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古今東西のアートのお話をしよう

小説 シンプルな情熱

2024年のノーベル文学賞は
ノルウェーの劇作家ヨン・フォッセ氏でした。村上春樹氏は今年も残念でしたね。

2022年に同賞を受賞したフランスの小説家アニー・エルノー氏の
「シンプルな情熱」を読みました。


金原ひとみ氏がリコメンドする記事を読んだのがきっかけです。

アニー・エルノー(1940〜)

彼女の経歴とあらすじは、

『アニー・エルノーは、長年、フランス現代文学の教員としてリセやコレージュで教鞭を執り、後にフランス国立遠隔教育センターにも参加した。彼女の作品はほとんどが自伝的なものであり、オートフィクションの作家の一人とされる。2022年、ノーベル文学賞受賞した


アニー・エルノーは、若い頃一度結婚して離婚したのち、パリ近郊の町でずっと独り暮らしを続けてきた熟年の女性作家である。

そして 第六作目にあたる本作品を発表した頃、彼女はすでに成人した二人 の息子の母であったし、年齢も五十歳を少し過ぎていた
そんなA・エルノーが、一九八八~八九年頃、約一年間にわたって、 自宅で、ある特定の男性と昼下がりの逢い引きを繰り返したという。 相手の男は彼女より十歳余りも年下の妻帯者で、東欧のどこかの国から外交関係の任務を負ってフランスを訪れ、限られた期間滞在してい た。その実在の人物が誰であるかは、もちろん明らかでない。
明らかなのは、彼に対するA・エルノーの恋が、いわゆるロマンスからは程遠い、激しくて単純な、もっぱら肉体的な情熱だったということだ。
彼女は、その情熱をいささかもごまかさずに生きた。生きるとは、溺れることではない。その反対である一見矛盾しているかのようだが、 A・エルノーというこの女性は、きわめて現実的な思慮分別をもって、 恋の情熱=パッションに燃えたらしい。本書は、本人と思しき「私」 によって綴られたかたちの、その記録であり、かつ省察である。』
引用元「シンプルな情熱」訳者堀茂樹あとがき及びウィキペディアより


物語は、

『昨年の九月以降、私は、ある男性を待つことー彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外、何ひとつしなく なった。』で始まり、

『今の私には、贅沢とはまた、ひとりの男、またはひとりの女への激しい恋を生きることができる、ということでもあるように思える。』で終わる。 

一見ロマンチックな恋愛至上主義の物語かと思うが、彼女の愛は、『いわゆるロマンスからは程遠い、激しくて単純な、もっぱら肉体的な情熱』であり、夢見るボヴァリー夫人とは対極にある現実的な情熱、欲動だ。

また、『自分の情熱を説明したいのではなく、単にさらけ出したいのだ』と語る。

女性の肉体的快楽を所与の情熱としてさらけ出すことを、冷静に、簡潔に書き留めた。

これは、『春画』に描かれる女性と同じですね。作品に登場する、大島渚監督の『愛のコリーダ』も『春画』に通じる。


映画化されている(未見)
公開日: 2021年7月2日 (日本)
監督: ダニエル・アルビッド
原作者: アニー・エルノー
原作: シンプルな情熱
キャスト:レティシア・ドッシュ、
セルゲイ・ポルーニン


アニー・エルノー (Annie Ernaux)
1940年9月1日(84歳)
フランス、セーヌ=マリティーム県リルボンヌ生まれ


訳者「あとがき」に続く、女優の斉藤由貴の解説が秀逸です。 

『やがてエルノーの恋は終わりを迎えるのだが、絶望的な立ち直りの時間の後、 突然男が現われて、二人はもう一度だけ、関係をもつ。そして彼女は、こんな風に書いた。
「・・・・・あの非現実的で、ほとんど無に等しかったあの夜のことこそが、自分の情熱の意味をまるごと明示してくれる。いわゆる意味がないという意味、二年 間にわたって、この上なく激しく、しかもこの上なく不可解な現実であったと いう意味を。」
恋は確かに、無意味なものかもしれない。けれどその無意味に魅入られて意味を探してしまう事、その愚かしさを、一体誰が責められようか?』
と結んでいる。


★★★★☆
短くて読み易く、根源的です

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