勿来の「丸鮮」さんでお昼。
店の前から。まだ、小雨が降ってます。
付き出しはブリの煮付けと茶碗蒸し~
今日もメヒカリ唐揚げ~連日だ~温かいうちにいただきます~♪
お昼の刺身盛り合わせ~9種も~♪
アロハの柄が可愛かったので、撮らせてもらいました。
フタバスズキリュウ(↓)
こちらは、フラ~ハワイアンのモチーフ柄。踊っているフラガールのシルエットも。
お腹をいっぱいにしてから、勿来関文学歴史館へ。
見るめかる あまのゆききの 湊(みなと)ぢに
なこその関も わがすゑなくに
小野小町
『新勅撰和歌集』恋654
お通いになるのが間遠になってしまわれましたが、海松(みる)藻(め)を
刈り取る海人(あま)が行き来する湊路(私の心を奪ってしまったあなたが通ってくる道)に、
もう来ないでという関所など、私は設けてはおりませんのに。
…晴れていれば、海が見えるのです。ここから。
企画展示「日本の武具」と常設展示を見学。
解説の副館長さんによると、復元した甲冑師さんが張り切り過ぎて、
出来上がりがえらく重くなってしまった大鎧(おおよろい)。
複製なので、触れます。鹿革が手触り良かった~
こちらは、具足。見るからに実用的。
次は 篠突く雨の中、勿来の切通しを目指します。
ここには、標識はあるんです(強調)。
…あるのですが、ここから先は草が深過ぎて進めません。お~~い~~
さらに海沿いを南下、県境を越えて平潟へ。
戊辰戦争時、官軍が上陸した地。今回の震災時にも津波被害を被りました。
(いわきも実は戊辰戦争時に戦場になっていまして、
平には山門に弾痕の残るお寺があります。調べてみたら、良善寺というお寺でした。
平の町並みが焼けたのは、太平洋戦争末期の空襲だけではなかった)
なんとか雨が降り止みました。
平潟は、風光明媚でよく知られた港です。どこの角度を撮っても 「絵」になる風景。
太平洋戦争時末期の
「震洋(しんよう)」(中古トラックエンジンと爆薬を搭載したベニヤ製モーターボート)と
航空機の部品を利用した「海竜(かいりゅう)」の基地があった平潟。
その格納庫跡。(↓)
往時を忍ばせる建物。
かつては「洗濯屋」と呼ばれた言わば男性向けお宿があったそうです。
さらに戦争の跡を訪ねて、大津港へ。唯一残る、風船爆弾放球台。
和紙を貼り、こんにゃく作った糊で固めた風船に水素を詰めて打ち上げ、
偏西風(ジェット気流)に乗せて、
太平洋の向こうまで到達させ(だいたい2日ほどで届いたという)アメリカ本土を爆撃しようという、
聞きようによってはなんとものどかな作戦ですが…
ベニヤ、中古エンジン、和紙、こんにゃく…
先ほどの「震洋」「海竜」といい、内容を打つ度に脱力感にも似た気持ちが湧いてきます。
大津町の「大津御船祭り」で使用される「祭事船」(↓)。
豪華で手の掛かった装飾が施されています。
これを実際に海上に浮かべるさまは、さぞ華やかでしょう。
2階には、アンコウの展示があります。
紙芝居「アンコウたいちょうとメヒカリたいいん」作者としては、素通りは出来ません。
アンコウの吊るし切りの再現。近所の魚屋で毎冬見た景色。
世界のアンコウ(↓)。クリックすると、大きな画像が開きます。
帰り際の車窓越しに、去年の七浜めぐりの時に傍まで行った常磐共同火力勿来発電所を臨む。
いわき南半分~茨城北端を駆ける文字通りの超高速!な歴史を爆走するツアーでした。
お世話になった皆さま、ありがとうございました。
今回いただいた資料の数々。
ある時代をテーマに絞ったコースがあれば、
その時代にこだわりを持つ人にも魅力あるものになりそうだし、
知られていない歴史を広く知らしめる形もありかと思えました。
今回はお土産は「ようー・そろー」で購入したこれだけ。
植田の鮮場で思い切れなかったのが、最大の敗因でした。
この教訓を次回の目標・リベンジとしたいです。
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