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オタク宣言

2013年05月23日 | 自分のこと

オレはオタクになるっ!ここに宣言するっ!

今回はちょっとアツいぞっ。

それに当たっては「オタク」を定義しなければなるまい。
僕が深く敬愛し、追慕するのは大体70~80年代のオタク像です。
そもそも、おたくとは何ぞやという明確な定義は無いのです。
それは、他称であり蔑称でもあったのです。
名付けたという放送作家、分析した学者、みーんな無視で僕が自らの経験だけを元に語ります。

別にアニメ、サブカル限らず、何かに深く傾倒しているマニア、それが基本。
ここで、排他的であったり、自分の世界に引きこもるイメージはずっと後の世のオタク像です。

何故、彼らが「オタク」と呼ばれるようになったか?
学者や文化人の説で、この根本的なことに触れている例を僕は知らない。
簡単なことだ。
彼らが互いに「オタクは」「オタクは」と呼び合っていたからだ。
それが外から見ると奇異に見えたのだ。それを揶揄したのだ。

あなたが誰かに呼びかける時、特に初対面の人に呼びかける時、何と言うだろうか?
ちょっと?あのー?君きみ?

日本語には、標準的な二人称代名詞が無いのです。

強調しちゃったよ。オタクは日本語の言語構造に由来するわけですね。
しかも、多数あるそれらには、相手との位置関係の制約があるのです。
目上の人に「君」とは言えないし、女性に「あなた」は気恥ずかしい。
だから当然苦労するのです。

当時「オタク」の他にも「貴殿」というのもよくありました。
あえて時代がかった言葉を使うことで、照れ隠しをしていたわけです。
ここから一気に長ゼリフ行くよ。

自分の好きな事に没頭していて、実は他者との関係を築くことが苦手な人物、自分が傷つくことも他者を傷つけることにも恐れを持っている人物、そんな人物が、自分の好きなことについて他者に語りたい、聞きたい、他者と関わりたい、その気持ちが恐怖を越えた時、関心を共有できそうな相手に対して、失礼でなく、馴れ馴れしくもなく呼びかけるために悩んだ末に選んだ言葉が「オタク」なのです。

学校や会社も違えば年齢も違う者同士が、趣味を接点に繋がる最初の呼びかけが「オタク」だったのです。
人間関係が苦手で、クラスの女の子に話しかけるのさえしんどい人間(昔のオレかっ)が、自分の好きなことについて語り合いたいというエネルギーに突き動かされて、見ず知らずの他人になけなしの勇気を振り絞って話しかけるその時を想像して頂きたい。

そして、オタクは製作能力も豊かだったのです。今でも同人誌や、模型を自作する人は多い。
昔は、モノには恵まれていなかった。
アニメのスポンサーが出すロボットのおもちゃや模型は出来が悪かった。
プラモデルも輸入のスケールモデルはともかく、国産はレベルが低かった。
飛行機のプロペラを回すとか、自動車や鉄道を走らすことよりも、エンジンやサスペンションを作り込んで欲しかった。でもそんな製品は滅多に無かった。
だから自分たちで何とかしようと努力した。道具を買い加工した。たくさん失敗もした。
金で何かを買うよりも、自分の手をかける方がかっこ良かった。出来が悪くても。

好きな事に一生懸命になる。
それを他人と分かち合う。
無ければ作る。

これが僕の掲げるオタクの定義、スピリッツ オブ オタクなのであります。

好きな事は好きだと言えば良い。恥ずかしくはないっ(内容によってはあるかも)。
欲しいものは欲しいと言えば良い。どうせ無理だろうと思っても。
そして人と関わって、自分の出来ることをやっていけば、もしかしたら、無理だと思っていたことに手が届き、無かったものが現れるかも知れない。

それがオレの「オタク」だっ!
あっ、でも恥ずかしかったら別に「オタク」って呼ばなくても良いよ。


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2 コメント

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オタク道 (せいしょこ)
2013-05-24 22:21:48
ひろにゃんさん
こんにちは、せいしょこです。

ひろにゃんさんは高校生の頃から十分オタクでした。
少なくとも周りから見ればオタクそのものだったでしょう。
(そのくらい突出した存在だったということです)

私なんて、ひろにゃんさんに引きずり込まれたおかげで普通のサラリーマンになれなかったのですから。
いや、今の仕事も楽しくて、やりがいがあっていいんですけど(お金にはならないけど)。

でも、ひろにゃんさんの「オタク道」しっかり見届けさせていただきます。
いつまでもわくわくさせてくれ!
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ぬるま湯の苦しみ (ひろにゃんof風琴屋)
2013-05-28 19:54:30
せいしょこさん、ようこそ!

って、考え込んじまったよ!オレが君を真っ当な道から引きずり込んだって?
えぇぇぇぇぇぇぇぇえっ。

あの高校時代は……、何と言うかねえ、ぬるま湯だったよね。
可愛くて気立てがよい女の子たち、男子も良いヤツが多かったし。
だけどそれは、3年で必ず終わることが約束された日々で、多分その中の誰とも、その先の繋がりが無い予感があって、自分の未来像も見失って、見当違いのことに足掻いていたような気がします。
まあ、辛かったね。

その後、人との関わりを最小限に出来るような生き方を模索したりもしたのだけど 、やはり人の世界で生きることを覚悟したのだね。

今でも自慢できることは大して無いけどね、楽しく生きることくらいは自慢かな。
ま。君は現在唯一の高校時代の友人だからね。今後ともよろしく。
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