心&身魂のアセンションブログから転載です。
今回からのテーマは ペルシャ と インド にまつわるイザコザです。
①の今回は“プリンス・オブ・ペルシャの尊♪”
↓↓↓まずは雰囲気を味わうために映画“プリンス・オブ・ペルシャ”!!
ところであなたは“プリンス・オブ・ペルシャ”は誰?と聞かれてなんと答えますか?
ちなみに、ここでの答えは、映画の主人公「ダスタン」でもなければ、「キュロス2世」でも「ダレイオス1世」でもありません。
元祖(でもないか)!?プリンス・オブ・ペルシャは、なんと我等が「須佐之男命 スサノオ」です!!Σ⊂(゜Д゜ )って なんでやねん!
そんなこんなで解説していきます(-ω- ゞ⌒☆ちょいムズイかも・・
最近公開された映画「プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂」を見てもらえばわかるように、中近東の現イスラム教諸国、ペルシャのイメージは月の紋章です。
いたるところで月のレリーフやオブジェを目にします。
『宇宙戦争 ソリトンの鍵』(光悠白峰著、2006年、明窓出版刊)に以下のようにあります。
トルコのように月を描いている国旗もありますが、月はイスラム教のシンボルなのですね。
そして西欧には星が多く、東洋は太陽が多いのです。今の地球では月と星が戦っているのです。太陽を国旗にしている国は、戦争にはあまり参加しません。
世界中の国旗を簡単に分けると、次の三つが基調となります。日本のように太陽を象徴にした国。アメリカのように星を象徴にした国。イスラム諸国のように月を象徴にした国です。
星を国旗にしている国は世界中で争いが多い国です。パキスタンも月があるけど星もあるでしょう。彼らは核兵器を持っていますね。
形態学でいうと相似象のものは衝突するのです。同じもの同士は反発しあいます。世界中で戦争を起こしているのはアメリカですが、星がいっぱいあるので戦争が大好きなのです。
『星の国、星の臣民、今は偉い気張りようで、世界構うようにに申しているが、星ではダメだぞ、カミの御力でないと何も出来はせんぞ』日月神示 天つ巻 第二帖
国旗は本当にその国の特徴を現しています。宗教家の浅見宗平氏によると、国旗の色により、その国が国旗制定時において、世界に散らばる五色人のうち、何色の人種が集まって出来た国か大体解るようです。トリコロール色だと、青白赤人種の国というようにです。
世界中の五色人が、世界の親国であるこの日本から誕生したのは「竹内文書」的には、今より数千万年前(数億年前!?)上古二代 造化気万男身光神天皇の御世とされています。
↓↓↓竹内文書について、おさらいです!
そして日本の国旗「日の丸」の誕生も、この時なんだそうです。ちなみに当時の本当の日の丸には、白地赤丸の中に黄金の点あり、ちゃんと黄(気)がはいっていた模様です。
ここで「日の丸」と諸外国の国旗との関係を、『超図解 竹内文書Ⅱ』(高坂和導著、1995年、徳間書店刊)より以下に抜粋します。
世界各国の国旗を見ていくと、月や星をモチーフとして使用している国旗の多いことに驚かされる。中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、ベトナム、パキスタンと数え上げたらきりがない。
比べて、太陽のモチーフを使った国旗と言うのは少ない。世界的に太陽を信仰の対象としている国が多いにもかかわらず、国旗に太陽は使われないのである。(比較的最近に独立した国は除く)
~中略~
超古代世界の基準は、中心である日本に置かれていた。そのため、天の中心的存在である太陽が日本の真上に来たときが、地球の時間の基準となった。
日本の真上に太陽が来る時間帯を基準とすると、他の国々は太陽のすがたを見ることが出来ない時間帯が基準ということになる。つまり夜が基準ということになのである。
~中略~
日本が天上の太陽を国旗に描いたのも、万国の民王が国旗に月と星を描いたのも、それが自分達の世界の象徴だったからである。
要は日本が「日の丸」=「昼の国」であるなら、諸外国は古事記などで登場する「黄泉の国」=「夜見の国」であるともいえるわけです。
ではここで「夜見の国」中近東諸国のペルシャおよび、インドなどの周辺国の地理や歴史をおさらいしましょう。
重複しますが、日本から世界中に散らばる五色人が此の世に誕生したのは「竹内文書」的には、今より数千万年(前数億年!?)前、上古二代 造化気万男身光神天皇の御世とされています。この時、16人の御子を選んで世界16方位に国王として派遣しました。
昔でいうメソポタミヤ、現在でいう中近東ペルシャ付近、に派遣されたのはヨイロパアダムイブヒ赤人女祖という王女であり、その王女の息子達の名前などが現在の地名の由来となっているようです。
女祖「メソ」→「メソ(女祖)ポ(神)タミ(民)ヤ(野・土地)」
長男「アフガカブ」→「アフガニスタン」の始祖
三男「ペルシャケルマン」→「ペルシャ」の始祖
ちなみにメソポタミヤは薔薇の原産地でしかも薔薇は7千万年前からあったようです。女祖は遥か太古の時代から、花を好み、世界巡航遊ばされる皇族方のお立ち寄りの時には、いつも花束を贈られ、その旅情を慰められたのが、花束の始まりで、その習慣が今日まで伝わっているとのことだそうです。
一方、現在のインド北部に派遣されたのは インダウ天竺万山黒人民王で、後の仏教 釈迦族の始祖となります。 インド南部に派遣されたのは インドチュウラニヤ黒人民王 となっています。
五色人が世界中に広がった後、様々な天変地異やノアの大洪水などで著しく人口は激減しました。
大洪水を生き残ったノアの息子 白人のヤフェトはそのままペルシャ北方のコーカサス地方にとどまり、後のコーカソイド(白人)の祖となります。
コーカソイドのうち、最大勢力を誇ったアーリア人は、紀元前2000年~紀元前1500年頃にかけて、民族移動を開始。西北に移動したものがヨーロッパ人となり、東のイラン高原の辺りに定住したのがペルシャ人です。(インド=ヨーロッパ語族の進入)
一方、人口増加により、さらに東に移動したアーリア人は、インド亜大陸進入。先住民族の黒人などを征服し、カーストで有名な四つの階級「ヴァルナ(色)」を作り上げました。
後のアメリカ大陸や現イスラエルと同じく、白人種が黒人種などをしいたげながらも同化していく図式がここでも見受けられます(旧約聖書のハムの呪い)。このインド・アーリア人が、今日のインド人のほとんどを占める民族となります。
その後、中近東は、エジプト、メソポタミアの新バビロニア、イランのメディア、トルコのリディアの四国対立時代を迎えます。これら四国を滅ぼして古代オリエントを統一したのが、アケメネス朝ペルシアです。
以後、200年間、アケメネス朝ペルシアはギリシアより攻め上ったアレキサンダー大王によって前330年に滅ぼされるまで、西は現トルコおよびエジプト、東は現パキスタンに至るまでの大帝国を維持することとります。
首都は、イランの古くからの古都であるスサをはじめ、エクバタナ、バビロン、ペルセポリスと4カ所あり、季節などにより使い分けていた 模様です。とにかく広大な領土です。
スサという都市名が出てきましたが『日月地神示 黄金人類と日本の天命』(白峰聖鵬著、2005年、明窓出版刊)より抜粋します。
ペルシャにはスメル族が渡っていきましたが、このスメル族はシュメールともいわれます。スメルはスメラ(天皇)の訛伝だと考えられております。
古代ペルシャの首都は「スサ」と呼ばれてきました。このスメル族のスサの王が、日本では須佐之男尊となっているのです。
須佐之男尊はスサの王様ということになります。須佐之男尊の別名を月読尊といいますが、日本の古文献にはこの月読尊がペルシャに渡ったという記録が残されています。
月読尊とペルシャ・・・ここでも月がやはり絡んできますね!
では、何故 須佐之男尊=月読尊 は日本を離れてペルシャに渡ったのでしょうか?
「スサノオ」といえば、古事記では「三貴神」として「アマテラス」と「ツクヨミ」とともに父「イザナギ」からうまれますが、竹内文書では以下のように記されています。
「伊邪那岐天皇 即位六十五億万年ムツヒ月立一日、天疎日向津姫尊 産生。後 亦名 天照皇太神と云う。弟 月向津彦月弓命 出生、亦名 須佐之男命」
要は「須佐之男命」=「月弓命(ツクヨミノミコト)」。 やはり竹内文書的には「スサノオの命」の幼名が「ツクヨミの命」で同一人物と言うわけです。
「天照皇太神」と「須佐之男命」は同じ日に生まれた双子の姉弟として、それぞれ太陽と月を象徴とした名前を貰います。
双子であっても男子がいる場合は優先して皇位を継承するのが当時の慣わしではありましたが、今回は姉の方に皇位を継承させるようにご神勅がくだります。
勿論「須佐之男命」としては面白くありません。当時の様子は以下のように竹内文書に記されております。
「弟 速進男命(はやすさのおのみこと)荒し、姉 天疎日向津姫天皇イカラシて天に昇り、日球国の磐屋に隠れ、万国政りトコヤミとなり、群臣天日父磐屋前に集まりて迄天開く折祭、弟 進男命の所業悪くみて伊邪那岐天皇ひ迄祈、天皇いからしてツメになせて支那国へ流さしむ」
姉の政治の邪魔!?をして国外追放をくらったとされるスサノオは檀国(現・朝鮮)から母方イザナミの祖国(アフスタン国 現・アフガニスタン)へ向かいました。まさに古事記での「黄泉の国」=「夜見の国」に向かったわけです。
そして須佐之男命はやがて日本に帰って櫛稲田姫と結婚する前に、現地のアフタン国王女(最初の妻)と結婚し、後の檀君国(現・朝鮮)王、カレスト(現・ブカレスト)国王、アフトキスタン(現・アフガニスタン)王となる三人の子供を設けました。
これが、ペルシャの首都、スサでの物語りとなります。
しかし、本当に須佐之男命は、姉のアマテラスに乱暴狼藉をした結果の国外追放なんでしょうかね!?
宗教家の浅見宗平氏によると、天照皇太神が磐戸に隠れたのは、なにも須佐之男命のせいではないそうです。本当は人間が慢心し、神祀りをしなくなったので、太陽の大日輪の光を届かなくする術事をおこない、神の偉大さ有難さを人間に解らせる為に、敢えて磐戸に隠れたとの事です。
さらに須佐之男命は決して乱暴狼藉な神ではなく、外国などが乱れて争いなどが起きると、進んで平和の為に治安を治めにいく勇気ある神様であるとのことです。
また平和になりますと、農作や漁業水産物を教え、家造りや仕事、医術 薬造りを教えた情け深い神様であるということです。
この点は、古事記とも内容が異なる点です。上記の竹内文書の一文でも「須佐之男命」→「速進男命」と表記が異なる点もきになります!!
ちなみに「日月神示」では「同じ名のある神二つ」というフレーズが数多く出てきます。
結局、真相は「日月神示」が指し示す方なのではないでしょうか!?
「次の岩戸閉めは素盞鳴命にすべての罪を着せて根の国に追いやったときであるぞ、素盞鳴命は天ヶ下を治しめす御役の神であるぞ。
天ヶ下は重きものの積もりて固まりたものであるから罪と見えるのであって、よろずの天の神々が積もる積みをよく理解せずして罪神と誤ってしまったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ、
命を荒ぶる神なりと申して伝えているなれど、荒ぶる神とは粗暴な神ではないぞ、暴れ廻り、壊し廻る神ではないぞ、現生る神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取り違いしていて申し訳あるまいがな。このこと良く理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。
絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、間違えてはならんことぞ。」日月神示 碧玉之巻 第十帖
この誤解は重要なところですね!
・・・にしても、映画でも古代史でも「プリンス・オブ・ペルシャ」って誤解される立場にあるんですねぇ/(_-_)
失われた時間を取り戻す“時が来た!” ・・・・のかもしれません (人-ω-)
今回はここまでです!!
さて、「ペルシャ、インドの貸し見入る!?」と題して、今回の記事を描いてきましたが、殆どペルシャの記事だけで終わってしまいました。
実はまだ全然本題に入ってません・・・(汗)
転載以上
ikusaさんのブログ面白い話が沢山のっています。是非遊びに行ってみてね~