パフィンの生態

映画と美術好きなパフィンの感想を記録。香港映画が一番好き!

6月以降に見たい映画

2007年05月31日 02時26分46秒 | 映画全般
7月7日に公開される『傷だらけの男たち』(傷城)の
前売り券を購入し、ポストカードを3枚もらいました!
「インファナル・アフェア」のアンドリュー・ラウ監督新作。

さて、本題の「6月以降に観たい映画」
★6月2日公開「あるスキャンダルの覚え書き」(ケイト・ブランシェットとジュディ・デンチの競演が見物でしょう。前売り購入ずみ)
★6月9日公開「プレステージ」(ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールにスカーレット・ヨハンソン・・予測がつかない物語らしい)

★6月16日公開「ゾーディアック」(デビッドフィンチャー監督とジェイクギレンホールがどんな世界を見せてくれるか!)
★6月23日公開「ラッキーユー」(キャメロンで心温める映画を見せてくれた
カーティス・ハンソン監督ドリュー・バリモアをどう演出する

★6月30日公開「ボルベール 帰郷」(ペネロペクルスの演技と映像美♪)

最後に、6月2日公開の「女帝エンプレス」(夜宴)は
チャン・ツイイーとダニエル・ウー共演のワイヤー満載
ハムレット。どんな作品でしょ。どきどき・・
★「パイレーツ・・」も空いてきた頃に観たい
忙しく楽しみな6月です。

主人公は僕だった

2007年05月26日 00時34分54秒 | 映画全般
2006年、アメリカ、マーク・フォスター監督。几帳面な国税庁の検査官が
奇妙な出来事に遭遇し、人生を変えようと奮闘する。
設定は奇想天外だが心温まる映画☆俳優、脚本も良いし、映像や音楽も好き♪
原題は”Stranger than fiction

ハロルド(ウィル・フェレル)=国税庁の会計検査官、
単調な仕事を黙々とこなすだけで趣味もないし、恋人もいない。

カレン・アイフル(エマ・トンプソン)=新作を執筆中の悲劇作家、
スランプらしく筆がすすまない。

ある日突然、ハロルドにだけ女の声が聞こえる。ネクタイの結び方や
通勤のバスの時刻、仕事の内容まで知っている女の声に戸惑うハロルドだったが、ある言葉に衝撃を受け、文学部のヒルバート教授(ダスティン・ホフマン)に
相談する。以下は鑑賞後にどうぞ。

面白いのはコメディアンとして人気があるウィル・フェレルが
「几帳面で数学が得意なだけの男」→「死を目前にして必死で生きようと願う男」を自然体で演じていること。歌うシーンはあったけど(笑)

奇想天外な設定に違和感なく引き込まれたのはエマ・トンプソンのナレーション。美しいイギリス英語で文学的な表現を駆使して普通の男の生活を語る。
彼女の演技に加えて、編集が巧みなので観客はハラハラして「小説の結末」を
見守る立場になるのだ。端正な映画なので中盤眠くなったが、主人公と
小説家の出会い以降はテンポ良く進む。あ~、もう一度観たくなってきた。

教授の助言は頼りないようでいて実際には的確なのも面白い。
死を避けようとするウィルに対して、小説の出来ばえを優先する辺りが
少し笑える。

また主人公が監査を担当していたクッキー店店主アナ・パスカルを演じる
マギー・ギレンホールの仕草や表情が可愛く、彼女を慕う主人公を
応援せずにはいられない。どの俳優も写真よりも画面で輝いている。

観終わって、マーク・フォスター監督の前作「STAY」と共通点があると感じた。
ある時点まで人生に疑問をもたず生きていた男(ユアン・マクレガー)
挫折を味わい他人に優しい視線を向ける女(ナオミ・ウォッツ)

謎の男ライアン・ゴズリングが何を望んでいたか知っている観客なら、
今回の主人公と重ねられるだろう。
「生と死」は監督にとって特別な主題。
幼い頃、兄を亡くした経験があると読んだ。

大学のキャンパスや街並み、作家の想像が美しく切り取られ
絵になっている点も似ている。エンドロールの色彩が素敵♪
毎日を大切に生きようと思わせてくれる作品たち。
マーク・フォスター監督とは相性がよいようだ



クイーン

2007年05月19日 20時46分46秒 | 映画全般
スティーヴン・フリアーズ監督、2006年、英仏伊合作。
ダイアナ元皇太子妃の事故死直後のエリザベス女王とブレア首相の会話、
メディア報道、民衆の言動などを描き、女王の威厳を浮き彫りにする秀作。
ヘレン・ミレンがアカデミー賞主演女優賞受賞。

内容を全く知らずに鑑賞したのが良かったかもしれない。
王室内やブレア家内の会話は創作であるが、役者が本物に似ているため
物語に引き込まれた。

1997年8月、ダイアナさんがパリで死亡。一年前にチャールズ皇太子と
離婚しており、ロイヤルファミリーではないダイアナさんだが、
彼女を慕う人たちがバッキンガム宮殿前に花をたむけて嘆く様子が
海外メディアにまで放送され、エリザベス女王の沈黙に批判的な雰囲気が
生まれた。

同じ年に首相に選ばれたトニー・ブレア氏は女王に”国民の感情”に応えるよう
助言する。「イギリス人は静かに喪にふくす」としてエジンバラの城に滞在する
女王だったが過熱する報道やブレア首相の催促に妥協の道を選ぶという物語。

ブレア首相が王室と国民の溝を埋める役を果たしたように描かれているが、
就任直後に起きた事件に際して、”princess of the people(国民の王妃)”
という表現を使った労働党の作戦に”国民”が反応したという見方もできる。
メディアが流している映像、新聞記事が”事実”と誰が判断できるだろう?
この映画と同様に、メディアの映像や新聞記事は編集されていることを
忘れたくない。

広大な別荘の敷地を運転中、車が止まってしまい女王が泣く後ろ姿、
美しい鹿に語りかける姿、鹿の死体を見た後、追悼の原稿を読む姿・・
ヘレン・ミレンの演技が素晴らしく、エリザベス女王の孤独や思慮、
勇気を伝えている。この映画は王室擁護の立場で作られたと感じた。

鹿は伝統的な王室を象徴しており、その死を見て変化を受け入れる女王の
気高さを際出させる演出だろうか。

この映画を今頃観にいった理由は、先日、天皇陛下が皇室の外国訪問に言及されたこと、ブレア首相が今期で辞めることを知ったからだったが、中味の濃い映画で満足。

ゲゲゲの鬼太郎

2007年05月08日 15時02分36秒 | 日本映画
水木しげるの原作を映画オリジナル脚本で実写化。
オリジナルの妖怪大好きな大人には物足りないだろうが、
目玉おやじが動く姿だけで、感動してしまった!

物語は単純で子供向け。ねずみ男が盗み出した妖怪石が人間の手にわたる。
妖怪石を狙う狐の妖怪に狙われる少年とその姉(井上真央)をかばった鬼太郎が
妖怪裁判にかけられるが・・。

ねずみ男(大泉洋)はアニメに見えてしまうほど似合っており、
鬼太郎(ウエンツくん)はかっこよすぎ!(でも許す)
前半、ねずみ男の演技や鬼太郎と狐たちの戦い、猫娘(田中麗奈)の活躍など楽しめたが、中盤に少年が父親から石を渡された後、窮地にたたされた鬼太郎に渡そうとせず、亡くなった父に会わせるため黄泉の国に連れていく辺りが失速。
おかしいはずの列車のシーンで寝ている人も・・・。

ここを乗り切ると狐のボス、天狐(小雪)の美しさや子狐に変身するシーン、
稲荷神社のくだりは楽しかった。
油揚げ備えていいのかしら。猫が食べにきそうだけど(笑

妖怪石を取り戻した後、目玉おやじが子供たちに花を送り鬼太郎の記憶を
消したため、鬼太郎の写真までも消えていく場面が少し切ないわ。
妖怪人間べムを思い出した。人間とは友達になれず、次の街に・・・。

映画の最後、墓の下倶楽部で妖怪たちが踊るシーンが笑えた。「妖怪大戦争」よりお色気は減り、子供向けになっていたが楽しめた
日本の特撮も進歩しているんだな~と感心。一方、漫画には漫画の持つ
魅力があるので、映画とは別物だと思った。

バベル

2007年05月01日 00時22分59秒 | 映画全般
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、2007年、カンヌ国際映画祭最優秀監督賞受賞作品ということとブラット・ピット出演作なので鑑賞。違う場所の出来事を連鎖させる技量は見事だが、日本の部分が唐突に感じた。感想は映画鑑賞後にお読みください。

モロッコ:遊牧民の兄弟は父から羊を守る銃を渡されるが、悪意なく放たれた銃弾が
バスで移動中のアメリカ夫婦(ブラット・ピットとケイト・ブランシェット)の妻に命中し、瀕死の重傷を負わせる。

アメリカ~メキシコ:事故に巻き込まれた夫婦の子供の世話役のメキシコ人女性(アドリアナ・パラッザ)は息子の結婚式に出席する予定だったが代理が見つからず、仕方なく幼い子供二人を連れて、自分の甥(ガエル・ガルシア・ベルナル)の車でメキシコへ向かう。

日本:モロッコで使われた銃の所有者ヤスジロー(役所広司)は聾唖の娘チエコ(菊地凛子)の心を汲み取ることができない。
チエコは母を失った悲しみと会話で意思疎通できない苛立ちを慰めるかのように街に繰り出し遊ぶ。

4つの場所と4つの言語を使うことによって監督は映画のテーマを普遍的なものにすることに成功。「言語や文化の違いだけが心に壁をつくるのではない」
世界のどの場所でも心の痛みをかかえている人間がいると主張しているのかと
映画を鑑賞した直後は思った。

イスラム教徒の父は威厳があるはずだが、子供の未熟さを防ぐことはできない。
アメリカ人夫婦は末息子を亡くしたショックから関係がぎくしゃくしている。

日本人のチエコは母と比べて父が自分を理解しようとしていないと不満を述べる。発砲事件について事情聴取にきた刑事を母の自殺を調べにきたと誤解し、父を庇おうとするが、何故か刑事に心の痛みをぶつける結果となる。(このチエコの行動が突飛に感じられて映画に感情移入できずに終わる・・)

メキシコ人女性は息子の結婚式で楽しい時間を過ごし、アメリカに帰る途中、
甥が飲酒運転をしていたため、国境の付近で車から降ろされ、預かっている
アメリカ人の子供二人の命を危険にさらすはめになる。
幼い男の子が「なぜ逃げるの?本当は悪い人なんでしょ」と問うとき、
彼女は答える。「悪い人ではないの。ただ過ちを犯しただけ」と。
その台詞がモロッコの兄弟、アメリカ人旅行者、チエコの家族、メキシコ人の甥に当てはまり、最後は彼女の人生も狂わせる。

モロッコの兄弟が崖の上で無邪気に風をうける姿、メキシコからの帰り道、ドレスをボロボロにしながら助けを求める家政婦の姿が映像的には最も心に残った。
モロッコの砂漠地帯で流れる乾いたギターの音、メキシコの陽気な結婚式の音楽、それにはさまれた渋谷のクラブの喧騒とチエコの世界の静寂。
音の演出も凝っている。カンヌ監督賞に値する作品だと頭では納得する。

叫び。ケイト・ウィンスレットが白い帽子をかぶった(敬虔なイスラム教徒)獣医にさわられるとき、拒絶する叫び、チエコが自分を受け入れてもらいたくて発する叫び、16年間のアメリカでの生活を奪われたメキシコ人女性の嗚咽。

男たちの無力さ。ブラット・ピットの当惑ぶり、ガエルくんの無責任さ、
役所のノーテンキぶりには違和感を覚える。三人が揃って”逃げる”人間。
メキシコ人の中年男や刑事のように”触れ合うこと”を肯定する描写に
戸惑う。触れ合いは大事だが緊密になったり、裸になったりしなくても
表現できるでしょ。プンプン・。

ケイト・ブランシェットが現地のおばあさんから渡されるパイプを吸って
落ち着きを取り戻し、チエコが刑事に心の内をつづったメモを渡したあと、
父と手をつないで終わるラストが腑に落ちないな~。だってネ、
アメリカ人夫婦と日本人の家族は絆を取り戻したように描かれている一方で
モロッコの少年たちとメキシコ人女性は明白に不幸になっている!

上手い映画だ。偏見を捨て、心の障壁をとりのぞこうと訴えているように
見せながら、冷静に考えると、安易にガイドに銃を与えた日本人、
お気楽に異国を旅する欧米人、不法滞在した女性を送還するアメリカを
冷ややかな視線で描いている様に感じられた。モロッコの家族と
不法移民である家政婦に同情する視線が強い。
銃弾=武力を否定するのが監督の意図だったのかもしれないと今は思っている。

東京の摩天楼シーン、実はアメリカに近いように見える東京を選んだのでは
ないかと思った。モロッコやメキシコらしさは演出されているのに、
日本らしさは感じられないからだ。一発の銃弾から悲劇は起きるが、
その銃の所有者が日本人であるというのはかなり不自然では?
銃の所持が違法とされている国なのだから。
こういう不自然さや誇張(チエコの行動)が映画を好きになれない理由だ。

ブラット・ピットが息子と電話で話すシーンが大変上手く使われていて、
予告を観たら作品を観ずにはいられない。期待にたがわず、このシーンで
時間軸がずれる巧みさに息をのんだ。別々の場所で撮影していた俳優たちは、
仕上がった作品を観たとき、どう思ったか。
特に、役所広司。出番少なすぎ
ブラット・ピットの演技は良かったが、映画は好きになれないので、
10年前の彼の写真を載せておきます。