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以前、新聞で、ある作家が、味について独特の工夫をして表現する連載があった。
味といえば、先ず味覚が基本で、主な感覚器官は舌である。
加えて口腔全体もある。
美味しさについていえば、味覚に加え、外観、香り、温度、歯ざわり等の食感が大きな役割を持つ。
これらをどう表現するか、即ちいかにして他人に伝えるかということが、今回のテーマである。
テレビなどで、映像とともに美味しさを伝える語彙は貧弱だ。
それらしい表情と共に、うまーいとかジューシイだとかいうのが精いっぱいだ。
すなわち、おいしさを言葉で伝えるのはそれほど難しいのだ。
くだんの作家はそれを苦労して、様々な例えを引いて、何とか読者に伝えようと表現していた。
美味しさを伝える究極の方法は、それを食して味わってもらうしかない。
だが、ここで問題なのは、人によって美味しさの好みが違うことだ。
ある人が美味しいと感じても、別の人が同じように感じるとは限らない。
これを言い出すときりがないから、最大公約数、即ち共通項があるという前提で考える。
だから、ここでは日本人と日本人の味覚に近い外国人も含める。
伝えるということは発信する側と受信する側がいるということだ。
発信するシグナルは、言葉、文字、映像で、受信する側がそれによって概念なり感覚を得られる。
正しく伝達できるには、送り手と受け手が、共通の概念と、感覚の体験をあらかじめ有していることが必要である。
美味しさについていえば、受け手がそれを体験して覚えていることが必要なのだ。
例えば、筆者は、トリュフなるものの味を覚えていない。フランス料理のコースで食べた気がするのだが、どんなものだったか記憶がないのだ。
体験と記憶があれば、映像でその食の美味しさは直ちに伝わる。
文章や言葉であるいは映像でも、美味しさは十分伝わるのは、そのことによる。
上記の図のほかに、味覚といえば、辛味がある。これにも、ショウガ、ネギ、ニンニク、胡椒、唐辛子、ワサビ、山椒等がある。
また、後味、絡みつく味、しつこい味などがある。
これらが複雑に絡み合い、料理となる。
だから正確にそれが伝わるのは、実際にそれを体験するか、すでに体験していて記憶を持っていることによるのである。
外国人に、ごぼうの風味、蕎麦の玄妙な美味しさが伝わらないのはそのことによる。
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