白状します。
ロードショウ上映時に観に行けなかった(行かなかった)のを
今、激しく後悔しています。
ロードショウ終了後ラピュタ阿佐ヶ谷で上映されるのを知って出かけた1度目、
満員で観ることがかなわず、
ようやく2度目で(しかも補助席)観ることが出来た後、つくづく思いました。
誰かに作品を勧める時、たいてい
「あの映画(本、イベントetc)の○○が、××で良かった」
「○○で××なところが、きっとあなたの趣味に合うと思う」
・・・など、必ず具体的に伝えられる要素を上げますが。
この作品に関しては、それを言うのが(私にとっては、はなはだ)難しい。
辛うじて言えるのは、
《昭和の懐かしさ》を頼りに観に行ったとしても、
《自分の子供時代に戻りたい》 願望をかなえるために観るとしても、
それ以上(以外)の《何か》を見つけて(感じて)帰れるはずだ、ということ。
・・・正直、見終わった時に茫然としました。
あっけにとられたようにも、思いました。
なぜ自分がそう感じるのかが、わかりませんでした。
「10年前の・・・」「20年前にはね、」
・・・なんていう台詞がするりと出てくる年齢になると、
「50年前なんて、ついこの間」
「100年前の?まだそんなに古くないじゃない」
・・・そんな気持ちさえ、何の抵抗もなしに湧いて来る時もあるのです。
でも、子供の頃には
二十歳になる自分、三十歳になる自分なんて想像出来なかったし、
21世紀・2000年が来るのは、
もっともっと遠い先のことのように感じていたのに。
そう感じていたこと自体を、忘れていました。
《時間》とは、不思議なものです。
祖父から授けられた知識と、自分の想像力で
《1000年前、いたかも知れない女の子》を思い描く主人公・新子。
昭和30年の山口県防府市を舞台に、
新子の小学3年生の日常と、《1000年前、いたかも知れない女の子》の姿が
交互に、淡々と語られる・・・
淡々と語られた物語の中から、放り出された。
茫然としたのは、
そんなふうに思えるほど作品の中に流れる時間の中に
入り込んでいたせい・・・
なのかもしれません。
今、言えるのはこれだけです。
詳細は、HPをご覧下さい。
一人でも多くの方に、
この作品の中に流れる時間を 体験してほしいと願っています。
《お断り》
2010年2月にこちらで書いた記事を
一部編集して再録しました。