山ちゃんのホッ~とする写真館

花や自然を相手に心がホッ~とする写真撮影を楽しんでいます。季節の花や風景を眺め、お茶でも飲みながらひと休みしませんか。

郷愁!150年前の宿場風景(大和市下鶴間)

2007-05-01 | 話題
昨日かみさんから「面白いところがあるわよ」と散歩に誘われ、訪ねたところが神奈川県大和市下鶴間の「大和市下鶴間ふるさと館」でした。
開館一周年のこの館、入り口の巨大な宿場風景の写真を見て何とも例え様のない強い郷愁を感じた。

安政三年に建てられたと思われる茅葺の下鶴間宿の集落、各種の商家や旅籠が集まり、写真の宿場中央を走る街道は「矢倉沢往還」、東京青山を拠点とし南足柄の矢倉沢峠を通り、駿河で東海道に合流する。
東海道の混雑を避けての脇道、今流に言えば裏道、抜け道とでも云えるのか、しかし、信仰の大山詣での街道でもあったので大変賑わった街道であったようです。

当時この下鶴間宿で雑貨や薬を販売していた「小倉家の母屋」を解体した時に発見された数々の品物に大変興味を注がれる。
下の写真以外にも、胎児の胞衣皿(えなざら)の風習、庶民への法令の徹底を意図した「高札場」の解説、昭和初期の小学生の教科書等も展示されているので、子供達も興味をそそられるだろうし、わが郷土の150年前の姿を見てきっと驚くことだろう。

この一帯の町名「鶴間」は非常に広範囲で、東京都、大和市、相模原市に広がっている。
昔、この一帯はたくさんの鶴が優雅に舞っていたので、「鶴が舞う」から鶴間になったと言う説、そして、この命名には源義経が当地を訪れたので絡んでいるとか、いないとかこれは定かではない。

今住んでいる街のすぐ近くが、150年前こんな風景であつたことを知ることができ感謝、そして、懐かしさを感じる何ともいえない日本の原風景に郷愁を感じると共に、よくぞ「小倉家」を保存してくれたという思いです。
  「大和市下鶴間ふるさと館」TEL 046-272-6556 
写真拡大します。


宿場の中央を走るのが「矢倉沢往還」。道も小倉家も昔の場所そのまんまです。
僅か150年前には、こんな風景だったのですね。
現場から車で五分も下れば国道246号の目黒交差点。





土壁の建物、当時の人達が着ている衣装、荷車曳き、大福餅屋、お休み所で休んでいる旅人が伺えます。




小倉家の入り口に「しゃもじ」の跡形が・・・子供が百日咳にかからないように祈っての風習があつたようです。四角い跡形は?表札ではないようですが・・・




母屋の解体時に発見。床材の裏に大工の頭領と思われる豆州(伊豆)賀茂郡の石田利三良が、落書きをしながら皆に説明したものと思われる「ぺりー来航時の黒船」の絵が墨で描かれている。 




安政三年の落書きがあり。ぺりー来航はこの三年前のこと、自分が「黒船」を見てきた時の驚きを得々と語ったのであろう。




拳銃。当時の郵便局は強盗に備えて拳銃を保持していたようです。
その時代には局に拳銃保持が許されていたのでしょうか?


ロシア(露)を征服する丸薬「征露丸」。日露戦争直前に売り出された。
日本が軍事強国ロシアに勝利し、当時世界中を大変驚かしたことは歴史で学びましたが、この「征露丸」の効果があったのかもしれませんね。


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