朝比奈切通

2017-09-26 10:02:18 | 日記

鎌倉時代の道『朝比奈切通』を久し振りに歩きました。

朝比奈切通とは、いざ鎌倉という時、鎌倉に居る将軍の元へ

駆けつける為の道だと聞いてます。Internetで調べると下記の様な説明が出ました。

朝夷奈切通(あさいなきりどおし)は鎌倉七口のひとつで、神奈川県鎌倉市十二所から 横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ峠道(切通し)である。 目次. [非表示]. 1 概要; 2 文化財; 3 脚注; 4 関連項目. 概要[編集]. 『吾妻鏡』は、1241年(仁治2年)4月から鎌倉幕府 ...

今回は熊野神社までの三叉路迄です。鎌倉市十二所迄は次回御期待を乞う!

我が住宅地から朝比奈峠へ行く入口は数か所有ります。私が知ってる道は4箇所のみで、

お寺から畑から小学校の脇からと国道の正規の道4箇所です。

今回、私が歩いた道は小学校脇からの道です。此処は鉄塔修理工事道みたいです?

物凄い急坂で、四つ這いに成らないと上がれないような坂道です。

今回は工事現場で使う黄と黒のロープが張って有り、捕まって歩いたがそれでも一度

ひっくり返りました。坂道を上がり切ると下の通りの様に穏やかな道に成ります。

暫く行くと、この様な看板が彼方此方に表示されています。

日本国なのに、日本人が入るとお巡りさんに手錠を嵌められます。

私の親友が、この様な看板が掲げられている場所に入り、手錠をはめられました!

直ぐに釈放に成りましたけど、他人の事だけど本当に腹が立ちました。

此の柵伝いに行くと、鎌倉じゃなく逗子に行きます。

暫く行くと分かれ道が有ります。熊野神社の方へ向かう。

途中で逗子の方と我が住宅地が見える場所が有ります。

これらが過ぎると、我々が前に通った道が危険の為か、迂回の道が作って有った。

いよいよ、熊野神社の裏手に到着する。

上の写真は表面ではなく、裏側からの熊野神社の写真です。

下の写真が熊野神社表面です。

怖い話をします。私が初めて此の神社の来たのは、40年以上前の事です。

私の子供と、妹の子供を引き連れて来ました。その時の神社は古くてもっと

小さな神社であったような気がします。今のように手入れがされてなくて古臭い

神社でした。そこへ大人2人と子供5人を引き連れて来ました。

お堂を見ると巻紙でお堂がぐるぐる巻きにされて居る。何か社会の情勢に不満を

毛筆でぶつけているような文面でした。

ふと境内の大きな杉を見ると、わら人形が何体か五寸釘で貼り付けてある。

子供達は何だと思って触ろうとしたので慌てて止めた。もし、祟りでも有ったら大変

私も初めて見たが、今考えると写真を撮っておけば良かったかな

その当時はスマホは無かったし、カメラを持って行かなかった。残念です

下の写真がそのお堂ですが、当時の者では有りません。

此処までが熊野神社への道です。

朝比奈切り通しの三叉路に掲げてある表札です。

下の写真は朝比奈切り通しです。この道を馬で駆け抜けて行ったのでしょうか?

とても馬に乗って行けるとは思えないが、奥が鎌倉十二所のに行く道です。

誰が何時頃刻んだか、仏様が岩肌に刻んである。

運慶のようには上手くはない!素人の手彫りですね?

 

以上夏のウオーキングでした。

マウンテンバイクは禁止されてるハズだが、輪の痕が無数に有る。

何で規則を守れないのか?今回は一度も会わないが、前の時は

行き成り後ろにいるので、ビックリさせられたこともある。

危険だから禁止されているのだから、守るのが普通の人間でしょうね