MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



なんかこうやって、いくつものマスクを購入しては使ってみると言うような状態がずっと続くんだろうなぁと。

もはや、シャツやネクタイを買うような心境で、どうせ使うのなら可愛かったり、機能的だったり、と言うところをマスクに求めるよなぁ。なんだろう、50枚で900円、と言うような不織布のマスクでも勿論良いんだが、そうじゃないものを求めていくのは必然ではないかな。全員が白いシャツを着ることがないようにね。カラーシャツ、着るのと同じ心境だ。

シャツやネクタイは、機能的であることを求めることもたまにあるのであるが、それとはちょっと違って、マスクに基本的な部分で求めていることは、やっぱりマスクならではでのものがある。詰まるところ、最低限、飛沫感染をさせないように、と言うところが大きい。医療用のマスクではない限り、ウィルス侵入を完全に防ぐ事自体は出来ない訳であるから。逆に、自分の口から出ていくものを他人様に飛び散らないようにすることだけが目的となる。だったら、もはや、暑くない、色味が綺麗、付け心地が良い、など、そういったことに目が向けられるわねぇ。言うなれば、マスクしてりゃぁ、なんだって良い訳だ。マスクでさえあれば。


このご時世、誰しもが、知らず識らず、おいマスクしろよな、と言う目を、マスクをしていない人に対してどうしても向けていると思う。逆に自分がしていない場合にはその同僚圧力を感じると言うことは自分も他人にしていると言うことだ。そう言われたり思われたりしないがための、免罪符としてのマスク…。


言ってしまえば、完全に機能的ではないことを皆分かった上で、パフォーマンス的にマスクをしているのとほぼ同義。人に飛沫を飛ばさないと言うことだけで言えば、物凄く近距離で喋ったり、くしゃみとかをしない限り、そんな誰かにツバを飛ばすことなかろう。道を歩いているだけですれ違っていく人から、(こいつ、マスクしていない、、、)って見られることについては、個人的にはかなり否定的。今、ランニングをしている時は逆に危ないからマスクするなと言われているけど、そういう情報にアンテナ感度が低い人は引っかからないから、なんでマスクしていないんだ、と走っている人に間違ったクレームを付けかねない。。。ともすると、それで喧嘩になり、苛立った人同士の場合には喧嘩がエスカレーションして、たかがマスクで殺人事件とか起きちゃうかも知れないよね…。たかがマスクでくだらない。。。時と場合によると言うか、喋りもせずに人とすれ違うような時にそんなバイキンを見るような目で見られるのは、違うはず。


そういう位置付けでのマスクってなんなんだろうねぇ…。
本当に嫌な世の中だ。
武漢研究所のことを隠蔽した中国政府を恨みたくなる。。。


とまぁ、そんなことを思っても仕方ないので、免罪符として、パフォーマンスとして、なんでも良いのならマスクは自分の好みに寄せよう、と。Saqulaiと言うところのマスクを買ってみた。この柔らかな素材のマスク、一回付けた印象としては、とても良かったかな。耳が痛くないし、そこまで暑くない。おいらなんかはヒゲがあるが、そこに汗が溜まることもなかったから。良ければまた買ってみようかなと。

マスクジャーニーだなぁ…w。



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