昭和24年の12月から翌25年の3月にかけての64日間、楢崎皐月は助手の青年数名とともに、この金鳥山中の狐塚とよばれる塚の近くに穴を掘ってこもっていたという。それは「大地電気」の測定という研究目的のためであった。ある夜のこと、「お前たち、なんのためにやって来たんだ?泉に妙なものを仕掛けるから森の動物たちが水を飲めなくて困っているじゃないか。
すぐに取り除け。それから狐は決して撃つんじゃない。兎ならあるから、ホレくれてやる」と腰に下げたものを投げ出して行ってしまった。「妙なもの」とは微動量検出のために取り付けた装置である。楢崎は言われたとおりに装置を撤去した。つぎの夜、またも漁師は現われた。今度はすこぶる上機嫌。「お前さんたちは感心だ。穴居しなければ本当のことはわからんもんだよ」とほめた上、お礼にと古い巻き物を取り出して見せてくれたのである。それは江戸時代の和紙に筆写したとみられ、80個の渦巻状に、丸と十字を基本とした図象が記されていた。