every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

Extra K.I Virusが伝播したもの

2009-11-18 | TECHNO
4日はケン・イシイ15年祭へ。
この日のageHaのアリーナは
DJ WADA → 石野卓球 → Ken Ishii → Derrick May
というおよそ00年代とは思えない布陣。

WADAさんのピークらしいピークはないのだけれど、クリックの静かなグルーヴが巧みに繋がっていくプレイはまだ序の口だと思って軽くみたら低音火傷を負いそうだ。
ヤバい!

時間が深くなるにつけ、マッドな展開になり、気がついたら石野氏へ。
この人は物凄くポップセンスがある人なのに、DJとなるとここまで深い"沼"を作り出す。
近しい人が「石野卓球の作品はどれも素晴らしいが、まだ彼のキャラクターほどのヤバい作品は出せてない」といっていたが、それも頷ける度量だ。


この日のageHaはケンイシイ15周年だからといってテクノ・テクノした客層で埋め尽くされたワケではなかった。
それこそエントランスで「えっ、今日卓球とケンイシイなの! ヤバくない!? 」というような会話を耳にしたし、大半の人はケンイシイのデビュー時には小学校
にも行ってなかったんじゃないか。

ageHaというハコのお客さんということもあるし、ケンイシイが一般的な"夜遊び層"にまでリーチする人気を持っているという証でもあるのだろう。
ギャル汚からテクノマニア、『Garden On The Palm』に驚いた人からイビザNo.1 DJとしてのケン・イシイをしった人まで。
あの広いageHaのアリーナを埋め尽くす人たちの両手を挙げて、歓喜のダンスを躍らせたのは代表曲「Extra」。



Ken Ishii - "Extra" (1996)

この曲、諸手を挙げてシーンに受け入れられたし、実際当時のメディアでは大絶賛でしたが、リアルタイムで聴いていた人間からすればそうでもない、というのは証言として残しておきたい。

「Tangled Notes」や「Puneuma」こそがケン・イシイに求めていたことだったし、Jeff Millsの野獣のようなDJの衝撃が強かったので「Extra」の展開の多さ、なによりKickの弱さ(補足すると、当時は808か909でなければフロア仕様に耐えられないという民間伝承があった。…あれ、なんだったんだろう? )は諸手を挙げて受け入れられるモノではなかった。

勿論、今でも言われるようにシーンの中でヒットしたし、ここぞとばかりに掛けられた「Extra」はその夜の最高の瞬間を演出した。

何年か前のW横浜アリーナや14日のageHaで当時の「Extra」に心躍らせた人より遥かに多い数を躍らせているのを見るにつけ、"ジャパニーズ・テクノゴッド"は天才でもなんでもなく、ただ只管に努力を重ねて来た人なのだなぁという思いに駆られる。

あのブッコミの嵐だった『Mix Up-』の10年後に彼が世界的DJとして活躍していたなんて誰が信じられる!?

デビューライヴがアムステルダムのレイヴだったというケン・イシイが世界各地のフロアで掴んだ物が結実したのが「Extra」だと言う。

「Extra」に限らないんだけど、今もフロアで掴んだ物を結実しつづけているのだろう。
世界中のダンスフロアからのインフルエンスを吸収し、強力化させ伝播させていっているのだ、ケン・イシイという人は。



……そういやぁ、K.Iウイルスってあったなぁ。


コメントを投稿