NHKの「まんぷく」では日清食品創業者の安藤百福とその妻をモデルに、即席ラーメンを世紀の大発明としている。
だが、麺を油で揚げる「油熱乾燥法」は、すでに1915年に台南で、この方法が普及していた。
さらに台湾中部の彰化県員林市で、1946年創業の「清紀冰菓店」が、極細の麺を油で揚げ、鶏のダシを使ったスープに絡めて食べる「雞絲麺」を売り出し、あっという間に台湾全土に広がった。
しかもこの麺は、戦後の食糧難の日本にも送られていた。
百福が「チキンラーメン」を発売した1958年の大阪には、台湾人が開発した「長寿麺」という即席めんがあり、南極越冬隊が昭和基地にも持ち込んでいた。
その子孫は、その製法を百福に2千3百万円で譲渡するという契約が、1961年8月16日に結ばれている契約書を示し、「父が最初に即席麺を作った」と主張している。
そもそも百福は台湾出身である。台南市の隣の嘉義県朴子市で生まれ育った。
だから、これらの事実を百福は知っていて、自伝で自分の発明としたことにしたのだろう。
即席麺が百福の発明とは言えないことは当然だ。
百福は発明家というより商売人といったほうが適切であろう。
以上は、文春4月号の旬選ジャーナルでの、青沼陽一郎氏の記事から引用した。
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