MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



河合塾の駒場校に現役、浪人の時に通っていたが、東大受験には必須となる現代文を教えていらした、神様の大川先生と言う方がいらした。

いつぞや聞いた話で言えば、お亡くなりになったと伺っている。しかし、20数年たった今でも、その節にお世話になったこと、忘れていないです。講義の際に度々出てきた話だが、先生はお若い時に、八丈島、八丈小島に赴任されていたと。彼の地で教えていらした時に、日中、昼日中、天気が良いと、浜辺で泳いだとか、そんなお話をされていたのがとても懐かしい。もちろん、講義の本論とは関係ないのだが、そういう、先生のお言葉を借りて言えば、『与太話』はたいそう面白かった。先生のおかげで、一浪、二浪とずっと現代文の偏差値は軽く偏差値70超えてましたからねぇ。

そう、そんな話を八丈島、と聞くと思い出す。

奥さんが八丈島に出張に行っていた。実は、昨日からみらんちゃんと共に、奥さんを追い掛けて八丈島へ飛ぶ予定であった。予定、としたのは、詰まり行かなかったからなのだが、それは天候不良だったから。実際、寒くて、雨が降っていたようなので、またの機会にしたいところなのだが、上記のとおり、1993年に浪人をした時に聞いた、大川先生からのお話で出てきた八丈島、それはおいらにとっての原風景のような、行ったこともない昔懐かしい場所なのである。

私はね、八丈からの島帰りだから、そう大川先生が仰っていたのがとても懐かしい。
江戸時代なら流刑地でしたからねぇ、、、
そんな軽口を叩かれている先生は、偉大だったなぁ。

奥さんがその八丈島から帰ってきて、物凄く色々と思い出したな。



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