メガネの和諧堂(わかいどう)のブログ

メガネの和諧堂は京都府舞鶴市にあります。
ビジョンケアを基本にFine Eyeware Boutiqueを目指します

メガネと補聴器の相談会開催

2015年03月22日 | メガネ

メガネの和諧堂では定期的に「メガネと補聴器の相談会」を開催しています。

メガネの和諧堂は認定補聴器技能者が常在し、測定機械設備やカルテを備え、耳鼻科医師と連携して

お客様のご不自由のことに対応しております。

メガネも補聴器も長期的なお付き合いのなかでーアフターサービスの必要な商品です。

メガネの和諧堂に、メガネ、コンタクトレンズ、補聴器について、かなり遠方からお越しいただいております。

基本的に舞鶴市、綾部市、福知山市、宮津市、小浜市、などからご来店いただいております。

遠方からご来店される場合は事前にお電話いただければ幸いです。

 

〒624-0854 京都府舞鶴市円満寺155

℡0773-75-1208

火曜日定休

午前10時から午後7時まで

メガネの和諧堂(わかいどう)

www.wakaido.com 

www.facebook.com/wakaido/

 

 


世界的外科医と共同開発したズレにくいメガネフレーム誕生。シャルマン・プロフェッショナル

2015年03月20日 | メガネ

メガネの和諧堂にシャルマン・プロフェッショナル・メガネフレームが到着しました。

大木隆生教授(慈恵会医大 外科学講座統括責任者)が監修された、ずれにくいメガネフレームが開発されました

「手術中は滅菌グローブつけているので、メガネのズレを自分でなおせない、」長年の悩みでした。

シャルマンのエクセレンスチタンと頭部解析、シリコンパッド、独自のフラップモダン。

特別なメガネフレームは特別な調整技術を持つ特別な販売ルートの限定商品です。

北近畿、京都市以北は西舞鶴・メガネの和諧堂だけの取り扱いです。

お顔に合わせるフィッティング技術が一番大事なポイントです。

www.ajoc.or.jp

メガネの和諧堂はAJOC(アジョック)の正規加盟店です。

メガネの和諧堂には京都北部、北近畿各地からご来店があります。

舞鶴市、綾部市、福知山市、宮津市、与謝野町、京丹後市、伊根町、豊岡市、出石、新温泉町、香美町、養父市,

朝来市、丹波市、篠山市、南丹市、京丹波町、亀岡市、京都市、小浜市、高浜町、おおい町、若狭町、美浜町、敦賀市など

遠方からご来店の場合は事前にお電話いただければ幸いです。

京都府舞鶴市円満寺155  www.wakaido.com

メガネの和諧堂 (わかいどう、といいます。やわらぎ調和する、という意味で1885年(明治18年)創業当時からの店名です)

℡0773-75-1208

AM10:00-PM7:00


瀬野清絵画作品に対してノエル・コレ氏の寸評4

2015年03月08日 | 日記

第15回日本・フランス現代美術世界展出品作品 「ひまわり」

 

2014・8・7東京・国立美術館にて

 

ノエル・コレ氏の寸評(メモ)

 

この作品には悲しみがある。

ほかの「ひまわり」の作品とは違って擬人化して表現している。

私のいる西欧社会のキリスト教で言うならば、それはあたかも宣教師のように見える。

表現力がすばらしい。

 

 


瀬野清作品、ロジェ・ブイヨ氏寸評3

2015年03月08日 | 日記

 

 

第26回パリ国際サロン個展部門寸評

瀬野 清   SENO  Kiyoshi

 

日本人アーティストの中で本物の表現主義者というのは稀な存在です。そして

私は。瀬野 清という真の表現者に敬意を表します。彼の作品は力強く。主張する構図、インクや混合技法は、われわれの時代にある狂気と、個人を押しつぶす現代世界に対する辛辣な証言なのです。私はこの悲痛な叫びと激高、緻密で効果的な造形を高く評価します。

                         ロジェ・ブイヨ

 

 


メガネの和諧堂が美術館になった・・・・・!ロジェ・ブイヨ氏寸評

2015年03月08日 | 日記

メガネの和諧堂は、壁面に瀬野清さんの3.11を題材にして、フランスで高い評価を受けた作品展を開催している。

2015年3月1日より3月30日まで。火曜日定休 10:00-17:00

 

 

 

第2回新エコールドパリ浮世・絵展 個展部門寸評

瀬野 清 SENO  Kiyoshi

 

今日の画家において、パレットの色彩を非常に効果的に制限しながら、これほどまでの強さをもって表現を際立たせる作家を見ることはめったにない。

 

瀬野 清が正真正銘の表現主義の支持者であることは明白である。時に抑制された激しさがあり、人間の悲劇への意思表明があり、そして、観者にははっきりと強く訴えかける、人間を取り巻く情勢へのある種の反抗がある。

 

この明らかな反抗の気運は、造形的に言えば、極限の激しさと、一貫した控えめな光と、効果的なイデアリズムが同居する作品群によって説明づけられる。

瀬野 清の強調された線は、人生はあらゆる瞬間が戦いであろうとも、そのしばしば容赦ない側面を越えて、生きるに値するのだと声高の宣言しようとしている。

                          ロジェ・ブイヨ