”あおいの宇宙”

宮崎あおい、その宇宙を旅する

「秀作」 誕生!! 『 ツレがうつになりまして。』-名コンビ “篤姫”超える-

2011-09-27 22:48:59 | 日記
( 映 画 )【ネタバレ注意】[画像小はクリック拡大]







 大分の湯布院映画祭で観る機会があった、映画『ツレがうつになりまして。』・・で、これには、まんまとしてやられてしまった~!!。 佐々部清監督の涙の手腕に見事に捕まってしまったのである・・(笑)。けれどもそれは、心があったかくなる、あァ、良い映画観せてもらったなァ~、そして、ホントにうまい役者さんで良い夫婦だったなァという、満足感に充ち、幸福感に包まれたものだった。
 笑いと涙が短時間に交互に襲ってくるという、今まであまり経験がないストーリーの流れで、もちろん原作の細川貂々さんのコミックのユーモアのベースが基となってるのであるが、それを実際の人間がうまく演じることで、より現実味を持つことに成功し、ここに「秀作」の誕生をみたのである。
 大河ドラマ『篤姫』において篤姫と将軍家定を感動的に演じたお二人、宮崎あおいちゃんと堺雅人くんの、この映画でのあたたかく自然な夫婦ぶりは、この作品の中でも見事に生かされた。そして私の中ではこの映画、既に大河ドラマ中でのお二人の関係を、もう既に超えてしまっている。
 それにしても、あおいちゃんと雅人くんの“夫婦ぶり”、本当に良かったねェ~。既婚者の方は、より分かるかも知れませんが、ちょっと気恥ずかしくなるような、例えば‘お誘いシーン’なんかでの極々自然な演技は、ユーモアと共にこの夫婦に、より親しみをさえ抱かせられるのである。うつを体現する堺くんのきめ細かい、成り切りのウマイ演技。それを見守っていく中で、或いは戸惑い感情を爆発させながらも、ゆとりとユーモアで返して、あたたかく見守っていくあおいちゃんの見事な演技。あうんの呼吸、あうんの演技とはこういうのを云うのだろうと、つくづく思い感心した。
 さきの映画『神様のカルテ』とは異なり、夫をあたたかく見守っていくという点では同じでも、ここでのあおいちゃんは感情を前面に出すという演技で、全く異なった個性を現出させている。ほぼ同時期公開のこの二つの映画は、彼女の演技力の厚さ深さを知る上で、とっても良い作品列だと考える。


 うつという病気を夫婦で克服していくストーリー、ともすれば暗くなりがちな話題を、明るくユーモアを交えながら表現された貂々さんのコミック。実はこの映画を観るまでは、私はこのベストセラーのコミックエッセイを読んではいなかったのであるが、後で読んでみてちょっとビックリした。うつ特有の多くの症例を挙げながら描かれた貂々さんのコミック、それをよくも映画の中のストーリーとして本当に上手くまとめたものだと、つくづく感心した。そしてまた、それに役者さんお二人が極々自然にうまく応えていて、感動を呼ぶのである。多くの方が今もこの病気で苦しんでいらっしゃる事を思うとき、こういう素晴らしい作品を今後も残して伝えていける事は、とっても大切な事ではないかと思われる。


 映画の後、映画祭では続けてシンポがあった。佐々部監督のほか、脚本家、プロデューサーの方々が見えておられたが、どうやら今回の映画の作品の脚本は、青島武さんという方が手がけたようだ。原作をそのとき私は読んでなかったので何とも云えなかったが、原作を読んだ今云えるのは、ウ~ン、この映画での青島さん、確かに大きな力となっておられたと、そう思う。ウマイもんだ。会場で、‘佐々部監督は脚本を書かないで監督に専念してもらった方がいい’みたいなジョークが飛んでたが、今回はフムフムと聞いていた・・まァ、そのとき私は、もちろん何も云える立場になかったもので・・(笑)。でも、あながち・・どうなのだろうかとも思った・(笑)。
 会場からは、さすがにうつに関連した切実な質問等も数多く寄せられていて、監督さんたちが応えていらっしゃったが、聞いている内に、撮影現場はどうだったんだろうかとか、二人の演技については?あおいちゃんは?とかのまたもや卑近な疑問が、にわかに私に起こって来たもので(笑)、ここはあおいちゃんファンの立場として一つ聞いてみようと手を挙げた。まァ、ここは一人くらい、ミーハーとしての質問をやってみようと、まず名を名乗って『篤姫』とあおいちゃんのファンである旨伝えた上で、この作品が‘標題’のとおり素晴らしいものだった事をまず伝えた。それから、下記に記す二ヶ所の点が特に印象に残る描写であった点を述べ、‘肝心の’撮影エピソードを尋ねたのである・・。が、まァ、ちょっと残念なことに、応えて頂いた内容の流れの中で、堺くんの話題が中心となって進み始め、あおいちゃんのそれがほとんど聞けなかったのは、時間の関係もあったかとは思うが惜しかった・・(笑)。
 

 それにしても、佐々部清監督は本当に泣かせどころがウマイ人だとつくづく思う。盛り上げのポイントがウマイのである。個人的には、戦争、サスペンス調ものを扱ったものより、それ以外のものの出来が今のところ良いように思うし、好きだ。『半落ち』『出口のない海』『日輪の遺産』等より、『陽はまた昇る』『カーテンコール』、そして『ツレがうつになりまして。』等がである。

 
 今回の『ツレがうつになりまして。』での映像シーンで特に忘れられないのが二ヶ所あった。
 映画冒頭シーンのイグちゃん(イグアナ)の描写、そのポーカーフェイスの表情にもかかわらず、抜群の存在感を放っている。その秘めたるパワー、『スターウォーズ』のヨーダ、助演賞ものだ。
 そして、これもシンポでも伝えたが、終盤でアニメがとび出すシーン、これ、良かったなァ~~。いかにも映画、映画だからこそ出来る心があったかくなるシーン。佐々部監督、本当に映画がお好きなんだと、心からわかった瞬間だった。
 
                                              (楽天にも同文寄稿)


映画 『 神様のカルテ 』  - 本当の幸せとは? -

2011-09-20 22:35:16 | 日記
( 映 画 )【ネタバレ注意】[画像小はクリック拡大]




 一昔前、当代人気の若手映画スターや人気の歌手のカップルを前面に出した青春映画というものがあった。歌のヒットで歌と同名の映画等も盛んに作られ人気を博したものだった。 
 当代人気グループ「嵐」の櫻井翔君と、人気女優宮崎あおいちゃんを前面に出した映画『神様のカルテ』は、ペアで表紙に取上げられたり、共にほほ笑んで掲載されている幾つかのマガジン等を表面的にみる限り、その昔日のスターカップル掲載のそれが彷彿とさせられる。が、明らかに異なるのは、作品のテーマが恋愛や悲恋を描くことが多かった当時とは違って、社会性を前面に打ち出した作品であるということであろう。
 一方、感動的なこの映画の原作である夏川草介氏著の同名小説を何とか映画化するにあたり、当代人気の両名に白羽の矢が当たったというのが事実だろうし、‘優しい雰囲気を持つ、かっこいい二人’を‘夫婦として観てみたい’等という卑近な気持ちが生じたのも、個人的事実でもあり、そういう意味では、或いは製作者の意図にまんまとのせられてしまったのかも知れないが・・・楽しみに鑑賞した・(笑)。

 
 主人公、栗原一止、通称イチ(櫻井翔)は松本市内の病院に勤務する内科医。内科医とは昼間の名目だけで夜間は救急医に変更、24時間365日対応の看板のもと3日間寝ない日もめずらしくないという状況で、夜勤明けでクタクタの場面から映画はスタートする。その後、上司の薦めで大学病院を視察研修。そこで、医療従事者としての地方の病院との大きな落差を感じ取り、同僚の意見等を聞くなかで、自らの医師としての進路に悩むことになる。しかし、受け持った死を目前とした患者、安曇雪乃さん(加賀まりこ)等との触れ合いを通して自らの生き方を決断していくことになる。
 ところで、イチには、激務の仕事からひとときの安らぎを得られる大切な場所と大事な人々がいる。それが、彼が住む御嶽荘とそこに住む彼の妻で風景写真家、栗原榛名(宮崎あおい)であり、同荘の住人、学士殿(岡田義徳)と男爵(原田泰造)である。 特に妻、榛名ことハルは、世界を叉に掛け活躍している風景写真家としてしっかり自立した女性であるだけでなく、妻としてイチに心優しく寄り添ってくれる女性でもあり、安らぎの源ともなっている。
 それぞれ独特の個性を持つ学士殿と男爵も、長いつき合いから心を許せる友として、イチの心を支えているのである。

 
 この映画では心を打つシーンが数多くあるが、より強く心に残るシーンは次の三ヶ所であった。
 一ヶ所は、学士殿が道半ばで実家に帰るため御嶽荘を出て行くシーンである。学士殿が自らの身分を明らかにするくだり、そして、出かける時に残りの者たちが彼を桜で温かく見送るシーンである。ここでの役者さん達の演技は、皆本当に素晴らしい。
 また、一ヶ所は、原作にはない安曇さん自らがしたためた延命治療を望まない文書を前に、イチがそれに沿って、途中苦しみながらも最後にはっきりと決断を下すというその過程。胸を打つ。
 そして、最後の感動のシーンは、イチが残された安曇さんの彼にあてた手紙を読むシーンである。そこで題名ともなった、カルテの意味が語られる。

 
 ところで、主人公、一止役の桜井翔君。全体を通して原作に沿った一風変わった古風な喋り方で、その抑えた演技はなかなか好感が持てた。今回役者として学ぶべき事柄はけっして少なくなかったかと思う。自ら医師としての苦悩を語りながら、御嶽荘を出て行く学士殿を励まずシーン等は本当に胸を打った。
 また、そこの場面での、あおいちゃんのバンザイのシーンは本当に良かった。
「バンザイをします!」というタイミングと、その声音が素晴らしいのだ!!
たった一言の「バンザイをします!」の中に、“あのー、本当に僭越ですけど、でもどうしても、どうしても、ここでバンザイをしたいのです。ぜひ、してさし上げたいのです・・”との言外の熱い気持ちが、頂点に達した熱い感情が、間違いなくその一言に入っていたし、入れていた・・・。やはり凄い女優さんだと、私は思った。

 
 それにしても、この作品に出演する役者さん、すべてが見事に自らの役を演じていて素晴らしかった。安曇役の加賀まりこさん、さすがの熱演であった。
 映像もとっても美しい。長野松本の自然が見事に捉えられていて心が安らぐ。ただ、もっともっと多くの風景を観たかった、かナ・・(笑)。
 忘れてはならないのが音楽である。ピアニスト、辻井伸行氏作曲演奏によるその軽やかで心を打つ調べは、作品の質を大いに高め、感動的なものだった。

 
 今回の作品の中では、あおいちゃんの演技スタイルは徹底的に一つの姿勢を貫いていた。それは夫であるイチをずっと見守り支えるという姿勢である。心に重い荷を背負っているイチの、その荷を少しでも軽くしてあげようと寄り添う姿勢。この映画におけるハルの役割を瞬時に判断し、その一貫した演技を選択した宮崎あおいちゃんの、役者としての感性の鋭さをあらためて認識したし、‘菩薩さま’のように優しく見守る彼女が、この作品の中で悩むイチとの対比おいて、いかにバランスが取れて全体としての安らぎの効果を生んでいたかをみれば、その演技姿勢がいかに正しかったかが明らかである。或いは、監督さんとの話し合いの中で、その姿勢の維持に理解を求められたとも聞くが、その英断、アッパレとしか云いようがない。

 
 監督は深川栄洋氏。『60歳のラブレター』『半分の月がのぼる空』『白夜行』等の作品で知られる34歳の俊才である。これらの作品では、時間の経過で感動を呼ぶ、独特の魅力ある作品を作り上げていたが、今回はじっくりと現今の医療、そして友情に焦点をあてて見事であった。基本的には原作に忠実であり、映画制作上、内容の若干の変更と省略がなされているが、全く問題ない。特に変更により、映像として明確にされて好ましくなった箇所もあったようだ。
 特に映画冒頭シーンの描き方は印象に残った。
夜勤明けでクタクタのイチと病院内の状景。そこに山頂で日の出を捉えようとカメラを構えている風のハルの映像。これらを対比的に交互に観せることで、瞬時に映像としての厚みが感じ取れ見事だと思った。ただ、御嶽荘の住人の絆の強さが、最初にもう少し提示されれば、なお一層分かれのシーンが生きたのではないかとも思ったが・・。

 
 研究機関、医局としての大学病院と地域医療を担う地方病院との関係。そして地方病院における医師不足と終末医療の実態。友人との別れ。そういう中で、何が最も大切なのか。進行形のものがあるだけに、問題は切実だ。
 この作品はけっして内容的にハデなものではないし、特に大きな事件が起きるわけでもない。けれども、静かに熱く心に残る忘れ難い作品となっている。この作品の中で、一人の患者さんを通して、或いは友人を通して、いったい幸せとは何なのか、自ら問い続けるべきなのかも知れない。               
                                                 (楽天にも同文寄稿)


宮崎あおいちゃんの魅力 7

2011-09-04 08:40:03 | 日記
( エッセイ )[画像小はクリック拡大]




 宮崎あおいちゃんの魅力について触れた言葉、印象が残った言葉を、雑誌やネットからまた少し拾ってみました。前回と重複もありますが、うまく表現をされてるなァと思わず感心したことがたくさんありました。





 スクリーンやTVで、或いは時おり舞台で観るあおいちゃんには、本当にハッとさせられる事があります。万一目の前で直接彼女を目にしたら・・。或いは次のような感慨に浸るかも・・(笑)。


“ 扉が開くなり、スタジオ内の空気がピタリと止まる。扉の前に立つ宮崎あおいの燐とした佇まい。国民的女優が放つオーラ、圧倒的な存在感。扉のこちら側にいる誰しもから、感嘆のため息が漏れる。・・・”

                                  (ストリートジャック誌、本年10月号より抜粋)




あおいちゃんを漢字二文字で表現するとしたら・・・


 『 孤 高 』 ・・・  誰とも違う、誰にも真似できない演技を持っているから。
                          
                                              青山真治さん
                                             (『ユリイカ』等の映画監督)
 
 『 無 二 』 ・・・  『宮崎あおい』さんは、『宮崎あおい』さんだから。
             その場に存在される方で、唯一無二の存在。
                          
                                              高良健吾さん
                                             (『ソラニン』で共演。俳優)
 
 『 静 謐 』 ・・・  この年齢の女性からは考えられないくらいに穏やかで
             落ち着いています。そして、この字の持つ複雑さもきっ
             と内面に持っている女性だと思います。

                                               佐々部清さん
                                     (『ツレがうつになりまして』の映画監督)
 
 『 水 晶 』 ・・・  直観力に優れ、彼女の心の鏡には、いろんなものが映し出されているにちがいない。
            まるで水晶玉のように。                 
                                               室井 滋さん
                                         (ドラマ『純情きらり』で共演。女優)
 
 『 陶 然 』 ・・・   彼女とは、ドキュメンタリーのナレーションが仕事でのつき合いですから、
             私の中では「宮崎あおい=語りです。必然、彼女の語りを表現することが答えです。
             気持ちよく酔えて染み通ります。 
                            
                                               味谷和哉さん
                                     (「ザ・ノンフィクョン」プロデューサー)
               
 
  味谷さんがおっしゃってますように、ご覧になられた方はお分かりのように、あおいちゃんのナレーションは実にその情景を踏まえ、謙虚に温かく語られます。
同氏はその語りでのエピソードを次のように記されています。

 “7年前に、初めてナレーションをお願いしたとき、まだ「知る人ぞ知る」存在でした。彼女の起用に、現場から反対の声もありました。
しかし、第一声を録ったとき、全員が顔を見合わせて納得。今では「伝説」になっています。”

                       (以上すべて、株式会社ACCESS社「女優美学Ⅱ」より抜粋)


  ところで、このナレーションの仕事について、朝日の記者が彼女へインタビューして記しています。


 “俳優宮崎あおいが、若手の一人だった時代から大切に続けているナレーションの仕事がある。フジ系で日曜午後に放送しているドキュメンタリー「ザ・ノンフィクション」だ。2004年5月・・・デビューし、これまで20回以上担当した。・・・
 ナレーションで心がけているのは「シンプルに読む」。「私が伝えたいというより映像やいろんな人の言葉で伝えたいことがあふれているのでサポートが出来ればいい。お芝居と違って顔が映らず、動きがない分、声の仕事は難しい。毎回勉強ですね」
  7年近い歳月で、実力派の若手は国民的俳優に駆け上がったが、本人の意識は変わらない。「楽しく仕事をさせてもらってすごく幸せに思う。変わったのは、責任感とか、一緒に仕事をしているすごい人たちに恥じないようにとか。できないことだらけで、何をみても勉強になるし、もっと可能性があると思えるんです」”

                           (以上、2010.10.29朝日新聞「記者レビュー」より抜粋)

 
  自分が本当にやりたいことは、変わらずにずっと続けていく。それが目立たないものであっても。
 ここにも宮崎あおいちゃんの、一本筋が通った生き方のすばらしさを思います。




 
【宮崎あおいの存在は「静かな革命」だ。宮崎あおい以前に宮崎あおい的な女優は存在せず、宮崎あおい登場以後は日本映画の流れが変わっていた。】

 
 “ ・・・「篤姫」の後だから、どれだけ民放ドラマのオファーがあったことか、どれだけバラエティ番組のオファーがあったことか。
しかし宮崎あおいは沈黙し、ひたすら自分の信ずる映画の撮影に徹する。
このような生き方を「美しい」といい、そして長らく続いた悪夢のような「商業絶対主義」の芸能界にとって「革命的存在」だというのである。”

 
 【映画を愛し、映画に愛される宮崎あおいの見事な生き方。】


 “まあ、それにしても宮崎あおいというのはその腹の据わり方、恐るべき女優であり、恐るべき女だと思う。「篤姫」出演で思考停止マスメディアによって冠せられた「国民女優」異名など嘲笑うかのように、「篤姫」以後は舞台を一つこなした後、いつものように映画の世界に埋没している。「篤姫」の後どれだけ宮崎あおいの元に民放ドラマのシナリオが送られてきたかは知らないが、間違いなく尋常な数ではなかっただろう。「宮崎あおいに棄てられたドラマシナリオ」という本を出してほしいくらいだ。「メラニー・ロランは映画を愛し、映画はメラニー・ロランを愛す」。宮崎あおいも映画に愛されているのであり、少なくとも映画を愛さない人間が映画に愛されることはない。”


                             (以上すべて、末尾ルコ(アルベール)さんの文章より。)


 女優あおいちゃんを、末尾さんは鋭くそして的確に捉えておられ、そのすばらしい良識の高さに、大きな安堵感と希望を私はいつも抱かせて戴いております。

                                                  (楽天に同文寄稿)