芳彩の歳時記

母から娘へ、そして孫へ  伝えたい生活の中の礼法

四十一候 天地始粛

2011-08-30 20:40:08 | 七十二候

「てんちはじめてさむし」

「粛」は略本歴では「さむし」と読ませていますが、
宣明暦では「しゅくす」「しじむ」と読ませています。
衰えるとか、縮むという意味です。
ようやく暑さが鎮まるということです。

本当に、朝夕は快い秋の風を感じます。


四十候 綿柎開

2011-08-26 05:32:13 | 七十二候

「わたのはなしべ ひらく」

「柎(はなしべ)」とは、萼(がく)のことです。
綿は、アオイ科の植物で、淡い黄色の花が咲きます。
しかし、私たちが綿の花「綿花」と読んでいるのは
この花のとばかりではなく
花の咲いた後に実る青い実を包んでいる
ふわふわのまっ白い毛を「綿花」と読んでいます。

種子を大切に守る「綿花」はふんわりと温かです。
綿は、私たちの生活も守ってくれていたような気がします。
今では、家庭で布団の打ち直しをすることもなくなりましたが、
子どもの頃は、母や祖母が手ぬぐいをかぶり、
布団の打ち直しをしていた記憶があります。

「処暑」季節を送る風を感じて過ごしたいものですね。


三十九候 蒙霧升降

2011-08-19 03:15:34 | 七十二候

「ふかききりまとう)」

「蒙霧(もうむ)」もうもうと立ち込める霧をまとう季節ということです。
霧は、空気中の水蒸気が急に冷やされて出来るので、
特に盆地で発生しやすいようです。
同じような現象でも春は霞と言い、秋は霧と言うのです。
霞はうららかな感じで温かさを感じます。
霧は、ちょっと物哀しげな感じですね。
自然と共に暮らしてきた日本人の素晴らしい表現力です。
そんな先人の心を受け継ぎ、
季節を感じて暮らしたいものだといつも考えております。

昨日、還暦を迎えようとしている友人から携帯のメールを頂き、
えっ・・・
件名:「暑中お見舞い申し上げます」・・・
確かに連日猛暑ですが・・・晩夏です。

年上の方に立秋を過ぎたら「残暑」ですとは言えず
「ゆく夏、どうぞご自愛ください」で締めくくりました。

先日は、若い友人から
「秋の節供にかこつけて飲み会をしましょう」と
パソコンにポンとメールが入ってきました。

メールが主流の時代ですが、季節の言葉の大切さを感じます。


三十八候 寒蝉鳴

2011-08-13 01:18:35 | 七十二候

「ひぐらし なく」

蜩(ひぐらし)が鳴き始める頃ということですが、
蜩は、6月の終わりころから鳴き始める夏の蝉です。
日が暮れてから鳴くことからついた名前だそうです。
早朝や曇った日にも鳴くそうですが、
昼間は鳴かないそうです。

「カナカナ」と高く澄んだ鳴き声は物悲しげに聞こえることから
秋の蝉といわれるのでしょうか。

「寒蝉」は、中国では「つくつくぼうし」を表します。
今では、このつくつくぼうしの方が秋を告げる蝉とされています。

娘が幼稚園の頃、車の中で蝉鳴き声の入った
カセットテープを毎日聞かせ、「今の蝉はなあに?」と
蝉の鳴き声を聞き分けさせたことを思い出しますが、
最近は、蜩の鳴き声を聞くことも少なくなったような気がします。


三十七候 涼風至

2011-08-09 00:35:25 | 七十二候

「すずかぜ いたる」

暦のうえでは立秋に入りましたが、
連日猛暑でクーラーのないところでの
仕事は毎年のことながらとても辛いです。

「秋」の語源は、食べ物が飽きるほど実る
草木が赤くなる、天候が明らかなど
豊かな秋を表現しています。

着物を着る機会の多い私は、
夏の着物が大好きです。
冬よりも着物を着て歩いていると
お声をかけられることが多いのです。

先日も日傘をさし、信号待ちをしていると
「着物は暑くないですか?
とても涼やかにお召しになっていらっしゃいますね」と
見知らぬ人から声をかけられました。

夏の着物は、周りの人に
「涼」を与えるように着ることが 
着物を着る者の使命と考えています。

   


三十六候 大雨時行

2011-08-05 02:04:44 | 七十二候

「たいう ときどきふる」

私の居るところにだけ
局地的な雨が降っているかのように
毎日、雨に降られています。
干してきた洗濯物を気にしながら帰ると
全く降っていないということです。
周りの空は明るいのに
私の居る所だけ、モクモクの入道雲だったような・・・

「入道」は、仏門に入られたばかりの
頭をまるめた僧侶にたとえられた雲です。
大きな心を持つ僧侶だけあって
叩きつけるように降ったかと思うと
さっとやんで、涼しさを与えてくれます。
ちょっとした、夏の贈り物のようですね。