こんばんは
のんびり秋田からvisionです。
コロナ禍にあって葬儀も随分と変わりました。会食はしませんし、参列者の数も減っています。
多くは「葬儀は近親者のみで終了しました」です。
Go toキャンペーンで東京の行き来もできるようになりましたが、葬儀については県外からの参列は自粛をお願いしているご家族が多いです。
葬儀は誰のためかといえば故人であり遺族のためであることは間違いありませんが、友人や知人にとってもかけがいのないものです。
何も知らないうちに葬儀が終わってしまったと聞いたときのショックは計り知れませんでした。
せめて最後のお別れがしたかったです。胸にぽっかりと穴があいているような気がします。
こうした状況下やむを得ないのですが、以前のような葬儀ができるようになってほしいと思います。
葬儀を行う目的は故人が亡くなったことを知らせることと生前お世話になったことのお礼、これからのお付き合いをお願いするためでしょう。
さらには故人の魂の昇華。意味はわからなくても厳かなお経の中で成仏を願う気持ちが少しずつ家族の心の整理になるのだと思います。
葬儀を体験された方に伺うと時間が薬になるかというとそうでもないらしいのです。ずっと悲しみは続いていると言われます。
身近な人の葬儀は自分の死を考えるきっかけになります。
友人の分までしっかり生きていこうと決意することが友人の追善回向になるような気がします。
共感します。
私の妻は同じ県内ですが、母ひとり子ひとりでした。反対されましたが、許してくれたのは妻の祖父です。
私たちも22歳と21歳でした。
妻の家の代は途切れさせてしまいますが、妻の方の冠婚葬祭には私が出向いています。
今では義母を近くに住んでいただいています。
人生いろいろでしたが、縁した人たちに感謝です。亡くなった祖父母へは仏壇の前に座るたび追善回向しています。
今は亡き両親と義理の両親を思い出しました
義理の両親は若い私達の結婚を許してくれたのが一番です
当時21歳の二人です
しかも東京で知り合い福島と千葉県人です
義理の母は若い婿さんだけど「娘が選んだ人だから信じます」と行ってくれた言葉が忘れられません
しかも娘1人です
義理の父は将来は福島で結婚させ近くに置いておきたかったようです
でも義理の母が説得してくれました
そんな事があったので人生色々ありましたが離婚だけはするまいと思いここまで来ました
今振り返っても幸せです
良い義理の母と出会いました
感謝してます
人と人の出会いは偶然のように思えて実は必然的であったりします。
思いがけない人に助けたり勇気をもらうこともあります。
でも受け止める気持ちがないと見過ごしてしまうかもしれませんね。
幸不幸も実は自分の心が決めているといいます。
これ人の受け売りですからね。
二十余年前、祖父が亡くなった時は、
50人以上の葬式になりました。お悔やみのみを掲載していたような。
それを見て来てくださった方もいたように記憶しています。
今回祖母の葬式は、やはり家族葬となり、
父方はみなさん高齢という事もあり、
母方のおじとおばのみの参列でした。
お悔やみも載せず、教えず。
祖母が寂しがらないかと心配でした。人一倍、親族思いの人だったから…。
お経の意味、祖父の時はチンプンカンプンでしたが、
祖母のために読まれたお経を聴いていると、
ひとつふたつと拾える言葉がある事に気がつきました。
それに気づいた時、今度はわたしも覚えて読みあげようと思いました。
visionさんの記事に、何度支えられてきたでしょう。
振り返れば祖母の亡くなった直後にこちらへ訪問した事が始まりでした。
時薬がいつ心に作用してくれるのかはわたしにもわからないですが、
いつまでも引きずっている自分を責めてしまう事があるので、
今日この記事を読めて良かったです。ありがとうございます。
いつも人を想う優しいvisionさん。
visionさんの心にも、ゆっくりと、時薬がしみ込んでいきますように。
yu,