吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

29年ぶりの 2

2019年08月04日 | 

JAWA、ヤーヴァーと呼ぼう!

僕が"90年にドイツで乗っていたのはこれ

旅の友(古い写真3)

実のところ、今回の記事はクソ長文を5回は書き直しております。それでもクソ長文である。
図らずも、思い出せなかっただけで忘れては居なかった記憶の鍵を手にしてしまったようで、思い出がまるでクジラ爆発(リンクしないぞ、YouTubeを検索しちゃダメだぞ、グロだぞ)のように噴出したのです。

時に1990年。
アルバイトから始めたパイプオルガン仕事3年弱、正直足を洗おうかと思っていたのでした。
それで、ヨーロッパ旅行をしてみて区切りをつけようと思ったのです。
現地のパイプオルガンってものも見ておきたかったし、何か次の生きる道を見つけられるかも知れないとも思っていました。

国外(海外って言葉はいかにも島国っぽくて好きではない)に出るのはそれが2度め、その前は中国でした。
解放後間もない中国はいろいろ規制も多かったし、そもそも鉄道、バスでの移動よりも自分の好きに移動するのが好きだったので、次に旅をするときには自前の移動手段でというのが希望だったのです。

自転車は問題なく確保出来るだろう。レンタカーを長期借りるのは高そうだし、2輪のレンタルもあるらしいということだったので、一応2輪免許をとってはいたのだけど、あとは現地でということで。
ネットのない当時、情報源は雑誌、書籍くらいしかない上に、自分自身の目標もはっきりしていないのだから準備のしようもなかったのでした。
ヨーロッパ旅行にはユーレイルパスというEC内+α(当時)鉄道乗り放題チケットがあって、色々回りたい個人旅行者には人気だったのですが、それを確保することもありませんでした。

かくして、タイのバンコクでブルガリア航空、いわゆる南回り航路で西ドイツ、フランクフルトに降り立ったのでした。
そこからほど近いマインツという町に滞在して、安ホテル、ペンションとと宿泊手段を調べ、ユースホステルを定宿とすることにしました。

マインツで自転車を購入して行動範囲が広がると同時に、荷物も増やせることになり、テントを購入してキャンプ場泊まりが選択出来るようになりました。

まるでロールプレイングゲームのようにアイテムを得る毎に選択肢が増えていく感覚はエキサイティングでした。

しばらくマインツ周辺をウロウロしながら情報収集。デパートより安いアウトドアショップを見つけ、ついにバイク屋を見つけたのでした。バイク屋での選択肢は3つ。

  1. 安くて登録が簡単、信頼性、性能は非常に低い中古JAWAモペッド。
  2. 信頼性、性能ともに良いがちょっと登録が面倒なホンダDAX。だが新車でかなりお高い。
  3. 忘れる。

何日か迷って1を選択した僕はさらにその数日後、若干装備を増やしてライン川右岸の道を下っていたのでありました。
当時の西ドイツ免許不要仕様モペッドは確か平地で時速20キロ未満だったようです。
吸気管に仕込まれた仕切り板を除去したら、時速25キロくらいは出るようになりました。ただし空荷で。

ドイツの一般道は市街地ではそれなりの速度に制限されているけれど、街を離れると制限速度は時速100キロになります。
速度差は自転車で高速道路を走るようなものです。けっこうコワい。
それでも交通量は少ないし、マナーも良かったので、やがて慣れて風景を楽しむゆとりが出来ました。
グーグルマップで見てもらうとわかりますが、マインツーコブレンツ間のライン川沿いに点在する小さな町はとても美しいのです。
移動速度自体は自転車と変わりませんが、そこはエンジン付きの乗り物、心身のゆとりは大きく。途中教会に立ち寄ってオルガンを見てみたり川べりで湯を沸かしてコーヒーを淹れたり、来し方行く末を考えたり。

2スト混合給油なのですが、一度ガソリンスタンドで2ストオイルを購入した時、スタンドのオヤジに計量カップがあるか尋ねたら、オイルをボトル一本全部入れやがって、エンジンがカブってすごく面倒なことになってしまったので、ホームセンターでタンク等を手に入れて自分で混合するようにしました。

モノは時に所有者に手間や知識を要求します。
タンクシュテーレでの給油の仕方とか、ツヴァイタクト・エレーとか、鉄道旅であれば知ることは無かったでしょう。
マグネトーのコイルの固定ネジが緩んでエンジン出力が酷く低下した時は、農機具屋のオヤジさんに道具を借りて何とか修理出来たっけ。
オヤジさんは金は要らないと言ったけど、後でビールを持っていったな。
キャンプ場では僕が外国人である以上にこんなよろっちょの乗り物で旅をしているのが珍しかったらしく、よく話題になったものです。
旅の初期、自分の旅のスタイルを確立したのがこのモペッドだったのです。
基本的に他者との関わりを避ける方向にあった僕に他者との関わりを強要したのです。
メンテナンスフリーの高性能車ではそうは行かなかったでしょう。
それが僕の生きる道を変えたことは間違いありません。
その後、トリーアの町で個人売買を仲介するバイク屋を見つけ(それもこのモペッドで走り回って人に尋ねまくって見つけた)、町の中心部のADACの事務所や車両登録事務所を回りカワサキのZ250LTD(単気筒チェーン駆動)を入手するのだけれど、それもコイツがあって、コイツに鍛えられたからでしょう。

いつかまたコイツを手に入れたいものだと思っていたのですが、日本には小規模にしか輸入されていないことは知っていたし、別段マニアックでも高性能でもないし耐久性が良いとも思えないから残存車両は絶望的だと思っていて、もう検索することすら無かったのです。
ところがぎっちょん、まさかの発見、しかもジャンク以下の値段で実動車!
これはクジラ爆発も無理からぬところでありましょう。

さて、次の物語の始まりの予感!


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