事情で前乗りをあきらめ、当日入りすべく 前夜に荷作りをしながらTwitterのTL覗いたら、
なんかすごい事態になっていた。(詳細はこちら)
その余波を受け、荷物に追加のDVDを突っ込んで翌朝出発。
なんとか予定より早い新幹線に滑り込めた。・・・にも関わらず。
姫路を過ぎたところで、停電による停車。10数分遅れで広島に到着、やや矢野屋さんと合流。
一緒になった三田尻さんとタクシーに乗り込んで、比治山大学へ。
・・・なんとかギリギリでミッション達成しました。
展示会場内の撮影が出来なかったので、入り口を(↓)。
展示内容は、シナリオ・絵コンテ・レイアウト・設定・原画・セルなどに加えてあの実物も。
描き手の息づかいが聞こえてきそうなブラックラグーンのラフ原画(銀次と戦うレヴィ)など、マニア垂涎もの。
( あれ、黒地~銀地に白抜き
or
白地にミリタリーグリーン~ネイビーブルーで刷ったら、
カッコいい表紙・パッケージになりそう )
ディスプレイもしっかりまとめられていて、1日限りというのがもったいないような展示でした。
講演を開催したホールは小振りながら機器が充実。
素晴らしい音響で流れる「花は咲く」が聴けたうえに、
初めて動く「この世界の片隅に」の映像を観ることが出来ました。
あの髪のタッチを、本当に一枚一枚動かすんだろうか…
台風崩れの悪天候ながら200名収容の会場に178名来場の入りは、
オープンキャンパスと同時開催なのを割り引いても、十分な盛況ぶりです。
とてもコアな質問された来場者の方もいて、広島のアニメファンの面目・水準を知らしめてくれました。
《 講演のメモより 》
*「花は咲く」は、人口3,4万の町を想定、福島の津波被災地にロケハンした。
*「マイマイ新子と1000年の魔法」と「この世界の片隅に」を貫くテーマとして、
《 昭和30年代以前に想像力で遡れるかどうか 》
=
《 なくなった(失われた)ものを描く 》
*資料だけでなく、想像力で膨らませた人々の営み・風景を描く
*アニメにする意味=すでに失われたものと、今も残るものを等質に描ける
翌日は、やや矢野さんと呉へ。
レンタカーで雨が降ったり止んだりする市内へ。
歴史の見える丘から、ドックを臨む。
なにか見覚えのあるシルエット(↓) 、裏に回ると・・・
戦艦大和の碑でした。
コンビニ駐車場の向こうに見える海に浮かぶもの(↓)・・・
現役の潜水艦見るのって、初めてかも。
(以前横須賀に行った時には、あまり港を見てこなかった)
コンビニの並びにある煉瓦倉庫、こちらも現役。
コンビニの品揃えも、ご当地ならのコーナーがガッチリ!出来上がっていました。(すごかった・・・)
旧・呉鎮守府(↓)。日曜日には一般公開しているそうです(残念!この日は月曜でした・・・)。
「鎮守府」という言葉、呉以外にも浸透してきていますねー(アニメやら、某ゲームやらで)
今年発行の新しいプレートには、碇マークと「大和のふるさと」の標語入り。(↓)
呉市110周年記念事業の一環として、今年限りの発行だそうです。
次に回った入船山記念館ではカメラを車内に忘れて、写真撮れず・・・
ボランティアガイドの方に案内してもらいました(約1時間コース)。
表のイギリス風迎賓室群の豪華さと対照的な居住部和室の質素なこと。
玄関のステンドガラスと、洋間の金唐紙は見応えありました。
部屋ごとにデザインが違っている陶器製のストーブも、珍しかった。
大和ミュージアムで、まずは腹ごしらえ。海軍カレーのランチ。
今回の目当ては、再現された艦橋の展示(↓)。
窓越しに主砲試射の映像が流れて、 乗組員の気分が味わえます。
窓が小さくて視界が狭いのが、意外でした。
この主砲発射の映像は原則として動画撮影禁止なのですが、
「雰囲気としての静止画ならOK」の確認が取れたので早速撮影に挑んだ矢野さん、
粘りに粘って主砲発射の瞬間をカメラに収めました。GJ!
私は、手ブレ防止機能を(知らないうちに)解除してたらしい・・・(↓)
「風立ちぬ」にちなんで、ゼロ戦も撮ってみた。
子どもの頃、マンガ雑誌のグラビアとかで見ていたのと機体の色が微妙に違う気がする…
(…のは、気のせい?それとも印刷の加減なのか、記憶違いなのか。
もっと明るめの色だったように覚えている)
ミュージアムを後に、マンガ作中の景色を求めて市内を文字通りグルグル廻る。
一方通行・進入禁止・車自体が入れない道も多い。
空襲で焼け残った蔵の脇~裏側にまわると、補修が施されて全く違う佇まいが顔をのぞかせます。
こういう(↓)階段が誘うようにあちこちに隠されている坂の町・呉。
市街が広く路面電車・バスも通っていて、地形のアップダウンの激しさもあり、エリアも広い。
私は、まだ各ポイントの位置関係を完全に把握しきれていません。
裏の畑から大和の雄姿が望める北條家から、この辺りまで相当な距離があるのは確かで
徒歩だけでエピソードに沿った各ポイントを巡るのは、かなりきつそうです。
でも、あの時代に暮らした人たちは
その距離もものともせず下駄・草履の足で行き来していたわけで、
これは自分の両親や両親と同世代のおっちゃんおばちゃんたちの体験が証明しています。
・・・戦後育ちの我々とはくらべものにならないくらい、足腰強いんだわ・・・
予定より早い新幹線に乗るつもりで広島に戻ったのに、
山口方面の大雨の影響で結局50分遅れで出発
=
元々の予定時刻に出発・・・
(何のために、呉を早く発ったのか)
結局自宅に帰り付いたのはギリギリその日のうちでした。
昨年秋以降、新幹線に乗ると何かあって遅れることが続いています。
これがジンクスになりませんように。
大和ミュージアムで配送を頼んだ呉・海軍さんの麦酒(ビール)。
3本セットでそれぞれ味が違います。
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