このブログに私にとりまして価値のあるTBがありました。ビン・ラディン氏の演説の翻訳とそれについての若干の考察です。大変参考になるものですので、コメントを寄せるという形式を取らさせていただいて、考えを述べたいと思います。
四畳半寝太郎さん
こんにちは。TBしていただきまして、ありがとうございます。
テレビなどでビン・ラディン氏の演説内容が編集される形で報道されています。専門家のコメントも付加されてきています。全体概要をつかむと編集部分とコメントの方向性に違和感を改めて感じました。これら報道の編集方針にすでにバイアスがかかっている、という印象を受けました。それは、私自身がテレビ報道の現場に携わってきたものとして戒めをこめて感じるものです。テレビ報道、特にニュースは良くも悪くも分かりやすく伝える、という使命があります。そのため、一定のスタンスに「素材」を押し込んでしまう、という現象がおきてしまいます。しかし、だからといって重要なポイントを外してしまうということは、良くないことです。
四畳半寝太郎さんの考察でご指摘している、ビン・ラディン氏が同地多発テロの犯行を自ら認めたとする一つ目のみが伝えられています。恐らく演説の概要をつかんでいないか、イラク戦争を本質的に解決する事を思考していないことが原因なのかもしれません。コメンテイターは「米大統領選を前に揺さぶりをかけている」「テロリストが行う常套手段である」といったあまり中身のない主旨の「解説」に終始しています。
ここで重要なのは、四畳半寝太郎さんご指摘の二つ目の特徴、「アメリカ国民にたいして対話の姿勢を示すと同時に、和解の可能性を示唆した」ということを読み取る事だと思います。あるいは、「狂信的でいかなる交渉も受け付けない原理主義者ではなく、一定の合理的な政治的現実主義に基づいて行動している一人の政治家」と解釈する事ができることを強調しなくてはならないと私は思います。そして、四畳半寝太郎さんの考察の方向性に、私は可能性を感じました。
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世界最強のアメリカ軍の総力をもってしても、一向に戦況は好転しないという事実は、戦略として軍事力の行使という手段があまり効率的でないことを物語っている。となると、もし我々がテロとの戦いにおいて勝利することを本当に望んでいるのであるならば、我々は別の手段を模索するべきではないだろうか。
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ここでビン・ラディン氏の演説を読んで、私自身が感じた事を述べます。
ビン・ラディン氏においてもブッシュ大統領にしても、認めている価値が共通し、認めない価値が共通しています。そして、戦闘行為(殺戮行為)の理由付け(正当化)が非常に共通しています。
両者ともに、
・「自由」への価値を認めている
・自らの安全を求めている
・それぞれの祖国の生命、安全、自由を奪われた事に対する憤りをもっている
・「不正」(不法な侵略行為、不当な権力的支配)を否定している
・安全を脅かす行為にたいする対抗措置を肯定している
参考:国連総会におけるブッシュ大統領の演説
これらは、近代において人類が形成してきた「思想」と大きく外れてはいないように思えます。近代において勝ち取ってきた考え方や権利という事も出来ますし、未だ現実化されていない事柄であるかもしれません。または、呪縛であるのかもしれません。恐らく、その中に戦争の本質があり、解決と防止の糸口があるのではないかと思っています。
四畳半寝太郎さん、また是非ともTBしてください。私も継続的にこのことを考えていきたいと思っています。
四畳半寝太郎さん
こんにちは。TBしていただきまして、ありがとうございます。
テレビなどでビン・ラディン氏の演説内容が編集される形で報道されています。専門家のコメントも付加されてきています。全体概要をつかむと編集部分とコメントの方向性に違和感を改めて感じました。これら報道の編集方針にすでにバイアスがかかっている、という印象を受けました。それは、私自身がテレビ報道の現場に携わってきたものとして戒めをこめて感じるものです。テレビ報道、特にニュースは良くも悪くも分かりやすく伝える、という使命があります。そのため、一定のスタンスに「素材」を押し込んでしまう、という現象がおきてしまいます。しかし、だからといって重要なポイントを外してしまうということは、良くないことです。
四畳半寝太郎さんの考察でご指摘している、ビン・ラディン氏が同地多発テロの犯行を自ら認めたとする一つ目のみが伝えられています。恐らく演説の概要をつかんでいないか、イラク戦争を本質的に解決する事を思考していないことが原因なのかもしれません。コメンテイターは「米大統領選を前に揺さぶりをかけている」「テロリストが行う常套手段である」といったあまり中身のない主旨の「解説」に終始しています。
ここで重要なのは、四畳半寝太郎さんご指摘の二つ目の特徴、「アメリカ国民にたいして対話の姿勢を示すと同時に、和解の可能性を示唆した」ということを読み取る事だと思います。あるいは、「狂信的でいかなる交渉も受け付けない原理主義者ではなく、一定の合理的な政治的現実主義に基づいて行動している一人の政治家」と解釈する事ができることを強調しなくてはならないと私は思います。そして、四畳半寝太郎さんの考察の方向性に、私は可能性を感じました。
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世界最強のアメリカ軍の総力をもってしても、一向に戦況は好転しないという事実は、戦略として軍事力の行使という手段があまり効率的でないことを物語っている。となると、もし我々がテロとの戦いにおいて勝利することを本当に望んでいるのであるならば、我々は別の手段を模索するべきではないだろうか。
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ここでビン・ラディン氏の演説を読んで、私自身が感じた事を述べます。
ビン・ラディン氏においてもブッシュ大統領にしても、認めている価値が共通し、認めない価値が共通しています。そして、戦闘行為(殺戮行為)の理由付け(正当化)が非常に共通しています。
両者ともに、
・「自由」への価値を認めている
・自らの安全を求めている
・それぞれの祖国の生命、安全、自由を奪われた事に対する憤りをもっている
・「不正」(不法な侵略行為、不当な権力的支配)を否定している
・安全を脅かす行為にたいする対抗措置を肯定している
参考:国連総会におけるブッシュ大統領の演説
これらは、近代において人類が形成してきた「思想」と大きく外れてはいないように思えます。近代において勝ち取ってきた考え方や権利という事も出来ますし、未だ現実化されていない事柄であるかもしれません。または、呪縛であるのかもしれません。恐らく、その中に戦争の本質があり、解決と防止の糸口があるのではないかと思っています。
四畳半寝太郎さん、また是非ともTBしてください。私も継続的にこのことを考えていきたいと思っています。