every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

YAZAWA

2009-12-04 | 映画


映画の日に『E.YAZAWA ROCK』を見てきた。

ヤザワならポンギでしょ、ということでTOHO CINEMA 六本木で。
流石ブルーレイのCMに出ているだけあって、デジタル・プリントで綺麗な画面でした。
計算された無精ヒゲもミリ単位でばっちり。

ことさら強調されていたかのような額の汗のニオイも漂ってきそう。
いや、ことさら漂ってくるのは汗臭さよりも、強烈なまでの自己愛だ。


ご存知の通り矢沢永吉は自ら「ヤザワは~」と第一人称に自らの苗字を使う。
「オレはいいけどヤザワはダメだな」という言葉も残っているくらいだ。


かつてビートたけしは「どんな時でも自分を俯瞰して見ている自分がいる」というような意味のことを言っていたが、おそらくヤザワもそういうことなんだろう。

何事も成功するには客観的な情報というのは必要不可欠なのだ……とすると、成る程、彼らが成功した理由が良くわかる。



映画としては還暦を迎える矢沢永吉というひとりの人間の半生を追う…というよりも、前人未到の武道館百回公演を果たしたロックンロール・スター=ヤザワのライヴ・ドキュメントといった内容だった。

正直、2時間近くヤザワの音楽を聴いても参加したミュージシャンが口々に口にするような素晴らしさは感じることが出来なかった。



この文章を読んでいいただいている方には、過去にエントリーしている内容からして筆者がロックと縁のない人間だと思われているだろうし、そういう部分もあるから……だと思った。

帰りがけ、iPhoneに入ったストーンズやWhoを聴きながら考えた。

自分はロックに対して距離があるのではなく、ロックンロールに対してあるのだな。
つまりそれはリーゼントや革ジャン(キャロルのデビュー時のスタイル!)に象徴される不良性に対しての距離感だ。

広島で過ごした貧しい少年時代の悔しさとそこから成りあがろうとする強烈までの上昇志向。

多分、それが自分に最も欠けている部分なのだろうし、もしかしたら今の日本からも失われつつあるものなのかもしれない。


『E.YAZAWA ROCK』はツアーのリハーサル風景から始まる(↑の写真がその一こま)。

自ら演出も手掛けるロックスターの完成度の高いパフォーマンスに対する情熱が伝わってくるというわけだ。

『This is it』、『アンヴィル』と見てきたから尚更思うのだけれど、裏側を見せすぎではないだろうか?

流れるように弾かれるピアノやギターも、パッションが沸き起こった結果に見える歌声も日々の練習の賜物……と(全国規模のロードショーのような公の場で)声高に喧伝するのはするだけ野暮ってものじゃないだろうか。

それはひょっとすると、その気になればどんな音楽も無料で手に入ってしまう環境や粗悪な音質の着うた、使い捨ての着せ替え人形でさえもアーティストと呼んでしまう風潮が音楽に対する敬意を下げてしまったことへの反動なのかもしれない。

それが意図されたモノかどうかはわからないけれど。

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