wakuwakuなエトセトラ

出来ればこのブログで、読書の経歴と韓流ドラマの変遷を残しておきたいと思っています。

韓流ドラマの変遷

2012-08-16 17:37:55 | 韓流ドラマ
2011年中頃から見始めた韓流ドラマ。

まずは、「あなた、笑って」を一番最初にはまった韓流ドラマだ。
(平成23年9月13日~平成24年2月21日)

2012年1月14日に「ジャイアント」の試写会に行く。
何しろニッポン放送の試写会に応募したら当たってしまい、それを見たのがきっかけで、毎日録画しておき、夕飯の時に見るというのが、日課になってしまった。
イ・ボムス演じるソンモという役名は覚えてしまった。
(平成24年1月14日~4月5日?)

それと同時に見ていたのが、「赤と黒
スタンダールと同じ題名からどうなるかと思いきや、尻切れトンボで終わってしまった。でも、キム・ナムギルの演技にはため息がついた。

ジャイアントが終わって、がっかりしたのもつかの間、「善徳(そんとく)女王」を見て、楽しんだ。
キム・ナムギルも出てきたが、俳優名は分からないが、役名のユシンには心打たれた。ユシンの女王を想う抑えた演技に拍手した。
(平成24年4月2日~7月2日)

善徳女王の次は有名な「冬のソナタ」の再放送を見る。
チェ・ジウ(ユジン)やペ・ヨンジュ(チュンサン)、それに今は亡きパク・ヨンハ(サンヒョク)なんでこんなややこしいドラマがヒットしたのか分からないというのが、私の率直な感想だ。
(平成24年7月3日~8月7日)

今はチャン・グンソク主演の「ラブレイン
(平成24年8月9日~8月22日? 全20回)    

王女の男」も週一で録画してい見ている。
(平成24年7月8日~   全24回)

佐野眞一の 遠い「山びこ」  無着成恭と教え子たちの四十年

2012-08-16 14:03:05 | 読書日記
平成24年8月15日(水)読み終わる。
率直な感想は、人間の運命は人との出会いもあるが、大きな社会的な状況や家庭環境が決めるんだなと感じた。
   


私は以前から、研究校などの授業を見たあとに、これから、この先この子達はどういう大人になっていくのかを興味を持っていた。だが、今の教育はその後の変化への追跡はほとんどしていない。
そんな中、この本があると知り、綴方教育という一世を風靡した教育が果たしてどのように影響を及ぼしているかに興味を持った。

たまたま作文を書かせる教師に出会い、働くことの大切さを訴え、厳しい生活環境の中で一生懸命生きる子どもたちに、自分の生活を見つめるということ、イコール生活を素直に綴らせる。それは大切なことだと思うが、でも、それではやはり食べていけない。食べるためには働かないといけない、どの子もまずは働く。それが当たり前の現実であった。

40年経って一人ひとり訪ねてみて、この山元村から出られないでこの村の発展に尽くした2,3人の人を除いては、どの子も特別な人生を歩んでいるわけではなく、ある程度平凡な生活をしているといえると思う。

そう考えると、やはり先に言ったような、その人の人生は教師によってそんなに変わるわけではなく、それよりももっと影響があるのは、社会情勢や教育環境、そして家庭環境であるといえる。親が自分をどう考えているか、はたまた何を望んでいるかが、大きく左右すると考える。

ここに、この本の中で、気になった言葉を列挙しておく。
「頭のいいものは別にかまわなくてもいい。できないと思われている子に自信をつけ、伸ばしてやるのが本当の教育だ。」

「先生がいたから学校へ行くことが楽しくなったし、やる前に考えろという言葉で、責任をもって行動することの大切さを教えてくれた。私は無着先生に教わったことを含めて、自分の人生に満足しています。」

「経済的に必ずとも豊かとは言えなかったが、精神的にぎすぎすしたところは少しもなく、一様に心のゆとりをもって生きているように感じられた。」

きかんしゃの子供わ  いつも力を合わせて行こう
きかんしゃの子供わ  かげでこそこそしないで行こう
きかんしゃの子供わ  いいことを進んで実行しよう
きかんしゃの子供わ  働くことがいちばんすきになろう
きかんしゃの子供わ  なんでも なぜ? と考える人になろう
きかんしゃの子供わ  いつでも もっといい方法はないか 探そう

親が昼も夜も休まず働いている姿を見て育ったおかげで、私も頑張れる、なんて書いてきやがるんだ。オレも、朝早くから起きて牛の体をゴシゴシ洗っている親父の背中をみて育った。学校の教育なんてそれほどのもんでないよ。一つの道を歩む。そうすれば何事であれ食っていける。それを教えてくれたのは親父だったと思うんだ。」

百田尚樹の「影法師」 最近にない感動した本

2012-08-16 13:54:36 | 読書日記
この3日間、私の心は、百田尚樹「影法師」に奪われていた。主人公名倉勘一と竹馬の友であり、最後には影法師だったと分かる磯貝彦四郎が亡くなっていたというとこらから物語は始まり、それもある事件で、藩を出走したまま行方が分からなかったという事で、そしてその生活も貧しく、労咳になって死んだということである。冒頭から興味をもって読むことが出来た。

現在は茅島藩筆頭国家老にも出世している、勘一の少年時代の回想から物語りは本格的に始まる。父が亡くなったいきさつ。彦四郎との出会い。刎頚の友と確認しあった場面。百姓一揆での百姓も武士もみんなのために命をかける生き方。米がたくさん収穫できればこんな一揆も起こらない。いつしか勘一の夢は大坊潟の計画が出来上がった。命を懸けてやれるもの。ただ、下士である勘一は殿との謁見はまかりならぬ。そんな話を彦四郎としているときに、藩にはなくてはならぬ人との考えがでてきたのかもしれない。、彦四郎は剣がたつにもかかわらず、試合のときも、果し合いのときも勘一を目立たせて、自分は卑怯な傷といわれる背中を斬られるようなことをして、勘一を出世させた。それによって干拓事業を進言できるまでの地位にもいけた。干拓事業を進めているうちに、それを良しとしない家老から嫌がらせを受け息子を切り殺してしまう。それによって勘一は江戸に嫁子と異動させたれたが、その旅では、3人の刺客が放たれていた。ただ勘一は無事に江戸に着き、そこで22年間ものお勤めを終え、藩に戻ってきた。

ここで分かったように、その刺客を斬ったのは彦四郎である。3人のうちの2人は斬り殺し、残る一人には深手を負わして出走したのである。刺客が行ってすぐにそれを追えば怪しまれると思い、人妻に酔った振りをしてからかい刀を抜いて逃げたのである。刺客は追分宿で泊まっている勘一たちを追い越し、碓氷峠でやるつもりで待ち構えているところに彦四郎がきて、「この名倉勘一は藩にはなくてはならぬもの」と言って、戦った。

22年後、この勘一と対峙した刺客の一人が、22年ぶりに主人の命を果たせるときがきたにもかかわらず、勘一を斬らなかったのは「彦四郎ほどの人が見込んだ男を私が斬るわけにはいかぬ。」と刀を納めた。勘一は何度もこの磯貝彦四郎に命を救われていたのだ。

世の中には一人を生かすために、もしかしたらこんな影法師が居るのかもしれない。意図するかしないかは分からないが、大きな流れの中枢は括弧たるものがあり、その周りには、たくさんの影法師がいて、生かされているのかもしれない。

とにかく武士として、男として、人間としての行き方を深く考えさせられた。

蛇足として、追分宿から碓氷峠を通って江戸に行くとなっているので、この架空の茅島藩八万石は現在の上越地方辺りだと推測をした。


佐野眞一の「あんぽん」

2012-08-16 13:34:00 | 読書日記
東日本大震災の被災者に百億円をポンと寄付した男「あんぽん」

平成24年8月4日 
返却期限をだいぶ過ぎて、申し訳なく思っている佐野眞一著「あんぽん」をやっと読み終える。

     


この「あんぽん」というのは、日本に帰化したソフトバンク社長の孫正義氏のことで帰化前は安本正義と名乗っていたので、こういうあだ名が付いたということだ。

本人や父親・母親はたまたその父方母方の両方の親戚筋や関係のあった人たちを何度もインタビューし、また、生まれ故郷である韓国や孫が生まれ育った佐賀の鳥栖駅前や福岡へも取材に行って、入念な資料を集めた結果の本であるので、人間孫正義氏が私なんかにも、伝わってきた。


佐野氏はあとがきにこう書いている。
「朝鮮半島から逃げるようにして玄界灘を渡り、あからさまな在日差別を受け続けてきた孫家(父方)と李家三代(母方)の歴史と、その反抗の血を胸の奥底に秘めながら佐賀・鳥栖駅前の朝鮮(豚の糞尿と密造酒の匂いが充満していた)から這い上がり、世界的起業家になった孫正義の物語は、同じシリコンバレー世代に属し、アップルを創業したスティーブン・ジョブズの生涯に劣らず感動的である。」と。

百田尚樹の「プリズム」

2012-08-16 13:32:04 | 読書日記
多重人格に恋する?そんなのあり

最近とても忙しくて、あまり本を手にとっていなかった。

が、図書館からの返却の催促の電話。いつも申し訳ない。

7月16日(月)海の日で祝日。あわてて読む。

私の好きな作家、百田尚樹さんの「プリズム」。

  


蛇足だが、私がこの百田さんの本を好きになったきっかけは、今新聞などで話題を集めている「影法師」を読んでから。
この本はほんと感動した。
人はこれほどまでに人のために尽くせるのか。
表舞台には立たずに、その人が知らないうちに影法師になれるのか。
この本の最後の舞台となった「碓氷峠」に行ったほどだ。

光は色なんてないけど、プリズムを通すと屈折率の違いから虹のようなさまざまな色に分かれる。
人間も本当はさまざまな人格の寄せ集めである。その一つ一つが出現すると、多重人格者となる。

主人公聡子は、家庭教師の家で離れに住む教え子のおじさんと出会う。その日その日で違う人となるその人に興味を持ち、その中の一人を好きになる。それがなんだか微妙で、そんなことがありなのかって思ってしまった。

だから、百田さんの本にしては、私は少しがっかりとしてしまった。
「錨を上げよ」のような壮大さをテーマに求めてしまった。