
(映 画) 〔画像小はクリック拡大〕
クライマックスは突如としてやって来る。少女、梢はラストシーンで突然初めて声を発する。彼女に関わった人、一人一人の名前を呼びながら、それぞれの貝殻が彼女の手から投げ放たれる。かくも永くあの出来事は、少女の心中で鬱積し苦しみとなって彼女を包み込んでいた。そしてようやく少女はこの貝殻を投げ放つ事によって、その行為によって、やっと自分をその苦しみから解放した。自分のみならず犯人も含めて自分の周りの人の名を呼び、彼女は解放しようとする・・・。
何度観ても、このラストは胸を突いて涙を誘う。あおいちゃんは、この少女役のナイーブな好演により、ここに初めて、‘女優宮崎あおい’を世界に印象付ける事となった。この作品に初めて接した時、その骨太で見事な作品の内容に、日本映画のダイナミズムを感じずにはいられなかった。この作品は、2000年第53回カンヌ映画祭・国際批評家連盟賞、エキュメニック賞等を受賞している。
バスジャックに遭遇したバスの運転手と乗客だった兄妹が、そのトラウマから抜け出すために、いかに克服への経過を辿っていくかという内容で、三時間半を超す長編映画にもかかわらず、最後まで一気に心を引っ張って行く。ただ、あくまでも時間は、静かにそしてゆっくりと、山間の街を過ぎていく。それはあたかも、癒しと復活が、性急な方法と時間を遠ざけるかのごとくに・・。残された三人の中で、大人である運転手の沢井(役所広司)は、その苦しみに耐えながらも直接対峙していく。対照的に、兄、直樹(宮崎将)と妹、梢(宮崎あおい)はその苦しみを内に秘めたまま言葉すら発しない。墓をこしらえたりするが、心の真の平穏は取り戻せないまま映画後半へと続いていく。全編をセピア色の色調で撮り、ラストで梢が貝殻を投げた後に色彩を与える描き方や、青山真治監督の故郷北部九州の言葉を使う事でより現実感をいだかせ、結果として情趣漂う作品となって成功している。
役者、役所広司は、事件の辛い過去と悲しい現実を背負いながらも、不器用ながら誠実に生きる元運転手を好演している。宮崎兄妹はさすがに実の兄妹であるためか息がぴったりで、例えばバスの中で無言でボタンを押すように促す兄のしぐさとそれに呼応した妹の動作など、本当に自然で見事だった。特にあおいちゃんは、この作品では意識的に顔の表情の変化を抑えているが、例えば砂浜で体をそっと横に倒す事で心中の思いを表現したり、指と指を触れて気持ちを伝えたりと、言葉と表情に出せない分何とも云えない情感を漂わす演技で、その切なさを充分に伝えて見事だった。あおいちゃん出演の作品の中には、彼女の母性愛的雰囲気を匂わせるものが後年あるが、失恋で酔って帰った沢井の頭をそっと何回もなでてあげる仕草の自然さは、母性愛的表現をもうこの時既に身に付けているようにも感じて興味深かった。 そして、やはり極みはラストシーン。哀しみ、苦しみを貝殻に込め、名前を呼びながらそれらを解き放つ彼女の声の響きは、この名作『ユリイカ』と共に永遠に私たちの耳に残って行くだろう。この作品は、‘女優宮崎あおい’の存在を広く認めさせることになった記念碑的作品でもあり、彼女の原点とも呼べる作品ではないかとつくづく思う。
クライマックスは突如としてやって来る。少女、梢はラストシーンで突然初めて声を発する。彼女に関わった人、一人一人の名前を呼びながら、それぞれの貝殻が彼女の手から投げ放たれる。かくも永くあの出来事は、少女の心中で鬱積し苦しみとなって彼女を包み込んでいた。そしてようやく少女はこの貝殻を投げ放つ事によって、その行為によって、やっと自分をその苦しみから解放した。自分のみならず犯人も含めて自分の周りの人の名を呼び、彼女は解放しようとする・・・。
何度観ても、このラストは胸を突いて涙を誘う。あおいちゃんは、この少女役のナイーブな好演により、ここに初めて、‘女優宮崎あおい’を世界に印象付ける事となった。この作品に初めて接した時、その骨太で見事な作品の内容に、日本映画のダイナミズムを感じずにはいられなかった。この作品は、2000年第53回カンヌ映画祭・国際批評家連盟賞、エキュメニック賞等を受賞している。
バスジャックに遭遇したバスの運転手と乗客だった兄妹が、そのトラウマから抜け出すために、いかに克服への経過を辿っていくかという内容で、三時間半を超す長編映画にもかかわらず、最後まで一気に心を引っ張って行く。ただ、あくまでも時間は、静かにそしてゆっくりと、山間の街を過ぎていく。それはあたかも、癒しと復活が、性急な方法と時間を遠ざけるかのごとくに・・。残された三人の中で、大人である運転手の沢井(役所広司)は、その苦しみに耐えながらも直接対峙していく。対照的に、兄、直樹(宮崎将)と妹、梢(宮崎あおい)はその苦しみを内に秘めたまま言葉すら発しない。墓をこしらえたりするが、心の真の平穏は取り戻せないまま映画後半へと続いていく。全編をセピア色の色調で撮り、ラストで梢が貝殻を投げた後に色彩を与える描き方や、青山真治監督の故郷北部九州の言葉を使う事でより現実感をいだかせ、結果として情趣漂う作品となって成功している。
役者、役所広司は、事件の辛い過去と悲しい現実を背負いながらも、不器用ながら誠実に生きる元運転手を好演している。宮崎兄妹はさすがに実の兄妹であるためか息がぴったりで、例えばバスの中で無言でボタンを押すように促す兄のしぐさとそれに呼応した妹の動作など、本当に自然で見事だった。特にあおいちゃんは、この作品では意識的に顔の表情の変化を抑えているが、例えば砂浜で体をそっと横に倒す事で心中の思いを表現したり、指と指を触れて気持ちを伝えたりと、言葉と表情に出せない分何とも云えない情感を漂わす演技で、その切なさを充分に伝えて見事だった。あおいちゃん出演の作品の中には、彼女の母性愛的雰囲気を匂わせるものが後年あるが、失恋で酔って帰った沢井の頭をそっと何回もなでてあげる仕草の自然さは、母性愛的表現をもうこの時既に身に付けているようにも感じて興味深かった。 そして、やはり極みはラストシーン。哀しみ、苦しみを貝殻に込め、名前を呼びながらそれらを解き放つ彼女の声の響きは、この名作『ユリイカ』と共に永遠に私たちの耳に残って行くだろう。この作品は、‘女優宮崎あおい’の存在を広く認めさせることになった記念碑的作品でもあり、彼女の原点とも呼べる作品ではないかとつくづく思う。