とうとう東京5年目・・・論文を書くぞ><(うまくいってないのに、この人生は本番という現実(゜Д゜ )ノ)

中小企業で8年、海外1年弱。初東京。社会人大学院長期履修3年目。やりたいこと探し中、、、いや、まず論文かくべし

ふうてんの寅さんのつらさ

2007年05月26日 12時25分26秒 | 休みの日
こんなに天気が良いのに、予算が足りず、新しい商材投下しても時間が足りず、能力も足りず、今日はこれから出勤予定。

考え抜かれた商品を、色々考えて提案することばかりやってきた。営業として。
4年目を迎え、ランクアップをということで、企画を落とし込む作業をすることになった。しかし、これが本当に難しい。

一昨晩は、夜中3時まで考え練りにねって金曜に挑んだのに
「これは前提条件であって、具体的なフローが描けていない」
と一蹴された。本当に悔しく投げ出したい。

けど指摘はその通りだ。

今の市場がこうだから、だから「こういう導線を仕掛け」る。
この具体的なアイデアの面白さ、結果に結びつく要所を押さえた仕掛け、
これなら成果が出るだろうという期待にお金をもらうのだ。

評論や分析、解説にお金をもらうわけではない。

これまで、クライアントに既にある商材を提案するばかりだったので
「なぜこの商品が3万なのか、1万でいいのではないか」などと
安くしないとしょうがないし、商品価値がないのに予算ばかり上がって
詐欺と変わらないんじゃないかともやもやしてた。

もっと売るには私がランクアップしないといけない。

でも何故だろう、「売る」ということ、「営業」であることが嫌でいやで仕方ない。嫌悪しかない。なんでだろう。

自分に自信がないので、数字という絶対的なものを背負うのが怖いというのもある。いつまでも誰かの庇護下で、矢面に立ちたくない逃げの心理も大きいのかな。

けど「売る」ということ、「稼ぐ」ということを納得しないと
理屈屋で終わってしまう気がして、人生への危機感で、教えてもらえる
指摘してもらえる間は努力しようと自分を励ましてみる。

仕事を楽しめ、ってマネージャーにも取締役にも、そして同期にも言われ、私は後輩に言う。実際自分の好きな分野だと楽しんでいる人や、そのキラキラさでお客さんに愛され数字が上がり、上に昇っていく人もいる。「それっぽいことを言ってweb広告を受注する」こんなことに何の意味があるのか、なんの役に立っているのか、って言う前になぜこれが「仕事」として成立するのか考えてみよう。自分の仕事の面白さはそのあたりにあるのかも。

今形にしようとしている企画が売れたら、何かみえると思いたい。
我々の存在意義は「そうしたら成果が出るかも」とクライアントに期待されること。そういう企画の面白さと緻密さと実行力にあるのだとして、いつかそれが楽しくなる感じ私は仕事にもっとのめりこむのだろうか。


     …でも、でこぼこ道を歩いていって、その先に何があるんだろう。
 
                                
生きる意味を考えてしまうなら、ハイデガー。

と書いてあったので『空想哲学講義』(洋泉社 富増章成)1400円を久しぶりに読んだ。人間は自己の存在および人間以外の存在者の存在について、唯一の理解をもつ存在であることから、「存在」について理解している存在者である「現存在」と考えたそうだ。

結局、存在している以上存在しないといけない。ただ自分が生きている世界は自分だけが意味づけた世界であるから、自分なくして世界はない。自分がいなくても他人の意味づけした世界が存在するが、自分のまさに生きている世界と別物になる。

そして、なぜこの世があり、自分があるのかはわからないが、「ある」のであるから仕方ない。気分の落ち込みは、存在していることが重荷になっているがなくなるわけにもいかない、というときに起こるそうだ。

私は日常に埋没して、自分自身にあきあきしているだけなのだろうか。
頽落してしまい、自分の可能性を試そうとしてないことへ、「このままじゃいけない」という声がどこからともなく響くから苦しいのだろうか。だから、別の意味で苦しい仕事にすがってしまうのだろうか。

自分と他人の差を気にして、社会の一般的な価値観を無自覚に受け入れ、そこに自分の存在を見出して安心してしまって、目立つもの・独創的なものを排除する。自分もそんな感じで生きてるなあと思う。

諦めず必死に生きること。

自由に見える寅さんも苦しいし、大変に見えるさくらちゃんも一方で幸せ。日常のようで、寅さんは諦めず恋し続けて妹を心配して、世間にうずもれようとしないパワー。もっと自分らしく生きてもいい、色んなものを求めていいというメッセージなのだろうか。

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