や結集の成果を追い求めて活動する。
中には、
隊長、区長になりたいと、
思うようになる人も出てきます。

成果がよければ隊長に抜擢されるかもしれないと
他の組織の成果が、自分の支隊より下であれば、
「俺の方が上だ」と喜ぶ支隊長もいる。

このような思いに染まった人達は、
今まで「はいっ」と従っていた隊長でも
降格されて班長にでもなろうものなら、
手の平を返したように見向きもしなくなります。

こんなことがありました。
11隊が結成されてから3回目の隊長交代の時、
H隊長とA隊幹事の体制でした。
(この2人はほぼ同時期に同じ組織で顕正会に入信した)
そのH隊長が降格と決まり、
A隊幹事は面接で本部に呼ばれました。
するとA隊幹事は、
「次は俺が隊長だ」と
期待に胸をはずませて本部に行ったそうです
ところが、男子部長(本部)からは、
「新しい隊長の下で、続けて隊幹事…」との話。
がっくりと肩を落として帰ってきたとの事。

『諂曲(てんごく)なるは修羅』 (P647)と大聖人様は仰せです。

「諂曲」とは「諂(へつら)い曲(まが)った」心の事こと。
隊長、支隊長という権力者支配者になりたい…、
その“曲がった心”の欲望を満足させるために、
従順をよそおってへつらう。

顕正会の組織で認められようとすれば
この修羅界の心に染まってしまう人達が少なからず存在します。
いつも組織の苦しみから逃れられない。

このような苦しみの境界、仏界とは程遠い。
顕正会では成仏出来ません。
まず顕正会の組織から抜け出すことが第一歩です。

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72】これが「一時に信ずる事あるべし」なのか?

2022-03-25 | 72】これが「一時に信ずる事あるべし」なのか?
【72】これが「一時に信ずる事あるべし」なのか?
●浅井会長は、
令和4年の年初、
「顕正会員は、この「日本国一時に信ずるを見る事が出来る」
と宣言しました。(顕正新聞 令4.1.5号1面)
この時はまだ、
大聖人様が仰せられる
「梵天・帝釈の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし」
の「日本国一時に信ずる」時は、当然
「広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へんことは大地を的とするなるべし」
の広布達成の時であり、
この当然の道理が前提にあって、
「“日本国一時に信ずる”を見る事が出来る」
の宣言であると思っておりました。

●ところが浅井会長は、
今年(令4年)2月の総幹部会で
この大聖人様の御金言が意味する
「日本国一時に信ずる」=「広宣流布の時」
とは全く違う話を作り
それが
「日本国一時に信ずる」
だと演説。
作られた話とは、
曰く、
『顕正会の折伏に耳をかたむける。
そして一同に求めてくるのです。
もうそのときは入信勤行も間に合わない。
「遥拝勤行はどうしたらできるのか」と、
向こうから進んで求め、
日本国中が一斉に遥拝勤行を始める。
それが
「日本国一時に信ずる事あるべし」
との仰せであります。』

(顕正新聞令4.3.5号4面)

顕正会の“折伏”
顕正会の“入信勤行”
顕正会の“遥拝勤行”
浅井会長が作った邪行の話です。
大聖人様の仰せに“顕正会”など存在しません。
全く道理が通りません。

●そしてこの話、
かなり以前に、浅井会長が、
「…一同に求めてくる…入信勤行に整理券配らなければならない…」
といった内容の話を指導していました。
そして、
婦人部や女子部の組織を中心に
本気でこうなると固く信じ切って、
これが顕正会を信じることと、
その活動の原動力なっておりました。

よく婦人部の幹部の人が、法華講の方に
折伏されて、理に詰まると、
「今にわかる」
「後、数年でわかる」
などと、
“いずれ日本一同が顕正会を求めてくる”
と、
道理が通らない盲目的な確信で返答しているのを見かけました。

・この期に及んで、あらたまって演説せずとも、
すでに顕正会の組織には浸透している話です。

・浅井会長は、自分の寿命が見えてきてしまった現在、
“顕正会員を引きずるために作る話”が
手詰まりになったのでしょう、
そのあげく、
この2月度(令4)総幹部会の演説です。

●浅井会長は、
「日本国一時に信ずる」との大聖人様の仰せを、
自らの邪義に染めて喧伝し、謗法の所業を積み重ねます

御本尊を偽造するほどの人ですから
大聖人様の御金言を
都合のいいように
利用する事ぐらい平気なのでしょう。

このような邪見で
大聖人様の御金言の「意義」を無視、
「文」だけを利用して、顕正会員を盲目、謗法に追いやる。

顕正会浅井会長、顕正会員の
末路は、
大聖人様仰せの、
「人皆口には此の経を信じ、手には経巻をにぎるといへども、経の心にそむく間、悪道を免れ難し」
(新池御書1456)
「何に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし」
(曾屋殿御返事1040)
「吾が一門の人々の中にも、信心もうすく日蓮が申す事を背き給はば蘇我が如くなるべし」
(四条金吾殿御返事1178)

に値するのではないでしょうか。

浅井会長は、ここまで来て
未だに、ウクライナがどうのと
往生際の悪いことを言っています。
早く浅井会長顕正会を捨てて、
正しい日蓮正宗の信心を始めましょう。
さもなくは臨終の時、必ず後悔してしまいす。

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69】「一時に信ずる」を見る事が出来る?

2022-01-25 | 69】「一時に信ずる」を見る事が出来る
【69】「一時に信ずる」を見る事が出来る?
「顕正会員は、この『日本国一時に信ずる』を見る事が出来る」(顕正新聞 令4.1.5号1面)
と浅井会長は宣言しました。

多くの顕正会幹部は、浅井会長が生きているうちに
広宣流布が達成される。と信じ込んでいます。
私も、そうでした。
ゆるぎない(当時は)確信があり、
それが組織を引っ張る原動力に成っていたのです。
しかし、
これが大聖人様に弓を引く邪念でした。
大聖人様が、
「生きているうちに広宣流布が成るからがんばれ」
などと、馬の目の前にニンジンをぶら下げるような
浅ハカなやり方をお示しになるハズもありません


浅井会長のやり方を例えて示します。
顕正会員の目の前に、
顕正会の広宣流布というニンジンをぶら下げ、
後10センチでニンジンというところで、
1メート先にニンジンを突き放すのです。
先に延びたニンジンを、先に延びたと気付かずに
再び顕正会員はニンジンを目指して活動に身を削る。
さてまた、後10センチというところで、
またまた、1メートル先にニンジンを突き放す。

これを数十年繰り返しているうちに、
浅井会長自身の寿命が、見えてきてしまいました。
もう、ニンジンを突き放す限界も見えてきました。
その限界の言葉が
「見る事が出来る」という
最後(にしてもらいたい)のハッタリの指導
です

浅井会長の言っている顕正会の広宣流布は、
馬から見ればおいしそうに見えるニンジンですが、
正気の人間から見れば、
絵に描いた餅ならぬ、
絵に描いたニンジン。

浅井会長は、巧みな弁舌で、
絵に描いたニンジンを
本物のように見せます。

絵に描いたニンジンを、本物のニンジンと信じ
身を削り、人生を賭けてきた顕正会員の方達。
謗法の顕正会で身を削った分がすべて、
罪障となり悪業となるのです。

あと数年、
リミットを迎える前に、
邪師の浅井会長を捨てて
真の幸福、成仏を叶える、
日蓮正宗の信心に目覚めて下さい。


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68】「日本国一時に信ずる」時はいつ?

2022-01-24 | 68】「日本国一時に信ずる」時はいつ?
【68】「日本国一時に信ずる」時はいつ?

大聖人様の仰せの「日本国一時に信ずる」時は
“いつ”なのでしょうか?

何よりもまず、
大聖人様の御金言を拝します。
三大秘法抄-
  “…「時を待つべきのみ。」事の戒法と申すは…”
一期弘法付嘱書-
  “…「時を待つべきのみ。」事の戒法と謂うは…”
両重要御書とも、
「時を待つべき」と仰せられています。

「時を待つべき」とのみと仰せで、
その「時」はが“いつ”であるとは
断定されておりません


「広宣流布の時至り…」(門徒存知事P1873)と
仰せられる日興上人もその「時」が“いつ”であるとは
断定されておりません。


・ところが、浅井会長は、
大聖人様がご断定されていない
その「時」を、
“いつ”であると、
勝手に断定し
声高に宣言して
会員を高揚させます。

大聖人様の御金言を超過する大慢心の発言です。
そして顕正会員の活動の原動力としていきます。

その“いつ”を、
ここ10年近くは、
『2020年代』であると発言しています。
今回さらに、
『見る事が出来る』と発言しました。

しかし、
大聖人様の御金言にこのような
広布達成は“いつ”であると
「時」を特定された仰せはありません。
“時を待つべきのみ”です。
これらの発言は、
浅井会長自身の寿命を考えに入れた、[
これも大聖人様の御金言を超過する大慢心の発言です。

我見である故に、
浅井会長は、その“いつ”を
過去何度も言い換えています。
2007-平成19年達成 (S57武道館総会)
2010-平成22年達成 (S61武道館総会)
2014-平成26年達成 (H6男子部班長会)
と。
さらに浅井会長は、
『広布最終段階』などと言い
その“いつ”が近いと雰囲気を煽(あお)りますが、
もとより、
『広布最終段階』などという発想は、
大聖人様の御金言には存在しません。
浅井会長の妄想、謀りです。

・そもそも、
「一時に信ずる時」に顕正会は存在しません
大聖人様は、
「終(つい)に権教権門の輩を、一人もなくせめおとして法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独(ひと)り繁昌(はんじょう)せん時」
(如説修行抄P671)
と仰せられています。
すなわち、
「一時に信ずる時」までには、
“三大秘法の御本尊を偽造する大謗法の顕正会と会員”は、
一人もなく攻め落とされて、
御法主上人(法王)の家人となり、
日蓮正宗の信徒となっているからです。

浅井会長の発言は、
大聖人様の
「時を待つべきのみ」の仰せを
ないがしろにする
大聖人様に弓を引く“仏敵”の発言。です。
早く浅井会長を信じる事をやめて下さい。
さもなくば
正しい大聖人様の仏法を行じる事はできません。

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67】芙蓉茶寮の始まりと浅井会長

2021-09-15 | 67】芙蓉茶寮の始まりと浅井会長
【67】芙蓉茶寮の始まりと浅井会長

茶寮を始める時浅井会長は、

試練と忍従の歴史(P46)に
「当時、朝目がさめた時、
後頭部にズッシリ砂がつまっているような重苦しさを、
毎朝感じたものであった」
と記したこの当時、
“実は倒れて入院した”
という話を始めました。
いわく、
「この頃心労という事もありましたが、
実は、肉ばかりを食べておりまして、
野菜なんか、男の食べるものではない
と思っておった…。
それで偏食で倒れてしまった」
という内容の事を語り、
“後頭部にズッシリ
砂がつまっているような重苦しさ”
の本当の理由を明かしました。
それ以来、
自分の「食」を見直すようになったと。

・激しい戦いの中にいる
顕正会員の健康を心配し、
「芙蓉茶寮」を始めることにした。
と。

思い返すと、
浅井会長は例え話をする時、
“肉のロース”の例を使うことがまれにあり、
昔の妙信講幹部の話にも、
「折伏の帰りに、バッタリ浅井先生に会ったら、
先生から焼き肉を食べていこうと焼き肉を御馳走になった」
といったような話も散見され、
浅井会長は相当肉が好きなんだろうな
という印象はありました。
が、
まさか
「野菜は男の食べるものではない」
とまで思っていたとは…。
この時初めて知りました。
今となれば
浅井会長の攻撃的な性格を
如実に表していたように思われます。

浅井会長は、偏食で倒れ
「食」に対して考えるようになった結果、
玄米採食を中心とする
食生活に変えたようです。

私が個人的に法道院時代の話をよく伺っていた
k内j一郎さん(故人)も、
浅井会長に玄米食を勧められていたと聞きました。
(k内さんは浅井会長から「jちゃん」と呼ばれる間柄)

では、
健康を考えてという「芙蓉茶寮」で
玄米食が提供されたのでしょうか?

芙蓉茶寮は最初、
常盤台の
今は一階にモスバーガー
の入った建物の2階(今はガストか?)
で始まりました。

たしかその初日だと思います。
早朝勤行の後茶寮に行ってみると
食品を置く棚に、
エプロン姿の
浅井克衛男子部長と
小峰氏が、
パンの数を確認しながら、
一つ一つ棚に並べています。
(後日支隊長会で克衛氏は、
「サンドイッチ何個、○パンが何個…、
これが広宣流布の戦いなのかな‥、
 などと愚痴をこぼしていました」)
(※どちらにせよ本物の広宣流布とは何の関係もありませんが)

実際に初期の茶寮の棚には
健康を考えてという割には、
コンビニにあるような
特に変わりばえのしない
パンが並んでいました。

浅井会長は、
「朝食を抜くのは健康に悪い」
「(朝食を抜くのは)太るからですか?」
などという話もしており。
今まで、朝食を食べていなかった人達の中には
浅井会長の指導のまま、
芙蓉茶寮で朝食をとる人が出始めました。
利益が出るようにしっかり計算されていたようです。

さて
エプロン姿でパンを並べていた
浅井会長の
長男 克衛氏と
長女の娘婿 小峰氏。
両者とも顕正会から姿を消してしまいました。
そして両者とも、
その後離婚しています。
(克衛氏のお相手は当時の10区長だった方)

“なぜそうなる”のでしょうか…。

健康以前に、
人生を破壊されています。

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66】本部職員I君の臨終

2021-09-10 | 66】本部職員I君の臨終
【66】本部職員I君の臨終 成仏の相とは

今の東京会館が本部だった頃の話です。
本部警備を前任の橋谷さんから引き継いで、
本部職員になったI君、
まだ二十代だった思います。

隊では古株で隊幹事だった私が、
隊の衛護(昔の整理部)を
隊長から連絡を受け、
割り振っていました。

衛護も、
中にはやる気になってやっている
男子部もいるのですが、
長年やっていると衛護に
時間を取られるのが
「うっとうしく」なってきます。

特に日曜日の衛護担当を割り振られると、
その時間は組織の勧誘活動が出来なくなります。

勧誘の成果が上がっている時はまだしも、
締め切りが近くなり、
誓願が達成していない時、
衛護に時間を取られている場合ではありません。
(支隊長以上の方は理解できると思う)
もちろん、
内心「うっとおしい」と思っている
などとは
態度にも出しませんし、
口にもしませんが。

この“内心”を熟知している
本部職員のI君。
ある日、
本部の衛護担当を割り振る時、
本部の窓口で私に
「〇〇日の“日曜日”、10時から14時は、
 ××隊(私の隊)でお願いします」と
半ば冗談交じりで言ってくる。
「おいI君、もちょっと考えてくれよ…」
と私。
と、こんな会話が時折ありました。

ある日の日曜勤行の時、
勤行の最中に「ゴォー」と
大きなイビキ(のような)が聞こえてきました。

誰だろう勤行の最中に、
と思っておりましたが、
後にこれが、本部職員のI君である事を知りました。
この日曜勤行の最中、
脳梗塞で倒れ、
病院に搬送されたが
すでに亡くなっていた
と聞かされました。
まさに急死です。

当然、本部はこの事実を隠しました。
体を張って本部の業務に当たっていた、
まだ若かった本部職員I君の急死です。
しかも日曜勤行の場で。
顕正会流にいうなら
これが“現証”ではないでしょうか。

また別に、
今年(令和3年)、男子部の現役の部長だった
U君が亡くなったと聞きました。
脳の疾患で急に亡くなったようです。
現役の部長のまま。

U君の父親、Uさんは新宿支部で一緒でした。
父親のUさんが亡くなった時、
その御通夜には私も参列し、
御通夜のお手伝いをしております。

息子のU君は、
比較的、早く隊長になり、
不祥事を起こして一旦隊長を下ろされましたが、
浅井会長に目をかけられていたようで、
しばらくしてすぐに隊長に復帰しています。
すぐに隊長に復帰させたことは、
浅井会長自身が班長会(だったと思う)
で語っています。

そのU君、まだ50代だと思います。
顕正会流に言うなら、
これも“現証”でしょうか。

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65】「導師曼荼羅の御形木御本尊」は偽造

2021-09-06 | ●顕正会の御本尊はなぜ偽造なのか
【65】「導師曼荼羅の御形木御本尊」は偽造
昭和55年
顕正会に肩入れし
顕正寺住職になっていた
八木直道氏に対して、
「ある人物が顕正会を離れるよう
陰険な策謀をめぐらしたが、
“大聖人様の御守護”で事なきを得た」
と、
浅井会長は臨時班長会(S55.7)で指導。

ところが、
この臨時班長会一週間後の7月24日
八木直道氏は顕正寺を抜け出し、
顕正会と縁を切りました。
「“大聖人様の御守護”で事なきを得た」のでは無かったのか。
浅井会長が、
大聖人様の御名を
自分の策略のために都合よく利用する典型例です。

八木直道氏、
浅井会長が僧侶蔑視(べっし)の思想であることに
ようやく気付き顕正寺を離れました。(本山へ戻る)
直道氏も他の顕正会員と同様、
浅井会長の
「国立戒壇名称のトリック」
にダマされたものと思われます。
Click⇒【1】浅井会長の「国立戒壇」は本物か?を参照

総幹部会で壇上の席に、
拍手の中を浅井会長が席に着くが、
この当時は、
先頭に八木直道氏、
次に浅井甚兵衛氏、
最後に浅井昭衛氏の
順番で並んで出て来て席に着きました。
僧侶の直道氏を先頭にして
その後に浅井甚兵衛、昭衛氏の序列を
当然のように会員に見せていました。

しかし、浅井会長の本心は、
国立戒壇に賛同していても、
御住職を自らの管理下に置かずにはいられない
僧侶の姿を利用するが信頼しない
この僧侶蔑視が
直道氏をして顕正会を捨てる原因ともなったのでしょう。
僧侶蔑視は三宝誹謗につながっていきます。


直道氏が顕正寺を去った後の8月に、
所化であった村松禎道氏が顕正寺に入りましたが、
令和の現在ではその存在すら忘れ去られました。
※この村松禎道氏が顕正寺に居た頃、
顕正会は現在の儀典部のような
勝手に葬儀をする仕組みはありませんでした。
当時私の関係する組織で葬儀があると
私ら幹部が自発的に、
村松氏が執り行う葬儀の手伝い
をしておりました。
村松氏が携行していた導師曼荼羅を
お持ちしたり、ご奉掲したり。
数件の葬儀で経験しています。
この妙縁寺から持ち出したであろう
「本物の導師曼荼羅」、
真近で数度拝しておりますが、
“少々痛んで”おりました。
しかし、
今顕正会の葬儀に使われている
「導師曼荼羅の御形木御本尊」は、
真新しい。
この「導師曼荼羅」の「御形木御本尊」は、
日蓮正宗には存在しません。
すなわち、
顕正会で作成した「御形木御本尊」は、
偽造本尊なのです。

三大秘法の御本尊の偽造は、
三大秘法の随一である
戒壇の大御本尊の偽造につながる
極悪の謗法です。

(追記)
浅井会長の云う、
「松本尊能化は
“葬儀のとき困るでしょう”とおっしゃって、
日布上人御書写の
『大日蓮華山大石寺』の脇書きのある
導師曼荼羅の御形木御本尊まで、
六幅授与して下さったのであります」
は、
ウソの作り話です。

“大日蓮華山大石寺の脇書きのある
導師曼荼羅の御形木御本尊”
など、
日蓮正宗に存在しません。


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64】コロナ禍…疫病が起こる原因は?

2021-08-23 | 64】コロナ禍…疫病が起こる原因は?
【64】疫病が起こる原因は?
コロナ禍、真っ只中です。
ワクチン接種にいろいろなうわさも流れ不安もつきません。

●…疫病が起こる原因は?
大聖人様は、
『今 日本国の疫病は総罰なり』(御書P1233)
と、
疫病は、総罰であるとお示しです。

『今 日本国』の『今』とは鎌倉期ですが、
仏法の道理 大聖人様の御教示は、当然現在にも通じます。

現在の「コロナ禍」
大聖人様の仰せを拝せば、
明らかに「総罰」であると思われます。

●なぜ、私達が「総罰」を受けるのか。
大聖人様は、
『聖人をあだめば総罰一国にわたる』(御書P1233)
と御教示です。

現在『聖人』すなわち
「日蓮大聖人をあだむ」大謗法は、

・あからさまに本門の御本尊を偽造し、
全国に拡散させている創価学会。

そして
・会員にわからぬよう三大秘法の御本尊を偽造し、
ひそかに全国に拡散させている顕正会。

さらに、
・創価学会は、
正面切って戒壇の大御本尊を誹謗。
御本尊も堂々と偽造し「日蓮大聖人をあだむ」
大謗法となっています

・顕正会も、
口には「戒壇の大御本尊を信じている」と言いながら、
裏では「三大秘法の御本尊を偽造」し会員に拝ませる。
戒壇の大御本尊(三大秘法の随一)を誹謗する大謗法です。


御法主日如上人猊下は
『人間が謗法を犯すとその国土世間が全部、
謗法の国土となり、無間地獄となってしまうのです。
今日の天変・天変地夭、様々な状況をみた時、』

私達は折伏をしなければならない。
と仰せられ
『そうしなければ個人だけではなく、
一国そのものが謗法の国になってしまい、
予同罪や総罰を受けなければならなくなります』

(日如上人猊下立正安国論P67)
と、
予同罪や「総罰」を受ける道理を
御説法下さっています。

現在のコロナ禍は、
創価学会や顕正会の大謗法が全国に拡散
されたために起きてきた「総罰」である。
とと云う事ではないでしょうか。
日蓮正宗信徒として
大聖人様の御教示が真実であると信じます。

大聖人様は、
『何(いか)に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にをつべし』
と仰せられています。

■戦いの重圧の中、世間で起きていたブーム■

私が、顕正会の邪義に染まり
その活動に没頭していた、

1980年代~1990年代から
2000年代初頭にかけて
世間では、
好景気の裏で、
『ノストラダムスの1999年7の月滅亡説』
がブームでした。
「ノストラダムスの大予言」という
タイトルの本が当時ミリオンセラーになっていました。
そして、予言の年限が近づいてくると、
テレビでも特番が組まれ、
“信じる”“信じない”の討論が放映されるほどでした。

さて、この1999年7の月を迎えましたが、
何事も起きず、いつも通りに過ぎました

当時なにか起きてほしいとひそかに願っていた
一部の顕正会員も期待外れで肩を落とします。
まだ戦い戦いが続くのかと…。

もう一つ。
このノストラブームと同時に
戦争 巨大地震 疫病等の災害 経済恐慌と
イルミナティ、メーソンとのかかわり

を書いた本が多く出版されました。
このイルミナティ、メーソン、
それからロスチャイルド、ロックフェラー…。
これらを書いた本、興味を持った人もそこそこいたのではないかと思います。

はずかしい話ですが、
私もこの当時、
顕正活動の
「戦い戦い」「責任責任」
の重圧にさいなまれ、
地震、経済恐慌いつ起きるのか?
(正直、早く起きてほしいという気持ちになっていた)
大戦争や巨大地震、経済恐慌の情報を求めて、
これらの本を結構読みました。

いつの時代でもこういうブームが起きるようです。
●最近では“ディープ・ステート”というのがブームのようです。
顕正会の間違った信仰に染まると、
心が辺(かた)よってしまう、相当に毒だれてしまうのでしょう。

顕正会では、立正安国論を正しく拝することはできません。
浅井会長の邪念にもとづいては、重圧で苦しくなる一方です。
信じる対象は浅井会長の信念ではありません。

御法主日如上人猊下は、
『「信」は、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の教えを拝信し、
清浄な心をもって疑いをまじえないこと。』
(大日蓮3.6 P15)
と御指南です。

では、大聖人様の“教え”を拝すると。

●大聖人様は、
「災難の起こる原因は謗法にある」
ことを、
『世皆正に背き人悉(ことごと)く悪に帰す。
 故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還(かえ)らず。
 是を以て魔来り鬼来り、
 災起こり難起こる。』

と、立正安国論(P234)に仰せです。

御法主如上人猊下は、
『末法の御本仏大聖人様は、
 混乱・不幸のすべての原因は謗法にあり、
 正に背いて悪に帰するからだということを
 明らかにおっしゃっているのです』

(日如上人猊下立正安国論P64)
と、御説法下さっております。

混乱・不幸の原因は謗法なのです。

●そしてこの災難を防ぐためには、として
次のように御説法されています。
『「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。…」
とおっしゃったのであります。
つまり仏国土を建設するためには、
一国も早く謗法の念慮を断ち、
「実乗の一善に帰」さなければならない
とおおせあそばされたのであります。』

(日如上人猊下立正安国論P40)

そして、
『三大秘法の随一・大御本尊に帰命することが
 「実乗の一善に帰する」ことであります』

(日如上人猊下立正安国論P23)
と、明確に御指南されています。

三大秘法は、本門の本尊と戒壇と題目。
日如上人猊下は、
立正安国論の「立正」について、
『「立正」とは、末法万年の闇を照らし、
 弘通するところの本門の本尊と戒壇と題目の
 三大秘法を立つることであり』
(御指南集28P15)
と御指南されています。
(参考【43】“立正”とは“国立戒壇の建立”は本当か?☜)

浅井会長のように
戒壇だけを特別視して論ずるのは、邪義です。

●顕正会員の皆さん、

浅井会長のいう
「国立戒壇を建立すれば
日本は日蓮大聖人を魂とする国になる
御本仏を魂とする国は
まさしく仏国ではないか」

との邪義に洗脳され、

国立戒壇を建立することが唯一の解決方法だと、
戒壇建立のみに意識を注力させる
浅井会長の邪念に、
たぶらかされてはいけません。
(参考【35】『御本仏を魂とする国はまさしく仏国ではないはか』は本当か?☜)

「戦い」「責任」の重圧は仏道修行ではありません。
早く、
浅井会長の邪念を捨てて、
日蓮正宗の正しい修行、
清浄な心で疑いをまじえず、
日蓮大聖人の教え拝信できるようになって下さい。

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63】何度も変わる“達成の年限” 百万の時、一千万の時

2021-07-27 | 63】何度も変わる”達成の年限”百万、一千万
【63】何度も変わる“達成の年限”百万の時、一千万の時
[1]
【百万の達成の年限】
※まず百万達成の年限が、次のように変わっていきました。
〈1996『平8年達成』 S61武道館>百万は今後10年で成しとげる
〈1998『平10年達成』 H2横浜アリーナ>平成10年までに断じて百万を達成する
〈2001『平13年達成』 H3.1成人式>皆さんが30歳になる時、顕正会は百万を大きく突破

※最初百万を言い出した頃、浅井会長が演説した
一つも実現しない

“達成の時に○○をする”という宣言をあげてみます
<昭61武道館>百万を達成した時、
国家諌暁に立ち上がりたい
<昭62幹部大会>百万を成し遂げ
五万人を結集し第三の戦い開始の大儀式を行いたい
・この大儀式こそ“大聖人のお待ち遊ばす法戦場”に到着したことを顕す
・百万達成の時までには、全国四十七都道府県のすべて支部を作る
<昭63男子幹部会>顕正会百万達成の
・大総会の数ヶ月のち一万人結集の男子部大会を日本武道館で開こう

※ところが浅井会長は、
会員が血みどろになって活動している中

「百万達成が平成10年には出来ない」と、
ひそかに判断し。
会員に気付かれないよう、早い段階で
年限の“平成10年”を発言しなくなりました。

会員の記憶から達成の年限”平成10年”
消し去るために、
達成の時に○○をする
の発言だけにスリ替えます。

※年限の平10年を消し
“達成の時〇〇をする”にスリ替えた
集会での発言

<平4総幹部会>
百万達成の時には必ず十万人が集まる
・十万人が立ち上がるならば、日本の国は必ず動く

<平7横浜アリーナ大総会>
百万達成の時、国家諌暁
・十万人の大行進を以て国会議事堂周辺を埋め尽くし、
・請願書を提出する
「前々から言っていた、
大聖人様がお待ちあそばす大法戦場とはこのこと」

続いて浅井会長は、
達成の時〇〇をする”から
“達成の時”の語を消し去って、
“「〇〇をする」”
だけにスリ替え、
この
“「〇〇をする」”だけを、
集会で繰り返し演説し。
会員に刷り込んでいきます。
<平8年婦人部合宿>明年(平9年)の一国諌暁と
<平9総幹部会>諌暁書「日本は必ず亡ぶ」(H9年)販売開始
<平9総幹部会>本年7月16日以降の戦いこそ「御馬前の戦い」
<平7総幹部会>7年後(H14)十万人の国会請願
<平8年婦人部合宿>6年後(H14)国会請願

※こうして浅井会長は、
みごとに、
会員の記憶から“平10年百万達成”
消し去りました。

あれだけ、
「戦い 戦い」
「遅れるな」「勝った、負けた」
と追い込んでおきながら…。

※この“達成期限”を別な事柄にすり替えて
会員の記憶から忘れ去らせる手口。
解散処分前からの浅井会長の常套手段(じょうとうしゅだん)なのです。


□百万達成発表は2003平成15年11月 でした。
・百万が達成で、開催すると言っていた、
五万人を結集し第三の戦い開始の大儀式

一万人結集の男子部大会を武道館で開く
も、虚(むな)しくなりました。


[2]
【一千万達成の年限】
※一千万達成の年限も、次のように変わっていきます。
<2003『平15年達成』 S61武道館>百万から一千万までを次の7年で

<2011『平23年達成』 H3.1成人式>皆さんが40歳の時一千万をも突破

<2013『平25年達成』 H10記念大会>一千万は平成25年までに成し遂げる

<2015『平27年達成』 H9総幹部会>一千万達成は今後18年あれば必ずできる

※浅井会長は
「一千万達成が断言したようには出来ない」
と、判断すると
百万達成の年限をスリす替えた時と同じく、
会員に気付かれないよう、
早い段階で
“一千万達成の年限”を発言しなくなりました。
そして、
“一千万”を、
“三百万”にスリ替え、
そして、
会員の記憶から一千万の年限が消えたのを見計らって
新たに
“2020年代の年限”を登場させます。

【三百万の達成】
<2021令和3年/H33達成 H20.8)男子部幹部会>
いまや百三十万に達せんとし、三百万も眼前となってきた。三百万の仏弟子の集団が出現し
<2021令和3年/H33達成 H21.8男子部大会>
三百万の大陣と、男子部十万結集。あと12年のちの平成33年、2021年までに、断じてこれを成し遂げたい

【2020年代】
<2020年代達成 H30.5 総幹部会>
明年(令1)の北東北大会を以て地方大会のすべてを終え、
その翌年(令2)から 『広布の決戦場たる20年代』に突入する。
東京・埼玉・神奈川・千葉の一都三県は地方ではない、本陣であります。
この本陣は、
『20年代の然るべき時』に「本部総会」を埼玉スーパーアリーナで開催するので、
その総会の主力として全代表が参加してほしいと思っております。


■浅井会長の発言は、
”広宣流布”等の日蓮正宗の仏法用語を使っていますが、
仏法用語を勝手に使用しているだけで
その中身は、見ての通り、
浅井会長の“邪念の構想”でしかありません。

その構想は、日蓮大聖人の仏法とは関係のない
謗法の構想なので、都合よく変わります。

慢心の邪師、浅井会長を信じていては、
成仏出来ないばかりか、
臨終の後、悪道、地獄に堕ちるのではないでしょうか。


※このブログは管理者個人の責任において記述しています。


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62】何度も変わる広布達成の時

2021-07-01 | 62】何度も変わる広布達成の時
【62】何度も変わる「広布達成」の時

※〈 〉内が達成の年。何度も変わっていきます。
〈 2007平19年達成 〉(S57武道館)あと25年で広宣流布できなければ核戦争で絶滅

〈 2010平22年達成 〉(S61武道館)あと24年で一億の弘通を成し遂げる

〈 2014平26年達成 〉(H6男子部班長会)国立戒壇まであと20年共に戦おう

〈 2015平27年達成 〉(H7総幹部会)あと20年他国侵逼が早いが顕正会が早いか

〈 2014-平26年最終段階 〉(H26.2総幹部会)もう広宣流布は近い。すでにギリギリの広布最終段階に突入している。だから本年が「国難元年」なのであります

※なぜこんなにも広布達成の時が変わるのでしょうか。
それは、
顕正会の広宣流布が、
浅井会長の勝手な邪想でしかないからです。

“広布達成の年限”を区切る。
この、やり口、やり方。
当然、大聖人様の仰せにはありません。
“達成の年限”を区切る、
そして、会員を高揚させ、雰囲気を作る、
その上で、数字の達成に追い込んでいく。
浅井会長が、
会員を引きずり込んでいくための手口です。

※会員を欺(あざむ)き続けてきた浅井会長。
平成26年、
今まで、何度も断言してきた
「広布達成の時」
まったく事実になりませんでした。

これがハッタリであったと気付かれないように、
新たに
「広布“最終段階”」
という語を造語したのです。
もちろん、
「広布“最終段階”」とは
浅井会長の邪念から出た邪義です。
ここでまた、
会員をダマして洗脳しにかかりました。

〈 2020年代達成 H29.9総幹部会>
20年代こそ、広宣流布の決戦場であります。このとき大聖人様は広宣流布あそばす

〈 2020年代達成 H29.7総幹部会>
広宣流布は、大聖人様の絶大威力により必ず一時に成る。それも決して遠い将来ではない、まもなくそういう時が来る

※そして浅井会長は、
今の会員をつなぎ止め、新たな会員獲得の手口として、
「2020年代」という語を邪想し、使い始めました。
20年代としておけば、2020~2029年と10年の幅がある、
その間には‥‥、と
この期(浅井会長今年90才)に及んで、
まだ自らの邪念の実現を幻想しているようです。


〈 2020-令2年 他国侵逼 H26.9男子部大会>
次はいよいよ日本が侵略される。それは、20年代に必ず起こる

※今まで自らが言っていた広布達成宣言、最初から無かったかのような発言に変わり、
また、日本が侵略される他国侵逼の話に逆戻りします。
大聖人様の仰せが、二転三転するはずもなく、
大聖人様に敵対する、浅井会長の邪念邪想の勝手な発言であることがわかるかと思います。

浅井会長は、
大聖人様の御名を都合よく利用し、
御本尊を偽造して、だまって会員に拝ませる。
こんな事ことができる邪師です。
当然、成仏できません。


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【61】海老原元男子部長のこと。

2021-04-26 | 61】海老原元男子部長のこと。
【61】元男子部長海老原氏のこと。

私の書いた記事がきっかけで、
元男子部長の海老原氏が
「“国立戒壇が間違っている”と発言したから除名になった」
と思われている向きがあることを耳にしました。

当該記事⇒【14】「キリスト教神父を招く」の実態・冨士の解説から

まったく見当違いなので、
私が聞いている、
海老原氏除名のいきさつを少し書きます。

海老原氏は、板橋3隊の人。
杉並11隊(新宿6隊から派生した組織)
の私とは、接点がなくほとんど無縁の人でしたが、
海老原氏が飛ぶ鳥を落とす勢いで、
浅井会長から信頼され、相当の勢力をもった時期があります。

その頃、私らの18隊に、海老原氏の息のかかったY田隊長が送り込まれ、
海老原男子部長の配下に編入されました。

私らは、男子部は全て浅井克衛総合男子部長が統括している、
そう思っていましたが、
この海老原氏の息のかかった隊長達は、
自分らを“海老原男子部”と呼び、
浅井克衛総合男子部長とは一線を画する姿勢をとっていたのです。

実際、総合男子部長の言う事と、
海老原男子部長の言う事が違っている事がありました。
中には某隊長に、
「総合男子部長と男子部長の言う事が違うように聞こえるんですが、聞き間違いですか」
と率直に言う者もおり、
質問された某隊長は
「そう、聞き間違い」と、
捻じ曲げて回答(せざるを得ない)していました。

私らもこの“海老原男子部”に編入されたあと、
頻繁に海老原氏の集会に呼び出され参加。
その海老原氏の話(顕正会内では指導)は、独特そのもの。

浅井会長が、
大聖人様の教えを利用して、
浅井会長の我見を混ぜ込み、邪義を作って指導していたのと同じように、

海老原氏は、
大聖人様の教えを利用する上に、浅井会長の存在をも利用し、
海老原氏独特の我見を混ぜ込み、邪義を作っていたのです。
そして“海老原男子部”へ力強く指導。
慢心と我見で自分のみが正しいと思い込んでいるところ、
言葉巧みなところ、浅井昭衛と似ています。
邪教の教祖の素質十分でした。

海老原氏は、本部はでかなり自由に動きをとることが出来たようです。

浅井会長に洗脳された顕正会員が、
自分達を仏弟子(実際は邪教徒)だと言い、
日本の中で特別な存在だと思い込んでいたのと同じように、

海老原氏に洗脳された海老原男子部は、
同じ顕正会男子部の中でも他の男子部と違い、
洗練された特別な存在だと思い込んでいました。

私個人は
この海老原氏と、
3度面会したことがあります。

1度目が、
私ら18隊が海老原男子部に編入された時。
海老原氏は、
「昔は“モノ言えば唇寒し”という時がありましたねぇ」
と言う。
この海老原男子部は、
そういうことはないんだと言いう。

要するに、過去の男子部は信心がズレていたのだと、
この海老原男子部は、
本当の信心を実践するんだ(と勝手思っていた)という
アピールでした。

実際、
“モノ言えば唇寒し”といった空気が、
顕正会の組織全体に張りつめていた事がありました。

組織内で隊長区長などの
浅井教祖に認められたとされる役職以上の者や、
顕正会に対して批判めいたことを言うと
その内容を、
本部に密告のする者がいます。

すると発言した人物は本部に呼び出され、
発言の内容が事実か否か問いただされます。
本部がその内容を黒だと判断すると、
謹慎や除名になるのです。

本部に呼び出される者が相次ぐ時があり、
「自分の発言は大丈夫か目をつけられていないか」
と不安になり、
“モノ言えば唇寒し”
といった空気が張りつめたのです。

二度めは、
当時、栃木県内に移住し、血みどろになって
宇都宮から栃木全域に
築きあげてきた邪教の総支隊を、
「手放せ」と言う話でした。
「栃木でやってきた事をまた在京でやって下さい」
と言う。
海老原氏は頭から、
海老原氏の指導を知らずにやってきた私の指導では、
信心がズレていると決めてかかっていました。
顕正会の組織信仰にハマってしまっていた私は、
男子部長の指示に抵抗するはずもなく、受け入れました。
以後、栃木を離れ、旧京橋/蒲田支部系の人達を見ることになりました。

三度めは、
海老原男子部の末期、
男子部大会(平成5年/1993年10月)が終了してしばらく、
思うように折伏(勧誘)が伸びないことに焦り始めていた海老原氏
から、海老原氏が使っていなかった
「祈り、戦い、勝つ」(浅井会長が作った我見の教義)
というフレーズを、
私が指導に使っていることについて。

いずれの時も、
慢心我見の浅井会長ですら言わないような
海老原氏の我見による海老原流教義を連発。
それは、
このころ、世間でも
「ノストラダムスの大予言」等の終末思想が、
テレビで番組が組まれるほど流行っており、
多分にそういった終末思想に影響されていたように思えます。

もっとも海老原氏とは別に、
(日蓮正宗信徒の今ではまったくの謗法行為であるとわかりますが)
私らもこの終末思想と
立正安国論の三災七難を勝手に重ね合わせて、
それらしい理屈を作って指導していました。

浅井会長は男子部大会の終了後、
結集と折伏(勧誘)でクタクタの組織に
「男子部大会の余韻を味わうように」
と言って、
組織の活動に、珍しく休憩の期間を作りましたが、
海老原氏は、
この浅井会長の指示に目もくれず、
大会翌日の早朝には、幹部を集めた集会を開いています。
以前から、
浅井会長の基本路線とは別に頻繁に集会を開いていましたが、
この時はあからさまに浅井会長の指示を無視しました。
しかしこれらの集会は、
浅井会長や総合男子部長の耳に入らず、
目にも触れないように開かれていました。

ちなみに海老原氏の言っていた事、
ほとんど忘れましたが、
あいまいながら幾つかあげると、
・浅井会長は吉田茂風。
・(仏法に未熟で三宝も信じない海老原が)仏法史観を語る。
・題目を唱えて毒を出す。
・寝る時間を割いて唱題をしなければいけない。
・「自我得仏来」は“じがとくぶんらい”と発音するんだよ。(もちろん誤り)
・諸天善神を祭る神社は謗法ではない。
・最終日隊長に現金を渡す。必要ならタクシー代などに使うように。
等々。
海老原男子部末期には、
隊長の臼井君(現在は部長とかいう役職らしい)が、
個人対象を出し、
海老原男子部長が応援に入って折伏(勧誘)、
ということもあったようです。(入信しなかった)

浅井克衛総合男子部長は、
海老原氏の動きがおかしいと感じて、
浅井会長に報告するも、
浅井会長は、
「個性は、あるから」
と、取り合わなかったようです。

さて、私が聞いた、
海老原氏処分の話(どこまで本当かは不明)。

ある年の正月、
浅井会長が、年初にあたって励ますために、
海老原氏を呼び出しました。
ところが海老原氏はこの呼び出しを、
「今まで浅井会長に隠してやっていたことがバレた」
と思ったようで
顔面蒼白(であったろう)になって、
浅井会長の激励に答えた。
浅井会長は、
この違和感のあるおかしな海老原氏の様子に、
総合男子部長に、
「調べろ」
と命令が下ったようです。

おおよそ調べがつき、
海老原氏は浅井会長に呼び出され直接問いただされる。
・折伏(勧誘)の目標が達成されると、御数珠を用意して褒美として与えていたのか。
・題目を唱えて毒がでるなどと御書のどこにあるんだ。
・隊長たちに現金を渡していたのか。
等々。
結果“黒”と判定され
海老原氏は男子部長を解任、
処分されました。

海老原氏が行った集会で、
海老原氏演説の録音したテープを、
「このようなものは残しておきたくない」と
各組織で集められて没収されました。
海老原氏の息のかかった隊長達も、
しばらくするとほとんど組織からいなくなりました。

と言う事で、
「国立戒壇が間違っている」
と発言して処分されたのではありません。

海老原氏の思想もまた、
浅井昭衛氏同様に邪義邪教です。

この記事、以上です。

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【60】広布の時「天皇受持の御本尊が用意されている」とは本当か?

2021-01-06 | 60】広布の時「天皇受持の御本尊が用意されている」とは本当か?
【60】広布の時「天皇受持の御本尊(紫宸殿の御本尊)が用意されている」とは本当か?

顕正会版『南無日蓮大聖人』(S62,12,13発行)
浅井会長が書いた。としています。

しかし、見比べてみれば一目瞭然。明らかに、
日蓮正宗大石寺版『日蓮大聖人正伝』(S56,10,13発行)
を盗用しています。
そのうえ、
浅井会長の“妄想”が混入され、書き換えられている。

その“妄想”の一つ
日蓮正宗大石寺版『日蓮大聖人正伝』には書かれていない、
「皇室への聖意」( 南無日蓮大聖人 P187 )
という項目が書き加えられています。

“天皇が国主である”としたい浅井会長は、
この中で、
「紫宸殿の御本尊」を根拠として、
天皇が国主であるかのように書いています。

※ 紫宸殿(ししんでん)とは、
平安京の正殿。
もと天皇が政務をとる所であったが、
その後、
即位などの重要な儀式も行われるようになった。

しかし、
「紫宸殿の御本尊」は、
天皇が国主の根拠にはなりません。
なぜかー。
この「紫宸殿の御本尊」
日蓮正宗大石寺では、
次のように定義されています。

(平成八年霊宝虫払大法会において)
師資伝授(ししでんじゅ)の御本尊=
この御本尊は古来、紫宸殿(ししんでん)の御本尊と伝えられてきたが、
これは伝承であり、このたび本来の意味に基づいて、
総本山において「師資伝授の御本尊」と改められた。
師資の師は師匠、資は助けるということで弟子の意味である。
いわゆる広宣流布の意義を込めて
日蓮大聖人から日興上人に授与された、
重要な意味のある御本尊である

(本来は大聖人より日興上人へ師資伝授されるという意味で「師資伝授の御本尊」であったのが、その後転化して「紫宸殿の御本尊」と称されるようになった)

本来「師資伝授の御本尊」ですが、伝わるうちに、名称が(ししでんじゅの御本尊)から(ししんでんの御本尊)に言い変わってしまい「紫宸殿の御本尊」と伝承された。
ということです。

さて、
言い変わって伝承された「紫宸殿の御本尊」の名称は、
第48世日量上人の御名が記された
「大石寺明細誌」(富宗5巻P335)という古書の中に、
「紫宸殿の本尊と号す、伝に云はく広布の時至りて鎮護国家の為に禁裏の叡覧に入れ奉るべき本尊なり」
と、記されています。

しかし、
第59世日亨上人は、
「富士宗学要集」を編集するにあたり、
この「大石寺明細誌」を次のように述べています、

「量師(第48世日量上人)の正本を見ず 一 二の転写本に依る 誤字多けれども強いては改めず、
少しく訂正を加へ全文述べ書と為す、又此書は先師も曽(かつ)て怪奇の書と貶(へん)せられたれども
写伝八方に飛びをれるより正評を加へて誤解なきやうに務る必要あるより」
(富宗5巻P351)
と、すなわち
●第48世日量上人の正本がない。
●誤字の多い一 二 の転写本に依って全文述べ書きとした。
●この書は先師も、かつて怪奇の書とされていた。
●写伝が八方に飛散しているため正評を加へて誤解なきように務る必要がある。

と、仰せられています。

この「大石寺明細誌」を、
〇先師は「怪奇の書」とされ、
〇日亨上人も、「正評を加へて誤解なきように務る必要がある」と、
信頼性を疑っておられます。

浅井会長は、
この信頼性の無い「大石寺明細誌」の一文を利用して、
“天皇は国主”だという。
すなわち、

この「紫宸殿の御本尊」について総本山第四十八世・日量上人は
「広布の時至り、鎮護国家の為に禁裏(宮中)の叡覧に入れ奉るべき本尊なり」(大石寺明細誌)
と指南されている。
(「皇室への聖意」南無日蓮大聖人P187)

と、まるで第48世日量上人の確定された御指南であるかのようにウソを言い切る。

さらに、

弘安三年三月、大聖人は「紫宸殿の御本尊」を書顕された。
この御本尊は、“広宣流布の時天皇が受持されるべき御本尊としてご用意された”もので、
現在富士大石寺に“秘蔵されている”。

・“広宣流布の時天皇が受持されるべき御本尊としてご用意された”
・“秘蔵されている”
と、ウソの作り話を拡大させる。

“天皇が国主である”と妄想する浅井会長には、
どうしても、
「天皇が受持する御本尊を大聖人様が用意された」という
話を作りたいのでしょう。
しかし日蓮正宗大石寺にそのような話は伝承されていません。

「秘蔵されている」などと知ったようなウソを書いていますが、
“秘蔵”ではありません。
この御本尊は、
霊宝虫払大法要の時に客殿に御奉掲され、
その後“厳護”されるのです。
その御本尊は「師資伝授の御本尊」です。

・広宣流布の時の国主は、天皇だという大聖人様の仰せはありません。
・国主が、「天皇」か「覇王」(*)かは広宣流布が達成される時までわかるものではありません。
皆さん、浅井会長の“妄想”作り話にダマされないように。

(*)「覇王」-はおう
大聖人様は、覇王である時の最高権力者 北条時頼を「国主」として、
立正安国論を提出し国主諌暁されました。

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【59】浅井会長の言う 日目上人が御出現は本当か。

2021-01-05 | 59】広布の時「日目上人が御出現」は本当か。
【59】日目上人が御出現は本当か。

“広宣流布の暁に日目上人がお出ましになる”とは、
日蓮正宗で古くから言い伝えられてきたこと。

(日興上人日目上人正伝大石寺版P445)

・浅井会長は、この日蓮正宗における伝承を盗み取っているだけで、
新興宗教の顕正会とは何の関係もありません。

・浅井会長は天魔に魅入られたためか、
“自分が生きている間に「日目上人が御出ましになる」”
と、本気でそう思い込んでいたようです。

・増上慢浅井会長が昭和50年代のある集会の時、
「本山の僧侶の中でこの人(が日目上人御再誕)かなと思って見ていましたが‥」
などと指導していたのを覚えています。
浅井会長自身が生きている内に御出ましになる事が前提での発言です。

“浅井会長が生きている内に”などとは何の根拠もありません
しかし私も、当時そう信じてしまっていました。

これは、浅井会長が、
日蓮正宗の伝承を盗み取り、魔の入った思い込みを混ぜた妄想
でした。
私もこの毒に染まっていた。

●“広宣流布の達成”や“日目上人御出まし”の『時期がいつ』とは、
大聖人様も御歴代上人も断定されていない
のです。
少なくとも浅井会長の存命中に達成される根拠は皆無です。

・浅井会長の魔の入った思い込みの妄想は次のような発言にも現れます。
(冨士平成5年2月号)
「まして、広宣流布の時には日目上人が御出現になるんだ。
“前生所持”の御方が御出現になったら(血脈相承が)断絶するもしないもないだろう」
「“前生所持”ということは大変なことです」
(P14)
「広宣流布のときには、まさに“前生所持”の日目上人が御出現されるのです」(P15)

日目上人に関して、浅井会長の言う“前生所持”などという法門、伝承はありません
浅井会長の魔の入った思い込みの妄想です。

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