MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



我々の人生において、覚えてないことは山ほどある。

 

当然、いつ、どのように産まれたのか、喩え目が開いていたとしても、その時に見た風景の記憶のある人は、居ないだろう。いつぞやのタイミングで、所謂、物心ついた時から、なんて言う表現をするが、残念なことに何かが起きたことについて、その確認先としての親の記憶はどんどん無くなり、確かめようがないことがほぼ多数であるため、あれ、実際は?となることも多々ある。その点、昔は文字通りのスナップショットとして、写真を撮り、現像し、アルバムに収めた訳である。記憶の曖昧さの補完手段としての写真である。しかし、アルバムには収められていないことも多々ある。

 

例えば、いつ最後にママからミルクを貰ったのか、など。

 

飲んでいる姿を、仮に写真に撮ったとして、飲まなかったことは写真には撮れない。その意味で、いつ最後のミルクになるか、と毎日写真にでも撮らない限り、あの日をもってミルクを飲んでない、などと言うことはほぼ実証不可能となる。

 

ところで、父親にとっての、我が子に対しての愛情は、母親のそれとは恐らく完全に異なるものであると最近常々思う。もちろん、男親の中でも千差万別で、子供に対してそこまで愛情たっぷりとはいかない親もたくさんあろうかと、、、残念な話だが、事実そうだと思う。母親も然り。先日も就活がウンチャラと言う理由で我が子を手に掛けた鬼畜の報道があったが、子を産めば、即ち母性が等しく、若しくは一定以上芽生える、等と言うのは完全なる幻想である。育ちや教育により、何に重きを置いて生きていくのか、子を授かってすら分からない、者は相当数居るのは事実だ。まぁ、それはある意味仕方ないし、今はその事に深く言及はしない。

 

言いたいのは、うちの奥さんと、おいらは同じベクトルは向いていても、矢印の太さや色味などは異なると言うこと。

 

違って当たり前なので。

 

痛みを伴い、苦労して1年近くお腹の中にいた子を産み出したあとに、うちの奥さんはとてもとても我が子を慈しんで愛情たっぷりに育ててくれている。男には無理なことを、女ならではで苦労して、ね。

 

そんな中の一つに、授乳がある。

 

いや、2020年12月2日水曜日の夜で最後だったのかも知れない。だから、授乳があった、となるのかも知れないのである。完母ではないから、粉ミルクも併用しており、朝ご飯のあとは変わらずフォローアップミルクを飲ませていくだろうが、自分でミルクをあげることを、ひょっとしたらこの初めての泊まりがけの出張を契機に卒業するかも、なのである。本人、まさか、出張前に飲ませたミルクが最後になるなんて、欠片も思ってなかったはず。

 

産まれてから数ヶ月は、夜中、1時間とかもっと短い間隔でミルクをあげてくれたこと、その後安定的間隔でも3時間毎にお腹空いて泣く度に起きてミルクをあげてくれたこと、あまりにもしんどそうだったからおいらがてっぺん超えるタイミングは夜中の仕事を中断して粉ミルクをあけたがやっぱり奥さんは起きちゃうこと、、、とくに奥さんにしか出来なかったこの授乳は、辛かった思い出が多い中、過ぎ去りし日々を振り返ると、仮に卒乳となると、感慨も一入、と言うことだろう。

 

みらんちゃん、あなたは紛れもなく、偉大なる母の多大なる努力、愛情とは別のね、によって大きくなってきているのですよ。

 

将来、もし、おいらのこのblogを読んだら、ママに改めてチュッてしてあげてくださいな。きっと君は通常の日本人よりも遥かにキスをする文化の中で育つだろうけど、その時、ママに対してのキスは、行ってきますのキスとは違う意味を込めなさいな。ママはね、あなたを育てるのに、死にそうな思いを抱きつつ、寝られなくて気が狂いそうになった中でも、全てにおいて君を育てることを最優先で過ごしてきたのですから。

 

ママにしか分からない、授乳をすると言う行為は、真夜中の苦労だったかもだが、実は君を独占していられる最大の幸せのいっときだったかも知れないのかな。

 

やっぱり男親には分からんな…。分からないからこそ、授乳し続けてくれたこと、感謝しかない。まだまだちっこくて、可愛さもどんどん増えていく。みらんちゃんの子育ては始まったばかりだ。この先も2人で大きくしていこうね。



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