goo blog サービス終了のお知らせ 

吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

九州編・本編4 思い出の場所

2010年07月09日 | 自分のこと
僕は幼稚園の年長から小学校5年の3学期まで北九州に住んでいました。

約6年というのは、今の歳となっては大した時間ではありません。
でも、小学生時代の6年というのはとても長い特別な時間です。
4日(日)に、ひとりでその場所に行ってみました。
以前にも、九州に来た時には車でその近辺を通過してみたりしたのですが、ちゃんと訪れてみたのは離れて以来初めてです。35年振りです。

ショッピングセンターの駐車場に車を駐めました。
空は明るかったのですが大雨でした。でもこの機会にどうしても行こうと決めていたので、傘をさして歩くことにしました。
あの頃よりも遥かに道幅は狭く、距離は近かったのでした。
頭の中の地図の縮尺を大幅に変更しますが、どうも現実感がありません。

昔と区画割りの変わらない住宅地を抜けました。

このガードレールを飛び越えるに失敗して左の向こう脛を強打したことがあったっけ!
骨膜が見えるほどのダメージだったけど、この種の痛みをすぐに止めることが出来るのを発見した経験ではなかったかな。

ここは水道みちと言っていたのだけど、ほとんど菜園になってますね。

拡大

このあたりは、子供達の好奇心の生体実験の場「かえる病院」があったところか。

昔の面影は水路くらいです。
この周辺の道路は大幅に付け替えられています。

僕の通っていた幼稚園。もうすっかり変わっています、第一こんなに近かったっけ。



拡大

このアパートは僕が住んでいたところです。廃墟になっています。
あの頃は、人がたくさん住んでいて、裏の大きな浄化槽の上は独楽回しのリングでした。
廃墟というのは…、思い出に一番近い場所かも知れません…。
霞んで見えたのは雨のせいよ。

廃アパートから水道みちを下りました。

拡大
かつては石垣だらけのひな壇状の分譲地は空き地ばかりで、石垣を登ったり飛び降りたりしたものです。
石垣から飛び降りる、平地を駆け抜け次の石垣から飛び降り…、というのを3回くりかえすことが出来た記憶があります。自然に「転回着地」をしていたっけ。

雨が止んできたので、車に戻りました。
鐡道壱號で発進です。
小学校

拡大


拡大
僕がいた頃から木造の旧校舎が壊され、鉄筋コンクリートの新校舎が出来始めました。

水道みちの延長の特に危険と言われた場所(野犬、変質者が出た沼地)も今では住宅街でした。
それにしてもすべての距離が近い!当時26インチ5段変速の自転車でもそれなりの距離があったと思ったのに。
坂を下ったら、あれ、もう三が森。
筑豊電鉄三が森駅です。黒崎から八幡方面は路面電車だったのですが、その路面走行部分も廃止されて久しいそうです。

拡大

車に戻って自転車を収納し小倉へ帰還したのでした。
行ってみて良かった。本当に良かった。
自分の中の大きな空白が、小さいけれども満たされたものになったような感じがしたのでした。

最新の画像もっと見る

2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (T.K)
2010-07-14 10:04:23
お久しぶりです。立川で飲んだっきりですね。現場付近は大雨のようですが大丈夫ですか?北九州で過ごされたとは知りませんでした。
返信する
またどうぞ! (ひろにゃんof風琴屋)
2010-07-18 07:14:13
T.Kさん、ようこそ!
返事が遅くなってごめんなさい。

T.KさんはあのT.Kさんかな?
立川の日々はもはや遥か昔です。何年前でしたっけ。
今週一杯九州です。更新出来なかったいいわけを含めて続編を書きます。

またどうぞ!
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。