今日も仕事は忙しく、昼飯も食べる暇もないほど追われておりましたし、明日も早い。
そして、書かずもいられないけど、こんな記事を書くのも辛い。
仕事に追われつつも一日中とまらない溜息。
そう、僕らの輝く1等星、平野恵一がBsのユニフォームを脱ぐことになったから。
プロの壁に何度もぶつかり、苦しみ、もがき、そしてまた再チャレンジを繰り返してきた平野恵一。
昨年の5月6日も、当日も恐らくまだ痛みがとれていない状態だったと思われる左肩を抱えながらも、
2日も休んだから明日こそは出場できるようにがんばります!って
張り切ってプレーに出たあの千葉マリン。
その直後に、白球を追って突進し続け、さらに壁に向かって飛び込んだ勇気。
その後の地獄は本人にしかわからないもの。
ただ、あのプレーは間違ってない、そう言い続けてきた強い気持ち。
その後、ファンレターで何度も涙を流したという平野。
あれから、何度も経過を日記に書き続け、僕もともに涙を流したもの。
そのプレーが仇になったというなら、こんな悔しい気持ちは、ありません。
阪神の浜中、オリックスへ=2対2の交換トレード成立-プロ野球
あれこそ、プロを超えた、「神」の技を見せてくれたから。
何度ミスをしても、何度不振になっても、変わらずにひたすら白球を追い続けてきた平野。
そして、平野コールには、僕ら外野スタンドに向かって、90°身体を曲げて頭を下げてくれる優しい平野。
去年3月、の寒い宮城球場で、オリックスファン数名のライトスタンドからの平野コールも聞き逃さず、
同じように90°身体を曲げ、帽子を取って返事をしてくれたこと。
そして1年が経ち、トップバッターとしてまた宮城球場に戻ってきた3月31日、
最初の3コール、「おかえり、おかえり、ひ・ら・の!」にも気づいてくれて、その日の日記にすぐに書いてくれたこと。
今年の8月、同じく宮城でセンター前方へのライナー性の飛球、
思わず「飛び込めえぇぇ~!!」って叫んだら、ほんまに飛び込み、キャッチしてみせてくれたこと。
みんな忘れません。
たまたま、私は平野恵一と同じ年、同じ身長で文字通り「等身大」に見えたのかもしれません。
でもあの小柄な身長から、身体を何倍にも大きくして飛び込む美しい姿は、
等身大の人間からとは思えない、秘められたパワーを感じました。
弱い弱いオリックスの中で、あまり全国的には目立たない存在だったかもしれませんが、
不器用ながらも精一杯努力する姿、それは後藤にしても川越にしても同じ。
ムカエも本柳も一輝も由田しんたろーも前田大輔も同じ。
でも、ずば抜けてたかもしれない。
僕らオリックスファンにとって、あの等身大男の「ひたむきさ」は絶大でした。
プロ選手として大舞台に立ちながらも大勢の前で失敗し、恥をかきながらも、着実に年を重ねてきた、
まさに希望というには程遠い泥臭さを持ち合わせながら、目を背けたくなりそうになりながらも、
なぜか引き込まれていました。
その魅力は、球団合併後の2005年6月28日の楽天戦、最終回のスーパーキャッチとして花が開き、
気が付けば、近鉄からのファンにも支持を得るようになっていましたよね。
それだけでも、なんだか少し誇らしくなったもの。
一方的ながら、リンク先の記事に、平野を長い間見つめてこられた方の思いが書かれています。
ぜひ読んでいただきたいと思います。
■平野の差し出すグラブの先に by総裁 05.07.27
■平野の差し出すグラブの先に 2 by総裁 06.05.06
■平野の差し出すグラブの先に 3 by総裁 06.07.24
彼は、いつも新聞に載るような選手よりも、
僕らにとって誰よりもそのプロ魂を誰よりも鮮明に見せてくれ、沸き立つ鼓動とともに「共に」戦ってきてくれた印象を持ちます。
どんな有名選手よりも「僕らのスター」。
もう「オリックスの平野劇場」が今日でぶつっと切れ、
もうその続きが見られないと思うと、心の中に穴があいたみたいで。
呆然とするしかなくて。
成長過程と思われたオリックス・ブルーウェーブとともに、平野がいて、葛城イクローがいて。
一生懸命投げてる萩原がいて。相木がいて。
みんな不器用ながら、みんなでがんばった時代。
これから何年かしたら、この弱い弱いオリックスも次第に成長を遂げていくんやろか。
そう思い続け、はや4年が経つ頃。
もうあの頃のチームは自然消滅に向けて一直線。
そう思う気持ちと、我らの平野恵一でなくなるのと、
寂しさが募り、鼻の奥が痛くなってくるわ。
タテジマのユニフォームを着た恵一は、まだ想像が付きませんが、
高校球児のように甲子園のグラウンドを飛ぶ、恵一なら、時期に想像できるかもしれません。
今まで、ありがとう。
そして、これからも、がんばってください。
本当に、今までオリックスを支えてきてくれて、
僕らの心をえぐってくれて、ほんまありがとう。
そして。
いつか、平野恵一がFA権を取ったとき、
「オリックスに行きたい」
そう、言ってくれる、魅力的なチームになって欲しい。
切に願います。
2007年度の野球観戦実績はこちら。
時間とお気持ちに余裕のある方は、ぜひともぽちっと1回どうぞ。
そして、書かずもいられないけど、こんな記事を書くのも辛い。
仕事に追われつつも一日中とまらない溜息。
そう、僕らの輝く1等星、平野恵一がBsのユニフォームを脱ぐことになったから。
プロの壁に何度もぶつかり、苦しみ、もがき、そしてまた再チャレンジを繰り返してきた平野恵一。
昨年の5月6日も、当日も恐らくまだ痛みがとれていない状態だったと思われる左肩を抱えながらも、
2日も休んだから明日こそは出場できるようにがんばります!って
張り切ってプレーに出たあの千葉マリン。
その直後に、白球を追って突進し続け、さらに壁に向かって飛び込んだ勇気。
その後の地獄は本人にしかわからないもの。
ただ、あのプレーは間違ってない、そう言い続けてきた強い気持ち。
その後、ファンレターで何度も涙を流したという平野。
あれから、何度も経過を日記に書き続け、僕もともに涙を流したもの。
そのプレーが仇になったというなら、こんな悔しい気持ちは、ありません。
阪神の浜中、オリックスへ=2対2の交換トレード成立-プロ野球
あれこそ、プロを超えた、「神」の技を見せてくれたから。
何度ミスをしても、何度不振になっても、変わらずにひたすら白球を追い続けてきた平野。
そして、平野コールには、僕ら外野スタンドに向かって、90°身体を曲げて頭を下げてくれる優しい平野。
去年3月、の寒い宮城球場で、オリックスファン数名のライトスタンドからの平野コールも聞き逃さず、
同じように90°身体を曲げ、帽子を取って返事をしてくれたこと。
そして1年が経ち、トップバッターとしてまた宮城球場に戻ってきた3月31日、
最初の3コール、「おかえり、おかえり、ひ・ら・の!」にも気づいてくれて、その日の日記にすぐに書いてくれたこと。
今年の8月、同じく宮城でセンター前方へのライナー性の飛球、
思わず「飛び込めえぇぇ~!!」って叫んだら、ほんまに飛び込み、キャッチしてみせてくれたこと。
みんな忘れません。
たまたま、私は平野恵一と同じ年、同じ身長で文字通り「等身大」に見えたのかもしれません。
でもあの小柄な身長から、身体を何倍にも大きくして飛び込む美しい姿は、
等身大の人間からとは思えない、秘められたパワーを感じました。
弱い弱いオリックスの中で、あまり全国的には目立たない存在だったかもしれませんが、
不器用ながらも精一杯努力する姿、それは後藤にしても川越にしても同じ。
ムカエも本柳も一輝も由田しんたろーも前田大輔も同じ。
でも、ずば抜けてたかもしれない。
僕らオリックスファンにとって、あの等身大男の「ひたむきさ」は絶大でした。
プロ選手として大舞台に立ちながらも大勢の前で失敗し、恥をかきながらも、着実に年を重ねてきた、
まさに希望というには程遠い泥臭さを持ち合わせながら、目を背けたくなりそうになりながらも、
なぜか引き込まれていました。
その魅力は、球団合併後の2005年6月28日の楽天戦、最終回のスーパーキャッチとして花が開き、
気が付けば、近鉄からのファンにも支持を得るようになっていましたよね。
それだけでも、なんだか少し誇らしくなったもの。
一方的ながら、リンク先の記事に、平野を長い間見つめてこられた方の思いが書かれています。
ぜひ読んでいただきたいと思います。
■平野の差し出すグラブの先に by総裁 05.07.27
■平野の差し出すグラブの先に 2 by総裁 06.05.06
■平野の差し出すグラブの先に 3 by総裁 06.07.24
彼は、いつも新聞に載るような選手よりも、
僕らにとって誰よりもそのプロ魂を誰よりも鮮明に見せてくれ、沸き立つ鼓動とともに「共に」戦ってきてくれた印象を持ちます。
どんな有名選手よりも「僕らのスター」。
もう「オリックスの平野劇場」が今日でぶつっと切れ、
もうその続きが見られないと思うと、心の中に穴があいたみたいで。
呆然とするしかなくて。
成長過程と思われたオリックス・ブルーウェーブとともに、平野がいて、葛城イクローがいて。
一生懸命投げてる萩原がいて。相木がいて。
みんな不器用ながら、みんなでがんばった時代。
これから何年かしたら、この弱い弱いオリックスも次第に成長を遂げていくんやろか。
そう思い続け、はや4年が経つ頃。
もうあの頃のチームは自然消滅に向けて一直線。
そう思う気持ちと、我らの平野恵一でなくなるのと、
寂しさが募り、鼻の奥が痛くなってくるわ。
タテジマのユニフォームを着た恵一は、まだ想像が付きませんが、
高校球児のように甲子園のグラウンドを飛ぶ、恵一なら、時期に想像できるかもしれません。
今まで、ありがとう。
そして、これからも、がんばってください。
本当に、今までオリックスを支えてきてくれて、
僕らの心をえぐってくれて、ほんまありがとう。
そして。
いつか、平野恵一がFA権を取ったとき、
「オリックスに行きたい」
そう、言ってくれる、魅力的なチームになって欲しい。
切に願います。
2007年度の野球観戦実績はこちら。
時間とお気持ちに余裕のある方は、ぜひともぽちっと1回どうぞ。
平野恵一は、ほんとうに僕ら球界再編の荒波となる経緯を共に過ごし、
少ないかもしれませんが、あの恵一が、あんなプレーをしてくれた、
翌日、どの新聞にも恵一の名前が載っていることに、喜んだり、心配したりの連続に
心をひきつけられたものです。
その恵一君が、全くの別世界へ去ってしまう寂しさもありますし、
あの浜中さんという有名な方が、阪神ファンを引き連れて僕らの世界へやってくる、
そんな今までと違う世界へ引き込まれたようで、
多少不安な気持ちも持ち合わせているところです。
ただ、オリックスの球場の雰囲気は、キヨさんが来てもそうそう変わらなかったように、
浜中君も落ち着いてプレーできる環境となってくれるような気がします。
金村さんや恵一は、恐らく毎日が大変になるかもしれませんが、ここは、付き合いの長い私たちが
暖かい目で見守りたいものです。
なんだかどう表現すればいいか、話の筋もぐだぐだで申し訳ありませんが、
とにかくトレード先で非難を浴びる選手がいないこと、
こりゃ失敗だったということがなきよう、
願うばかりです。
それは大阪近鉄を愛した方々からオリックスを応援してくれるまでに引き込んでくれたこと。
猛牛フリークの方々と一緒になってオリックスを応援できたのは、
恵一がいてくれたからこそ、その功績を残してくれたことには
本当に感謝するばかりです。
きっと恵一なら阪神の中心的存在となって
球界を代表する選手へ旅立っていくはずです。
そんな恵一が、苦労を重ねた成長過程を、必死になって応援した、
誇りをもっていようと思っています。
寂しいですけど、影ながら見守っていたいですね。
ハムの場合、金村は…本当に寂しいですしショックでしたが、でも仕方ないのだと思います。私は北海道移転からのファンですから、東京時代のファンの思いはそれはもっと複雑なのかもしれませんが。
しかし、平野選手の場合は…オリックスに本当に必要な選手だったと思うのです(過去形で書かねばならないことが寂しいです)。成績云々だけじゃなく彼の存在が。
なので、本当に残念というか悔しいというか…
でももう決まってしまったこと。来期、札幌ドームに阪神が来たときは、金村選手、正田選手、などと一緒に平野選手も目に焼き付けたいと思います。
対オリックス戦で木元選手の姿を探すように。
そのためにも、みんな一軍で頑張ってほしいです。
それがkazmaさんの記事の最後にある総裁さんが描く恵一でした。この運命の出会いがなければオリバをサポートする自信は揺るいだでしょう。
セラドで恵一のピンバッジを下さった常連のおじさんから『元・近鉄ファンの平野ファンは多いよ』の声を聞いたことがあります。
トレード説浮上で、今年のファンフェスタが最後だとあたしは覚悟しました。
最後に少年に声をかけられ振り返ったときの恵一の微笑…初めてみたあの日と同じでした。
ハムも、東京時代から育ってきた選手たちがどんどん去っていく中、
数少ない東京で応援されている人たちは、
金村さんのトレードをどう思っていたのか、気になるところです。
なんだか、球団ごとにいろいろ事情はあるんでしょうけど、
なんだか裏事情を勘ぐったりすることが多くて、それが胸のうちがすっきりしないんですよね。
でももちろん、金村さんも恵一も、
新しい世界で、セリーグのファンを驚かす存在になってくれたら、
そう思う限りです。
全力プレーの末のケガが原因で、それを機に放出、
という経緯というのも、結果平野らしさはNGだったということなんでしょうか。
結局、清原が来た年、恵一があれだけのプレーをしても報道陣は清原ばかり向いて、
恵一に振り向いてくれなかった事実もありますし。
ありゃ、世紀の大プレーだったと思うんですが。
恵一には、日の当たるところで、賞賛されるプレーをしてほしいです。泣。
それにしても、怪我をした、1年スランプに陥った、それで復帰をサポートしたくないというところも
なんだか今残っている選手が不安にならないか、心配ではあります。
また、こちらに来られる吉野投手、浜中選手、
もちろん平野恵一・阿部健太の身代わりとなる存在ですし、
全力でプレーしてくれることを切に願います。
こちらも全力で応援しますから。
>NKMR社内営業部長
自軍のファンがこれだけ悲しんでいるのに、大阪で収益が上がると喜んでいるのが
たまらなく腹が立ちます。
まだ血の入れ替えが必要、と仰っておりますが、
結局2年続けて辛抱する、ということができなかった、
球団のビジョンが毎年コロコロ変わっていったことが
すでに自軍の選手とファンを長い間苦しめ続けた原因ですよね。
もっとも、NKMR社内営業部長さんには、
オリックスのファン(特に神戸からの)と旧BW選手は煙たいだけかもしれませんが。
Paulaではなくmizumaruです。失礼しましたm(_ _)m
私も平野選手がトレードで阪神に行ってしまうのが寂しいです。
阪神といえば、我らが金村も行ってしまいましたが…
平野選手は敵チームながら、本当に怖い選手でした。
もう同じパリーグの試合で見ることができなくて残念です。
でも、これからも同じ野球界でがんばっていって欲しいです。
そして来期かなりのてこ入れをはかるであろう阪神で、一軍に定着して阪神ファンセリーグファンにも平野の魅力を見せつけてほしいです。
今回の件はとても残念です。
ブルーウェーブ時代から応援し続けていた者にとって、これだけ残念な事はありません。
事実、今季はあまり目立った活躍は残せませんでしたがトレード要員になるなんて、ファンは納得できません。
チームから元BWがどんどん他球団へ消えていきます・・・。
恵一だってBWの暗黒時代を支え続けてくれた一人の選手です。
合併後もチームを盛り上げてくれた一人でした。
本当に恵一が?と未だに思ってしまいます。
絶対、恵一なら阪神に行っても、気迫のあるプレーでタイガースを盛り上げてくれるはずです。
そして、バファローズにやってきた濱中選手と吉野選手にもバファローズの一員として活躍してもらいたいです。
コメント、ありがとうございます。
恵一がBsを離れる、しかも球団から放出されてしまう、という事実をまだ飲み込めない
(納得されてない)人は多くいますよね。
それくらい、恵一はBsにとって欠かせない、オリックスファンの心の支えとなっている存在だったと
改めて思わされたものです。
しかも、なんか遠いとこに行ってしまう、というのも寂しくて寂しくて。
(世界のパリーグに対する気持ちはわかります、何がセ界じゃ)
ひばりーずさんにとっても、その支柱を突然失ってしまい、深い悲しみをもたれていることは、
心中察するに余りあるものです。
私の場合は、せめてオリックスというチームを応援し続けるスタンスは変わりません。
それは、今まで一緒に応援してきたチームのかけらが残っていて、
応援する仲間がいて、スタンドにいつもの顔がいて、
もう離れるに離れられない存在になってしまっています。
正直、僕にとっては今回の恵一のライバルたちも心の支えになってますし。
平野恵一はいなくなってしまったBsですが、
Bsファンの心の中には、これからも気になる存在になり続け、
ファンの間では、これからも恵一の話は尽きないでしょうね。
何せ数々の伝説のプレーを残し、僕らの心を躍らせた選手ですから。
まずは、お体、大事になさってくださいね。
で、また気が向いたら、オリファンのとこにも顔を出してください。
所沢のスタンドでも、こちらのブログでも結構ですんで。
まぁ気が済むまで、いろんな方と語り合うのもいいんじゃないですか。
このブログにコメントするのは初めてです。
私も恵一選手、winddriven-current-kzmさんと同い年です。
なのでこの世代の選手には非常に深い思い入れがあります。特にパリーグにこだわっているのはファンや応援団がいい、チームごとに個性的な応援をする、そしてかつて新庄さんが言ったように「これからはパリーグの時代です」と言ったこと、そして何よりもあの巨人がいないことです。
恵一選手のトレード説があった11月半ばごろから毎日不安がつのっていて、(女だけの話で失礼しますが)出血が長引いてしまい、昨日病院に行って来たんです。ちょうどその途中にトレードの話が出てきたのでショックを隠せませんでした。先生にも「最近ストレスが溜まっていて・・・」とお話したんですが、原因はやはりストレスからのが大きかったとのことです。
私が思うには恵一選手は絶対セリーグに行くべきではないと思っていました。もっと放出すべき選手が他にもいるはずだと思い、恵一選手だけはトレード要員にならないでくれと思っていたんです。今でも立ち直ることができず、恵一選手は応援したいけど阪神は応援できない、それともオリックスに残ったユウキ投手、前田選手、辻選手を応援し続けるか迷っています(それでもトレード要員にならなかったライバル選手の顔を見るのも嫌だし)。
今日からどうやって過ごそうか本当に悩んでいます。今年の夏、大阪遠征で購入した恵一選手のレプリカユニはもちろん今でも大切にしています。