わたしのちいさなたからもの

2009年11月公開の劇場アニメ「マイマイ新子と千年の魔法」を追いかけて

いわき七浜めぐり① 10/6

2013-10-07 14:32:20 | 故郷のよすが

 

 

《『いわき七浜巡り』第1弾〜「小名浜さんま街道をゆく」ツアー日程 第2日目》

①常磐共同火力発電所 ⇒ ②小川きのこ園 ⇒ ③新舞子浜で芋煮会

 

・・・ぎゅうぎゅうだった昨日の日程に較べたら、一見ゆとりのあるプランに見えますが・・・

そうはいかないのが、いわき市という場所の怖い所。

①と②の間が軽く60km、車で約1時間の行程。市内を、海から山にかけて半日で南北縦断します。

 

まずは、常磐共同火力勿来発電所へ。

温排水に寄ってくる魚目当てに釣りに来る人たちの車が、防潮堤の向こう側にずらりと駐車中。

震災前は夏冬のピーク時期だけの操業だったのが、震災以降はフル稼働中。

ここからの電気が首都圏(=東電管内)にも送られて、原発停止中の生活を支えています。

( 『原発なくても、何とかなってるでしょ』 とおっしゃる方には、よくよく覚えておいていただきたい )

昨日より少し静かになった海。

 

 小川きのこ園へ。

 きのこの培地になるおが粉(=粉末状の木屑)に混ぜ込むいろいろ。(↓)消石灰は、ph調整用。

 ふすま(小麦の殻。米でいう糠、ですね)も混ぜます。 放射性物質対策に、ゼオライトも使用。

 ここで全部混ぜます(↓)。 

 混ぜたものを、ここから⇒ 

 

⇒ ここに移して、高温で消毒ののち⇒

⇒ この部屋で、冷まします。 奥にチラッと見えている銀色のファンが、冷気を送り込みます。

 これは、収穫を終えた培地の瓶。(↓)

きのこが出る時に二酸化炭素(CO2)が発生して熱がこもるため、各部屋の温度・湿度を調整します(↓)。

 培地用のおが粉を詰めた瓶の山(↓)。 菌を植えるのに良い環境を作ります。

 こんな感じになって盛り上がってきたのを(持っているのは、社長さん)⇒

⇒この機械(↓)に逆さまにセットして、 余分な部分を取り去り穴を開けると⇒ 

 ⇒こんなふうに。真ん中の穴・くぼみに、きのこの菌を植えて⇒

⇒菌糸が早く良く伸びるように、逆さまにしたまま置くと⇒

⇒こんなふうに(↓)、みっしりと培地の色が変わってくるくらいに育った状態に。  

 伸びる、伸びる⇒

 ⇒伸びてきた。 ここまで来ると、逆さまから元に戻して⇒

 ⇒瓶ごとの育ち具合を人の目で確かめながら、育成段階に合わせて環境を整えた部屋へ移動します。

 

出荷間近の部屋。 (↓)

 出荷を終えたら、室内は一旦清掃~消毒し、休ませてからまた使用します。(↓) 

 別棟の包装・パッケージをするエリア。 (↓)

 収穫されてパッケージ待ちのエリンギ(↓)。立派ー♪ 

  

 作業中(↓) 。

 椎茸もしっかりしていて、美味しそう。

 放射能測定も、自前でやっています。(近所から持ち込まれたものを測ってあげることもあるそうです)

きのこだけでなく、おが粉も検査して使っているそうです。

 

 

お話を伺った後は、お買い物タイム。

エリンギと椎茸、ヒラタケ、白醤油味の加工品をお土産に買いました。

帰ってから、きのこのパスタにしてみました。(↑) 

新舞子に行く途中で、寄り道。平の台所・(通称) やっちゃば

 小川きのこ園のエリンギが売り場に並んでいました。(↓) 

 かんぽの宿を目印に、芋煮の会場へ。 

 芋煮が出来上がるまで、BBQで腹つなぎ。 

 お好み焼きも。 

 待つ間、浜を歩いてみる。

まだ何もなかった頃、この辺りはハマボウフウや防潮林のきのこを採りに来た浜でした。

この潮見台も、(私にとっては)かなり後になって(かんぽの宿より新しく)出来たもの。

震災前に、一度か二度来たきり。

 薄磯方面を臨む。灯台のシルエットが、小さく見える。 

 

 そろそろ、芋が煮えてきた。福島は、《豚肉+里芋+味噌味》が定番。 

上京してほぼ同じものを「豚汁」と呼ぶのが、何だかピンと来なくて解せませんでした。

「豚汁」だと、芋がじゃがいもやサツマイモになっても大丈夫ですが、

「芋煮」はやはり里芋でないといけません。

 

 いただきます。 

 

 台風の接近で海が時化たため、試験操業が中止になったのが残念でした。

美味しいものをたくさん見て・食べて回りましたが、良い話ばかりではなく、残念な話・言い方にも出遭いました。

地元であれ福島県外であれ、考えて良い方向に持っていく努力~意識、時間、

そして正確な情報と、その普及・浸透 がまだまだ必要です。  

私のような地元出身者も含めて、地元にあるもの(産物・名所・歴史など)の素晴らしさ・貴重さに気付くことも

その一歩になりはしないだろうかとも思いました。 

 

移動中の車内の会話で、印象に残ったやり取りがあって・・・

「夏井川って、良い呼び方だよね。学園ものに出てくるみたいな」(東京在住の人)

 私(出身者)、Nさん(地元在住)「えー。そうかな?ずっと聞いてるから、わからない…」

(…どこの学校の校歌にも、閼伽井(赤井)岳 とセットになってるし…)

さらにもうひとつ。

「魚や食べ物が美味しいし、きれいな所があるから自分はいわきに来るんだけど、

いわきに住んでいる友達には『いわきのどこがいいの?』って言われる」(もう一人の東京在住の人)

 

・・・私も関東に出てからいかに美味い魚を食べていたかやっと分かったように、

自分の住んでいる環境の《日常》の水準の高さというものは、なかなか気付き難くて

かつ、良いものとして認識していない(はっきりとプライドを保持していないから、

外から批判されると(有り体に言えば、風評にさらされたりすると)、意外に脆く揺らいでしまうのではないか。

 

「このままではいけない。少しでも前に進むために、

被災地だからこその厳しい検査をした産品を 市場に出します」

 

試験操業について話してくれた漁協の職員さんたちのきっぱりとした言葉は、

震災以降の逆風にさらされ続けたから言える決意。

 10日に延期された試験操業が、再度延期になってしまいましたが、

私たちもめげずに、水揚げの喧騒・活気が小名浜港に戻るのを待ちたいです。

 

 

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いわき七浜めぐり① 10/5

2013-10-07 14:11:21 | 故郷のよすが

 

 よほど平(いわき)に先乗りして前泊しようかとも思いましたが、当日上野7時発のスーパーひたちでいわき入り。

《『いわき七浜巡り』第1弾〜「小名浜さんま街道をゆく」ツアー日程 第1日目》

 ①小名浜港水揚げ見学⇒②漁協さんから震災と漁業のお話し⇒③放射線検査室見学⇒昼食⇒

④富ヶ浦開港記念碑⇒⑤江名 諏訪神社⇒⑥片渕須直監督『花は咲く』取材地巡り(豊間)

⇒⑦四倉大川魚店⇒⑧津波伝承「大石仏(でぇぶついし)」⇒⑨久ノ浜

 

泉駅でツアー参加の皆さんと合流して、まず小名浜港へ。

ここに降りるのは、何年振りだろう・・・子どもの頃に何度か来たきり。

実家に船を背景にした写真があるはず(掘り出さないと、出て来ない)。

 3日に予定されていた試験操業が台風の影響で中止になって、再開を待つ漁船(↓)。 

水揚げ風景は、またの機会に。この天候では、致し方なし。

 魚市場の2階に上がって底曳網(そこびきあみ)漁協の方から、今までの状況とこれからの試験操業についてお話を伺う。

 いただいた資料とかつをうちわ。(↓) かつを 《正面顔》のキャラは、アクアマリンの館長さんのデザインだそうです。

 水揚げ港が違っていても、かつおが獲れる場所は同じなのです。 (↓)

 放射性物質検査を続けてわかってきた県水産試験場のデータ(↓)。 

こういうデータはなかなか広まらないのに反比例して、

報道がネガティブな現象(たまに出る基準値越え、良くわかっていない汚染水洩れなど)を先んじて

しかも強調して取り上げる風潮は、本当にどうにかならないのか。 

《 漁協の自主検査 × 明星大 × 県水産試験場 》 の三重の検査体制を敷いて、

 「 今まで検査に引っ掛かった魚は、市場に出していない 」

放射能検査体制を確立し、福島の魚が流通に乗るかどうか見極めるのが、

試験操業の目的。

それに加えて印象に残った言葉が、

「 生産者側から見ると、

『安全だから大丈夫、気にしないで食べる人が2割

食べて良いか、どうするか迷っている人が6割

何を言ってもダメ、拒否する人が2割』 」

 

 市場とは別棟の検査室を見学。

建物入り口で靴を脱ぎ、検査室の入り口でも一度スリッパを履き替え、かつ粘着マットで埃を取ります。

  ミンチにした検体(魚介類の可食部分)をここに入れて、測定します。

検体を入れるマリネリ容器(↓) 。

 

 これ(↑)にミンチ状にした検体1キロを詰めて、30分測定/検出限界3㏃。 

 こちら(↓)は、試験操業に合わせて導入された100g×50種類の検体を測定出来る新型機。

試験操業が予定通り実現していたら、この測定器が稼働している所が見られたはず。

隣の部屋で検体を処理(ミンチ状にして)、左側の小窓から受け取ります。(↓)

 

2点(↓)とも所内に貼り出されたデータ(クリックすると、大きな画像が開きます) 。

 

 

 砂利の敷かれている所は、市場を取り壊した跡(↓)。アクアマリンの向こう側の埠頭に、新しい市場が再建されるそうです。

震災の被害を受けなくても、40年超の建物でしたからねえ。私が行ったの、小学生の時だもの(⇒昭和34年生まれ)。

 

港近くで9月に再開したばかりの「さすいち」さんで、お昼。 金目鯛の煮付け膳を頼みました(↓)。 

メヒカリの唐揚げ。 

 

さんまの刺身。 新鮮でないと、刺身には出来ません。

 

見るからに美味そうな黄金色をした、さんまの酒盗焼き(↓) 、

コレも頼みたくて、金目鯛の煮付けとどちらにするか注文する時にすごく迷いました。

トマトのゼリー(↓) 、レモンの香りづけがさっぱりしていい塩梅。トマトも、いわきの名産品ですよー

 昼食後、富ケ浦公園へ。(↓) 

昭和初期の小名浜開港時、内閣が替わってチャラにされた開発予算再獲得のために尽力~奔走した

浜の男たち「白襷隊(しろだすきたい)の記念碑。

あの頃、成り行きとは言え100人を超す人数で東京に向かう決意・覚悟は、いかばかりのものかと。

治安維持法があって、特高に目をつけられたらもうヤバい、という時代です。

 隊員のひ孫にあたるツアー参加の方が、判りやすく解説してくださいました。

 

復興の黒松。 

 次は、江名の諏訪神社へ。 

 

参道から江名の港を臨む(↓)。町並みの向こう・崖の手前の、黄色いクレーンや白く並んでいるあたりが、港の建物。 

来る途中にも、傷みが目立つ家が目につきました。

ここの港も津波の酷い被害に見舞われましたが、この神社に避難して助かった人も少なからずいたのでは。 

調べてみると、いわきにはここの他に、四倉・小名浜・泉・中釜戸・小川・豊間にも諏訪神社があり、

殆どが海の側(小川の諏訪神社は、川沿い・小玉川、夏井川の側~合流地点近く)に勧進・建立され、

漁業・商売の神様として親しまれています。

 

海沿いに、豊間へ。

 ここ(↑)でトイレ~お茶休憩に寄った時、見つけました(↓)。 

 

「あんばさま」=おばあさん  …ちなみに、おじいさんは「おじんつぁま」「おじんつぁ」

震災前の地域の姿を、住民の方々による記憶と証言を元に再現しています。

これはこれで、もうひとつの「花は咲く」の姿・成果と言って良いのかもしれません。
 

いわきで演じられる演目にしたくて作った紙芝居を地元からの参加の方に見てほしくて、

紙芝居実演をサプライズにする提案をした所、豊間の津波跡を見た後に時間を取っていただけました。

 あいにく風が強く、小雨もちらつく中の実演になってしまいましたが、

参加していたお子さんもにもじっくり見てもらえて、かさ高い紙芝居の舞台を持ってきた甲斐がありました!

 実演の様子は、こちらで。 

薄磯海岸へ。防波堤の花々は、震災後に描かれました。 

 薄磯から太平洋を臨む。昔は、この監視台にも屋根があったのですが・・・ 

 防波堤と道路を挟んで反対側の豊間中学校跡(↓)。

校庭に積み上げられた瓦礫の風化具合や雑草の伸び具合が、震災からの時間の経過を物語ります。 

  また海岸線を北上して、四倉の大川魚店へ。 

 相馬で水揚げしたミズダコが売られてました。 宿呑み用のおつまみにお買い上げ。

社長さんに挨拶してから、次の目的地・大仏石(でぇぶついし)を目指します。 

所在地付近と思しい近辺に着いても、一向にそれらしい祠が見当たりません。

一度車を止め、近所で聞いて回ってもさっぱり分かる人にも出会いません。

たまたま「あそこかも・・・」と教えてもらった場所に向かう途中にも いろいろあって

やっとたどり着くと、 もうびっくりするような場所に目的の大仏石の祠を発見。 

最終的に案内してくれたおじさんが見せてくれた新聞記事(↑)。

 およそ600年前、大津波で海から転がってここ(丘の裾)まで運ばれて来たという由来のある石は、

「戦時中、この石にお参りしてから出征した人は、皆無事に帰ってきた」とも伝えられているそうです。

このあたり(四倉)の奥の鉱山ではかつて石灰石が掘り出され、

セメント工場も建ち(←駅から見える場所に工場があったのを私も記憶している)

そこに勤める人たちが住む住宅がこの近くにあって「セメント長屋」と呼ばれ羽振りが良かった時に、

大仏石を祀る祠を作ったとも話してくれました。 

こちらのブログにも、詳しい由来・伝説が綴られています。

この後さらに、津波の被害が酷かった久ノ浜へ。

カメラのバッテリーが心細くなったのと、豊間・薄磯もですがよく遊びに行って昔の風景を覚えているせいか

どうしても被災の跡を撮る気になれなくて、結局写真は1枚も撮りませんでした。

 

今日のお宿・小名浜神白(かじろ)温泉国元屋にチェックイン後、小名浜の栄寿司での懇親会へ。

 付き出し(さんま佃煮、〆鯖、鯨ベーコン⇒これが今まで食べたことのない味!くどくないのに濃厚で・・・

「そこらには売っていない」と店の人が言うくらいお高いのは、判る気がしました)。

 握り寿司。 

 アカジの焼き物。 

 さんま汁。

宿に帰って風呂上りに、酪王カフェオレ。知らないうちに県内メジャー(どこのコンビニにもある!)になっていた・・・

(私の学生時代には、浜通りでは見かけなかったんですよ) 

 宿呑みの肴各種。本当はこの時皆さんに「花は咲く」DVDをかける予定でしたが、

私の手落ちで(再生用PCのことをすっかり忘れていた・・・)見ていただけませんでした・・・

すみません、片渕監督(レジュメだけは、お渡ししてきました)。

(画像見直している時に、旅館の写真を撮り忘れていたのにも気付きました・・・) 

 

 《 いわき七浜めぐり① 10/6 に続きます》

 

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