杉並の元隊幹事 日蓮正宗・大願寺の信徒からです。 顕正会員の方々へ、あと何年、何十年戦ったら広宣流布するのですか?

懺悔と謝罪の意味を込めて、顕正会の何が間違っていたのかを書き、破折していきます。…皆さん、真実を見て知って下さい。

12.浅井会長が「御遺命守護完結宣言(H10年)」で実行すべき事<最新>

2017-09-16 22:54:44 | “完結”で実行すべきこと
■平成10年に、創価学会・池田会長が『御遺命の戒壇』と宣伝していた正本堂は解体されました。
■これを受けて浅井会長も、
誑惑は根底より清算され、不敬は完全に解消されたのであります」(顕正新聞764号)
と、御遺命守護の完結を宣言しています。

●顕正寺(現・典礼院以下同じ)御供養の事●
浅井会長は、顕正寺落慶御入仏法要の記事(冨士173号)に、
“完結”の日には法主上人に御供養」と題して、次のように述べています。
「まさしくこの顕正寺は大聖人様が御遺命守護のゆえに妙信講に下し給うたお寺であると拝する以外にはありません。」
「ゆえに、このお寺は誰のものではない。日蓮大聖人のものであり、御遺命守護完結のその日まで、私達がお預かりしているに過ぎないのであります。 よって御遺命守護完結のその日には、この顕正寺は時の御法主上人猊下に御供養申し上げる、お還えし申し上げるということになっております。
…ここに本日の落慶御入仏のよき日にあたり、晴れてこの顕正寺を時の御法主上人猊下にお還し申し上げるその日まで、死力を尽くして御遺命守護完結に斗うことを全員であらためて決意しようではありませんか。」と。
浅井会長は、御遺命守護完結の宣言をしているにもかかわらず、未だに時の御法主たる日如上人猊下へ御供養申し上げないのはどう云うことですか。
典礼院と名を変えて、平然と所有し続けているのはなぜですか。

●顕正会員、御本尊様授与の事●
『折伏理論解説書』(初版66頁)に浅井会長は次のように述べています。
「やがて御遺命守護完結のその日には、顕正会員こそこの捨身の御奉公によって、時の御法主上人より、晴れて御本尊の授与を賜る資格を得るのである。」と。
早く日蓮正宗に帰伏して、時の御法主たる日如上人猊下より御本尊様を賜って頂きたい。
なぜ、実行しないのですか。

■破折■
妙信講時代から本当に人生を賭けて、“御遺命守護の完結”を戦ってきた多くの会員達をダマし続けてきた…。違いますか。
違うと云うなら、なぜ実行しない。
御遺命守護完結を宣言したではないですか。

“御遺命守護完結奉告式”の事、
『理論解説書改訂版』には「奉告式」(281頁)としていたタイトルを、
『基礎教学書』(440頁)ではなぜ削除したのですか。
“御遺命守護完結”を宣言した事をなぜ隠そうとするのか。

『基礎教学書』の中に、なぜ
誑惑は根底より清算され、不敬は完全に解消されたのであります」(顕正新聞764号)
の、文言を削除し、のせないか。浅井会長自ら宣言したではないか。


12.浅井会長が御遺命守護完結宣言(H10年)で実行すべき事 終わり。



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11.「時の貫首たりと雖も・・・」の解説をねじ曲げる、その文証を示します。

2017-09-09 15:19:07 | 遺誡置文・浅井会長解説
「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」
■この一文の浅井会長解説を挙げます。
①平成4年8月、特別講習会浅井会長講演(冨士336号14頁)
『この一条は、大聖人の仏法を守るためにかくあるべしとの御命令である。
たとえ時の貫首(法主・管長)であっても、大聖人の仏法に背くことを言い出したならば、
その己義を絶対に用いてはいけない、と仰せられる。』

②平成11年、理論解説書改訂版(146頁)
『本宗においては貫首(法主・管長)の権威は絶対である。
ただしその貫首であっても、もし大聖人の仰せに違う己義を構えたら、
その貫首の云うことを用いてはいけない、と仰せられる。
日興上人が仏法を守るにいかに厳格であられたか、深く拝し奉らなければならない。』

③平成27年、基礎教学書(270頁)
『本宗においては貫首(法主・管長)の権威は絶対である。
ただしその貫首であっても、もし大聖人の御心に違う己義を構えたら、
その貫首を用いてはならぬと仰せられる。
日興上人が仏法を守るにいかに厳格であられたか、深く拝し奉らなければならない。』

①の「その己義を用いてはいけない」が正論です。
■破折■
さて、①ー③の下線部分を見比べて下さい。
①「その己義を」
   ↓
②「その貫首の云うことを」
   ↓
③「その貫首を」
説明するまでもありませんが、
「その己義」を用いるな、と解説していたのが、
「その貫首の云うこと」に変わり、
ついには「その貫主」を用いるなと、見事な変節。
“用いるな”と言っている対象を、
「己義」から、「貫首」に変えてしまっています。
どういうことですか?

普通に読めば、
人(貫首)を指し示すのに
“之(これ)を”、にはなりますか?
人(貫首)を指すなら、
“この人を”“この貫首を”と、なるのではないでしょうか。

下種の僧宝たる日興上人の仰せを、徐々にねじ曲げて、
ついには浅井会長の都合のいいように、
「貫首を用いるな」に解説を変えてしまい、会員をダマし、
血脈相承の猊下を誹謗している。違いますか?

「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。」(御書1885頁)この『日興遺誡置文』の一条については、
平成17年に日蓮正宗青年僧侶邪義破折班の方が、浅井会長に次のように云っております。
「汝(浅井会長)に教えておこう。日時上人の『大石記』には、
仰セに云く日興上人の常の御利口に仰セられけりとなん、予が老耄して念仏なんど申さば相構エて諫むべきなり、其レも叶はずんば捨つべきなり
と述べられている。この仰せは日興上人が日常の御冗談として「もし私が耄碌して念仏を唱えるようなことがあれば用いてはいけない」と示されたものである。この仰せのように、貫首の己義とは、念仏などの邪義を唱えるなどという万々が一の状況を示されたものと拝すべきである。とはいえ、本宗において、このような史実は一度も生じていないのである。」
・・・浅井会長は、なぜこれを会員に話さないのでしょうか?会員に知られると都合が悪いからですか?


11.「時の貫首たりと雖も・・・」の解説をねじ曲げる、その文証を示します。 終わり。



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10.正本堂の訓諭について

2017-09-02 18:29:13 | 正本堂・訓諭全文と意義
前にも挙げましたが、今一度訓諭の全文を示します。
『    訓  諭 
さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はここに五箇年を経て、その壮大なる雄姿を顕し、本年十月落成慶讃の大法要を迎うるに至る。
日達、この時に当って正本堂の意義につき、宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす。
正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む、現時における事の戒壇なり。
即ち正本堂は、広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり
。但し、現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇(しゅみだん)は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。
然れども八百万信徒の護惜建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし。
宗門の緇素よろしく此の意義を体し、僧俗一致和衷協力して落成慶讃に全力を注ぎ、もってその万全を期せられんことを。
 右訓諭す。
   昭和四十七年四月二十八日
                  日蓮正宗管長 細井日達』
■この中で、意味が気になる、
『正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む、現時における事の戒壇なり』
との仰せについて、
●平成3年1月6日の全国教師指導会(日蓮正宗僧侶の会合)で次のように御指南されています。
『これは、「一期弘法抄」等の「意義を含む」ということは、その意義の全体が現れたということではないのが明らかであります。ですから、まだその意義の全体が現れるかなり手前の形において、分々の上においての意義が現れたということです。また、その次の文にも「現時における」ということが示されておりますから、この文も「三大秘法抄」「一期弘法抄」それ自体の全体の意義が現れた、そのものの戒壇として正本堂があるのではないということであります』
●もっとハッキリした御指南を、浅井会長は、日達上人から拝聴しています。
浅井会長いわく、
『私はまず文意を確認させて頂いた。
細井管長は口頭では明確に
正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄に御遺命の戒壇とは全く違います
と何度も繰り返された。
また「一期弘法付属書・三大秘法の意義を含む」という文章についても
以前から見れば広宣流布が進み、それだけ御遺命の戒壇建立に近づいてきた、というだけの意味です
といとも簡単に云われた。』
(富士250号「御遺命守護の戦い」147頁)

◆すなわち、日達上人の訓諭は、正本堂を御遺命の戒壇と決定するようなものではないことが明らかです。

■もう一つ気になる『即ち正本堂は、広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり』の仰せに関連しての御指南を挙げます。
●『広布を推進した信徒中の一部の指導者(学会・池田会長)が、いまだ「三大秘法抄」の御指南の事相に到達しないにもかかわらず、分々の広布相をもって広布の実証とし、御遺命の戒壇としての建物を建てたと執着することは、仏法の道理から見て深く反省すべきでありましょう。自らの業績、功徳を、かくあらしめたいという願望は、人情としてあるいは当然であっても、仏意に対するときは所詮、機情※に過ぎないのであります。
 時いまだ至らざるに、御遺命の戒壇を前もって建てておくという考えは、願望としては許されるでありましょうが、所詮、それは機情の見※に応じての御指南が先師(日達上人)にあったとしても、それは、その当分の慰撫(いぶ)教導の御心によるのであります。真実は、厳然たる御本仏日蓮大聖人の金文をもって決すべきであります』(H3年4月虫払法会)

※機情-きじょう。教えを受ける側。仏意に対する語。
※見 -けん。見思惑(けんじしわく)等の煩悩の名。

◆すなわち、「たるべき大殿堂」は、創価学会の願望を慰撫教導すべく御指南されたものということです。

■続いて、日顕上人は、正本堂が御遺命の戒壇ではないと御説法されます。
『総じて、正本堂が現在において、「三大秘法抄」の御遺命の戒壇そのものもと断ずることが間違いならば、未来においてそれが確実に御遺命の戒壇となると言い切ることも、また早計であります。
 先師日達上人もしばしば仰せでありましたが、未来のことは未定であるから、その確定を云々することは不毛の論だということなのです』(同)

◆「御遺命の戒壇を前もって建てておく」という考え自体が不毛であるということです。

●さらに、日顕上人は、池田名誉会長を破折し、反省を促しています。
『要するに、御仏意による「三大秘法抄」の戒壇の文意について、いまだその時が至らないにもかかわらず、直ちに「これなり」と断定し切ったことは、我見・私見であり誤りでありますから、これについて責任者(池田名誉会長)は、おのずからはっきり訂正すべきであります。私がこう申すのも、ひとえに仏意・仏勅の御金言を重んじ奉るからであります』(同)

◆八百万世帯といわれた学会員の信心を思い、守ろうとされ、学会員の願望を慰撫教導されてきた日達上人の御指南を、逆手にとって自らの野望を遂げるために、正本堂を強引に御遺命の戒壇としたてようとしたのが、池田大作であること明白です。

正本堂の訓諭は、学会員を善導する意味合いが含まれているため、意味のわかりづらい個所がでてきます。訓諭と合わせてその意味合いを解説頂かなければ、そのわかりづらい個所を、理解することは難しいと思われます。
浅井会長は、この意味のわかりづらさにつけこみ、都合のいいように解釈して会員に宣伝・吹聴しているのです。
かつて、池田会長が、正本堂建設委員会・御説法の、論旨の難解な箇所につけこみ、都合のいいように「正本堂建立は実質的な戒壇建立である」と言い出して宣伝したのと同じ手口です。

●今、浅井会長は池田名誉会長と同じ轍を踏んでいます。

「訓諭をもって正本堂を御遺命の戒壇と定めた」等、浅井会長の云っていることがウソであることを論証してきました。
皆さん顕正会員はウソの上に立って活動していることになるのです。冷静になって良く見て下さい。



正本堂の訓諭について  終わり
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9.浅井会長が、日達上人の訓諭を、切り文にするのはなぜ?「日達上人が言った・蔵の意を隠す」

2017-08-26 09:02:30 | 正本堂・訓諭全文と意義
整理して述べます。
① 第一回正本堂建設委員会の日達上人の御説法は、正本堂が「蔵の意」であることを仰せられている、と浅井会長は理解して結論した。
② 正本堂を御遺命の戒壇と偽(いつわ)ろうとしているのは、創価学会の池田大作であることは明白となった。
③ だから、浅井会長は学会との論判に及び、学会の非を正そうとした。
④ ところが、妙信講の解散処分以後、日達上人猊下への態度が変わった。正本堂を御遺命の戒壇と偽ろうとしたのは、学会と日達上人猊下であると主張が変わる。
⑤ このように変説すると、第一回正本堂建設委員会における、日達上人の「蔵の意」を示す御説法は、浅井会長にとって都合の悪いものになってきた。
⑥ 結果、浅井会長は、第一回正本堂建設委員会の「蔵の意」を示す御説法を隠してしまい、その存在すら言わなくなる。
⑦ 顕正会員は、浅井会長から「日達上人が正本堂を御遺命の戒壇と決定された」と刷り込むように指導され、ほぼ完全にそうであると思い込む。
⑧ ここまでくれば、もう根拠や証拠がなくても大丈夫と思ったのであろうか、浅井会長は、平気で大胆なウソを会員に指導し始める。
いくつか例を挙げると(※以下、「顕」は顕正新聞)
・「正本堂が御遺命の戒壇にあたる」旨の訓諭を発布した。(顕H25年8月5日号)
・「正本堂は御遺命の戒壇である」と認めてしまった。(顕H27年1月25日号)
・この訓諭を以て「正本堂を御遺命の戒壇」と定めたのであった。(顕H27年1月25日号)
・正本堂を「御遺命の戒壇」と承認してしまった。(顕H28年8月5日号)
・時の貫主に、この正本堂を「御遺命の戒壇である」と言わせた。(顕H29年4月25日号)
■破折■
なぜウソなのか、
日達上人は当然ながら「正本堂が御遺命の戒壇」と仰せになったことなどありません。
浅井会長は、無理やり話を作り、日達上人の訓諭を切り文にして、御遺命の戒壇と言ったとこじつけているのです。
だから蔵の意を示す訓諭の後半部分を隠している。
●訓諭の全文。
「 訓  諭 
 さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はここに五箇年を経て、その壮大なる雄姿を顕し、本年十月落成慶讃の大法要を迎うるに至る。
 日達、この時に当って正本堂の意義につき、宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす。
 正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む、現時における事の戒壇なり。
 即ち正本堂は、広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇(しゅみだん)は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。
 然れども八百万信徒の護惜建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし。
 宗門の緇素よろしく此の意義を体し、僧俗一致和衷協力して落成慶讃に全力を注ぎ、もってその万全を期せられんことを。
 右訓諭す。
   昭和四十七年四月二十八日
                  日蓮正宗管長 細井日達」



浅井会長が、日達上人の訓諭を、切り文にするのはなぜ?「日達上人が言った・蔵の意を隠す」 終わり。
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8.浅井会長が、日達上人の訓諭を、切り文にするのはなぜ? 論証②「破折」

2017-08-20 15:02:31 | 正本堂・訓諭全文と意義
■変説の検証■『第一回正本堂建設委員会日達上人御説法』の解説-白を黒と言い換える
◆-A
○「試練と忍従の歴史」(冨士271号版)には、
「よくよく見れば、(正本堂建設委員会の御説法は)正本堂は奉安殿の延長の建物であることを結句述べているのである」
と、述べています。
◆-B
○「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(冨士312号版)には、
「この説法(正本堂建設委員会の説法)により、正本堂が御遺命の戒壇と決定されたのであるが…」(同書15頁)と述べています。
また「正本堂建設委員会にて同上人は、が御遺命の戒壇に当たる旨の説法をされた」(冨士168号)等々。
A.
「よくよく見れば、(正本堂建設委員会の御説法は)正本堂は奉安殿の延長の建物である
B.
「この説法(正本堂建設委員会の御説法)により、正本堂を御遺命の戒壇と決定された
*A と B を、見比べて下さい。まさに、白を黒という、正を邪というような、変説ぶりです。

◆変説もう1つ、
(A)「これが、正本堂を御遺命の戒壇と決定したとされる説法であるが、一読して文意のわかる者が果たしているであろうか。」(宗門と学会抗争の根本原因-81頁/浅井会長著)
(B)「この説法により、正本堂が御遺命の戒壇と決定されたのであるが、一読してその意味がわかる者が、果たしているであろうか。」(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む/冨士312号版-15頁)
*(A)と(B)、下線部分を比べてください。「決定したとされる」と「決定された」では意味が違います。同じ正本堂建設委員会日達上人御説法の解説ですが、同じような文章でも、さりげなく「決定された」と意味を変えています。

■破折■
変説前、浅井会長は第一回正本堂建設委員会における日達上人の御説法を、詳細に解説し、日達上人が正本堂を蔵であると説法されている根拠・文証としています。
しかし、変説後は、「この説法により、正本堂が御遺命の戒壇と決定された」と、前述の「変説の検証」に述べたように、謀るために解説を変えたのです。反論できますか。

「この説法により、正本堂が御遺命の戒壇と決定された」と会員の意識に刷り込むように言い始めましたが、
では、第一回正本堂建設委員会の御説法のどこに「正本堂が御遺命の戒壇と決定された」などと御説法されているのですか、御文があるというのであれば、その文を挙げて示して下さい。
挙げられないのであれば、浅井会長は「この説法により、正本堂を御遺命の戒壇と決定された」と、話を作り、会員をダマしたことになります。違いますか。

■破折■
浅井会長は、正本堂建設委員会日達上人の御説法が蔵の意であることを、十分知っていました。
「日達上人が正本堂を御遺命の戒壇と決定した」と会員に思い込ませたい浅井会長は、正本堂建設委員会の御説法が、都合の悪いものになってきたのでしょう、
「説法は、正本堂を御遺命の戒壇と決定する理由を述べた、最初で唯一の説法である」(正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む/冨士312号版-13頁)
と言っているにもかかわらず、正本堂建設委員会日達上人御説法を、全く述べなくなります。それが謀るために都合が悪くなった証拠です。文証を示します。
<文証>
○折伏理論解説書:初版には、
「ここに法主の権威を以て、『国立戒壇』は否定され、『正本堂が御遺命の戒壇』と喧伝(※)されたのであった」(同書161頁)
(※)日達上人が、「正本堂を御遺命の戒壇と決定」などされていない事を知っている浅井会長は、後ろめたいのか、ここでは、「喧伝(けんでん)」としています。
○折伏理論解説書:改訂版、基礎教学書には、
「あろうことか、宗門の公式決定として『国立戒壇』が否定され、俄かに建てられた正本堂が『御遺命の戒壇』と決定されたのであった。」(解説書177頁-教学書309頁)
■破折■
○浅井会長は、折伏理論書や基礎教学書では、
「正本堂を御遺命の戒壇と決定する理由を述べた唯一の説法」といっていた、正本堂建設委員会の日達上人の御説法に全く触れていません。
この正本堂建設委員会の御説法が正確に伝わると浅井会長の話が土台から崩れるからです。
…正本堂建設委員会の御説法に触れることが出来ないために、
この基礎教学書や折伏理論解説書(改訂版)の文で、「日達上人が決定」と書きたいところを「宗門の公式決定」と書いている。
事実を曲げることに後ろめたさがあるのか「日達上人が決定」と書ききれない。
しかし、この文を見た会員は、「日達上人が決定」されたと思い込むであろうことは明らかです。
…皆さんダマされているのです。反論できますか。


浅井会長が、日達上人の訓諭を、切り文にするのはなぜ? 論証②  終わり
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7.浅井会長が、日達上人の訓諭を、切り文にするのはなぜ? 論証②「文証」

2017-08-11 23:49:20 | 正本堂・訓諭全文と意義

◆浅井会長が、日達上人は正本堂を御遺命の戒壇ではなく、蔵の意と仰せられていることを、十分に理解していた文証を挙げます。

●『「正本堂」に就き宗務御当局に但し訴う』(s45.3)の浅井会長の記述から。
   (※文中の義の戒壇は、広布の事相に約した義の戒壇のこと。)
◎『御当職上人も事の戒壇(御遺命の戒壇)と仰せ給わず』(同書28頁サブタイトル)
○『正本堂が事の戒壇である事は、昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会に於ける日達上人の御説法に依って決定された、と学会ではしきりに強調している。されば会長の発誓願文に於いても二ヶ所、御供養趣意書にも、その他講演に於いても、至る所で「猊下の仰せに基く」旨の発言が見られる。
しかるに不思議なるかな、いま猊下の御説法をつぶさに拝し奉るに「事の戒壇」なる文字はもとより、その義・意すら見られない。いやむしろ、よくよく拝せば否定すらしておられる如くであられる。』(同書28頁)

○『(第一回建設委員会での御説法を挙げて)現在大石寺に於いても御安置は本堂がふさわしき旨をこの段に仰せ給う。但し、ここに仰せの現在の本堂とは即ち時を待ち秘蔵する蔵の意なり。応に知るべし。猊下の仰せは、時来るまでの、大御本尊まします蔵は即ち本堂、即ち義の戒壇※なりと云う事なり。』(同書30頁:第四段)
○『正本堂即大本門寺本堂・即事の戒壇なり、と誤り解す者あるを(猊下が)おもんぱかりて、本堂と雖もなお未だ時を待つ蔵の意、即ち義の戒壇※なるを重説し給う段なり。故に文中すでに「まだ謗法の人が多い」「広宣流布の暁をもって公開」「おしまいしてある意義」「御開扉の仕方はいままでと同じ」「蔵の中に安置申し上げる形」と懇ろの仰せを拝す。』(同書31頁:第五段)
○『此の段は建立の位置に約して正本堂は未だ時を待つ蔵なるを示し給う。』(同書31頁:第六段)
『以上、法主上人の御本意に準じて我等正本堂を事壇(御遺命の戒壇)とせず。』(同書32頁)

【論証】これら浅井会長の記述が示すように、日達上人の御説法が、正本堂を御遺命の戒壇ではなく広宣流布の暁を待つ蔵の意であることを十分に理解していた。だからこそ、この「正本堂に就き宗務御当局に但し訴う」を書くことが出来たのではありませんか。

●試練と忍従の歴史(冨士271号版:s61.8)の記述から。
○「…四十年二月十六日、第一回正本堂建設委員会が開かれ、管長猊下が説法された。この説法を聞いた池田大作は、突如として「正本堂建立は実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成である」と云い出したのである。この時の管長の説法は、極めて曖昧にして論旨不明瞭、奪って論ずれば支離滅裂の戒壇論である。しかしよくよくみれば、正本堂は奉安殿の延長の建物であることを結句述べているのである。」(同書53頁)
○「(正本堂基金の御供養を述べる日達上人の御説法を挙げた後)細井管長は少しも正本堂を御遺命の戒壇などとは云っていない。ただ大御本尊安置の堂宇なるゆえ御供養せよと云われているだけである。」(同書54頁)
○「法華講連合会の大会において(日達上人は)『大客殿の奥深く戒壇の大御本尊を安置し奉ることは、本宗の相伝であります』とさえ述べている。これと同じことは、先にふれた第一回正本堂建設委員会における説法にも表れている。
すなわち
『正本堂の建立地につきましては《大御本尊は客殿の奥深く安置する》という御相伝があります。…客殿の前の不開門(あかずのもん・勅使門)それから客殿、その奥が正本堂と、理想的な建設となるのでございます』と。…

これで明瞭である。池田がなんといおうと、細井管長は、本宗の相伝に則って、正本堂を大客殿の奥深く位置させることにより、正本堂を広布の時を待つ蔵、すなわち大御宝蔵の意味を持たせたかったのであろう。これが猊下の本意であったことは間違いない。

【論証】第一回正本堂建設委員会の後、広宣流布の達成と正本堂をもって御遺命の戒壇としたかったのは創価学会の池田大作であり、猊下の意とは違うこと、浅井会長は十分わかっていたのでしょう。
だから、浅井会長は、「池田がなんといおうと…正本堂を広布の時を待つ蔵、…これが猊下の御本意であった」と言えたのです。
浅井会長が、日達上人の御説法は正本堂を御遺命の戒壇ではなく広布待つ蔵の意であること、十分理解していたことは明らかです。


論証②、続きます。 次回、浅井会長による正本堂の解説が変説していることを書いて破折していきます。

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6.浅井会長が、日達上人の訓諭を、切り文にするのはなぜ? 論証①「蔵の意」

2017-08-05 17:11:08 | 正本堂・訓諭全文と意義
■4回に分けて論証し破折します。
①最初に、日達上人が正本堂の意義を、広宣流布を待つ蔵であるとの御指南を時系列に挙げます。
②次に、浅井会長も、日達上人が正本堂の意義を御遺命の戒壇ではなく、蔵の意であることを十分に理解していた文証を挙げます。
③続いて、浅井会長が、日達上人が正本堂を御遺命の戒壇と言った、と述べた事に対して、破折していきます。
④最後に、正本堂の訓諭について。

■①最初に、日達上人が正本堂の意義を、広宣流布を待つ蔵であるとの御指南を挙げます。
<S34年8月夏季講習会>
「広宣流布を待ってはじめて本門寺を建立、戒壇の大御本尊を安置し奉って事の戒壇※という事になるのでございます。それまでは戒壇の大御本尊をおしまい申し、固く護る。先師方が客殿の後の奥深くに戒壇の御本尊をお護り申すという事を仰せられて居ります。我が本山の先師方のこれが心でございまして、客殿の後に奥深く戒壇の御本尊を蔵し奉る、しまっておく、広宣流布の暁迄はしまっておくということになる。」
※広布の事相に約した、御遺命の事の戒壇。

<S40年2月第一回正本堂建設委員会>
「ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉等の仕方はいままでと同じであります。したがって形式のうえからいっても、正本堂の中でも須弥壇は、蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでございます。」

<S45年4月御虫払法要>
「有徳王・覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕したならば、必ず勅宣並びに御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから私は未来の大理想として信じ奉るのであります」

<S47年4月訓諭>
「現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇(しゅみだん)は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。」

□S47年10月 正本堂落慶

<S49年9月 池田・賞与本尊の裏書)>
「(訓諭の文言など思うようにならないと思った池田が、)最後に考えたことが、正本堂建立の記念の御本尊をお願いして、その裏書きを日達上人に書かせようということであります。…池田は『此の御本尊は正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇たることの証明の本尊也』と日達上人に書かせようとしたのです。ここからも、いかに大作が御遺命の戒壇ということに執着していたかということが解ります。日達上人がこういうことをお書きになれば、『池田大作が大聖人様の御遺命の戒壇をお造りしたのであり、それを時の御法主がきちんと証明されている』ということが万代にわたって残る。そういうようにしたかったのです。
そこで日達上人は昭和四十九年九月二十日に、賞与御本尊の裏に『此の御本尊は正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇に準じて建立されたことを証明する本尊也』と書かれたのです。『準じて』というのだから本物ではない。」(大日蓮・平成十六年十二月号)

□H10年4月 正本堂解体


●日達上人が正本堂について、蔵の意義を仰せられる御指南を挙げました。
読んでいただければ特に解説の必要もないかと思いますが如何ですか。
また、訓諭の正本堂における意義については、論証④で書かせていただきたいと思います。


浅井会長が、日達上人の訓諭を、切り文にするのはなぜ? 論証①「蔵の意」   終わり。
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5.浅井会長が、日達上人の訓諭を、切り文にするのはなぜ?

2017-07-29 16:54:10 | 正本堂・訓諭全文と意義
●浅井会長は、日達上人の訓諭のうち、
「日達、この時に当って正本堂の意義につき、宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす。正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む、現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は、広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。」(基教書379頁)と、
この箇所のみを切り出し、
この文のすぐ後の「但し…」から始まる訓諭の後半部分を切り落としています。

日達上人は、訓諭の後半で、正本堂の須弥壇(しゅみだん)は「蔵の形式」と御指南されています。
正本堂が、御遺命の事の戒壇ならば、須弥壇が広宣流布を待つ「蔵の形式」になるはずがありません。
だからでしょう浅井会長は、訓諭の後半を顕正会員の目にふれないようにしているのです。

そして、正本堂を無理やり「広宣流布の暁の御遺命の事の戒壇」だといって、日達上人の正本堂の意義をねじ曲げています(※)。

●浅井会長が切り文にした箇所の、日達上人の訓諭(基教書379頁)における事の戒壇とは、
法体に約した事の戒壇のことを仰せになっておられます。
すなわち、法体に約せば、戒壇の大御本尊おわします所は、直ちに事の戒壇なのです。
従って、正本堂は、戒壇の大御本尊おわします故に、法体に約して直ちに事の戒壇であると仰せられているのです。

だから、訓諭の「現時における事の戒壇なり」(基教書379頁)とは、
現時(現在の時点)においては、正本堂が、(法体に約して)事の戒壇であると御指南なのです。
正本堂は、浅井会長が言っている、広宣流布の暁の、事の戒壇ではありません。
(広宣流布の暁の事の戒壇とは、広布の事相に約した事の戒壇で、法体に約した事の戒壇ではありません。-前回の記事を参照)

(※)次回の記事で論証し、破折します。

●今記事の最後に、訓諭の全文を挙げます。
「 訓  諭 
 さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はここに五箇年を経て、その壮大なる雄姿を顕し、本年十月落成慶讃の大法要を迎うるに至る。
 日達、この時に当って正本堂の意義につき、宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす。
 正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む、現時における事の戒壇なり。
 即ち正本堂は、広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇(しゅみだん)は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。
 然れども八百万信徒の護惜建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし。
 宗門の緇素よろしく此の意義を体し、僧俗一致和衷協力して落成慶讃に全力を注ぎ、もってその万全を期せられんことを。
 右訓諭す。
   昭和四十七年四月二十八日
                  日蓮正宗管長 細井日達」

浅井会長が、日達上人の訓諭を、切り文にするのはなぜ?   終わり。
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4.本門戒壇 事と義 浅井会長が知らなかったこと

2017-07-22 20:09:43 | 会長知らなかった戒壇義
本門戒壇の事と義は、
 ①『広布の事相に約した』事と義、
 ②『法体に約した』事と義
どちらに約して論じているのかを明確することが大事です。

浅井会長は、②の「法体に約した事と義」があることを知りません。
知らないのに強弁を張り、日達上人から不知を指摘さると、“事の戒壇の定義変更”(基礎教学書332頁)などと、うそぶいてゴマかしています。
まず、歴代御法主上人に御相伝されてきた、戒壇の事と義に関する御法門(日蓮正宗)を示し、
次に、浅井会長の事と義に関するゴマかし理論を、破折していきます。

【日蓮正宗】

■①『広布の事相に約す』
本門の戒壇 -
     事の戒壇 - 三大秘法に仰せの戒壇
     義の戒壇 - 本門の本尊所住のところ

○日寛上人は文底秘沈抄に、
『本門の戒壇に事有り、義有り。
所謂 義の戒壇とは
即ち是れ本門の本尊所住の処、義の戒壇に当たる故成り。(中略)
正しく事の戒壇とは、
閻浮提の人の懺悔滅罪の処なり、但然るのみに非ず、梵天・帝釈も来下して踏みたもうべき戒壇なり。
秘法抄に云わく
「王臣一同に三秘密の法を持たん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是なり」等云々。』(六巻抄61頁)
と示され、
日顕上人は、この御文について、
『本門の本尊の所住の処が義の戒壇であり、「三大秘法抄」に仰せの戒壇が事の戒壇であることが示されている』(三大秘法義562頁)と御指南です。

■②『法体に約す』
本門の戒壇 -
     事の戒壇 - 本門戒壇の大御本尊おわします所。
     義の戒壇 - 他の御本尊所住のところ。

<文証>
●歴代法主上人の御指南を挙げます。

◎第四十三世日相上人『三大秘法之事 大貳(だいに)阿闍梨御講(※)』
本門戒旦 -
    在々處々本尊安置ノ處ハ理ノ戒旦也
    冨士山戒旦之御本尊御在所ハ事ノ戒也
           (※)伝承されてきた日寛上人の御説法を日相上人が筆録されたもの

◎第三十二世日教上人『末法証得抄』
「此の本門の戒壇に事の戒壇と道理の戒壇と云うことあり。事の戒壇とは、直ちに本門の御本尊の住処の事之事なり」

◎第五十二世日霑上人『三大秘法談』
未だ広宣流布の時至らず事相の戒壇御建立なしといへども、此の道場即此れ事の戒壇真の霊山事の寂光にして、一度も此の砌に望まん輩は無始の罪障忽(たちま)ちに消滅して三業の悪転じて三徳を成ぜんこと毛頭疑いあるべからず」

◎第六十世日開上人『御戒壇説法』
大御本尊、今眼前に当山に在(ましま)す事なれば、此の所即是本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光にして、若し此の霊場に一度も詣でん輩は、無始の罪障速やかに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん事、毛頭疑いあるべからず」

◎第五十六世日応上人『御戒壇説法』
「然るに此の御本尊所住の処は何国何方にても真の霊山事の寂光土にして此砌りに望まん輩は無始の罪障立所に消滅し三業の悪転じて三徳を成ずるなり」


【顕正会】
( ①『広布の事相に約す』 )
本門の戒壇 -
     事の戒壇  広布の暁の国立戒壇(浅井会長独自理論の国立戒壇)
     義の戒壇  御本尊所住のところ
( ②『法体に約す』 )
○浅井会長は、この『戒壇を法体に約す法門』を知らなかった為、顕正会には存在しません。

後に日達上人より、(法体に約した)事の戒壇の御教示があったにもかかわらず、浅井会長は知らなかったことを素直に認めようとせず、ごまかして逃れようとします。
以下文証を示して破折します。
■破折■
○浅井会長は、日達上人より第四十三世日相上人『三大秘法之事 大貳阿闍梨御講』を示され、戒壇の大御本尊の御在所が事の戒壇であることを御教示されると(冨士H元年3月号52頁)、なんと日相上人の文書までも「ウサン臭い」(同53頁)と言い放っています。
さらに、「この文書が日相上人の直筆かどうか、まずこの実否を確認すべきであるが、…一応直筆として…」(同)などと、自分の都合に合わなければ、邪宗身延派かと思うような手口で、日相上人の文書を“あやしい”と思わせようとしています。

○ところが、最後になると、「日相上人の文意は…」「勝手に文意を取り違えられては、日相上人こそ大いに迷惑」(同54頁)などと、直筆であることを全く疑わない書き方に変わっているのはなぜでしょうか?
冒頭に浅井会長が言った「ウサン臭い」が、ごまかそうとして書き出したこと明白です。
◎日相上人の文意は、『法体に約して』戒壇の大御本尊の御在所が事の戒壇であると、仰せられているのです。

○浅井会長は、『御遺命守護特集号(冨士H元年3月号)』の中で、必死になって、
「日寛上人の御法門は、六巻抄および重要御書の文段に尽き、それ以外にはない。」(同53頁)、
「もし日寛上人の広大なる御指南の中で、たとえ一箇所でも、広布以前の戒壇の御本尊の所住を直ちに“事の戒壇”と仰せられている御文があれば、出すべきである。断じてありえない。」(同54頁)などと述べます。
■破折■
浅井会長は、恐れげもなく「日寛上人の御法門は、六巻抄および重要御書の文段に尽き、それ以外にはない。」と言い切っていますが、これは大聖人様の仏法の根底を犯す重大な誤りです。

◎それは、大聖人様から日興上人・嫡々付法の歴代上人への相伝・口伝の中で、既に文献化され出版に至った分(日寛上人六巻抄や重要御書文段など)と、唯授一人の相伝・口伝が今に至るも未公開の肝要部が存在するのです。

◎そして未公開の肝要部のなかには、日寛上人も一言半句も触れられていないところ(内用と定められた箇所)があるとの御指南があります。

○従って、日寛上人の御指南、御文の中で、日寛上人御自らが記されていない法門があっても何ら不思議ではないのです。
ですから、浅井会長が、いくら「日寛上人が広布以前に戒壇御本尊所住が事の戒壇と仰せられる御文を出せ」と息巻いても、まったく意味はありません。

◎法体に約す、戒壇の御本尊の御在所が直ちに事の戒壇であるという法門は、日寛上人の六巻抄や御書文段からではなく、日相上人などの御歴代上人の文書を猊下が御教示下され、初めて私たちは知ることが出来たのです。

○ところが、自らの独自理論が正しいと主張し続けてきた、浅井会長が述べたことはこれです。
『顕正会・基礎教学書』の「事の戒壇の定義変更」(332頁)の項に
第六十世日開上人の御文、
『御遺状の如く。事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜り、本門戒壇建立の勝地は当国富士山なる事疑いなし。又其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、今眼前に当山に在(ましま)す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇・真の霊山・事の寂光にして…』
を挙げて、
浅井会長は「日開上人は、広宣流布の暁に、国立戒壇が建立されることを大前提として…」と、解説をしています。
■破折■
この御文のどこに、「広宣流布の暁に、国立戒壇が建立されることを大前提として」などと書いてあるのですか。
「…大御本尊“今”眼前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇…」と日開上人は仰せなのですよ。
“今”なのです。
“今”は広宣流布が達成しているのですか。
ここまでくると小学生でもわかるような明らかなゴマカシです。
反論できますか。
以上。


(参考)三大秘法の開合
日寛上人の依義判文抄を示します。
『又本尊に人有り法有、戒壇に義有り事有、題目に信有り行有り、故に開して六義となる此の六義散じて八万宝蔵と成る』(六巻抄82頁)


本門戒壇 事 と 義 『広布の事相』と『法体』に約す    終わり。
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3.国立戒壇について(その3)-会長指導、国立戒壇いわなくても違背ではない

2017-07-14 23:16:32 | 国立戒壇・名称と内容

○浅井会長は、
「明治以前に『国立戒壇』の用語はない」と認めています。
さらに「『国立戒壇』の名称を使わないこと、それは違背ではない」とハッキリといっています。

<文証>顕正新聞H元年1月25日号・冨士H元年3月号に、
もちろん明治以前には「国立戒壇」という用語はなく
明治以前の歴代先師上人はいずれも三大秘法の仰せのままに“広宣流布の暁に勅宣・御教書を賜って立てる戒壇”等と仰せられて来たのであるから、
今日「国立戒壇」という名称を使わないからといって、それを以って直ちに違背とはいえない』と、述べています。

○故に、顕正会(妙信講)の目的も「国立戒壇」の名称など使わずに、堂々と「御遺命の本門戒壇建立」と発言しています。
<文証>
「妙信講の進軍の目的は唯一つ、大聖人様が七百年前に日興上人に御遺命された、本門戒壇建立ということだけであります」(富士271号17頁)
「妙信講の目的はただ一つ、御遺命の本門戒壇建立へのご奉公にある。」 (同)と。

■破折■
○このように立派に御遺命の本門戒壇建立と述べていたのが、後ろめたいのでしょうか、
「基礎教学書」日蓮大聖人の御遺命の項に、
「されば本門戒壇の建立こそ御本仏日蓮大聖人の唯一の御遺命である。」(289頁)
などと、さりげなく記述している。…「国立戒壇」が国柱会田中智学の造語であること百も承知なのです。
ならば、
『日蓮正宗伝統の国立戒壇』(冨士312号174頁※)
『冨士大石寺門流七百年の唯一の宿願が国立戒壇の建立にあったこと』(基礎教学書308頁)
とは、どういうことですか。「明治以前に国立戒壇の用語はない」と知っていながら、「伝統の国立戒壇」「七百年の唯一の宿願が国立戒壇」などと言う。明らかな矛盾です。

日蓮正宗・富士大石寺門流に「国立戒壇」の語は、大聖人様、日興上人様の御在世はもとより、昭和より前には存在しません。
「伝統の国立戒壇」「七百年の唯一の宿願が国立戒壇」などとは浅井会長の謀り。反論できますか。

○浅井会長が主張する「国立戒壇」の内容・実態は、日蓮大聖人御遺命の本門戒壇とは全く異なるものです。
「富士大石寺門流七百年の唯一の宿願は御遺命の本門戒壇建立」です。
浅井会長論理の「国立戒壇」では、「御遺命の本門戒壇」を「国立戒壇」と言い換えることはできません。
重ねて言います。浅井会長の国立戒壇は、その論理自体が謀りであること明らかです。

※「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」

国立戒壇について(その3)-会長指導、国立戒壇と言わなくてもよい  終わり。

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2.国立戒壇について(その2) - いつから始まったのか

2017-07-08 18:52:57 | 国立戒壇・名称と内容

浅井会長は、田中智学と国立戒壇の関係を、
「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む/冨士312号」(以下『』)の中で、こう述べています。
『田中智学は邪流・身延派の僧、還俗して明治十三年に蓮華会、さらに大正三年に国柱会という団体を作った。その間、明治三十五年に「本化妙式目」、明治四十三年に「日蓮聖人の教義」等の書を著しているが、これらの書の中に「国立戒壇」の名称が出てくる。』(P173)と。
「国立戒壇」の名称を発案し、初めて使用したのが田中智学です。
■分析と破折■
①この記述は正しいですが、〈初めて〉であることを意図的に隠しています。
『…これらの書の中に「国立戒壇」の名称が出てくる。』(同)の記述ですが、
これを正確に記すならば、
《…これらの書の中に〈初めて〉「国立戒壇」の名称が出てくる。》であるべきです。
あえて〈初めて〉を意味する言葉を抜くことにより、田中智学が初めて使用したとの事実を薄くして、それ以前から「国立戒壇」が存在したとイメージする伏線をはっています。

②次に、浅井会長は前の文にあった〈名称〉の文字を落としてこう述べます。
『…これらの書の中に「国立戒壇」の名称が出てくる。』から〈名称〉を落として、
『…田中が本宗の正義を盗んで「国立戒壇」を唱えたことを…』(P173)と。

田中智学が、「国立戒壇の〈名称〉を始めて唱えた。」という意味の文から、
田中智学が、『…正義を盗んで「国立戒壇」を唱えた…』(同)という文に変え、
「国立戒壇」が日蓮正宗の正義そのものとイメージするように仕向けています。
そしてこれらの文章の意味合いを、
「国立戒壇の名称」のことから、「正義は国立戒壇である」と意識するようにスリ替えています。

この②の文章を、スリ替えを看過せず正確に表現すれば、
《…田中が日蓮正宗の教義を盗み、自らの邪義を加えたうえ「国立戒壇」という名称を付けて始めて唱えた…》ということになります。

③この後、浅井会長の記述は、独自の理論をこじつけて飛躍していきます。
『…かくて日蓮正宗伝統の国立戒壇の正義を知り、…』(P174)と。
歴代先師上人の御指南に、「国立戒壇が日蓮正宗の伝統」などというものはありません。
昭和より前の日蓮正宗に「国立戒壇」の名称は存在しません。
「国立戒壇の正義」などという言い方も存在しません。
すなわち、浅井会長が自らの考えによる国立戒壇に執着し、日蓮正宗の伝統と、こじつけて謀ろうとしているのです。
しかし、その事を知らない会員の思い込みは強まります、“(浅井先生のいう)国立戒壇は日蓮正宗の伝統なんだ、正義なんだ”と。
思惑通りに意識づけみが進むと、“日蓮正宗のいう国立戒壇”と、“浅井会長の国立戒壇”と、その内容・実態が全く違うものであるとは、想像すら出来なくなります。
浅井会長の目的は、自らの勝手な理論で固めた顕正会の国立戒壇が、日蓮正宗の国立戒壇であると、何としても思わしめたいのです。

「国立戒壇」の名称を使用された御歴代四上人の「国立戒壇」と、田中智学や浅井会長の主張する「国立戒壇」とでは、内容・実態が全く異なるものです。その面の誤解が生じない為にも、今日、日蓮正宗に於いて「国立戒壇」の名称は使用しないのです。

広宣流布の暁の戒壇は、「御遺命の戒壇」です。「御遺命の戒壇」と云えば紛(まぎ)れようがありません。
なぜ、「御遺命の戒壇」を、わざわざ「国立戒壇」と言い換える必要があるのでしょうか。


伏線〈ふくせん〉:後のことを考えて事前に準備すること
謀り(たばかり):だますこと。はかりごと。

国立戒壇について(その2) - いつから始まったのか   終わり。

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1.国立戒壇について(その1) - 名称 と 内容

2017-07-08 15:51:41 | 国立戒壇・名称と内容

国立戒壇は、その『名称』と、『内容』にしっかりと分けて論じる必要があります。

●国立戒壇の『名称』
日蓮正宗では御歴代四上人が国立戒壇の名称を使用されました。しかし国立戒壇の名称は同じでも、その内容に違いがあるのです。そこで日蓮正宗の国立戒壇の内容と、顕正会・浅井会長の国立戒壇の内容を比較すると-。

●国立戒壇の『内容』
日蓮正宗の国立戒壇の内容は、三大秘法抄、一期弘法付属書にご教示の御遺命の戒壇です。
これに対し顕正会や国柱会の内容は、日蓮大聖人の法義とは別の、独自の解釈をしています。

【日蓮正宗】 
[1]勅宣   ⇒  勅宣  - 三大秘法抄の御文を挙げるのみ、御法主上人猊下への御付属・御仏意。
[2]御教書 ⇒  御教書 - 三大秘法抄の御文を挙げるのみ、御法主上人猊下への御付属・御仏意。

◎日寛上人は『文底秘沈抄』に「正しく事の戒壇とは」(六巻抄P61)として三大秘法抄の御文を挙げ、なんら具体的な説明はされておられません。
       
◎日顕上人は『三大秘法義』(P559)に、「事相である故に、その以前において、安易にこの文を説明すべきではなく、ただ文を挙げるのみで、その深意は御仏意に委ねられたものと拝察する」とご指南されております。

◎さらに、日寛上人は『寿量品談義』に、「目師より代々今に於て、廿四代金口の相承と申して一器の水を一器に瀉(うつ)すが如く三大秘法を付属されて大石寺にのみ止まれり。」(富要十-P131)と仰せられております。

〇浅井会長も「そもそも本門戒壇の建立は、総じては門下一同への御遺命とはいえ、別しては御法主一人への付属たること一期弘法付属書・日興跡条々の事に明白でえある。ゆえに時至って具体的建立の運びとなれば、時の御法主が相伝に基きこれを決定指示されることはいうまでもない」(冨士250号御遺命守護の戦いP13)と、述べていました。

[3]時を待つべきのみ ⇒ 広宣流布達成の時
◎日興上人は『日興跡条々の事』に「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり」(御書P1883)、
◎また『富士一跡門徒存知事』には、「是偏(ひとえ)に広宣流布の時、本化国王御尋ね有らん期(とき)まで」(御書P1872)と仰せられております。



【顕正会】
[1]勅宣   ⇒  天皇の詔勅  
[2]御教書  ⇒  閣議決定・国会議決 憲法改正 国家意思の公式表明 
「全国民の過半数、六千万人」(顕正新聞H28年7月5日号)

[3]時を待つべきのみ ⇒ 顕正会の都合で広宣流布の時を作る
≪平成19年に広宣流布:S57宣言≫
「…あと二十五年(平成19年)で広宣流布ができなければ、核戦争によって日本も世界も絶滅する。日蓮大聖人の御命令はすでに下っている。」(冨士S57.10月号)
≪平成22年で一億:S61年宣言≫
「大聖人様より発言の資格を給わり、…広宣流布までの目標を…さらに一千万から一億の弘通を次の七年(平成22年)で成しとげる。/要旨」(冨士S61.5月号)
≪平成32年~41年で広宣流布:現在≫
「…広布の決戦場たる二十年代(平成32年~41年)を迎える。…弘通は加速度を増し一気に六千万となる。六千万は国民の過半数である。…これ事実上の広宣流布である。この時御生骨が光を放ち残る六千万も一時に信ずる。/要旨」(顕正新聞H28年6月5日号)


【国柱会】
[1]勅宣   ⇒  天皇の勅命
「時の天皇陛下は・・・大詔を下され、憲法の信教自由の条項改正の案が下される」(※大観四-P2641)

[2]御教書  ⇒  帝国議会の翼賛
「帝国議会は、為に特別議会を開きて、満場一致を以て、これを翼賛し奉る」(同)

[3]時を待つべきのみ ⇒  時を作れ
「この時はただ待って居よとではない、已上の諸条件を充実する時を待てとは、その時を作れとの仰せである」(※大観四-P2643)

(※大観:日蓮主義教学大観/本化妙宗式目 田中智学)

上記以外にも浅井会長は、
「事の戒壇は 本化聖天子の発願に依る」(正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う-P9)と、「発願」という意味において日蓮正宗には存在しない独自の発想を主張しています。


故に「国立戒壇」の名称を使用された御歴代四上人の「国立戒壇」と、田中智学や浅井会長の主張する「国立戒壇」とでは、名称が同じでも内容・実態が全く異なるものであり、その面の誤解が生じない為にも、今日、日蓮正宗に於いて「国立戒壇」の名称は使用しない。と、しているのです。

■破折■
○三大秘法抄、一期弘法付属書に「時を待つべきのみ」と御教示されている戒壇の建立は、広宣流布の時を待てとの大聖人様の仰せを拝すれば、「勅宣」「御教書」とは広宣流布達成の時に、時の御法主上人から拝するものであることは明らかです。
浅井会長は、広宣流布達成以前に大聖人様の「時を待つべきのみ」との御金言を軽んじ、広宣流布も達成していないのに『今日においては』(基教P296)と勝手な論理で「勅宣」「御教書」を閣議決定・国会議決、国家意思の表明と決めつけています。
大聖人様は、広宣流布達成以前の国家形態に合わせて、「勅宣」「御教書」を解釈せよ、などと仰せにはなっておられません。御書にあるならその明文を示して下さい。
○当然ながら、御歴代の先師上人も、「勅宣」「御教書」が閣議決定・国会議決だとか、「勅宣」「御教書」を「今に訳して云えば・・」などの御指南は存在しません。あると言うのであれば、その文証を示して下さい。
顕正新聞やその他出版物に何度も文証として掲載している御歴代上人の文には、「勅宣」「御教書」が閣議決定・国会議決などと示されているものはありません。違うというなら閣議決定・国会議決、国家意思の表明を明らかにした文字をしっかり示して下さい。「国立戒壇」の文字ばかり強調しても意味はありません。

御歴代四上人が国立戒壇の名称を使っていることから、内容実態が全く違う浅井会長の独自解釈論まで正しい。と思い込ませるように謀(たばか)っているのではないですか。


国立戒壇について(その1) - 名称と内容   終わり。


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記事一覧

2017-07-02 13:55:28 | 記事一覧
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●国立戒壇 名称と内容
●浅井会長が知らなかった戒壇義 
●正本堂・訓諭全文と意義
●遺誡置文・浅井会長解説の変節
●“完結”宣言で実行すべきこと

●はじめに


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私に縁のあった方々へ

2017-07-01 18:38:12 | 私に縁のあった方々へ
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私に縁のあった顕正会員の方々へ

 過去において、私が皆様にあれほど顕正会や浅井会長を讃嘆し、そして顕正会の活動を長年にわたって勧めてきたましが、それは正しい日蓮大聖人の仏法ではなく根本的なところから、あらゆる活動を含めて、まったく間違っていました。
 はからずも、皆様を戒壇の大御本尊様への正しい信仰のあり方から遠ざけ、離反させてしまいました。本当に申し訳ございませんでした。
 直接お会いして、何が間違っていたのかと、顕正会が謗法であることを説明し、謝罪すべきところですが、簡単に皆様お会いすることは難しく、また皆様が私に会おうとすることも容易ではないこと、重々承知しております。
 しかし、少しでも早く皆様に顕正会の間違いと、正しい戒壇の大御本尊様への信仰をお伝えしなければ、皆様の成仏がかないません。やむをえず、ブログという方法を通じて、時間をかけて少しずつになりますが、できるところから、何が間違っていたのかを書いていきたいと思います。
 今は、懺悔と滅罪、そして皆様を、本当の富士大石寺、日蓮正宗の信仰に導かせて頂くことが出来るように、御祈念させて頂いております。

 皆様も、勇気を出して連絡してきて下さい。
 仏道修行は追いつめてやるものではない。
 広宣流布しなければ、幸せになれないのではありません。

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元杉並の隊幹事
yamanoha01@yahoo.co.jp
080 9190 0216
志村


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