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多摩街歩き

GPSの付いたカメラを持って多摩の街を歩いています。

宝蔵橋の西北西

2012年01月03日 | 昔の大栗川

右岸側への蛇行のあと宝蔵橋の手前で戻ってきた昔の大栗川は、こんどは左岸側に大きく蛇行して、宝蔵橋の西北西の一帯を巡るように流れていたようだ。
この場所だ。

 

本日の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
水色の線が昔の大栗川の流れ。最初は西に、続いて東に向きを変え野猿街道に交差していたらしい。1947年の航空写真では、野猿街道に交差したあたりから下流は河川整備が行われていた。

写真1

現在の大栗川左岸の新堂公園。昔の大栗川はこの公園あたりを右奥に向って(現在とは逆向き)に流れていたらしい。公園の地面は堤防の歩道よりもだいぶ低く、河床があったことを裏付けている。公園の突き当たりには道路があり、これも公園の地面より2メートルぐらい高い所にある。

写真2

新堂公園の西の端。道路と公園の高さの違いがはっきりする。

写真3

これも公園の西の端。写真の右奥から流れてきた昔の大栗川は向きを変えて写真の左(方角で言うと北)に向かっていたらしい。住宅の敷地がみごとにカーブしている。

写真4

少し先にも地面の低い公園があった。昔の大栗川はここを奥から手前に向って流れていたらしい。

写真5

先ほどの公園の北の道路を東に向って撮った写真。足元から道路が急に下っている。正面の建物は公営住宅らしいが、この写真の右手の公園から流れてきた昔の大栗川はここで現在の道路を横切り、公営住宅の下あたりをこの道路に沿って流れていたようだ。

写真6

公営住宅の裏の駐車場を覗いてみた。ガードレールの向うは小道になっているが、小道よりも敷地の方がだいぶ低いのがわかる。

現地の確認ができたのはここまで。ここから下流は土地の造成や建物の建築が多く、昔の大栗川の流れの確認はできなかった。だが一つ上の写真(写真5)の道路の左側(北側)を流れていたという証拠はある。

国土地理院が公開している電子国土ポータル(http://portal.cyberjapan.jp/index.html)がその証拠だ。興味がある方は訪問してみてはどうか。

簡単に案内をしておく。
まずここをクリック→地図・空中写真の閲覧(新しいウインドウが開きます)
ページ下端のエリアに「35.649517507724,139.43590082645」を入力して「移動」をクリック
少し上にある縮尺選択で「45」をクリック
右のペインにある「国土画像情報の表示」で年代のラジオボタンを順番にクリック

これで、昔の大栗川の流域がどのように住宅地に変えられたかの歴史を見ることができる。

今日はここまで。Google Earthの使える方はこちらにKMZファイルも用意したのでどうぞ。



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