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古今東西のアートのお話をしよう

「花は愛惜に散り、草は棄嫌におうるのみなり」2013年ブログより

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「朝には多くの人々を見かけるが、夕べにはある人々のすがたが見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝にはある人々のすがたが見られない。」

3.11以降、ブッダのことばは永遠の真理であるとあらためておもう。

しかし、我々は諸行無常の世界にありながら、「たいまつを放さない人の手を、たいまつが焼くように。」欲望や執着や自我から離れられない。


「これがあれば、かれがあり。これが生ずれば、かれが生ずる。これがなければ、かれがない。これが滅すれば、かれが滅する。」は万物の縁起であり、これを我、かれを他者とすれば、人間も我と他者、自然との関係性のみで存在しており、我とかれは対立するのではなく、自他不二であり諸法無我である。
この考えが日本人の生活になじんで、「人は一人では生きていけない」「人は自然のなかで生かされている」「人はみな同じ」になりました。

我に固執し、我の喪失を怖れることが不安を生むのでしょう。


ブッダは、すべての「たいまつ」を棄てることで、ニルバーナの境地に達すると悟りました。
もちろん、薬物でニルバーナに到達することはできません。


しかし、愛すること、愛を求めることは、それが、真実実相でないとしても放しがたいものです。

まさに、
「花は愛惜に散り、草は棄嫌におうるのみなり」と道元禅師が喝破したものです。

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