チームにまた2人の新人が入ってきた。
女1人、男1人。
去年ははじめての後輩に右往左往したけど、
今年は、後輩が「先輩」として一生懸命振舞っている姿にほほえましさを感じる。
あんなにマネージャーを嫌いと言う後輩がマネージャーと新人を囲んで
笑って場を盛り上げている。無理してるのか、本音なのか。
わからないが、ひとまず振舞えるってのはいいこと。
ただ、、日々確実に過ぎていく毎日に吐き気がする。
世の中は「法律」という理性から出た理想のルールと「経済」という欲から出た自由のルールのせめぎあいな気がする。戦争は金儲けの手段、日本はアメリカの奴隷国、平和は献金のプロパガンダ。。。法律は現実に追いつかす裏をかいた人がうまみを手に入れる。
課長は、そんなものだ。けど生きていくしかないという。
きっとその通りなんだと思う。
けど諦めて生きるんじゃなく、常に魂燃やして前向きに。
炎を灯し続けられるかが問題にされるけど、人生は結果次第で
同じことも「成功」であり「失敗に」になる。
今稼いでいる社長は昔やんちゃでも、さすが・・・となる。
ホームレスのおっちゃんが昔大企業で部長してても、所詮・・・となる。
他人の評価なんて気にするより、自分なりの人生を歩むべし。
けどそんな悟りがしっくりこない今の気持ちをそうしたらいいのだろう。
何がなんだか、どうしてよいのか。
エリートバナオは当たり前のように仕事し、堂々と生きているが
どこからその自信が来るのか…
人間からするとバナナが仕事なんて変。
けどバナナの世界では、彼はハンサムで出来るバナナ。
生まれ持ったもの「生まれ」「顔」「体格」「お金」「知恵」etc.
それらが自分の生きる世界でどんな価値を持つのか、活かせるのか。
人間世界にいたら、自分を笑いものにして、巧く渡っていくのだろうか。
人間の成功も失敗も、個人の責任にしても意味はない。
社会的名声が受けられることはメリットだが、同じようにして敗れた
メンバーの救済こそ次にすべきことだろう。
努力の比較なんて出来ない。
世界はうまくまわっているのだろうか。
女1人、男1人。
去年ははじめての後輩に右往左往したけど、
今年は、後輩が「先輩」として一生懸命振舞っている姿にほほえましさを感じる。
あんなにマネージャーを嫌いと言う後輩がマネージャーと新人を囲んで
笑って場を盛り上げている。無理してるのか、本音なのか。
わからないが、ひとまず振舞えるってのはいいこと。
ただ、、日々確実に過ぎていく毎日に吐き気がする。
世の中は「法律」という理性から出た理想のルールと「経済」という欲から出た自由のルールのせめぎあいな気がする。戦争は金儲けの手段、日本はアメリカの奴隷国、平和は献金のプロパガンダ。。。法律は現実に追いつかす裏をかいた人がうまみを手に入れる。
課長は、そんなものだ。けど生きていくしかないという。
きっとその通りなんだと思う。
けど諦めて生きるんじゃなく、常に魂燃やして前向きに。
炎を灯し続けられるかが問題にされるけど、人生は結果次第で
同じことも「成功」であり「失敗に」になる。
今稼いでいる社長は昔やんちゃでも、さすが・・・となる。
ホームレスのおっちゃんが昔大企業で部長してても、所詮・・・となる。
他人の評価なんて気にするより、自分なりの人生を歩むべし。
けどそんな悟りがしっくりこない今の気持ちをそうしたらいいのだろう。
何がなんだか、どうしてよいのか。
エリートバナオは当たり前のように仕事し、堂々と生きているが
どこからその自信が来るのか…
人間からするとバナナが仕事なんて変。
けどバナナの世界では、彼はハンサムで出来るバナナ。
生まれ持ったもの「生まれ」「顔」「体格」「お金」「知恵」etc.
それらが自分の生きる世界でどんな価値を持つのか、活かせるのか。
人間世界にいたら、自分を笑いものにして、巧く渡っていくのだろうか。
人間の成功も失敗も、個人の責任にしても意味はない。
社会的名声が受けられることはメリットだが、同じようにして敗れた
メンバーの救済こそ次にすべきことだろう。
努力の比較なんて出来ない。
世界はうまくまわっているのだろうか。
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