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縄文人の志葉楽さんのブログ

日記や趣味を書く

●せいぜい・たかだか

2020年12月21日 18時13分33秒 | 文化
●せいぜい・たかだか
◆「『せいぜい』がんばって」?  ことば 最近気になる放送用語
https://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/20150601_3.html
公開:2015年6月1日
Q  上司から「せいぜいがんばって」と言われて、嫌な気分になりました。
A 「せいぜい」には、もともとは悪い意味はありませんでした。しかし近年では意味の変化が進んでいるので、使う場合には(そしてそれを聞き手として解釈する場合にも)注意が必要です。
<解説>
「せいぜい」は、漢字で「精々(精精)」と書きます。字を見ても想像されるとおり、「がんばって」「一生懸命」「力を振り絞って」というのが、本来の意味です。
「ソップも牛乳もおさまった? そりゃ今日は大出来(おおでき)だね。まあ精々食べるようにならなくっちゃいけない。」
(芥川龍之介「お律と子等と」1920(大正9)年)
「上等のかつおぶしを、せいぜい薄く削り、わさびのよいのをネトネトになるよう細かく密におろし、思いのほか、たくさんに添えて出す。」
(北大路魯山人「夏日小味」1931(昭和6)年)
このように、「せいぜい」はもともとは積極的な意味で「がんばって」という意見を示すものでした。これに対して、時代が下ると「(まあ、がんばったところで)たいしたことはないだろうが」というような、マイナスのニュアンスが伴うようになってきたのです。
「どこで泣こうと涙の勝手 知ったことじゃないけれど
あんたの前じゃ泣きやしないから せいぜい安心するがいい」
(中島みゆき作詞「てんびん秤」1994(平成6)年)
ウェブ上でおこなったアンケートでも、「せいぜい」の解釈をめぐって年代差があることが見て取れます。「せいぜいがんばってください。」という言い方に対して、60歳以上の人たちでは「『いやみ』または『応援』の、どちらのつもりで言っているのかは、その場面によって異なる」という回答が4割程度を占めているのですが、20代ではわずかに2割程度です。若い人たちの間では、「いやみとして言っている(言った人に、純粋に応援する気持ちはない)」という回答が、圧倒的に多いのです。
ぼくは、ほかの人から「ま、これからもせいぜいがんばって」と言われても、凹んだりしていません。あ、この人は伝統的な日本語を守っているんだな、と尊敬するようにしています。
 
◆ せい‐ぜい【精精】 の解説
[副]
1 能力の及ぶかぎり努力するさま。できるだけ。精いっぱい。
「精精おまけします」
「精精養生して下さい」
「病み上がりで、近所を散歩するのが精精だ」
2 できるだけ多く見積もってもその程度であるさま。たかだか。
「遅くても精精二、三日で届くだろう」
「高くても精精一万円だろう」
[名]能力の及ぶ限界。力のかぎり。
「迷エル衆生ヲ導カント―ヲヌキンデ給ウコトココニ切ナリ」
〈天草本平家・序〉
[用法]せいぜい・[用法]たかだか――
「合格するのはせいぜい(たかだか)三人だろう」
「一日かかってもせいぜい(たかだか)一〇ページしか読めない」
など、多く見積ってもの意では相通じて用いられる。
◇「せいぜい」にはその上限に達することを目標にする意もある。
「せいぜい努力します」「せいぜいお大事に」など。また、それほど期待はしていないという気持ちで用いることがある。
「相手は強豪揃いだ。―頑張るさ」
◇「たかだか」は上限の程度を大したことではない、とみる気持ちがある。
「集まってもたかだか五〇人だろう」
「たかだか一週間の旅行に大騒ぎするな」
 
◆せい‐せい【精誠】
《「せいぜい」とも》まじりけのないまごころ。純粋な誠実さ。
「古くからの土地の神に、―をいたしていた」〈柳田・山の人生〉
 
◆せい‐ぜい【精精】
[副]
1 能力の及ぶかぎり努力するさま。できるだけ。精いっぱい。「精精おまけします」「精精養生して下さい」「病み上がりで、近所を散歩するのが精精だ」
2 できるだけ多く見積もってもその程度であるさま。たかだか。「遅くても精精二、三日で届くだろう」「高くても精精一万円だろう」
[名]能力の及ぶ限界。力のかぎり。
「迷エル衆生ヲ導カント―ヲヌキンデ給ウコトココニ切ナリ」〈天草本平家・序〉
[用法] せいぜい・たかだか――「合格するのはせいぜい(たかだか)三人だろう」「一日かかってもせいぜい(たかだか)一〇ページしか読めない」など、多く見積ってもの意では相通じて用いられる。◇「せいぜい」にはその上限に達することを目標にする意もある。「せいぜい努力します」「せいぜいお大事に」など。また、それほど期待はしていないという気持ちで用いることがある。「相手は強豪揃いだ。―頑張るさ」◇「たかだか」は上限の程度を大したことではない、とみる気持ちがある。「集まってもたかだか五〇人だろう」「たかだか一週間の旅行に大騒ぎするな」
 
◆副詞「せいぜい」の意味変化 一近代語を中心に一 林罷映
『日本語学論集』第9号201 3年3月
file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/nihongo09_08.pdf
1. はじめに
現代語の副詞「せいぜい」は、次のように使われている。
(1) a.妻は、卓祇台のまんなかに、緑色のちいさな蝋燭を三本立てたパースデーケーキを飾り、そのまわりにせいぜい買い集めた子供の好物をならべて、わたしたちを席につかせました。それから、マッチで三本の蝋燭に火を点しました。(三浦哲郎『忍ぶ)11~ 1960年)
b. iおい加藤、人生は短いんだ。せいぜい楽しく遊ぼうじゃあないか。けちけち金をためて、なんになる。それよりも、その金で女でも抱いて見ろ、いいぞ」(新田次郎『孤高の人~1969年)
(2) a. iあなたね、いま全国に歌手志望の男女がどれくらいいると思いますか。十万人ですよ。常時十万人の歌手志望者がいるのです。そのなかから毎年歌手としてスタートできるのが二十人そこそこです。そしてさらにその二十人がふるいおとされ、歌手として残るのはせいぜい五人か六人というところです。(後略)J (立原正秋『冬の旅~1973年)b.印刷機の職人といっても、仕事そのものはいたって単純で、せいぜいミシンの操作をおぼえる程度のものですぐに捺染の機械を動かすことができた。(椎名誠『新橋烏森口青春篇~1987年)
「せいぜい」は、(1)では、「できるだけ、できるかぎり、精一杯Jなどに類似した意味で用いられるのに対し、(2)では「たかだか、たかがJに類似した意味で用いられている。従来の研究では、両意味のなかでも現代語の「せいぜい」は、(1)のような「全力を尽くす様子Jを表す様態的な意味ではなく、多くの場合(2)のような「多く見積もってもそれぐらいの程度にすぎない」という見積もった「上限」や「限度Jを表すとりたて的意味で用いられる使用傾向が見られるとされる1。
 
◆【トレビアン】「せいぜい」の正しい意味は? 某新聞記者が意味もわからず福田首相を叩く!?
https://news.livedoor.com/article/detail/3770851/
2008年8月11日  トレビアンニュース
北京五輪に出場する選手に「せいぜい頑張って」と激励の言葉を投げかけた福田首相だが、そんな福田首相の発言を嫌みと誤解した某有名新聞記者の記事を紹介。
記事のタイトルは“「せいぜい頑張って」五輪代表を福田首相流?激励”というもので「せいぜい」をピックアップしてることから福田首相の揚げ足取りに必死なのがわかる。
では福田首相は本当に嫌みで「せいぜい」と言ったのだろうか?
「せいぜい」という言葉は、最近では“嫌み”と思われがちだが、実は激励の際に使う言葉としては間違っていない。
本来の正しい意味は「できるだけ」「精一杯」「是非」という前向きな言葉として使われる。
しかし使う状況によっては“嫌み”に受け取れたり相手を煽る言葉と思われたりすることから“せいぜい=嫌み”と解釈する人が増えてきているようだ。
名古屋に住んでいたトレビアン記者は名鉄という鉄道の車内で「せいぜいご利用頂き~」とアナウンスが普通に流れることから福田首相の「せいぜい」発言に違和感は無いが、最近では“嫌み”と受け取る人が増えてしまっているので、その辺も考慮して言葉選びをして欲しかったものだ。
某記者は、そうした背景を理解した上で揚げ足を取ったのかどうかは不明だが、福田首相も慎重に言葉を選べば勘違いされなかっただろう。
何度も言うが福田首相は嫌みを込めて言葉を投げかけたのではなく、本来の意味の「せいぜい」を正しく使ったに過ぎない。
とんだ誤解を生んでしまった福田首相だがせいぜい応援して欲しいものだ。
※「せいぜい」は「精精」や「精々」とも表記します。また、地方によって意味合いが変わってきます。
 
◆高高(読み)タカダカ
こうこう カウカウ
デジタル大辞泉の解説
《古くは「たかたか」》
[副]

㋐きわだって高いさま。「旗を高高と掲げる」
㋑声や音が大きく響き渡るさま。「高高と読み上げる」「サイレンが高高と鳴る」
2 最高に見積もっても大したことではないさま。せいぜい。「高高一〇〇円の出費」「高高子供の足だ、遠くまではいけまい」
→精精(せいぜい)[用法]
[形動ナリ]背伸びをするようにして、今か今かと待ちこがれるさま。
「あをによし奈良にある妹が―に待つらむ心然(しか)にはあらじか」〈万・四一〇七〉
◆出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典の解説
〘形動タリ〙 非常に高いさま。たかだかとしているさま。
※地蔵菩薩霊験記(16C後)三「玉の石畳金の欄干ありて高々たる山門見へたり」 〔詩経‐周頌・敬之〕
[1] 〘形動〙 (古くは「たかたか」) つまさき立ち、背のびするようにして心待ちにするさま。ひどく待ちこがれるさま。
※万葉(8C後)四・七五八「白雲のたなびく山の高々(たかたか)に吾が思ふ妹を見むよしもがも」
[2] 〘副〙
① (多く「と」を伴って用いる) 目立って高いさま。非常に高いさま。
※今昔(1120頃か)一九「僧、男の昇る後(しりへ)に昇るに、すずろに高々と被昇る」
※星座(1922)〈有島武郎〉「その建物は高々と聳えてゐる」
② (多く「と」を伴って用いる) 声大きくいうさま。声が高くすみとおって、遠くまで聞こえるさま。
※夜の寝覚(1045‐68頃)二「たかだかとうち笑ひうち笑ひし給ふにほひ」
③ 十分に見積もっても、たいしたことではない、という話者の気持を表わす。せいぜい。
※浮世草子・傾城禁短気(1711)六「高高(タカダカ)で銀壱両、五匁迄ではござるまい」
※春泥(1928)〈久保田万太郎〉向島「たかだか来て四五十人のつもりだったから」
[3] 〘名〙 かなりの額。数量の多いこと。
※東寺百合文書‐に・永享年中(1421‐49)九月一日・則宗書状「彼代官申候は、東寺へ中西方より足借申、未高々の未進もある事にて候間、何と承候共渡申候なと申下候間」

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