どこからともなくいい匂いがすると思えばキンモクセイが花開いて、いつの間にかキンモクセイの季節になっていました。
季節の移り変わりを楽しみ、季節の花々を楽しむ生活を日々の中で知れたのは幸せな事だなと思っています。
こういうありふれた日常こそがありがたいものはないなと痛感します。
とくにコロナ生活になって、当たり前の日常が不便になり如何にこの当たり前が貴重な事だと思い知らされます。
ある時には感じない当たり前のありがたさは必ずしも保障されるものではないという事を、失って初めて知ることになります。
人の運命は平たんな日々を繰り返しながら、時には運が思いがけなく降って来て幸運に恵まれたり、不運が降って来て地の底まで落とされる場合もありますね。
最近よく増えている子供たちの不明事件ですが、最近も千葉県松戸市で小学一年生の女の子が行方不明となって未だに見つかっていません
子供が幼かったり低学年の時は親も普通以上に気を配って気を付けてはいると思いますが、誰でも四六時中気を付けている事は出来ませんので
ふと気が緩んだり油断して一瞬目を離した隙に地獄に落とされる事件や事故が降って来て人生が一変してしまいますね。
人の運命は気を付ける事で防げる場合もありますが、気を付けていても隙をついてくる運命と言うのもまたあります。
運命と違う意味の宿命と言うのがありますが、これは生まれた時点でどうすることも出来ないその人に与えられたものだと思います。
どういう家庭に生まれるか、両親はどうか、周囲の環境やその人が生まれながら持ち合わせている状況は変える事の出来ない宿命となって
それを受け入れながら人生を歩むことになります。宿命と運命はある意味その人に与えられた逃げられないものかも知れませんが、もう一つ運というのもあります。
この運だけがその人の腕に与えられた変えられるものとなります。大変な運命であっても考え方や やり方や行動で運は変わるものだと思います。
運と言うのはタイミングでやって来て、そのタイミングに上手く乗れた時に運に乗れるのではないかと思います。
運を逃すときもまたタイミングだと思います。目の前の出来事や状況でどこが運の分岐点なのかを見極められる人が運に乗れるのでしょうね。
運はいい流れが連続で続く時もあれば、悪い流れから突如としていい流れに切り替わる場合もありますね。また逆もあります。
ただこれは誰でもなかなか難しいので運に振り回されますね。