アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(下)008

2012年03月24日 22時14分52秒 | 富の未来(下)
「第46章 韓国の時間との衝突」を抜粋紹介します。

前回紹介した「我が子を就職難民にしないために、今、親がすべきこと」セミナーについて意見メールが多数届きました。昨年ジョブトレ講習に参加した大卒の方からは「これはひどいです。『親がビジネスマンの大先輩』じゃない場合は諦めろってことですか?」、「母と子って言いますが、うちは父子家庭で父はそんな余裕はありません」「たまたま、うまくいった事例を日経電子版に載せているだけでしょ」と言った辛口なものでした。この事例を紹介したのは、就活ママを批判するためではなく、何度も出てきた「革命的な富の基礎的条件の深部」にある「時間」・「空間」・「知識」に当てはめた場合、どう解釈するかという点です。

「知識」から見れば「ビジネスマンの大先輩」である父母の知識がこれに当たるでしょうか。でも、この父母がビジネスマンであってもダメ社員であった場合の「知識」はどうなるのか?また、それが「死知識(オブソレージ)」で使い物にならなかった場合はどうなのか。たとえば昔、一流企業で破綻した「山一證券」や北海道で都市銀行となりながら破綻した「北海道拓殖銀行」の例を見るまでもなく、高額な報酬を得て傲慢な経営で破綻した企業マンの知識は即オブソレージとなるわけです。

「空間」という点からみれば、就職希望先が自分が住んでいる地元企業なのか、東京などの大都市に有る大企業なのか、はたまた海外の中国、韓国、東南アジア、インドなどの勃興企業と言った空間が異なる場合は、父母がビジネスマンの大先輩であっても、渡航経験や諸事情に精通していないかぎり、まったく役に立ちません。逆に「家から通えないような会社に就職するな」なんて子離れしていない親が就職の邪魔をした場合、「若年無業者」になります。これは問題ですね。

「時間」、これが一番大事になりますが、22歳の大卒者が常に好条件で就職できる企業は、これからも益々減少します。今までのトフラー論をよく読んでいる方は、御承知の通り、富の空間は、アメリカや日本から、韓国へ中国へインドへと移動していることです。日本の上場企業も興亡を繰り返し、中小企業が勃興する未来となりつつあります。50代の私の年代の例を取ると、通信教育の大学から、3年次(専門課程)に昼間部へ移行し、大学を卒業し未上場企業に就職、彼は卒業までの年数は通常の倍かかりましたが、努力家であったことが会社に認められ、その後の企業統合、合併でも生き残り、現在は上場企業の役員として在籍しています。また看護士で仕事をしながら、25歳から夜間大学に通い、法学博士となって40歳にして大学で教鞭をとっている女性教授など、「基礎的条件の深部である時間要因」は常に直線でエスカレータのようなものではないことを経験しています。何が、「無業者」と言うのか、どうなんでしょうか。トフラーも「無業者」時代を経験しています。

親心としては、「つつましく、おだやかに、波に乗るように、エスカレータのように」、順風満帆な人生であってほしいと思うのですが、世の中の変化は、トフラーが述べるように、波は波状の形を変えて複線化し激変を繰り返し、エスカレーターは上階の鉄骨から外れて落下、今までの経験則が全く通用しない時代に突入しているのです。
さて、3・11から1年 特別インタビューをダイヤモンド・オンラインから引用します。
この引用記事も、「知識」・「時間」・「空間」に分けて読んでみてください。では。
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3.11あの日から一年次世代に引き継ぐ大震災の教訓 特別インタビュー
ダイヤモンドオンライン    【第15回】2012年3月21日 目黒公郎東京大学教授

目黒公郎めぐろ・きみろう/東京大学大学院 情報学環 総合防災情報研究センター教授。
専門は都市震災軽減工学、都市防災マネジメント、地震を中心とするハザードが社会に与える損失の最小化のためのハードとソフトの両面からの戦略研究。研究テーマは、災害リスクマネージメント、ユニバーサル地震災害環境シミュレーション、防災制度設計、防災マニュアル/災害情報システム、災害時最適人材運用法、国際防災戦略など。「現場を見る」「実践的な研究」「最重要課題からタックル」がモットー。途上国の防災立ち上げ活動にも従事。

“巨大地震連発で被害総額100兆円超”に耐えられる?財政破綻しかねない
「スケール感なき防災対策」の罠 

 これから数十年の間に、首都直下型地震、東海・東南海・南海地震などの巨大地震の発生が懸念されている日本。東日本大震災の復興財源捻出が難航を極めているのは周知の事実だが、こうした巨大地震の発生が相次げば、多くの国民の命が危険にさらされるのはもちろんのこと、圧倒的な資金不足によって復興どころか国家の破綻さえ導きかねない。都市震災軽減工学の第一人者である東京大学の目黒公郎教授は、「今の日本における防災対策は今後の巨大地震のスケール感をまったく理解していない」と語るが、日本が最悪の事態を避けるために、行政はどのような防災体制を早急に築くべきだろうか。
       (聞き手/ダイヤモンド・オンライン 林恭子)

被災人口は東日本大震災の5~8倍に
 今の防災対策は「スケール感」がない

――現在、首都直下型地震、東海・東南海・南海地震など超巨大地震の発生が懸念されています。将来の地震災害を最小限に留めるために、どのような視点から防災対策を行うことが必要でしょうか。

 地震学的に活動度の非常に高い時期を迎えている今、最も重要なのは、被害額や被災地域の大きさ、被災者数の規模を理解することだ。東日本大震災の被災エリアは非常に広範囲にわたったが、人口密度が高い地域ではなかったため、被災人口は面積のわりには少なかった。しかし、首都直下型地震や東海・東南海・南海地震が発生すれば、被災人口は東日本大震災の5~8倍になる。このスケール感を正しく理解できなければ、防災対策でも大きな過ちを生むだろう。東日本大震災直後から自衛隊は最大規模の10万人オペレーションを実行した。では、被災人口が5倍や8倍になれば、それに対応する規模のオペレーションができるだろうか。今回の活動を踏まえ、様々な課題を解決しても、人的制約から10万人を大きく超えるオペレーションは無理だ。また、今回被災した地域内で最も大きな都市は仙台市だが、中心部が大きな被害を受けたわけではなかった。首都圏も被害を受けたとはいえ、損傷程度は軽微であったので、それぞれ被災地を支援することができた。だが、首都直下地震や東海・東南海・南海地震が起こった場合には、高い人口密度と重要な機能が集約するエリアが被災地になる。その意味とスケール感を理解できていなければ、対応はうまくいかない。そう考えると、現在の日本国内における防災対応力だけで足りうるかは大いに疑問である。全壊・全焼建物数約13万戸、経済被害25兆円と言われている東日本大震災では、被災自治体の支援に入った被災地外の自治体の数と規模を調べると、被災自治体の被害程度に応じて、例えば、被災建物率(100×被災建物数/被災自治体の全建物数)を用いると、被災建物率10%の自治体には、最低でもその自治体の職員数と同じ数の職員数を持つ自治体群が、被災建物率が80%、90%というエリアでは、最低でも自分の職員数の10倍規模の職員数を有する自治体群が支援している。将来の大規模地震災害時に、これだけ多くの職員を動員することができるだろうか。
 もちろん、行政対応だけではない。政府中央防災会議は、首都直下型地震と東海・東南海・南海地震によって、全壊・全焼建物が約200万棟、経済損失が200兆円規模の被害を想定している。直後のガレキ処理から復旧・復興を担うのは建設業の人たちだが、近年の建設業の市場縮小とともに、就労人口は減少、大規模プロジェクトの豊富な経験とスキルの高い団塊世代も引退している。数が縮小し、質も低下している状況下で、この規模の災害からのスムーズな復旧や復興は労働力の点からも非常に難しい。
もはや国内で数と質の維持が難しい今こそ、若い優秀な人材を組み込んだジャパンチームを組織し、大規模プロジェクトのある中東や北アフリカ、中国、インドなどへ派遣し、自らの技術進展や維持と同時に、他国の技術力アップの指導、そして“シンパシーづくり”をすべきだ。私はこれを「21世紀型いざ鎌倉システム」と読んでいるが、建設技術者の圧倒的な人材不足を補うこうしたシステムを築き、日本が危機的な事態になれば海外からすぐに彼らが駆けつけてくれる仕組みづくりこそ、スケール感を理解した防災対策になる。すなわち、「今後30~50年程度の間に、日本は○○規模の地震災害に見舞われる。その際は△△の条件で、すぐに駆けつけてくれ」というシステムづくりだ。

有限の時間と予算が生む「リスクの落とし穴」
このままでは“奇跡の復興”は不可能

 地震による被害規模は、国によっては自国のGDPを超えることもあり、そうなれば自力での復旧・復興は不可能となる。外国からの支援に頼らざるをえない。100兆、200兆円という日本の経済被害も簡単に復旧・復興できるレベルではない。だからこそ、「被害抑止」、「災害対応/被害軽減」、「最適復旧/復興戦略」の三者をバランスよく組み合わせた防災対策を行うことが重要だ。しかし一方で、私たちは大規模地震災害に備える対策を、無限の時間と予算を持って行なっているわけではない。有限の時間と予算内で行うには必ず優先順位づけが必要になり、通常は「リスク」の概念でこれに対応している。しかしこの考え方には、適用制限があり、これを忘れると “落とし穴”に陥る。リスクとは、「ハザード(危険性)×バルネラビリティー(脆弱性)」で評価される。ハザードは「外力の強さと広がり×発生確率」であり、地震でいえば、震度が「強さ」でその震度が及ぶ範囲が「広がり」、津波ならば津波の高さが「強さ」でそれが及ぶエリアが「広がり」になる。バルネラビリティーとは、ハザードに曝される地域に存在する「弱いものの数」だ。なぜ「弱いものの数」が重要か。それは、災害が “弱いものいじめ”だからである。
 最終的に、リスクは「発生時の被害規模×発生確率」となるが、起これば巨大だが、発生頻度の低い巨大地震災害は、結果的に「リスクは大きくない」と評価され、その対策は後回しにされることが多い。
 しかし、リスクの概念で優先順位づけが可能なのは、発災時の被害規模が自力で復旧・復興できる範囲まで。それを越える規模の災害は、国の存続を前提にするならば、事前の被害抑止力を高めて発生する被害量を抑えない限り、事後対応だけでは対処できない。この理解にも災害のスケール感が不可欠である。
 1923年の関東大震災の被害額は、当時の我が国のGDP比40%前後と巨大なものであった。しかし「日本は奇跡の復旧・復興を遂げたので、(今後、巨大地震が起きても)大丈夫」という人がいるが、これは正しい理解ではない。なぜなら、今と当時では時代背景が全く異なるからだ。
 まず、日本の世界経済に対する相対的な影響力が異なる。当時の日本はすさまじい経済発展途上にあったが、現在に比べれば世界経済への影響は小さかった。もう1つは、当時の世界情勢の中で、日本の早急な復旧・復興が重要と考える国々があり、アメリカなどが巨額の資金援助したことだ。しかし、今地震が起きたら、日本は当時と同様な経済的支援を受けられるだろうか。楽観視できる状況でないことは明かだ。国債の発行も現在の国の負債額や低下した格付けなどを考えれば、国民の貯蓄額を考慮しても、問題は多い。だからこそ、事前の被害抑止力を高めるとともに、早く「21世紀型いざ鎌倉システム」を確立すべきだ。とはいえ、人間は自分が想像できない事態への適切な備えや対応などは絶対にできない。そこで、スケール感の理解とともに重要になるのが、災害状況の想像力、すなわち「災害イマジネーション」だ。これを首相や首長をはじめとした政治家や行政、研究者やマスコミ、そして一般市民が、それぞれの立場で持つべきだ。
 防災は、「他人事(ひとごと)」をいかに「自分事(わがこと)」にできるかが大切。現在は、災害時に「何が起こるかわからない」、だから「何をすればいいのかわからない」、だから「何もやらない」というスパイラルに陥っている。これを断つために、災害を自分事として捉え、状況を適切に想像する能力、「災害イマジネーション」が不可欠なのだ。人はこの能力が向上すると、現在の自分の防災上の問題が理解でき、地震までの時間を使った防災対策を自然と始め、これを継続する。発災後は時間先取りで状況を認識し、自分が受ける影響を最小化する対応をその都度実施できるようになる。

災害イマジネーションなき「耐震補強支援制度」と
「被災者支援制度」の問題点

――現在、行政が行っている防災対策には災害イマジネーションがあるといえますか。
 残念だが不十分である。防災では「自助」「共助」「公助」が重要だが、基本は「自助」にあり、わが国では自然災害からの自力復興が原則になっている。しかし、防災制度設計においては、近視眼的には一見良さそうだが実際は防災力の向上に貢献しないとか、将来の巨額の公的資金の支出を生むような制度が、「災害イマジネーション」不足によって生み出されている。これでは、納税者に説明責任が果たせないし、被害の軽減にも結びつかない。
 その1つが、自治体が事前に資金を用意して、市民に補強をお願いする現在の「耐震補強支援制度」である。この制度は、耐震補強が必要な建物数(都道府県あたり10万~100万戸)を考えると、必要な予算額が高額(1000億~1兆円)になり現実的ではない。この規模の予算を地震の前に用意できる自治体は日本中どこにもない。もし多くの人々が手を挙げたら成立しない制度である。さらに建物の数を限って施しても、公的資金が導入された耐震補強家屋の品質を、継続的に確認するインセンティブが行政に発生しない「やりっぱなし」の制度であり、「悪徳業者」を生む可能性を高くする。さらに高額の補助金を出す自治体では、市民がなるべく高い資金援助を得るために所得が低くなるまで補強を先送りしたり、高い支援金を見込んだ業者によって、耐震補強費が他地域より著しく高額になる問題が生じている。
 もう1つは兵庫県南部地震の後に設立された「被災者生活再建支援制度」だ。これは自然災害の被災者の生活再建支援を目的としたものだが、再考すべきだ。私は被災地で困っている人を助ける制度を否定しているのではない。この種の制度を考える場合には、同時に事前に自助努力した人が被災した場合に報われる制度を整備しないと、「自助」のインセンティブがなくなり、被害が増大し莫大な公的資金の出費が必要になることに警鐘を鳴らしているのだ。
 この制度は、最初は上限100万円で始まり、その使い道も公的資金の利用原則に従い、個人資産としての被災建物の修復などには利用できなかった。しかし、金額と使途制限に対する反対が現場からあがり、それに対応して額が300万円に増額されるとともに被災建物の修復にも利用できるようになった。これで公的資金の利用原則が破棄され、さらに所得確認の手続きの簡略化のために、所得制限も撤廃された。これで、大規模災害時の財源が全く足りない状況になった。対処すべきスケール感の欠如が生んだ制度設計と言える。私は、被災者生活再建支援制度が設立、改訂されていく中で、ずっと言い続けてきたことがある。それは次のようなものだ。 「起こって欲しくはないが、この制度の下で最初に起こる地震災害が数十万棟の全壊・全焼建物を生じるようなものであれば、自助努力を前提条件としない支援制度の問題を多くの人々が認識できるだろう。なぜなら、これが被害抑止に全く貢献しないばかりか、莫大な予算を必要とすることがはっきりするからだ。問題は、数百~数千世帯程度が支援を受ける程度の地震が起こった場合だ。マスコミは支援を受けた被災者に支援制度の感想を尋ねるだろう。支援を受けた被災者は、タックスペイヤーの視点はなく、タックスイーターの視点から、『支援は本当にありがたい。このような制度があって本当に助かった』と涙ながらに答えるだろう。
 マスコミはさらに質問を続ける。『この制度に関して何か要望や意見はありませんか?』支援を受けた被災者は、『300万円はありがたいが、これだけでは不十分だ。何とか増額して欲しい』と答える。このような発言を受けて、マスコミや一般社会、そして政治家はどう対応するだろうか?
 現在の地震学的な環境と地震被害のメカニズムを十分理解した上で、タックペイヤーの視点から適切に発言している人は限られている。残念ではあるが、『もっと増額すべきだ』的発言や世論が出てくることは想像に難くない。被災者が傍らにいて、このような議論になった場合に、この流れを止めるのは容易ではない。だからこそ、今、タックスペイヤーに対して、責任ある説明ができる制度を十分議論しなくてはいけない」

努力した人は優遇され、本当に弱い人を助ける 
シンプルな防災支援体制「目黒の3点セット」を

――では、被害を軽減するための建物耐震化を進めつつ、被災者を支援する行政の財政負担を軽くする制度をつくる方法はあるのでしょうか。

 私はこうした問題を解決する制度として、「行政による新しいインセンティブ制度」(公助)、「耐震補強実施者を対象とした共済制度」(共助)、「新しい地震保険」(自助)の3つ、「目黒の3点セット」を提案している。我が国では「自力復興の原則」があるにもかかわらず、実際に被災すると、ガレキ処理や仮設住宅建設をはじめとして、行政による各種の公的支援が行われる。その総額は、阪神・淡路大震災の際には、住宅が全壊したケースで最大1400万円/世帯、半壊でも1000万円/世帯の規模である。これらのほとんどは、建物が被災しなければ使う必要のない公費だ。そこでまず、「公助」である「行政による新しいインセンティブ制度」は、持ち主が事前に自前で耐震補強して認定を受けた住宅、または耐震診断を受けて補強の必要がないと評価された住宅が、地震で被災した場合に、損傷の程度に応じて行政から優遇支援される制度だ。この制度は、事前に努力した人が被害を受けた時は、努力をしていなかった人より優遇するというシンプルな考え方だ。
 この制度により被災建物数が激減するため、行政は全壊世帯に1000万円を優に越える支援をしてもトータルの出費を大幅に軽減できるうえ、行政が事前に巨額の資金を用意する必要がない。また、行政は事前に契約を交わした物件が将来の地震で被害を受けた際にお金を支払う義務が生じるので、その後のメンテナンスを継続的にチェックするシステムが生まれる。これは社会ストックとしての住宅群の品質管理上、大きな意味を持つとともに、「一発勝負のやりっぱなし」の悪徳業者を排除する。つまり、地元に責任あるビジネスを提供し、地域の活性化に貢献する。さらに、耐震補強に関して、現在多くの人々が抱える次のような不安を解消し、補強に踏み切る後押しをする。
「耐震改修を行った住宅の耐震性が平均値として向上することはわかるが、安くはない費用をかけて補強した自分の建物の耐震性がどの程度向上したのかよくわからない。しかも、将来の地震時に被災しても誰も補償してくれない」
 政府・財務省は私のこの提案に反対した。公的なお金を“私”の財産の復旧・復興に使うことは公的資金の使途上の問題があるからだ。結局、「入り口の原則論」に終始して、災害の後に発生する巨額の公的出費を大幅に軽減できるというメリットにまで話が及ばなかったが、現在では先に説明した公金を“私”の財産の復旧・復興に使うことができる「被災者生活再建支援制度」が成立している。防災の制度であるにもかかわらず、将来の被害を抑止する効果がゼロ、しかも莫大な公的財源が必要なこの制度と、将来の人的・物的被害を大幅に軽減できるとともに、仮設住宅や復興住宅も不要になり、大幅な公的出費の軽減が実現する提案制度のどちらの防災効果が高いかは自明である。

耐震補強は1平米1万5000円ほどで可能
 家主と行政が共に得する「耐震補強制度」とは

 お金の問題を耐震補強が進まない最大の理由のように言っている人たちも多いが、私はこれも正しくないと思っている。耐震補強と無関係なリフォームは、戸建住宅だけでも年間約40万棟、平均350~400万円のお金をかけて実施されている。耐震補強をリフォームの機会に一緒に行えば、補強分の費用は格段に安くなる。そして提案制度を利用すればいい。
 確かに耐震補強をするキャッシュが手元にない人たちもいるが、その中には土地付き住宅や生命保険を持っている人たちも多い。彼らには、土地や生命保険を担保に、金融機関からお金を借りて耐震補強をしてもらう。しかし翌月からの支払いが難しいので、それを行政が貸し付ける。払い戻しは、世帯主が亡くなった際に担保したものからから払って貰えば、行政の実質的出費はない。放置しておいて建物が崩壊すれば発生する巨額の公的支出が大幅に軽減できるし、借金までして耐震補強した家の持ち主も、被災した場合には優遇支援が受けられる。将来の被害が大幅に減るだけでなく、家の持ち主と行政の両者が大きな得をするこの制度が「行政によるリバースモゲージを活用した耐震補強推進制度」だ。
 賃貸住宅については、家主が耐震改修をした方が得だと思える制度を作るべきだ。たとえば耐震性や耐震補強の実施状況の情報を開示し、質の良いものが高く貸せるようにする。私の調査では耐震補強をした場合、家賃の5~10%アップを許容する人が全体の3分の2だ。これは耐震補強費が10年で捻出できることを意味する。売買でも同じだ。耐震性の高い建物や土地が高く評価され物流上有利に展開する仕組みが重要だ。不動産売買時の重要説明事項に「耐震性」や「地震に対するリスク」を組み込む制度を考えるべきだ。
 耐震化を進めるには、既に説明した「災害イマジネーション」と「制度」、さらに適切な「技術」が必要だ。「技術」には「補強技術」と「診断技術」があるが、「補強技術」としては高性能であっても高価格では問題解決の決定打にはならない。一方で安すぎてもいけない。施工者に応分な利益が上がることが重要であり、“安ければ安いほどいい”では悪徳業者しか入ってこない。そして、耐震補強前後での性能の違いが簡便かつ高精度に評価できる「診断技術」の整備が重要で、これによって悪徳業者が入り込む余地はなくなる。現在の耐震改修費は木造で1平米あたり1万5000円が目安だ。100平米なら150万円。最近ではもっと安い工法も提案されている。自家用車の価格と比較して欲しい。これで長期にわたって家族の生命と財産を守ることができる。
自動車を購入する際は、多くの皆さんは強制保険はもちろん、任意保険にも入るだろう。それは間違って事故を起こしたときの悲惨さがイメージできるからだ。しかも巨大地震が頻発する危険性の高い我が国では、耐震補強費と将来の被害軽減額の期待値は自動車保険の期待値に比べてはるかに高く、その値が5~10倍という地域と物件もざらである。耐震補強は経済的にも得をするということだ。

数万円の積み立てで全壊時に1000万円 
新しい「共済制度」と「地震保険」で盤石に

 次に、新しい「共助」として提案しているものが「耐震補強実施者(現行の基準を満たす建物に住む人を含む)を対象としたオールジャパンの共済制度」である。現行の耐震性を満たす建物が被災するのはおおむね震度6以上の場所のわずか数%程度。巨大地震が発生しても、震度6以上の揺れにさらされる地域に存在する建物は 全国の建物の数%以下で、地域内の耐震補強済みの建物が被災する確率は、全国比でせいぜい数百分の1程度だ。つまり数百世帯の積み立てで全壊世帯1軒、半壊世帯2、3軒を支援する割合になる。私の試算では、東海地震を対象にすると、耐震補強時に2万円ほどの積み立てを1回するだけで全壊時に1000万円、半壊時に300万円の支援を受けることができる共済制度が成立する。東海・東南海・南海の連動地震を想定しても、耐震補強時に4~5万円程度の積み立てを1回だけすれば、同様の支援を受けられる。ところが耐震補強を前提にしない現行の共済制度では、地震時に被災するのは脆弱な建物なので、自助努力した人から集めたお金が努力していない人に流れるだけで、耐震補強へのインセンティブを削ぐ。しかも補強を前提にしていないために被災建物数が多くなり、十分な積立ても難しい。最後の「自助」は「新しい地震保険」である。耐震補強済みの住宅が揺れによって壊れる可能性は著しく低い。また既に説明した公助と共助の制度から、揺れで被災した場合には建物の再建に十分な2000~3000万円という支援が得られる。問題は震後火災だ。そこで私の提案する「新しい地震保険」は、揺れによる被害を免責にする地震保険で、揺れには耐えて残ったが、その後の火災で被災した場合に役立つ保険だ。全壊率と初期出火率は比例する。全壊すると初期消火が難しくなるので延焼確率はさらに上がる。建物の耐震性が高まると初期消火活動の条件が向上するので、延焼火災数は大幅に減少する。これらの条件を考慮して保険を設計すると、揺れによる被災建物を免責にした場合の補償対象建物数は、簡単に100分の1程度、すなわち年間10万円の保険料が1000円になる。これならば地震保険の割高感もなくなるし、火災保険の30~50%という地震保険の補償制限も撤廃できる。
 今まで紹介した一連の制度を「弱者切り捨ての制度」と言う人がいるが、それは全くの誤解で、むしろ逆だ。我が国が直面している現在の地震危険度と想定される被害の規模を考えると、今求められる制度は、「国民1人ひとりが事前の努力でトータルとしての被害を減らすしくみを作った上で、努力したにもかかわらず被災した場合に手厚いケアをする制度」である。このような制度で、被害を大幅に減らさないと、本当に弱い人を助けることができない状況であることを是非理解していただきたい。

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では、本文を。韓国と北朝鮮はまさに対照的?時間の速度が違う両国と「時間要因」という基礎的深部を学びましょう。

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2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(下)
第10部 地殻変動 P.254~P.265

第46章 韓国の時間との衝突
 地政学シナリオの構築に熱中している専門家の間で、朝鮮半島ほど関心を集めている地域はまずないし、恐ろしくはあるが実現可能性の低いシナリオがこれほどさまざまに作られている地域もまずない。
 朝鮮半島の二つの国の将来はどうなるのだろうか。同じ民族という意識は強いが、経済や政治体制、文化がまったく違っている。一方の国は、知識に基づく第三の波の経済と文化に移行しようとしており、この大きな動きの最先端にある。もう一方の国は、第一の波と第二の波の飢饉と貧困の間をさまよっている。
 一方の国は世界のリーダーであり、もう一方の国は仲間はずれにされている。一方の国では、国民が高度な知識を身につけており、世界各国を自由に旅し、世界のどこに住む人とも高速のデジタル通信で連絡をとりあっている。もう一方の国では、国民を沈黙させ、厳重に閉じ込めている。一方の国は高速の未来を探究している。もう一方の国は、慎重に経済改革を進めてはいるが、過去の遺物のような状況にあり、王朝を受け継いだ国王のような金正日総書記に支配されている。
 一方の国は、明日の革命的な富の体制を構築する動きの一翼を担っている。もう一方の国は、時代後れの反革命的経済にしがみついている。
 韓国も北朝鮮も世界的な「超大国」ではない。だが、北朝鮮はミサイルと核技術をもっているので、両国の関係がどうなるかが世界の多くの地域に影響を与える可能性がある。だからこそ、ワシントン、北京、モスクワ、台北、東京、ニューデリーなどで軍事専門家、外交専門家、ジャーナリスト、小説家、情報機関、国際機関が朝鮮半島の将来について、驚くほど多様なシナリオを構築しているのである。(中略)
 朝鮮半島の問題とそれが経済に与える影響は論じつくされ、語りつくされているので、新しい論点を示す余地などないように思える。だが、革命的な富の基礎的条件の深部に視点を移し、本書で一貫してそうしてきたように、時間、空間、知識に注目すれば、多数の問題をこれまでとは違う新しい観点から検討できるようになる。
 空間と知識への影響は簡単に見つかる。たとえば、国境という空間要因が変化すれば、アメリカ軍が中国の戸口に駐留することになりうる。北朝鮮が長距離ミサイルを開発すれば、同国の活動空間が拡大する。知識の役割に関していうなら、韓国は経済の知識基盤を日々、劇的に拡大している。北朝鮮はそうしていない。
 だが、基礎的条件の深部の要因のうち、理解と研究が最も遅れているのが、時間要因である。そして、時間と時期は朝鮮半島の将来にとってカギになる可能性がある。
 たとえば、各国が応酬する言葉の裏にあるものをみていくと、北朝鮮の核兵器をめぐって北朝鮮、韓国、中国、ロシア、日本、アメリカが断続的に行っている六カ国協議が、時間に関する想定の対立を前提にしていることが分かる。これらの点をみていけば、現在の動き、そして今後の可能性について、新鮮な見方が得られる。

時間をめぐる衝突
 戦術的な政策の水準では、時間は決定的な意味をもっている。アメリカは日本の支持を受けて、北朝鮮の核開発の進展を止める形で問題を素早く解決するよう望んでいるが、北朝鮮にとって、交渉を速めることは利益にならない。
 北朝鮮が実際に核兵器とそれを搭載するミサイルを製造しているのであれば、六カ国協議を長引かせるほど技術開発が進み、武器の精度が向上し、交渉力が強まる。交渉を長引かせるほど、明らかに有利になる。
 この点から、北朝鮮が提案を行い、それを撤回し、交渉相手を非難し、協議への参加を拒否し、しばらくたって復帰し、またしても引き延ばし策をとるといった動きを続けている理由が説明できる。アメリカの軍事攻撃の脅威が差し迫っていないのであれば、北朝鮮は交渉を遅らせるほど有利になる。
 韓国が北朝鮮の核兵器増強を真剣に懸念しているのであれば、交渉を速めるほど有利になる。だが、韓国の有権者のうちかなりの部分、とくに若者の多くは北朝鮮よりアメリカを嫌っており、金正日総書記の引き延ばしをとくに懸念していないようだ。
 韓国国民の多くはもはや、北朝鮮を脅威だとは感じておらず、いずれ、南北統一が実現すると見ている。北朝鮮が統一にあたって核兵器を持参するのを歓迎する見方もある。六カ国協議をできるかぎり引き延ばすのが得策ではないだろうか。北朝鮮と韓国にこのような利害があるので、北朝鮮の核開発をめぐる交渉は、もっともゆっくりと踊った選手が勝利を収めるタンゴ競技会のようになっている。

時間の矛盾
 韓国の南北統一戦略と北朝鮮の対応にも、これと同じ引き延ばし政策が使われている。
(中略)
 韓国では、北朝鮮をきわめてゆっくりと包容していく政策への支持が増えてきた。朝鮮半島を超えた世界で大きな変化が起こっていることがその理由だ。たとえば、1991年のソ連崩壊によって、北朝鮮が強硬な共産主義経済政策を見直すことになると考えた人が多かった。これは当然の見方だが、そうならないとしても、中国の変化をみれば、経済改革によって大きな可能性が開けることが示された。そして、朝鮮半島の恐怖を経験していない若い世代が権力を握るようになったことでも、包容政策への支持が強まってきた。(中略)韓国は、第一の波の農業経済から第二の波の工業経済への飛躍を、ほぼ30年で達成し、そのスピードで世界を驚かせたのだが、第三の波への移行にあたって、さらにスピードを上げている。(中略)韓国の生活のペースが極端に速いことは、外国からの訪問者にはとくに目につく。ファイナンシャル・タイムズ紙はこう伝えている。「韓国はダイナミックそのものだ。生活のペースは『バリバリ』(速く速く)という言葉に象徴されており、長く立ち止まっている人はいない」(中略)ハーバード大学韓国研究所によれば、「速さに敏感なこと」が「現代の韓国が体得した感覚のなかで決定的に重要だ」。極端に急速な変化によって、「韓国ではスピードが共通の感覚だとの確信が生まれている」という。
 これに対して北朝鮮では生活のペースがきわめて遅く、脱北者が韓国に到着するとまずは定住支援施設に入り、「生活のペースの違いに慣れるようにする」とコリア・ヘラルド紙は伝えている。(中略)韓国のスピードの文化を考えれば、統一に関する世論が今後数十年にわたって変わらず、統一の動きが直線的に、慎重に管理されたペースでゆっくりと進んでいくとの見方は疑わしく思えてくる。いまの統一政策は策定された時点では適切だったが、その後に先進国の経済と国際政治体制は超高速で変化するようになった。いまでは、歴史は待とうとしない。

韓国のキムチ、ドイツのザウアークラウト
 東西ドイツの統一に関する文献は大量にあり、朝鮮半島の状況と比較した文献も多い。だが、これまでの研究のほとんどは、朝鮮半島の内部についても外部についても、通常の経済分析を行うだけで、変化の加速と非同時化の影響は取り上げていない。
(中略)
 時間は、狩猟採取の時代から現在まで、すべての経済体制と社会を支える基礎的条件の深部のなかで、もっとも重要な要因である。韓国が高速の文化や経済と、意識的に低速にしている外交との間の矛盾をどう扱うかが、韓国と北朝鮮の未来に大きな影響を与えるだろう。
 旧ソ連も韓国も、経済と政治の変化について、理性的な提案を行った。どちらの提案も、30年の期間にわたって、ゆっくりと段階的に改革を進めていくというものである。
 しかし、人びとが環境の変化に順応できるように十分な時間をかけて前進していく合理的な試みと、変化が加速する世界の圧倒的な現実との間には、大きな矛盾がある。
 協議の参加者の間にはさまざまなシナリオ、姿勢、複雑さ、矛盾があるが、もっとも重要な参加者は時間という要因なのかもしれない。