縄文語

日本語の起源 著者 笹谷政子  新風社
私は笹谷政子女史の説を取り入れたいと思っているのでご紹介したい。

武芸、武道、兵法

2020-09-30 02:42:14 | 武道
柳生新陰流   兵法家伝書
柳生但馬守宗矩の生い立ち
柳生但馬守宗矩は元亀二年(1571)、石舟斉宗厳の五男として生まれた。最初の
名が新左エ門、のち又右衛門を名のる。十五歳の折には、柳生家がその領地を豊
臣家から没収されるなど、その青春時代にはずいぶんと苦労が多かったらしい。
二十四歳のとき、父宗厳とともに家康に目通りし、そのまま家康のもとに留めら
れたのが運のひらけはじめであった。関が原の役に際しては家康の親書を携えて
柳生に飛び、父宗厳とともに西軍の後方牽制にあたる。

その功績によって柳生の
旧領を賜り,やがて,二代将軍秀忠の師範となった。寛永九年(1632)三月、宗矩
は三千石の加増を得て六千石となり、同年九月には惣目付(後の大目付)に任じ
られて幕閣の中枢にはいった。その行政手腕や人格がいかに高く評価されていた
かを物語るものであろう。後には加増を重ねて一万二千五百石にまでのぼった。
「猷廟(家康公)にも、天下の務、宗矩に学びてこそ大体は得つれことごとに仰
せられし由、この一事にてもその器量おしはかるべし」(撃剣叢談)などと言わ
れている。

武芸、武道、兵法

2020-09-29 05:54:00 | 武道
だが、このような解釈は当時
必ずしも一般的なものではなく、世間で言われていた兵法とは、武芸、それも主
として剣術のことであり、兵法者とは武芸者のことであった。「甲陽軍艦」では
代表的な兵法者として塚原卜伝をあげ、「つかはら原ぼくでんは、兵法修行仕る
に、大鷹三もとすゑさせ、のりかへ三疋ひかせ、上下八十人計召つれありき、兵
法修行いたし、諸侍大小共に貴むやうに仕なす、ぼくでん抔兵法の名人にて御座
候」と称嘆している。

卜伝は、このように威容を整えて諸国をめぐり、各地で弟
子をとっては武芸を教えていたのだから、ここでいう兵法者とは明らかに武芸者
と同じ意味であろう。武蔵や宗矩が兵法の意味を拡大して述べているのは、かれ
らが剣の修行を通じて体得した闘争の原理を、集団の戦闘、さらには政治や社会
生活全般にまで適用しようと意図していたためと思われる。なお、兵法は「へい
ほう」とも「ひょうほう」とも両方に読まれるが、読み方による意味の相違は別
にない。

武芸、武道、兵法

2020-09-28 04:38:43 | 武道
武道という言い方が
現在のような意味で一般化したのは、明治に入って嘉納治五郎が講道館柔道を創
始して以後のことだという(錦谷雪・図説古武道史)。その後の国粋主義的な風潮
の中で,武術,武芸といった呼び方はすっかりすたれ,柔道,剣道,弓道,さては柔剣道
といった言葉が普通に用いられるようになっていった。平方という言葉は、江戸
中期以後には「本朝武芸小伝」の例でみるように,集団先頭における戦略,戦術の
理論を内容とする「軍楽」を意味するようになったが,それ以前には武芸一般のこ
とをも、また剣術のこともさしていた。宮本武蔵はその「五輪書」の中で、兵法を
「一分の兵法」(一対一の個人戦の技術)と「大分の兵法」(集団戦闘の技術)とに区別
して論じている。また柳生宗矩も「兵法家伝書」の序文の中で、兵法には「人と
我と立あふてつかふ兵法」から「国の機を見て、みだれむ事を知り、いまだみだ
れざるに治る」ことまでが含まれると言っている。

武芸、武道、兵法

2020-09-27 02:13:59 | 武道

武芸、武道、兵法といった言葉は、それが使われた時代や、使った人々の考え方
の相違によって、ずいぶん多様な意味をもたされている。ごく常識的にいえば、
武芸とは武士として身につけるべき闘争の技術であり、武道とは、それに論理的
な要素の加わったものと理解してよいだろう。享保元年(1716)に発刊された「本朝
武芸小伝」(日夏弥助繁高著)は、各流派や流祖たちの列伝として、かなり信頼度の
高い書物であるが、ここでは武芸を兵法(軍学)、諸礼(礼儀作法)、射術(弓術)、馬
術、刀術、槍術、砲術、小具足(逮捕術)、柔術の九つに分類している。また江戸
時代に武士の六芸とされていたのは、弓、馬、槍、剣、砲、柔のことで、いずれ
も「武芸」のうちに含まれるものである。次に武道という言葉は、現在では剣道、
柔道、弓道などの総称として、武芸に精神的な要素を加えたものとされている
が、大道寺友山の「武道初心集」(天和年間)など江戸中期の使用例では、明らかに
現在いう武士道、すなわち武士としての論理をさしている。

縄文語

2020-09-26 02:48:38 | 日記
いく らとは「ロシア語でイクラー(魚、両棲類、軟体動物その他の卵)」、いのちとは「ロシア語で似た言葉ユ ーノスチ(若さ)」、からだとは「ロシア語でカローダ(短く太い丸太)」、箱根とは「ロシア語でアグネ(火 を意味する接頭語)」、登呂とは「ロシア語でトロピーチェスキー(トロピカルのトロ)」、昂(すばる)とは「 ロシア語でズボール(集合)」、素晴らしいとは「ロシア語でスパローヒ(オーロラのこと《オーロラを見て 、おおスパローヒと言ったに違いない》)」、雲仙岳は「ロシア語のウニジェンヌィー(しいたげられたに 由来する)」、諏訪湖は「ロシア語でスバァリーツアー(落ちる、ころげ落ちる、災難などがふりかかる、 襲う)」、安曇(あど)川は「ロシア語でアド(地獄)」、尾瀬は「ロシア語でオーゼラ(湖)」、鯛は「ロシア語でタイナヤルィバ (神秘な魚)」、鰊(にしん)は「ロシア語でニーシチエンスカヤルィバ (乞食魚)」、鯖(さば)は「ロシア語でサバーチャルィバ (犬魚)河豚(ふぐ)は「ロシア語で フクースナヤルィバ(美味な魚)。」