《落日菴執事の記》 会津八一の学芸の世界へ

和歌・書・東洋美術史研究と多方面に活躍した学藝人・ 会津八一(1881-1956)に関する情報等を発信。

會津八一、嶋田しづ、杉原千畝

2023年06月22日 | 日記
早稲田をたずねた。

早稲田大学歴史館の展示「杉原千畝手記特別公開」にゆくためである。同時に會津八一記念博物館にも行くつもりだった。

杉原千畝は、いうまでもなく命のビザで知られた元外交官で、早稲田にも少し在学していた。在学中外務省の試験を受け、ロシア語研修の後、歴史にのこる偉大な働きをなさった方である。今月20日までは、手記の実物が展示されている。筆跡からは聡明で冷静なお人柄が伝わってきた。ご苦労の多い生涯であったはずだが、昭和61年までご健在であったのが意外である。

會津八一記念博物館では、「わたしが描く コレクションでたどる女性画家たち」も観れた。會津八一の門下であられた嶋田しづ画伯の絵を拝見することができた。学規を生涯大切にされた嶋田画伯とはお目にかかる機会がなかったが、八一の自由創新の生涯を受け継がれたお方であることが、作品を通して伺われ、感慨にたえなかった。


嶋田しづ画伯略歴
(1923-2021)

1923(大正12)、樺太に生れる。

1937年(昭和12)に上京し、中野に移住。

1942年(昭和17)、女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科西洋画部を卒業。

1945(昭和20)、早稲田大学文学部哲学科東洋美術史専攻を修了、在学中は會津八一に師事した。その後フランス、日本で活躍された。

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