それは創作のネタにしたとも言えるんですけど、また別角度で、創作したところから逆に現実のわたくしに新たな解釈を得て、そこからまた創作に注ぎ込んでみたりとか。
この流れも、つい最近気付いたんですわ、この創作で。
これ、元の話があって、わたくしの祖母の入ってる墓にケイトウが咲きました。
母はこれを祖母の執念の業火っぽいと言ってましたが。
すぐ近くの畑でケイトウを育てていたので、多分そこから来たのでしょう。
アプリに翳すと栄養不足でした。
わたくしは墓参りではなく、母の墓掃除に付き合っていたのですが、このケイトウを摘み取ることはできませんでしたね。
こういうのダメなんですよ。変なところに咲いちゃった花にめっぽう弱い。泣いちゃいそうになっちゃってな。
供花はふつうに花供える感じらしいんですけど、献花にはお別れの意があるらしくて、これは創作内での話ですけど、「俺」そろそろ「彼」さんから離れなきゃいけないのかもねっていう。
ま、別に引っ張られていてもいいと思いますけどね、引き摺っていても。
新しい出逢いとか無いなら無いでいいわけで。恋愛面の話ではなくても。
お互いにお互いがいなくても生きていけるし別に冷めてるわけでもないって関係性が好きなんだよな。
別れたいわけではなく。恋愛でも性愛でもなく、正反対なりの理解みたいな。
人間、酸素がないと生きていけないけど、余程のことがない限り、「酸素が無いと生きていけないヨォ!」ってならないでしょ。
首絞められてたりどこかに密閉されているでもないのなら。そんな感じ。
ドライとか冷めてるとか言われがちだったんですけど、こういうところ?でも分かりやすく記号的にベタベタしてるのもなんか違う気をして。
あと、お題がポルノグラフィティの「アゲハ蝶」っぽくて、続きを歌ってしまいたくなるなどした。