楽しく遍路

四国遍路のアルバム

H25 初夏 ① 三角寺 奥之院仙龍寺 椿堂

2013-06-14 | 四国遍路

     新しいアルバムの目次へ    古いアルバムの目次へ    神々を訪ねて目次へ三角寺へ 三角寺口左が、平山→椿堂への道、右が三角寺への道です。川が流れており、(国土地理院の地図では確認できませんが)、「三角寺川」と呼んでいます。架かっている橋は「三角寺川橋」だそうです。同名の橋が川之江にあったことは、前回報告しました。この地点は「お接待場」だったそうです。ワラジや白米が供されていたことは、今日ではイメージしにくくなっていますが、私は小学校の修学旅行で米三合を持参しており、思い当たるところがあります。ワラジも(やがて下駄に代わりましたが)、履いていた記憶があります。 登り三角寺口から三角寺まで、標高差およそ270㍍を登ります。三角寺は、私にとって、思い出深いお寺です。2005(H17).4、三角寺で打ち止めた後、椎間板ヘルニアが発症、手術しました。登りリハビリ中、母を亡くしました。けっこう厳しい時間を過ごしたのでした。→復活遍路1年9ヶ月のリハビリの後、2007(H19).1、再びこの地に立ったときの悦びと不安は忘れられません。三角寺石段昨年秋の遍路を三角寺打ち止めにしたのも、次回アクセスの便利さもありますが、特別の思いがあったからでした。三角寺から奥之院仙龍寺への道は、ながく暖めていた道です。「三角」三角寺の名の興りともいう三角形です。五来重さんによると、弘法大師が降伏護摩の秘宝を修された、三角形の護摩壇の跡だそうです。今は池になり、弁天様が祀られています。大師堂に龍の鏝絵がありました。奥の院・仙龍寺の「龍」とかかわるのかもしれません。「四国�衆礼霊場記」に寂本さんは・・・社の前、池あり。嶋に数囲の老杉あり。大師の時、此池より龍王出て、大師ご覧ぜしとなん。・・・と記しています。仙龍寺の龍は、降伏護摩で大師が従えた龍です。なお、その左の面に、明治期の落書きがあります。個人名がありますので、写真は載せません。一茶松山からの遍路道では、何回か一茶の足跡と交差しました。・・・これでこそ 登りがいあり 山桜・・・だそうです。三角寺の桜はきれいです。一茶は実報寺でも桜を詠んでいました・・・遠山と見しは是也花一木(ひとき)・・・実報寺の一木桜も、(私は花は見ていませんが)、見事です。 奥之院仙龍寺へ奥之院への道標奥之院への道を案内する標識です。一山隔てた奥之院につながる道が、これ以上は望むべくもないくらい、よい状態で残っているのですけれど、三角寺さんも仙龍寺さんも、その通行を望んでおられないようです。大きな事故が起きたからだといいます。 奥之院への道人の目を盗むように、(いえ、実際に盗んで)、境内からスルリと、奥之院道に抜け出しました。この道は、やはり歩いてみたい道なんです。「自己責任」とは言え、事故が起きてしまえば、誰かの助けが必要になります。よほど慎重に歩かねばなりません。登り口閉ざされた感じの空間から、開けたところに出てきました。「仙龍寺」の案内も目に入り、ちょいと気が楽になりました。後ろめたさから解放されてきます。地蔵峠へ歩き始めると、次々と現れる道標や丁石やが、三角寺と仙龍寺の深い繋がりを、否応なく、感じさせてくれます。いい遍路道です。地蔵丁石も、一つ一つの確認は出来ていませんが、ほぼ完全に残っているようでした。滑り止め階段どなたが刻んでくださったのでしょうか、よく整備されています。この道のどこが危険なんだろう、今のところそんな感じです。倒木処理何カ所かに「除草お接待」の鎌が吊されていましたが、私が通ったときは、その必要がないくらい短く刈られていました。古い倒木も、また新しい倒木も、よく処理されています。キャンプ場峠の市民キャンプ場です。もう使っていない?夏になれば除草など、整備され、使われている?わかりませんが、ここまでは車でも来られます。地蔵峠1時間ほどで地蔵峠に着きました。峠に、4体の石像がありました。左から2番目は、木食(もくじき)僧・仏海如心さんが刻まれた地蔵道標だそうです。室戸岬への途中、誰もが立ち寄ったであろう、「仏海庵」の如心さんです。およそ2年間、仙龍寺に籠もり、千体地蔵を製作されたのだそうです。そのうちの1体でしょうか。地蔵峠標高765㍍、三角寺から2.6㌔、仙龍寺まで2.1㌔だそうです。ここからが下りになります。山道は下りこそ用心しなければなりません。お寺の心配は、これからの道にあるのかもしれません。馬場桜見事な一本桜に出会いました。400年もの、だそうです。この緩斜面を「桜馬場」と呼び、桜を「馬場桜」と呼んでいます。今年も、満開の時期には多くの人が来て、花見をしたそうです。(後で聞いた話ですが)、下の道を走る福祉バスの運転手さんが開花状況を日々観察し、その結果が、新宮支所(四国中央市)を通して広報されたそうです。大窪集落大窪(大久保)の集落に降りてきました。村道を、写真奥に進むと、市仲(いっちゅう)→堀切峠→雲辺寺、に至ります。真念さんは「四国遍路道指南」に・・・おくの院八丁前に大久保 家二三軒有、荷物をきて(置きて)よし。但おくの院一しゅく(一宿)の時は荷物持行・・・と書いています。むろん、この村道がそのまま、昔の道ではありません。奥之院不動堂への入り口村道を越えて下ると、不動堂への入り口が見えてきます。不動堂の為だけのスペース、構造物としては、大きすぎる感じです。金光山仙龍寺「準別格本山 四国奥之院 金光山仙龍寺」とあります。五来重さんは、ここを奥之院址と考えておられるようです。ここから、(いつの頃か)、「・・・三角寺と仙龍寺が分かれて、山麓に下ったと理解するべきでしょう」、と書いておられます。奥之院不動堂弘仁6(815)、弘法大師が訪れ十一面観音像と不動明王像を彫像されたのだそうです。この不動堂は、その故事に基づいていると思われます。十一面観音は、三角寺が本尊として祀っています。そして仙龍寺の御本尊は、弘法大師です。手前の奥之院への道標は、茂兵衛道標だったと思います。「奥之院へ八丁」とあります。真念さんの記事とも合致します。奥之院までの急な下りを「八丁坂」と呼んだのだそうです。通夜をなし御利益を・・・奥之院へ八丁 毎夜 御本尊の御開扉や於護摩乃修行が阿ります。通夜をなし御利益(ごりやく)を受けなさい、とあります。中務茂兵衛さんからのメッセージです。なるほど、仙龍寺の建物が楼閣状であることに合点がいきました。よく知られた仙龍寺の特異な建物は、通夜堂だったのです。箸蔵寺七里 雲辺寺五里石段の上が不動堂です。手前の道標は雲辺寺、箸蔵寺への道を案内しています。真念さんが書いている、市仲を経由する道でしょう。しかし、今、その道を辿ることは難しいようです。ダム湖銅山川に建設された新宮ダムのダム湖です。貯水量が減っています。後で知りましたが、この翌日から、四国中央市の工業用水第1次取水制限(20%カット)が始まったのでした。新四国八十八箇所奥之院まで四丁の所で道が分岐しています。右が「清滝道」で、「新四国」を巡りながら奥之院に至る道です。左は、急坂を下りて、まっすぐ奥の院に至ります。ただし、私が歩いたときは、(草が繁茂していたからでしょうか)、左の道は見えませんでした。ほとんど無意識に、清滝道=新四国の道に入っていました。左の道については、わかりません。右は、慎重に降りるべき道ではあります。屋島の下りほどではありませんが、急坂ではありますから、悪天候時には、避けるべきと思われます。清瀧「瀧」は「龍」です。仙龍寺の龍でしょう。この地点を「新四国」では、清瀧寺-青龍寺に当てています。長く雨が降っていないので、残念ですが水量が減っています。新四国の道新四国巡拝路は中務茂兵衛さんが発起人なのだそうです。右端が一番霊山寺です。茂兵衛さんは仙龍寺を「定宿」としていたとも聞きます。この道を愛しておられたのでしょう。仙龍寺一番を過ぎると、すぐ、仙龍寺の建物が見えてきます。前述の通り、通夜堂です。履き物を脱いで上がります。通夜堂の中核が大師堂=本堂です。前庭はコンクリートで固められています。もちろん昔、そんなものはありません。寂本さんは「四国遍礼霊場記」に・・・一の橋二の橋ありて、回廊十八間を構ふ・・・と書いています。橋が架かっており、「回廊」十八間の通夜堂が建っていた、そうです。回廊があるということは、現在と似た造りの建物だったと思われます。コンクリートの下一の橋、二の橋が架かっており、橋を渡って通夜堂に入ったようです。「村営」福祉バス出来れば不動堂まで引き返し、市仲に向かいたかったのですが、私の脚では無理のようでした。「村営」福祉バスで新宮まで行くことにしました。新宮で「せとうちバス」に乗り換え、平山で下車します。堀切トンネル入り口で乗り換える方法もありましたが、どうせ平山着時間は同じですから、新宮まで運転手さんと二人、バスの旅を楽しみました。なお、コミュニティーバス時刻表ですが、古いものがネット上に残っていますので、注意が必要です。新宮紀伊国新宮から熊野神社を勧請したことが、地名の興り、とされています。東西に銅山川が貫流しています。かつては南北に土佐北街道が縦貫していました。堀切トンネルが抜けて、川之江までが20分に短縮されました。椿堂へせとうちバスせとうちバスで平山に帰ってきました。ふたたび歩きで椿堂を目指して歩きます。椿堂へ手押し車に腰掛けて、おばあさんが掌を合わせていました。前にお地蔵さんが立っていらっしゃいます。「北向き地蔵さんは珍しかろ・・・」、おばあさんがおっしゃいます。言われて確かめてみると、確かに北向き地蔵さんでした。北には、中国では「匈奴」が、日本では「蝦夷」(エビス)がいましたから、(釈迦入滅時の北枕とも結びついて)、北という方角は、「悪い気」が吹き溜まっている方角、とされてきました。そんな訳で、天子は南面し、臣が北面しました。ここから「北面の武士」という言葉も興りました。夜の宿お貸します宝珠と錫杖しか持たないにもかかわらず、地蔵菩薩の守備範囲は変幻自在、多岐にわたっています。北の邪気を払うのも、お地蔵さんの大切な役割の一つです。「この先にもお接待の場所があるからな、休んでいきなさい」と、おばあさんは話してくれました。休憩所ここは記憶にあります。真っ白の鳩が飼われていました。今も鳩舎は残っていました。鳩の「白」を維持するには、白鳩の中に黒鳩を一羽混ぜないといけない、混ぜないと、白がおかしくなる、というお話が印象的でした。 →白鳩秋葉神社「椿堂 秋葉神社」とありますが、この「椿堂」は、地名です。椿堂椿堂には非核不動尊がいらっしゃいます。・・・災いを 三千歳百々歳 永却に 我は守らん 火(非)核の国・・・今、改めて「非核」の意味が問われています。問わなければなりません。さて、次回は境目峠-雲辺寺-萩原寺-大興寺の辺りを報告させていただきます。アップロードは7月5日の予定です。     新しいアルバムの目次へ    古いアルバムの目次へ    神々を訪ねて目次へ

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6 コメント

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Unknown (枯雑草)
2013-06-15 21:39:09
こんにちは。
今回はまた特別素晴らしい写真(2枚目)からスタートですね。三角寺口、今は通る遍路は少ないでしょうが、古いものがいっぱい潜んでいそうな、いい所ですね。
三角寺の境内、奥の院の案内。写真は徳右衛門標石ですがもう一つ茂兵衛標石があります。不動堂近くのものと同様の文が刻まれています。
東京のめぐめぐさんの除草のお接待鎌、すっかり有名になりましたね。
新宮と平山の間はバスがあるのですね。片道これを利用すれば横峰越の旧土佐北街道の歩きに意欲が湧きますね・・
実は私は、土佐北街道の南端(高知から言うと北山越でしょうか)権若峠、国見峠越えに興味を持っています。もっとも実現は時間的にも体力的にもちょっと無理でしょうが・・
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Unknown (楽しく遍路)
2013-06-16 11:28:31
枯雑草さん ご指摘、ありがとうございます。
早速、三カ所、追加、訂正しました。三角寺に茂兵衛道標が見つからなければ探す、これが当たり前でした。通夜に関する文も、茂兵衛さんのものだと明記しました。
めぐめぐさんの「お接待鎌」、伊豆田峠でも見かけましたが、呼びかけてくるものがあり、なかなか素通りするのが難しいところがあります。いい工夫だと思いました。
枯雑草さんの土佐北街道報告、つい期待してしまいます。というのも、今回の区切りで、以前いただいた遍照院、白峯周辺の地図がとても役立ったからです。枯雑草さんの半分も歩けませんでしたが、近く報告いたします。ついでのようで申し訳ないですが、再度、ありがとうございました。



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Unknown (天恢)
2013-06-20 22:32:35
今回の「三角寺 奥之院仙龍寺 椿堂」も楽しく読ませていただきました。 
 もう数年前の話ですが、ブログを書きながら遍路されていた方なのですが、三角寺から仙龍寺へ、どの道を選ぶか? 迷われたので、コメントで旧遍路道を勧めたのですが、この時期(6月)は雑草が生い茂るのでということで一般道を選ばれました。(もっともこの方はモンスター的健脚家で、苦もなく堀切トンネルを歩かれましたが・・・) 
 今回のブログに、『何カ所かに「除草お接待」の鎌が吊されていました』と、ありましたので、こころある方に護られて、それなりに整備されてきたのですね! 
三角寺から仙龍寺へ行かれる方にはきっと参考になります。
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Unknown (だぼ)
2013-06-21 09:55:43
東京のめぐめぐさんが置いてある鎌ですね
今回5/25に歩いてきましたが草刈りしなければならない場所は一か所もありませんでした
仙龍寺まであと4丁の丁石地蔵がある先で道は分岐しています
両方とも仙龍寺に行き着くのですが正面に進む道(手遣りが示している旧来の道)は崖が崩れていて危険
右にV字に曲がって(案内板があります)清滝の前を通るルートは安全ですしとてもいい道ですよ
道の紹介をようやくアップしましたので寄ってみてください
「休日に歩いて遍路」
楽しく遍路さん コメント欄を使って自分のブログ紹介 お許しくださいませ
同じような時期に歩いたのですね
一度お会いしてお遍路談義などしたいなぁ
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Unknown (楽しく遍路)
2013-06-22 09:05:30
天恢さん だぼさん ありがとうございます。
すぐにもお返事するべきところ、ちょっと急なことがあり、遅れます。とりあえず、申し訳ありません。
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Unknown (楽しく遍路)
2013-06-24 10:38:53
天恢さん だぼさん 改めてありがとうございました。
さて、仙龍寺への地蔵峠越の道ですが、遅ればせながら私も今回歩いてみて(だぼさんと2日違いだったようです)、お二方同様、また、この道の整備に努めておられる、めぐめぐさんや燧灘さん、まだ私が存じ上げない方々同様、この道は是非、多くの方々に勧めるべき道であり、お寺さんが心配されているほどの「危険」はない道だ、との考えを強くしています。「危険」があっても、より多くの方々が歩くことで回避されてゆく程度のものだったと思います。また、だぼさんの「休日に歩いて遍路」はじめ、いろいろのブログで道情報が得られるようになっているのも、心丈夫だと思います。(その意味で、だぼさん、遠慮なくブログ紹介をなさってください)。
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