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CINEMA LOVE

ジャンル問わず、年間に500本以上は見る程の大の映画好きなomiによる映画日記だよ!♡

ノーマ・ジーンとマリリン

1998-09-29 10:42:34 | CINEMA
マリリン・モンロー 最後の告白 [DVD]
IVC,Ltd.(VC)(D)

ミラ・ソルヴィーノがマリリンってのもどうかと思うし、「ふーん」としか思えない深みのなさ。
マリリン・モンローは好きだから、いろんな本は読んでたからとても残念。


世紀の女優、マリリン・モンローの生涯を、本名のノーマ・ジーンとスターのマリリン・モンローの二つの人格に分け、二人一役による演出で綴った異色作。監督はイギリスはBBCの俊英ティム・フェイウェル。製作はガイ・ライデル、脚本はジル・アイザック、撮影はジョン・トーマス、音楽はクリストファー・ヤング、美術はシンシア・ケイ・シャーレット、編集はグレン・ファー、衣裳はハ・ニュイエン。主演は、モンローに「ロミーとミッシェルの場合」のミラ・ソルヴィーノ、ノーマ・ジーンに「評決のとき」のアシュレイ・ジャッド。映画界および政界の実在の人物が多数登場するのも見もの。なお、本来テレビ映画として製作されたが、日本では劇場公開した。

「裸って素敵!」ノーマ・ジーン(アシュレイ・ジャッド)の大胆発言に、俳優志願のエディ・ジョーダン(ジョシュ・チャールズ)は驚いた。1926年6月1日、マリリン・モンローはノーマ・ジーンとして、グラディス・ベイカーの私生児として生まれた。映画編集者だった母は33年に精神病院に入院。母の同僚のグレース・マッキーが後見人となるが、彼女の夫ドックがノーマに手を出したため、彼女は孤児院に入れられた。孤独な彼女のなぐさめは映画だけだった。42年、16歳でジム・ドアティーと結婚したが、海軍にいた夫は海外赴任していて、彼女の孤独は慰められない。45年、19歳のノーマはモデルとして活動を始めた。46年ドアティーと離婚。赤毛をブロンドに染めたのはこの頃だ。同じ年、二本の映画にチョイ役で出演。生活費を稼ぐためヌードモデルにもなった。映画女優になりたいノーマは、ウィリアムス・モリス・エージェンシーの副社長ジョニー・ハイド(ロン・リフキン)と親しくなる。ハイドは彼女にソフィスティケートされたセンスを身につけさせるとともに、鼻の整形手術などをさせて、女優マリリン・モンロー(ミラ・ソルヴィーノ)として生まれ変わらせた。ハイドはさらに彼女を20世紀フォックスのスクーラス社長やプロデューサーのダリル・ザナック(ジョン・ルービンシュタイン)に売り込み、50年、7年間の契約を結ばせた。ハイドはマリリンに求婚したが、「愛しているけど、夢中にはなれない」と彼女は断った。同年、「イヴの総て」ので人気を集めた彼女は、映画出演が相次ぐ。53年、「ナイアガラ」で初主演、続いて「紳士は金髪がお好き」でジェーン・ラッセルと共演が決まる。だが、そんな成功をつかんだ彼女の前にノーマが現れ、「あなたは女優にも母親にもなれない」と告げる。恋人とも別れ、現場では公私ともに演技指導のナターシャ・ライテス(リンゼイ・クルーズ)に頼り切り。撮影現場でもナターシャが「カット!」と声をかけ、監督のハワード・ホークス(ハワード・プラット)は激怒。54年1月。マリリンはニューヨーク・ヤンキースのスター選手、ジョー・ディマジオ(ピーター・ドブソン)と結婚。だが、同じ年の10月に二人は離婚。ディマジオは「七年目の浮気」のマリリンのまくり上がるスカートが許せなかった。久しぶりにマリリンに会ったエディは彼女が薬に頼っている事実に驚く。「オツムの弱いブロンド娘」のタイプキャストにうんざりしていた彼女は、自身で製作プロを設立、リー・ストラスバーグ(ダナ・ゴールドストーン)主宰のアクターズ・スタジオにも通ったりした。56年、劇作家アーサー・ミラー(デイヴィッド・デュークス)と結婚。だが、この結婚も幸せは続かない。たびたびのノーマの幻影が、「自分も母親のように精神病になるかも」という不安をかきたてた。さらに、待望の赤ちゃんは流産してしまい、コメディ「お熱いのがお好き」(59)の撮影中だった彼女の憔悴ぶりは目をひいた。「荒馬と女」(61)の脚本はミラーが書いたが、マリリンは「あなたも私がバカな女だと思ってる」と怒る。彼女にはヒロインの性格が気に入らなかった。彼女は精神医にかかるようになる。60年11月、ミラーと離婚。マリリンは鬱状態になった。そんな彼女が最後に夢見たのは、交際が始まった大統領ジョン・F・ケネディ(ピーター・スティーヴンス)のファースト・レディになること。だが、62年5月、大統領の誕生パーティーで「ハッピーバースデイ」を歌ったマリリンを、フォックスは「撮影をすっぽかした」とクビに。マスコミの過剰報道で大統領とも会えなくなり、最後の頼みの綱だった弟ロバート・ケネディ(スティーヴン・カルプ)とも連絡が取れなくなった。絶望のマリリンの前に現れるノーマ。マリリンはその幻影を振り払おうと睡眠薬を大量に飲む……62年8月4日、マリリン・モンローは死体で発見された。享年36歳。

ブラス!

1998-07-01 10:01:03 | CINEMA
ブラス! [DVD]
監督:マーク・ハーマン
アミューズソフトエンタテインメント

パッケージに書いてあったおすぎ氏の「涙が止まりませんでした。」って言葉にひかれて観てしまった。
音楽を人生の全てを賭けて愛する指揮者と家族の愛、失業、友情、感動する要素はたくさんあるのでところどころ胸が苦しくなるところはあるけど、いまいち燃焼しきれない感じがあって、わたし的にはNo!
もっと泣かせてくれ・・・もっと感動を・・・と思ってしまった。


『ブラス!』(Brassed Off)は、1996年に制作されたイギリスの映画。閉鎖騒動の持ち上がる小さな炭坑の町を舞台に、ブラスバンドを通じて、「音楽」と「生きること」の素晴らしさ、人間模様と社会風刺を上手に織り交ぜて描いた作品。実話に着想を得てストーリーが作られており、モデルとなっているのは、サウンドトラックの録音も担当している「グライムソープ・コリアリー・バンド」(後述)である。

1990年中盤、イギリス・ヨークシャーの炭坑町グリムリー。仕事のために宿を借りたグロリア(タラ・フィッツジェラルド)は、荷物の中の楽器フリューゲルについて、宿屋の夫人に「夜中の演奏は遠慮してね」と注意を受け、炭坑夫達で作る歴史あるバンド「グリムリー・コリアリー・バンド」の練習場で練習することを薦められる。
バンドマン達は炭坑の閉鎖騒ぎで気が気ではなく、演奏もおぼつかなかった。そこへ入ってきたグロリアに、指揮者ダニー(ピート・ポスルスウェイト)は「よそ者は入れない決まりだ」と断るが、グロリアはここの町の生まれだと主張する。ファミリーネームで、グロリアの祖父がダニーの親友、勇敢な炭坑夫でバンドマンだったと分かる。バンドマンの一人アンディ(ユアン・マクレガー)は、グロリアの幼なじみだった。腕前は素人みたいなものだと謙遜していたグロリアだが、「アランフェス協奏曲」のソロパートで見事な演奏を見せ、拍手が巻き起こる。こうして新たなメンバーを得たグリムリー・コリアリー・バンドだったが、実は彼女の仕事は、炭坑についての報告書を作成することだった。
経営側は組合と折衝の結果、炭坑存続か、閉鎖の代わりに高額の退職金を支払うかのどちらかを、炭坑夫に投票させることになる。バンドは準決勝を勝ち取ったものの、町に帰ってきた彼らを待っていたのは、閉鎖決定という結果であった。路上でくずおれるダニー。彼は長年の炭坑夫生活で、肺をやられていたのだった。その後偶然に、バンドマン達はグロリアが経営会社の建物から出てくるのを目撃してしまう。特にグロリアと恋仲に落ちていたアンディは、少なからずショックを受けるのだった。
アンディは賭けビリヤードでテナーホーンを取られてしまう。他のメンバー達の心も揺れ動くが、生活が逼迫していることや、グロリアに裏切られたという思いもあり、バンドを辞めることを決意する。最後の演奏として、ダニーが入院している病院の前で「ダニー・ボーイ」を演奏する。そしてダニーの息子フィルに、全員バンドを辞めることを伝えるよう依頼するが、フィルは結局伝えることはできなかった。彼の家では、借金の返済ができず家財道具を差し押さえられ、妻は子供を連れて実家に戻ってしまう。人生に絶望したフィルは、炭坑の櫓の上で首吊り自殺を試みるが、発見され未遂に終わる。一方、グロリアも会社に裏切られたことを知った。実は炭坑の閉鎖は、2年も前から決まっていたことだった。彼女が炭坑夫達のために書いた報告書は、結局何の役にも立たなかったのだ。グロリアは、決勝への道を開くことを決意した。自分のためではなく、炭坑夫達のために、そしてダニーのために。

冷たい一瞬(とき)を抱いて

1998-06-25 09:54:21 | CINEMA
Bastard Out of Carolina /冷たい一瞬(とき)を抱いて 北米版DVD[Import] [DVD]
監督:アンジェリカ・ヒューストン

養父に犯される子供の姿の腹立たしさったらありゃしません。
子供は親を選べない、あたりまえのことだけど、親によって酷すぎる不幸を与えられてしまった子供への理解を日本ももっと考えてほしいと思ってしまった。
もし養父が娘を犯したら日本はちゃんと逮捕してくれるのだろうか?
裁く法はあるのだろうか?
許し難いっす。


 女優アンジェリカ・ヒューストンが監督に初挑戦した作品で、私生児として生まれた少女を巡る悲劇的な状況を描いた問題作。サウスカロライナ。母アニーが交通事故で失神中に産まれたため、私生児として届けられた少女ボーン。その後、アニーがライルという優しい男性と結ばれ、妹もでき束の間の幸福を迎えるが、ライルは交通事故で死んでしまう。やがて、新しい父親ができるが、ボーンはなかなか馴染めず、父親からの虐待を受けるようになり、それは次第に激しさを増していく……。

ある貴婦人の肖像

1998-06-11 07:47:17 | CINEMA
ある貴婦人の肖像 [DVD]
監督:ジェーン・カンピオン
JVCエンタテインメント

バカ女の一生を見るほどヒマじゃないと、腹立たしくなるほどくだらなく、観るに耐えなかった。


『ある貴婦人の肖像』(あるきふじんのしょうぞう、The Portrait of a Lady)は、1996年製作のイギリス映画である。ジェーン・カンピオン監督。原作はヘンリー・ジェイムズの小説『ある婦人の肖像』。日本版DVDは2001年版に続き、字幕の異なる2011年版が発売されている。

舞台は19世紀。アメリカ生まれの美しい娘イザベルは両親を亡くし、イギリスの親戚で裕福なタチェット家[3]に身を寄せていた。利発なイザベルは周囲の人々に愛され、貴族の求婚者も現れた。アメリカ時代の恋人である青年実業家キャスパーも、海を越えてイザベルを追って来た。だが、夫に従属するだけの古風な結婚を嫌うイザベルは、一生独身でも構わないと言い放つ。
イザベルの従兄であるラルフ・タチェットもイザベルを愛していたが、結核で自分の余命がわずかであることを悟っていた。イザベルの望みが、進歩的で自立した生き方だと知っているラルフは、自分が受け継ぐべき莫大な財産がイザベルに渡るよう配慮する。だが、そうと知らないイザベルは、年上の芸術愛好家オズモンドに手もなく籠絡され、結婚を決めてラルフを失望させた。
イザベルにオズモンドとの結婚を決意させたのは、イザベルにとって憧れの存在である未亡人マダム・マールだった。しかし、マダム・マールとオズモンドの狙いはイザベルの財産であり、愛のない結婚生活はイザベルの快活さを失わせて行った。
表向きは幸福な上流夫人としてローマで暮らすイザベル。しかし、夫のオズモンドは優雅な生活と芸術だけを愛し、妻を従わせるために精神的な迫害を加え続けた。息苦しい生活の中で、ローマを訪れたラルフやキャスパー達と再会するイザベル。だが、イザベルは愛する従兄のラルフにも、弱みを見せることが出来なかった。
帰国したラルフが危篤に陥ったことを知り、高圧的な夫の制止を振り切ってイギリスに戻るイザベル。イザベルの苦悩を見抜いていたラルフは、ローマへは帰らずにこの館で暮らせと言い残す。ラルフの葬儀の後、キャスパーが再びイザベルに求婚した。しかし、イザベルの眼には、ローマへと続くまっすぐな道が見えていた。
(ローマへ戻るというシナリオの具体的な表現は、編集の段階でカットされた)

セカンド・ベスト

1997-09-22 17:42:29 | CINEMA
IVCベストセレクション: : セカンド・コーラス フレッド・アステア セレクション 【DVD】
監督:クリス・メンゲス
メーカー情報なし

地味な映画で素晴らしい演技をしているウィリアム・ハートはやっぱりいい。
子供のころから自分を抑制して生きてきた小さな町の郵便局員グレアムは、自分自身を分かち合うことのできる息子が欲しいと常々感じていた。
そんなある日、彼らは養子縁組の広告を見つけ、孤児院で暮らすジェームスを選ぶ。2人は親子になるために食事をしたりキャンプに行ったりするのだったが・・・。
傷ついた子供の心をたくさんの思いやりで、言葉少なではあっても心優しく開いていく姿に感動。


養子縁組を結んだ少年と中年の独身男性が、互いの不幸な過去を克服していく姿を詩情豊かにつづったヒューマン・ドラマ。デイヴィッド・クックの同名小説(本邦未訳)を、原作者自身の脚色で映画化、原作に惚れ込んだ「ワールド・アパート」のクリス・メンジスが監督に当たった。製作は「マイ・ビューティフル・ランドレット」「ワールド・アパート」のサラ・ラドクリフ、エグゼクティヴ・プロデューサーは「依頼人」「ナチュラル・ボーン・キラーズ」のアーノン・ミルチャン。撮影はアシュレイ・ロウ、音楽は「クライング・ゲーム」の挿入曲『Second Coming 』を作曲したサイモン・ボスウェル。美術は「オルランド」「プロスペローの本」のマイケル・ハウエルズ、編集は「エドワードII」「カラヴァッジオ」のジョージ・エイカーズ、衣装は「ワールド・アパート」のニック・イードがそれぞれ担当。主演は「夢の涯てまでも」「最高の恋人」のウィリアム・ハートと、本作でデビューした11歳のクリス・クレアリー・マイルス。共演は「カウガール・ブルース」のジョン・ハートほか。

イギリス。孤児院でクラス一寡黙な少年ジェイムズ(クリス・クレアリー・マイル)は、刑務所に入っている父を狂おしいほどの忠誠心で愛しており、父以外の誰にも心を開かなかった。グラハム・ホルト(ウィリアム・ハート)は田舎町の郵便局長を務める中年男性で、静かで孤独な日々を送っている。彼は自分が両親の失望の元だったことを自覚している。2人はお互いを愛し合うあまり、彼を受け入れることはなかった。今は母も亡くなり...

エビータ

1997-08-23 13:29:18 | CINEMA
エビータ [DVD]
監督:アラン・パーカー
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン

どうもミュージカルって苦手。
なんで普通のセリフでもいいようなとこまで唄うの?余計わかりづらくなってるだけなんだけど・・・。
私生児のエバが男を擁してついに大統領夫人になる。
これじゃアルゼンチンの人が怒ってもしょうがないでしょうってほど潔く自分の信念のためにどんな苦労もいとわずに地位を確立していった強い女性を描いていて、それはよかった。
ストーリーテラー的に延々どのシーンにもでてくるアントニオ・バンデラス・・・気持ちいいほど気合い入ってて、出てくる度笑ってしまった。
バンデラスがいるから観て良かったって感じ。
鼻の穴がでかすぎるって・・・。


『エビータ』(Evita)は、1996年のアメリカ映画。

アンドリュー・ロイド=ウェバーの同名ミュージカル『エビータ』の映画化で、アルゼンチンのファーストレディだったエバ・ペロンを描いている。アカデミー賞では5部門でノミネートされ、ナンバーのひとつ「ユー・マスト・ラブ・ミー」(You Must Love Me )はアカデミー歌曲賞を受賞している。また97年のゴールデングローブ賞では、作品賞、主演女優賞、主題歌賞を獲得している。
当初監督はオリバー・ストーンが起用されていた。そのため映画クレジットでは、脚本にストーンの名も併記されている。しかし20年近くの紆余曲折を経て、最終的にはアラン・パーカーが監督を務めることに決定した。
映画作製にあたっては、アルゼンチンの官邸カサ・ロサダでロケを行うことに成功し、エバが演説に立ったバルコニーでも撮影が行われ、膨大な数のエキストラが撮影に参加した。しかしアルゼンチン本国では「サンタ・エビータ(聖エビータ)と呼ばれるほどの信奉者を持つエバの聖俗両面を、アメリカのセックスシンボルであるマドンナ主演で描くこの映画に、拒否感情を示した人々がロケ反対のデモを行う動きもあった。
映画公開時アメリカでは、ペニー・ローズによる衣裳や髪形を模したファッションが流行した。

モノクロ映画を上映中の映画館で、エバの死を知らされて民衆が嘆き悲しむ場面から物語は始まる。エバを送る大規模な国葬の様子と、私生児として父親の葬儀にも参列を許されなかった幼少期のエバの姿が、交互に映し出される。この部分はミュージカル版とは異なる演出となる。
エバの死を悲しむ民衆の姿に「彼女は本当にそれほど素晴らしい人物だったのか?」と、チェは疑問を投げかける。チェは、チェ・ゲバラを念頭に置いて創作された登場人物で、この後も、ウェイター、掃除夫など様々な民衆の姿で登場し、狂言回し役を務める。
一転して、15歳のエバ。旅公演に訪れたタンゴ歌手のアグスティン・マガルディに無理やりくっついて、女優を目指しブエノスアイレスに上京するも芽が出ず、酔客相手のタンゴ・ダンサーなどで糧を得る。ミュージカル版ではペロンの愛人が、エバに追い出される際に歌う曲(Where am I going ?)を、映画版でエバ自身の持ち歌とすることで、行く末の見えない彼女の不安感を表現している。
エバはオーディションにも落ち続ける。監督役がネクタイを直す動作で、性を武器にしようとしたことを暗示する場面もある。
ようやく1人のカメラマンの目に留まり、その愛人になることでチャンスを得たエバは、水着グラビア(現存する本物と同じ構図で撮影)などが雑誌に掲載されるようになる。カメラマンの次はプロデューサー、次いで石鹸会社社長と、前の男を足掛かりに次の男を見つけるやり方で次第にのし上がってゆき、ついにホアン・ペロンと出会う。
ペロンは軍人で、43年6月のクーデター以降、労働組合の支持を得て徐々に力を持ち始めていた。 ミュージカル版では軍人による椅子取りゲームで表現されている部分が、映画版では具体的な日時も示しながら表現される。44年のサンフアン大地震の救済コンサートでエバとペロンは出会い、愛人関係かつ共に権力を目指す共闘関係となる。エバはペロンの愛人を追い出して陸軍司令部のペロンの部屋に居座り、上流階級の社交界にも顔を出すようになって、軍部、上流階級どちらからも顰蹙を買うようになる。
45年のクーデターによりペロンは一時拘束されるが、エバはラジオ番組や演説を通じて働きかけ、ペロニストの民衆もペロンの釈放を求めて続々と上京する。解放されたペロンはエバと正式に結婚、「上着を脱ぐ」というパフォーマンスで「労働者の味方」を演出してさらに人気を上げ、エバはついに26歳にしてアルゼンチンのファーストレディとなる。ペロンが大統領に就任した際のエバが歌う(「アルゼンチンよ泣かないで」、Don't cry for me Argentina)シーンは、カサ・ロサダのバルコニーで撮影された。
エバは基金の名のもと集めた寄付を私有化し、ディオールの服、毛皮、宝石などで華やかに着飾って、アルゼンチンのイメージアップのため、レインボー・ツアーと銘打ったヨーロッパ外遊に出発するが、体調を崩して帰国する。その後も、特権階級が独占していた富を取り上げ、気まぐれに金をばらまくような施策で貧困層の不満のガス抜きをしたが、問題の根本的な解決には至らず、アルゼンチンの混乱は続いた。
鉄の意志により夢を実現してきたエバも、病には勝てなかった。民衆とペロンの愛を乞いながら(You must love me)死んでゆく。人生を激しく生きた、稀有な人物の最期であった。

アメリカの災難

1997-08-19 13:26:20 | CINEMA
アメリカの災難 [DVD]
監督:デヴィッド・O・ラッセル
ワーナー・ホーム・ビデオ

「ロック」の試写会に行った時、パトリシア・アークエットを間近で見たんだけどとてもちっちゃくて痩せてて可愛かった。
それがこの映画では出産直後の主婦って役作りのせいなのか、二の腕はボンレスハムのようだし全身パンパン。
まぁ普通っぽくて良かったと言えば良かったんだけど大丈夫か不安になってしまう身体は逆にお見事。
ハチャメチャで単純に楽しめるロードムービーだった。


昆虫学者のメルは、妻のナンシーと生後四ヶ月の子供を連れて、心理学者の美しいティナと共に旅に出た。その目的は、メルの本当の両親を探し出すこと。旅の途中で同性愛のカップルも加わって……。現代のアメリカ社会を舞台にした、コメディ仕立ての奇妙なロード・ムービー。


さまよう魂たち

1997-08-15 13:23:16 | CINEMA
さまよう魂たち [DVD]
監督:ピーター・ジャクソン
ジェネオン・ユニバーサル

キャーッ!待ちに待ったピーター・ジャクソンの新作がビデオで登場!以前にここで書いた「ブレイン・デッド」の監督だもの、見逃しません。
ストーリーは簡単に言うと、ゴーストと手を組んでヤラセの心霊現象を起こし、それの除霊をしながら金を稼ぐ男が、人を急死させる悪霊と闘うっていう話。
わたし別にマイケル・J・フォックスって人キライじゃなかったんだけど、この映画に関してはミスキャストだと思う。どんな経緯でかれが主演に選ばれたのか知りたいもんだ。
どんなもんでしょ。


『さまよう魂たち』(さまようたましいたち、原題: The Frighteners)は、ピーター・ジャクソン監督、マイケル・J・フォックス主演の1996年に製作されたホラーコメディ映画。

本作は『ブレインデッド』や『乙女の祈り』などのニュージーランド人映画監督ピーター・ジャクソンのハリウッド・デビュー作である。『乙女の祈り』に惚れ込んだ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズなどの監督ロバート・ゼメキスが製作に当たり、主演にはゼメキス監督の盟友であるマイケル・J・フォックスが起用されている。ゴースト達のメイクは“特殊メイクの神様”リック・ベイカーが担当し、ジャクソン監督ならではのおどろおどろしい世界観の表現に貢献している。舞台はアメリカの郊外の設定であるが、道路標識を変えるなどの工夫をして全編ニュージーランドで撮影された。また編集などの製作も殆どがニュージーランドで行われている。この作品における3DCGの技術はジャクソン監督の後の作品『ロード・オブ・ザ・リング』へ応用された。

かつて不慮の事故で妻を亡くして以来、幽霊と交流できる能力を身につけたフランク・バニスター(マイケル・J・フォックス)。フランクはその能力を使い、3人の幽霊を助手に従えて共謀し、インチキな悪霊払いで日銭を稼ぐ日々を送っていた。一方、女医のルーシー・リンスキー(トリニ・アルバラード)は、かつて連続殺人鬼として恐れられたバートレット(ジェイク・ビジー)の未亡人、パトリシア(ディー・ウォレス)の往診に追われていた。フランクとルーシーの接点は全く無かったのだが、ある日フランクが墓地で営業した帰り道に、リンスキー家の家の柵を壊してしまったことをきっかけに知り合う。後にルーシーの夫が急死してしまい、二人は更に接近する。
そんな頃、フランクらの住む町で、健康に何ら問題のない住民が突然心臓発作で死んでしまうという不可解な事件が多発していた。ルーシーの夫の死もそれに関係することを知ったフランクは、ある夜不気味な“死神”の姿を目の当たりにする。あろうことか、その事件の犯人であるという疑いをかけられてしまったフランクは、その後も次々と住民の命を奪っていく不気味な死神の正体を探ろうと、神経質なFBI捜査官のダマーズ(ジェフリー・コムズ)の執拗な追跡をかわしながら奮闘し始める。

ラストマン・スタンディング

1997-08-12 13:20:44 | CINEMA
ラストマン・スタンディング [DVD]
監督・脚本:ウォルター・ヒル
ワーナー・ホーム・ビデオ

めちゃくちゃ渋い映画。黒沢監督の「用心棒」の洋版。
「用心棒」で三船敏郎が演じていた素浪人の役(日本刀で17秒で9人を斬る)をブルース・ウィルスが2丁銃で13秒に7人を撃ち殺すガンマン用心棒として熱演。
腕は強いが女に弱い・・、なにしろ渋かった・・・。


『ラストマン・スタンディング』(原題: Last Man Standing)は、1996年にアメリカで製作されたアクション映画。黒澤明の『用心棒』をギャング映画に翻案した作品。

1930年代、アメリカ合衆国の小さな町ジェリコ。そこではアイルランド系とイタリア系のギャングが、町の支配権を巡って睨み合いを続けていた。そんなある日、ジョンと名乗る男が町にやってくる。彼は二丁拳銃の使い手で、自らに絡んできた町の悪党を容赦なく殺害してしまう。彼が凄腕であることを知った両陣営は、自分たちの仲間に引き込もうと画策する。