every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

Moritz Von Osward @ RBMA

2014-03-09 | TECHNO
2014/3/4 恵比寿リキッドルームで開催されたライヴ・イベント。

モーリッツ・フォン・オズワルド(Moritz Von Oswald 以下、MVと略す)とアフロビートの巨匠=トニー・アレン(Tonyy Allent)という豪華な、しかも平日一夜だけのライヴというリズムの快楽に身を負かすような人々にとってみれば、決して無視のできないセッションだ*実際にはMAX LODERBAUERは急病で欠席、代わりを務めたと人はMoritzの甥っ子とのこと)。

そのライヴをまえにRed Bull Music AcademyによるレクチャーがTime Out Cafe & Dinerで催された。今年秋にいよいよ東京でもRBMAが開催されるわけだが、こういうレクチャー/セミナーがいっぱい聞けるのだろうか。ワクワクする。



以下の文章はBLOG管理人が実際にそのレクチャーの参加してメモ書きしたものを基に書いています。
司会の渡辺健吾さん、同時通訳の方々、共に優しく簡潔に伝わるように勤めていらしたけれど、生で進行する話なので聞き逃し、勘違いもあるかとは思う。しかしながら、このBLOGにおける文責は自分にあります(念のため)。

レクチャー自体も短い期間で準備されたようだし、当日の時間が足りない部分もあったのではないかと思う。冷静になると「あれはなんだ?」と新しい疑問が出てくる。

それでも限られた時間の中でMV卿は秘密のベールを被ることなく、ひとりの好々爺として話してくれた。何年か前に患われた病気の後遺症か楽屋からステージ中央の椅子に座るまで、スムーズではなかった。しかし、落ち着き払い気品の高い佇まいで落ち着き払い、司会者に促されるままに自らの生い立ちを語り始めた。

ここからはMVの発言から当日ワタクシがメモ書きしたものを列挙します。文責は私にあります。細かいニュアンス、単語の間違いなどないように努めましたが、勘違い漏れもあるかと思います。ご容赦ください。


Moritz Von Oswald Mark Ernestus

ハンブルグで生まれ育ちました。
幼い頃からピアノをはじめとした音楽教育を受けてきました。
大学でクラシック音楽やオーケストレーション、オーケストラにおけるドラムなどを学びました。
母親が付けてくれた(音楽の)教師の影響でジャズを聴き始めました。この先生に未知の音楽、聞いたこともないような音楽を紹介されてという経験があるからこそ、若い人たちにもいろいろな音楽を伝えたいという思いが芽生えたのかもしれません。



父は弁護士になるべきと言っていましたが、学校で学んだドラムとジャズへの興味からドラムの道を選びました(最終的には両親も応援してくれた)。学ぶ前からドラム演奏を自分のものにできる確信を持っていました。
学校では生演奏の素晴らしさとその録音についても学びました。
今でもリズムは非常に重要です。たとえばTVを見ていても流れるCM音楽などに合わせて自然とリズムをとってしまうんです。リズムは自分の一部と言えます。



パレ・シャンブルグはスペシャルなプログラムでした。
以前から友人であったトーマス・フェルマンに誘われ参加しました。シンセサイザー、エレクトロニクスを教えてくれたのもトーマスです。パレ・シャンブルグを通じて音楽のコミュニケーションを知りました。

そのうちレゲエ(これは以前からも聴いていましたが)ヒップホップなどクラブ・ミュージックに惹かれ始めました。トーマスのプロジェクト“マラソン”です。ループというアイディアに惹かれました。

ハンブルグ時代からレゲエは聴いていました。レコード屋で働いていた友人(彼は後にWEAのトップになりました)が入手が困難な音源も手に入れてくれたんです。彼はマーケティングにたけているだけでなく、音楽を愛している人間でした。そのふたつを両立させるのはなかなか難しいものなんです。


*司会者がMaurizio mixをかけると「Carl CraigのVer.も聴きましょう」。

『E2-E4』(これは素晴らしい作品です)を手がけたマニュエル・ゴッチングのプロジェクトをループに用いた曲です。プロデューサー(ゲッチング)に聞かせたら「このハイハットはいいね」と言われましたよ(勝手にループを用いたわけでなく公式リミックス?)。

「プロデューサーがトラックを作ったとしたら、何時間も繰り返し聴いて、それでも良いと思えたら、それは良い曲なのです。」
「"Domina"(maurizio mix)"のループは何時間も何時間も繰り返し聴きました。このトーンはジャズと近いと思いませんか? 」



カール・クレイグやホアン・アトキンスなどデトロイト・テクノのプロデューサーたちと初めて会ったとき、彼らの音楽の愛情を強く感じました。特にURには感銘を受けましたし、URは強力でした。

音楽を通してコミュニケーーション出来ることを確信していました。マーク・エルテネス(ハードワックス)がベルリンとデトロイトの橋渡しをしてくれたんです。私はただの客でしたが、マークやHARD WAXを通じて知った音楽はURやKMSなどどれも面白いものばかりでした。
マークはそういう(状況、場を)セットアップするのが好きだったんです。トレゾーのディミトリーもそうです。
ベルリンでハードワックス、トレゾーが有機的につながって、だんだんとシーンができて行ったんです。


(『Tresor II - Berlin & Detroit - A Techno Alliance』が出た時期は)ベルリンにとって特別な時期でした。

ベルリンの東西統一といった政治的背景と音楽が結びついていました。東ドイツ地域でソロで演奏したりもしましたよ。皆非常に友好的な雰囲気でした。



「このメロディはいまでも気に入ってます。ウエストバムも気に入ってくれて。違った背景を持った人達が聴いてくれるのがアメイジングでした。」
「このレコードは通常とは違い内側から溝が始まります。これはデトロイトのNSCでカットしました。NSC唯一無比の技術でした。カッティング・エンジニアのロン・マーフィーが手がけたんです。そこからエンジニアリングという領域に足を踏み入れることになりました。」


「当時のドイツではクラブ・レコードを誰もカットできませんでした。全てデトロイト(ロン・マーフィ)から学んだんです。会社を設立して( Dubplates & Mastering)カッティング、ミキシングを探求しました。それを実践するためにも<チェイン・リアクション>を設立したんです。

<ベーシック・チャンネル>は秘匿主義ということではありませんでした。ただ私もマークも業界(ポップ・ミュージック)の一部として消費されないことに同意していました。戦略というよりもインタビューや取材などを受けたくないから受けなかっただけというほうが近いと思います。
『Re:COMPOSED』はメジャー(ドイツ;グラムフォン)からのリリースでしたし、応じました。


「Round」シリーズについてですか。正直、よく覚えていません(笑)。ただロン・トレントとシェ・ダミエは当時からチームでした。ポップではないボーカル・トラックをつくろうと思い、それはティキマントのコラボや<Mシリーズ>のトラックへと発展していきました。


「あなたにとってインスピレーション元はなんですか?」という会場からの質問に応えて。
インスピレーション元は探究心です!

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