けぶる稜線

ひいらぎのとげが語る

心筋梗塞退院一年後の検査入院を経験して

2018-02-13 10:59:57 | 日記
救急車で搬送され、生死の間をさまよっていた2年前。心筋梗塞から復帰し、今も、休みなく歩くリハビリの毎日。退院した日、アパートの前でタクシーを降り、2階にある部屋までの階段をささっと上ろうとした。「うぅッ、上れない」。ゆっくりと歩を進める。が、心臓も足も他人のもののように動かない。ごく普通のアパートの二階まで上がるのに、大きな息をつき、途中、二度休んだ。翌日から、すぐ近くの公園で歩き始めた。公園内にある片道30メートルぐらいの距離をゆっくりと慎重に一往復する。ふぅっと息を吐いた。無理は禁物、段々と距離を延ばせばいいと。帰りは、ゆるい勾配だが階段もある。その階段を上るのも、まるでカタツムリのようにゆっくりゆっくりゆっくりとこなした。そんな状態が数ヶ月続き、半年たった頃から、坂道や駅の階段でないならば、はた目には普通の人のように歩けるようになった。

目立った外傷がなければ、外見からではその人の健康状態は判断するのは困難だ。昼間から公園でゆっくり歩いているズボラな人がいる、と通りがかりの目が言っている。でも、本人の心臓は100メートル競走時の心臓のようにバクバクとしているのだ。体が透けて見える訳でもないし、人は外見だけで判断する。町をブラブラと徘徊して給料を貰っている警察官と同じだ。ふさふさの黒髪の男が真昼間からブラブラしているのだからそう思うのも頷けない事もない。

病院内の共同水場。小太りの高齢の女性が出しっぱなしの水道に歯ブラシをかざして濡らし、分厚く赤黒い舌をベロッと出して舌垢を取ろうと必死に磨いている。哀れか、それとも健康に気をつけているのか。この病棟は検査入院や掛かり付けの医者から送られた心臓や循環器に支障のある人達が入っている。彼女もその一人なのだろう。一見、とても元気そうだ。ステント挿入手術をした患者でも元気な人とそうじゃない人がいる。

退院一年後に実施される二泊三日の検査入院。大部屋の廊下側のベッドをあてがわれた。壁はベニヤ板一枚で遮られている感じで、寝ていてもうるさい雑音が容赦なく入ってくる。看護士などがひっきりなしに廊下を行ったり来たりし、同僚同士で話す声や患者とのやり取り、各部屋を循環している医師と患者との会話、カチャンガチャンと音を立てて移動しているテーブルや物を引き出す音の洪水だ。忙しく働いている看護士や医師には分らないだろうが、ベッドに横になっている患者は安眠できない。大部屋のドアは開けっ放しであり、そのすぐ側に枕があるので夜中でも色々な音が直撃してくる。

「薬が飲み込めない」
「スープも飲めない」
と健康優良児のように体格のいい老人が駄々を捏ねている。担当の看護士が困っている。なんとか食事を取らせよう、薬を飲ませようと試行錯誤している。見回りの医師にも同じことを告げている。本人がかたくなに拒否しているのであれば強制はできない。会社で働いていたときは威張り散らしていた男だったのだろうか。そんな雰囲気が漂っている感じがしないでもない。或いは、虐げられていた会社時代だったのかもしれない。それにしても、「生きてやる」、「まだやることがある」、という気概がないのか、薄れてきているのだろう。二日間だけの付き合いだったが、甘ったれているな、という感じがしないでもなかった。彼らは、病院のベッドに横になってブラブラしていることが日課になってしまったのであろうか。

心臓に酸素と栄養を供給している血管の三次元画像検査。左手首の動脈からカテーテルを入れ、造影剤を心臓に流し込んで心筋梗塞施術後の心臓の動きや挿入されたステンドの具合を見るのだ。U字溝のような箱の中に腕を固定され、手首に局所麻酔が施された。左腕の周りにタオルやビニールが何重にも敷かれた。局部麻酔で痛みは感じないが、カテーテル挿入時に動脈から吹き出た鮮血が肘の方まで飛び散ってゆくドロッとしたものを肘の関節辺りで感じた。カテーテルが腕の動脈内を通り、更に、肩辺りを通過するころまでは動脈内に押し込まれていく圧迫感が微かに感じられた。その後は、大きな検査機械が上下左右に巨大な音を立てて動いている。「一時的に体が熱くなります」と担当医師が告げる。心臓表面に捲き付く血管内に造影剤が注入される。心室内にもカテーテルが入り込み、その細い管から蕨ゼンマイのように円形を作っている管から造影剤がドキンドキンと鮮血を送り出している心室内に造影剤が撒かれる。造影剤注入時には、ブワーという感じで心臓から体中に熱湯が広がる感じだった。心室の下の方にある鶏の肛門部分みたいな箇所はほとんど動いていない。心筋梗塞の後遺症だ、と担当医師が検査終了後に動画を見せながら説明した。「息を大きく吸って」、「そこで息を止めて下さい」、などと共に検査機械や施術寝台が大きく動いていた緊張の検査は、40分で終了した。

検査カテーテル挿入時に切られた動脈が結合するまで、手首をぐるっと包む透明プラスチック製の器具が付けられ、空気圧で圧迫し止血する。6時間そのままで、夕方に取り外される。医師が透明プラスチック内の圧縮空気を抜きかけたとき、動脈から鮮血がピュッと噴き跳びでた。「こりゃ、ダメだ」、と驚く医師。直ぐに透明プラスチック内の圧縮空気を元に戻した。医師は、どうしようかと逡巡している。しばらく考えていたが、覚悟を決めたように手袋を嵌め、「7分間止血します」、と自分自身に言い聞かせるように宣言した。腕の下にタオルを敷くように女性看護士に言い、右手の親指で心臓に近い側の動脈血管を強く抑えて血流を止め、左手で透明プラスチック器具を外した後で反対側の動脈の血管も強く抑えた。「椅子がないか」、と看護士に問う。座り、止血する医師。「このまま押さえ続け、両親指で拍動を感じながら徐々に緩めてゆく」と話す。いくらベテラン医師とはいえ、ベッドの横にあった箱のような簡易椅子に座った状態での処置だ。医師の気持ちをやわらげようと言葉を交わした。二リットルの血液が失われると死に到る、動脈からの血液は拍動と共に吹き上げる、などと話していた。話すことによって医師も気が落ち着いたのであろうか、指の圧迫を徐々に緩め、7分後には止血された。素晴らしい。さすがは外科医だ。止血後に、左手首の部分をぐるぐると包帯で巻かれたが、多少の不安もあった。夜中に破れて吹き出てしまったらどうするのだ、と。

一昨年の10月初旬に救急搬送され、集中治療室から一般病棟に移されたときにいた看護士がこの病棟にいた。何かの資格に合格したのであろうか、看護師二人を伴って担当の患者回りをしたり、医師とペアで患者の間を回っていた。退院日の早朝、看護士二人を伴ってこの看護士が巡廻してきた。止血部分の様子を見ていた。「毎朝、腕立て伏せをしているが、このまま継続しても大丈夫か」と聞いた。すると、「右手ですれば」と言い放ち、ケタケタと嘲るように高笑いして次ぎの部屋へ移動して行ってしまった。二人の看護士は黙っていた。ふざけるな、と思ったが何か言うのは我慢した。検査で入院した初日でも、男の看護師が、「トイレに行くのについてゆきます」と言ったので、付いてこなくても大丈夫、と答えたら、「みんな、そういうことを言って転ぶんだ」と、怒気を含んだ声で反論していた。この病棟の看護士たちはイライラしたのが多いのだろうか。夜勤もあるし、時間内にこなす仕事量が多いのであろうか。高齢者が多いので、何度言っても分らなく、毎日、同じことを繰り返しているのが面倒臭くなり腹立たしくなっているのかもしれない。でも、それが彼らの・彼女らの仕事ではないか。病院内の医師・看護士らの勤務状態を記した新聞記事などを読むと、仕事時間がキチキチのような勤務形態のようだ。一昨年に2週間ちょっと入院していたときも、担当の医師二人がいつも巡廻に来るので、安心できるいい所だと思ったが、走り回るように時間を制約されていて疲れないのかとも思うようになっていった。

退院時から一年間、血液をサラサラにする薬を二種類飲んでいた。6時間たっても、切った動脈部分の止血がなされないぐらいに血小板が少なくなっていたのだろう。髭剃り時の傷でも、血が止まらなく、固まらなかった。1日半ほどたって顔の皮膚がくっ付いてようやく血が流れなくなる日々だった。退院翌日以降からはバイアスピリンだけになり、そんな症状もなくなっていった。