わたしのちいさなたからもの

2009年11月公開の劇場アニメ「マイマイ新子と千年の魔法」を追いかけて

いわき爆走!《超高速!町歩きツアー》その②

2014-06-24 12:23:36 | お出かけ

 勿来の「丸鮮」さんでお昼。

  店の前から。まだ、小雨が降ってます。

  付き出しはブリの煮付けと茶碗蒸し~

  今日もメヒカリ唐揚げ~連日だ~温かいうちにいただきます~♪

  お昼の刺身盛り合わせ~9種も~♪

 

アロハの柄が可愛かったので、撮らせてもらいました。

フタバスズキリュウ(↓) 

 こちらは、フラ~ハワイアンのモチーフ柄。踊っているフラガールのシルエットも。 

 

 お腹をいっぱいにしてから、勿来関文学歴史館へ。

 

見るめかる  あまのゆききの  湊(みなと)ぢに

なこその関も  わがすゑなくに

小野小町

 『新勅撰和歌集』恋654

お通いになるのが間遠になってしまわれましたが、海松(みる)藻(め)を

刈り取る海人(あま)が行き来する湊路(私の心を奪ってしまったあなたが通ってくる道)に、

もう来ないでという関所など、私は設けてはおりませんのに。

 

…晴れていれば、海が見えるのです。ここから。 

企画展示「日本の武具」と常設展示を見学。 

 解説の副館長さんによると、復元した甲冑師さんが張り切り過ぎて、

出来上がりがえらく重くなってしまった大鎧(おおよろい)。

複製なので、触れます。鹿革が手触り良かった~

  こちらは、具足。見るからに実用的。

 

次は 篠突く雨の中、勿来の切通しを目指します。

 

 ここには、標識はあるんです(強調) 

 …あるのですが、ここから先は草が深過ぎて進めません。お~~い~~

  

 さらに海沿いを南下、県境を越えて平潟へ。

戊辰戦争時、官軍が上陸した地。今回の震災時にも津波被害を被りました。

いわきも実は戊辰戦争時に戦場になっていまして、

平には山門に弾痕の残るお寺があります。調べてみたら、良善寺というお寺でした。

平の町並みが焼けたのは、太平洋戦争末期の空襲だけではなかった)

なんとか雨が降り止みました。  

 

平潟は、風光明媚でよく知られた港です。どこの角度を撮っても 「絵」になる風景。

  

太平洋戦争時末期の

「震洋(しんよう)(中古トラックエンジンと爆薬を搭載したベニヤ製モーターボート)と

航空機の部品を利用した「海竜(かいりゅう)の基地があった平潟。

その格納庫跡。(↓)  

 

往時を忍ばせる建物。  

かつては「洗濯屋」と呼ばれた言わば男性向けお宿があったそうです。

  

さらに戦争の跡を訪ねて、大津港へ。唯一残る、風船爆弾放球台

和紙を貼り、こんにゃく作った糊で固めた風船に水素を詰めて打ち上げ、

偏西風(ジェット気流)に乗せて、

太平洋の向こうまで到達させ(だいたい2日ほどで届いたという)アメリカ本土を爆撃しようという、

聞きようによってはなんとものどかな作戦ですが…

ベニヤ、中古エンジン、和紙、こんにゃく…

先ほどの「震洋」「海竜」といい、内容を打つ度に脱力感にも似た気持ちが湧いてきます。

 

 北茨城市漁業歴史資料館「よう・そろー」にて。 

 大津町の「大津御船祭り」で使用される「祭事船」(↓)。

豪華で手の掛かった装飾が施されています。

これを実際に海上に浮かべるさまは、さぞ華やかでしょう。 

 2階には、アンコウの展示があります。

紙芝居「アンコウたいちょうとメヒカリたいいん」作者としては、素通りは出来ません。

アンコウの吊るし切りの再現。近所の魚屋で毎冬見た景色。    

 

 世界のアンコウ(↓)。クリックすると、大きな画像が開きます。

 

 帰り際の車窓越しに、去年の七浜めぐりの時に傍まで行った常磐共同火力勿来発電所を臨む。

いわき南半分~茨城北端を駆ける文字通りの超高速!な歴史を爆走するツアーでした。

お世話になった皆さま、ありがとうございました。

 

今回いただいた資料の数々。

ある時代をテーマに絞ったコースがあれば、

その時代にこだわりを持つ人にも魅力あるものになりそうだし、

知られていない歴史を広く知らしめる形もありかと思えました。   

 

今回はお土産は「ようー・そろー」で購入したこれだけ。

植田の鮮場で思い切れなかったのが、最大の敗因でした。

 この教訓を次回の目標・リベンジとしたいです。

 

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いわき爆走!《超高速!町歩きツアー》その①

2014-06-24 12:23:06 | お出かけ

 平で用事があったため、当日昼前にいわき入り。駅ビルの半田屋で腹ごしらえしてから、目的地に。 

サンマのみそ焼き、甘じょっぱくて美味しかった。

ごはんは、ミニ(一番少ない)でコレ。とことん、食べたい人向けのお店です。

 

 20分前にポレポレに行くつもりが、気がつけば15分前。

あせあせ!で駆けつけました。

 上映館いわきポレポレのロビーにて。いつの間にか、いわきにもご当地アイドルが~ 

アイくるガールズ、ですって!!

 ツアー一行の皆さんと合流して映画鑑賞。

上映中の会場でたびたび巻き起こる爆笑。役者さんたちも楽しんで演じてます。

家老役・西村雅彦さんのなりふり構わぬ奮闘っぷりは、見物です!

次の回の列が階段にまで並んでましたー 。

 

 上映後、湯本に移動して懇親会。付き出しのカツオの荒煮がすごいボリューム!

 ウニの貝焼き。これはまださすがに地物ではない。…が。

「地物がとれるようになったら、国内各地・他国産との食べ比べがしたい!」の声が。

  お待ちかねのメヒカリちゃ~ん  

  映画のお殿様が鯛を食べていたのにちなんで…ツボダイも注文♪

「裏返した二日目が、美味いのお」

 

  これがなければ呑みは始まらない!お刺身の盛り合わせ―♪

カツオは、やっぱり腹(前列一番左端)が美味い。

クラゲ刺しも頼んだのに、撮り忘れた…(こりこりした食感が良かった)

 

宿泊は湯本の古滝屋さん。浴場の脱衣所前には、ぬかりなく木村牛乳の自販機!   

 

その後ろにさり気なく展示されている「岩城平城内外一覧図」。

同じものを綺麗に写したものが平駅前のいわき総合図書館5階の

「いわき四藩のお殿様~平・泉・湯長谷、 藩主の変遷~」で展示されています。(~9/28まで)

実家の在った辺りが、家中のお屋敷があったと思しいのがわかったり、

馴染みのある地名がたくさん。

 

 

そして、自販機の裏(というか、展示ケースの一番左側)も、ちょっと覗いて確かめてほしい。 

私は、良い絵だと思いました。

 

 

 白牛乳は風呂上りに、ヨーグルトは翌朝の朝食の時にいただきました。

 

 翌日はあいにくの小雨模様ながらツアー開始。

この日一日、この旗がツアーの先頭。映画の宣伝に使われているのと同じグッズです。  

まず最初に訪れたのは、 

 法界寺にある湯長谷藩初代・遠山政亮(まさすけ)と内室・真田氏が寄進した梵鐘。(↓)

震災で鐘楼が壊れたものの、復旧~原状に復帰しました。

いわきのお殿様は、いろいろと縁戚を通じて真田氏・伊達氏とも所縁が深い。

一番よく知られているのが、伊達家に嫁ぎ独眼竜こと伊達正宗の祖母となった久保姫(くぼひめ)。

戦国時代に詳しい人にとっては、平藩・内藤家の役回りはすごく面白い立ち位置のようです。 

人間関係が複雑過ぎて予備知識がないと、 その面白さが半分しかわからない所がちょっとツラい。

でも、その凄くマニアックな解説が

バスの隣の席に座っていた(戦国ゲーム大好きの)某氏には大受け。

クリックすると(↓)大きな画像が開きます。 

本堂も堂々たるもの。この日も法事が執り行われていました。 

 

 クリックすると(↓)大きな画像が開きます。 

 取材の方(一番奥)が同行、撮影中。

 

移動して、いわき市考古資料館の「近世いわきの藩展 ~湯長谷藩~」を見学。

 

 クリックすると(↓)大きな画像が開きます。  

 湯長谷藩の石高で建てるのが許されたのは、城ではなく「館(やかた)」だったそうで、

実際には映画に出てきたような石垣はなかった。   

湯長谷藩家中の見取り図によると、

親戚が住んでいるあたりも家中に引っ掛かっていそうだわ… 

 

 竜勝寺には映画の主人公・湯長谷藩主第4代・内藤政醇(まさあつ)の墓所(↓)があります。  

  

  次に寄ったのが、

駒ヶ佐和地蔵尊・別名・袈裟懸け地蔵。確かに、バッサリと切られた痕が。

夜な夜な通る人を脅かすため、内藤候に命じられた武士が退治・斬りつけた痕と伝わる。  

(傷痕を撮影する度胸、私にはありません…qでも、本当にスパッ!ときれいになっていました)

ここも、住宅と住宅にはさまれた「えっ?!」と思うような場所にあって、

つい昨年の七浜巡りの時にみんなで探した「大仏石(でぇぶついし)を思い出しました。

 クリックすると(↓)大きな画像が開きます。  

 

「どうやって車庫証明取ったんだろう…」の声が上がった路傍の光景。(↓) 

 

(↑) (昭和生まれの推測;昔、防空壕用に掘ったとこを転用?したんじゃなかろうか。

車庫証明を取ったかどうかは、確信持てず

 

湯長谷藩館跡に向かう途中に見えた、御濠の跡。 

 

 磐崎中学校校庭の石碑。この辺が映画で武芸の稽古をしていた辺り(かもしれない)。

揮毫は、木村守江元知事。

 

湯長谷藩歴代の藩主。クリックすると(↓)大きな画像が開きます。  

 

雨のそぼ降る中、戊辰戦争の激戦地・新田峠へ。

この峠に入る手前の道路の下を常磐線が通っています。 

右側の方が持っているのが(ボロボロになった)標識。 

  ここは、そのままドラマや映画の撮影に使えそう。

昔はこのもっと奥の途中におばあさんがやっている茶屋があったそうです。

 

 

 お土産を見繕いに、植田の鮮場に。

 いわき産の魚は見つからなかったけど、原釜のニクモチが…!!

 

買って持ち帰るか、それとも宅急便で…頭の中でぐるぐる。 

他を見て回りながら、思案。 

  うに飯も、売ってるんだ!(《 うに飯=駅弁=平の住吉旅館 》の刷り込みがある世代)

 

お昼前に買い食いする人も(↓)。

そういえば私の実家では、揚げ浸しよりも竜田揚げの方をよく作ってました。 

お弁当にも入ってたのを、思い出した。

…ニクモチお買い上げは、あきらめました。… 

 

 《その2に続く》

 

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