《落日菴執事の記》 会津八一の学芸の世界へ

和歌・書・東洋美術史研究と多方面に活躍した学藝人・ 会津八一(1881-1956)に関する情報等を発信。

【番外編】湯浅誠さんの講演を聴く@日本子ども学会

2019年04月20日 | 日記
慶應義塾三田キャンパスに、日本子ども学会主催の講演会「こども食堂の現状とその意味と価値」を聴きに行った。講師は湯浅誠さん。
1時間の講演ののち、同じ時間の質疑応答が設けられた。
 
湯浅誠さんのことは、民主党政権下の年越し派遣村の件で知り、爾来、尊敬してその著作や記事を読むように努めてきた。氏のモットー「民主主義を再考し、誰もが尊重される世の中をつくりたい。」は、忘れられない言葉だ。
 
東大院卒ということで、学究的な方なのかと思っていたが、現場で汗をかかれてきた雰囲気がにじみ出ていて、それに驚かされた。またとても溌剌とした、前向きで、温厚なお人柄にも勇気付けられる。今は、東大の特任教授をしつつ、NPO法人の理事長も務められているという。
 
こども食堂は地域の人によって運営されている、主にこどもとその親向けの食堂で、低廉な価格もしくは無料で、夕食が提供される、地域づくりと子どもの貧困対策のための場なのだと思う。例えば子供は無料で、大人は500円、週一度開かれるというようなイメージだろう。もちろんいろいろな在り方がある。
 
講演では、こども食堂の目的として①人と人がふれあう、やさしくて、あったかいにぎわいを地域に創る(地域交流の促進)、②その時に、お金やつながりがなく、にぎわいからはじかれる子どもをつくってはならない(子どもの貧困対策)、この2点が重要というお話があった。
 
なぜ食堂を開くかというと、「誰が行ってもよい場所をつくる」ことを目的とするからだという。なるほど「ここにくるからには、あなたはお困りなんですね」といわれるところ(相談窓口等)に、行きたがる人はそうはいないだろう。また貧困は、「つながりがない・お金がない・結果として自信がない」人々を生んでしまうという。
 
またこども食堂は「多世代交流拠点」であり、そこにいるだけでよい「いるだけ支援」という支援でも有効だという。
 
湯浅氏が幼いころ、身体障がいをお持ちの兄上と同居しており、兄上のため、大学生のボランティアが自宅を頻繁に訪れていた。湯浅少年が接した初めての大学生がその人だったわけだが、40年以上経った今でも、大学生とはこんな人なんだといった深い印象を覚えておられるという。子ども食堂でも、実際、地域の高齢者と小中学生の交流が生まれて、互いに良い効果をもたらしているという。さもありなんという感じである。ゆえに、子ども食堂にボランティアとして参加するとき、決して特殊なスキルがいるわけではなく、「いるだけ」でよいという。
 
我が国が持つ困難さを、学術的に正確にとらえながらも決して悲観せず、楽観的に活動なさっている湯浅さんの姿勢には、大変励まされた。會津八一もそうだが、優れた人物のテキストや発言には、人を良い意味で喚起するエネルギーがあると思う。会場には、湯浅さんのネット記事を見て、将来子ども食堂に携わりたいと話す高校二年生の女学生がおられたのは、その証左だろう。そんな思いを込めて、番外編としてこの記事を「落日菴執事の記」に掲載した。
 
湯浅さんの話を聴けて本当に良かった。
 
本日の講演内容は、日本子ども学会の会報にまとめられると聞く。