KOBE Diary

神戸から、愛する人たちへ。

タイの色・日本の色

2007-03-17 | Weblog
なぜこうも色彩が異なるのか?
3月7日までの約10日間をタイのバンコクで過ごし、ぼくはその色に酔うほどだった。
原色というのではない。赤ではなく「やや赤っぽいピンク」、青ではなく「やや淡い青」、黄ではなく「ややレモン系の黄」。すこしパステルっぽい色彩が、バンコクのつねに煙っているような空の下で、それぞれの存在をはっきりと主張していた。

けれども、帰国し降り立った朝の関西空港で、ベイシャトルで神戸空港に向かい、さらにポートライナーの中から見た神戸の風景は、青い空の下で見事なまでに白っぽいグレーに染め上げられていた。
極論をいえば、色彩はまるで「ポイントマーカー」のように使用されているだけだ。

タイと日本。その色彩感覚の差。それを感じるのは、おそらくぼく一人ではないだろう。
タイだけではない。東南アジアは概して原色に近い色にあふれている。
南だから? 光が強いから? 自然の中にもともと原色があふれているから?
それらは、もっともらしい理由のようでいて、実は少し違うのではないか。

いわゆる近代における西洋文明化の中で、とりわけ第2次大戦以前は、日本もタイも、おそらく同じような色彩があふれていたはずだ。その圧倒的多数は土の色・木々の緑色、そして人工物としての石の色だったのではないか。
建築物は、タイも日本も、王宮や寺院など特別な建物には金や赤を採用している。だが一般の建物はそうであったはずがない。
モノにペイントするのは、現代社会に入ってからのことだ。

おそらく…、とぼくは思う。
西洋文明化とは、ようするに欲望を解放する文化を摂取することだった。
その過程で、タイの文化は「パステルっぽい原色」を選び、日本の文化は「無個性な色」を選んだ。

タイ国民の60%は女性だという。そして女性の社会進出率は日本とは桁違いに多い。現実に、ぼくが出会った役職を持つオフィスワーカーの半分以上は女性だった。
そして「かわいい」という感覚が、実に日本とよく似ているような気がする。
それが、つまり「パステルっぽい原色」が街に氾濫している理由ではないか。

では日本はどうか。女性が社会に進出しているとはいえ、それはまだ過渡的な様相だ。街の色彩が女性の好む色を当然とするには、まだ時間が必要だろう。
それに何より、日本の民衆はまだ「精神的な自立」を十分果たしているとはいい難い。社会人となって、個性や差異を主張することには、まだ勇気が必要だ。

これらはまだ「感想」の域を出ないが、そうした違いが色彩感覚に現れているといえるのではないかとも思う。

尼崎におけるJR西日本の事故は、まさにそうした「精神的自立」を果たしていない日本人を象徴する出来事だった。
「人間生命の尊厳」よりも「経済効率」を優先し、心ではどこか「これではいけない」と思いつつも、企業の方針に従い続ける労働者側の精神構造。それは労使双方の問題だ、とぼくは今も思っている。
そうした精神風土に風穴を開けなければ、関西にも神戸にもルネサンスはない。
違うだろうか。