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墾道

「きっとこの先に何かがあるんだ」

フビライ大統領

2021-06-18 08:00:40 | Weblog

モンゴルのイメージ~遊牧の民。相撲が強い。(朝青龍、白鵬等の横綱)。人類学的に日本人と酷似(蒙古斑)している。我々の歴史に身近に感じる出来事は元寇来襲(げんこうらいしゅう/鎌倉時代)である。2度に渡る来襲。台風に助けられ、モンゴル軍の上陸を阻止した。もし台風がなかったら、日本は元の領地になっていたことだろう。そもそも元という国家は何なのだ。中国北宋を金が治めていた、その金を滅ぼしたのがモンゴル帝国が率いるチンギスハンだ。遠くペルシアまで領土を拡大し、東アジアも呑み込む勢いである。モンゲル帝国ハンの継承も熾烈である。第5代帝王がチンギスハンの孫、フビライである。彼には優秀な人材がいる。そして中国南宋を滅ぼし、中国を統一した。モンゴル軍のイメージは略奪、皆殺しという怖い戦法である。フビライは無血開城で、人民から信頼される支配者である。その戦法を実行する部隊の司令官はなんと多民族である。ウィグル族、チベット族、漢族、そしてモンゴル族。またフビライは民族(人種)を越え、宗教(儒教、仏教、イスラム、キリスト教)の保護、商人達を大いに活用する。今の国家元首はこの偉大なハン(大統領/選挙はないが実力と人気で選ばれる)を見習ってもらいたいものだ。将来を見据え、優秀な部下の意見を聴き、非武装・民主政治・経済を動かす実行力をもつ者が国の頂点に立ってもらいたい。力による統治国家はいずれ滅びる、また統制の利かない自由国家(無能な国家)も滅びる。自由という理念も漠然としたものではなく、理の叶った自由でありたい。滅びない人類を模索しよう!

 


虎穴に入らずんば虎子を得ず

2021-05-29 08:16:36 | Weblog

私は檻のない独房の男である。妻に死なれて、ひとりさびしい日々を送っている。話しかけてくれる人もいない。一日無言で過ごす。ときよりやりきれない切なさで生きるとは何かと考える。考えすぎると混乱して頭痛を起こす。

後漢の人で班超の生きざまに触れた。歴史家の家系で生まれた。班豹の子供は彼の影響で立派な文士である。兄、班固は父の仕事を引き継ぐ。妹は兄亡き後、班固の残した歴史書を完成させる。班超だけは武芸に秀でて、前漢の張騫にあこがれている。ある日、人相を見る人から「君の人相は燕のようなアゴと虎のような頭をしている。この人相は燕のように鋭く、万里の彼方に飛んで異国に着地すると、虎が餌に食いつくような鋭さで獲物にくらいつく列侯とる。」(燕頷虎頸~えんがんこけい)。若き班超は世の中の流れに身を任せ、貧しい生活で40を過ぎてから、匈奴征伐のチャンスに巡り合う。彼に付きそう36名の異能(医者、剣豪、裏墨家等一芸に秀でるもの達)の持ち主がいる。戦歴を重ね、奉車都尉竇固の信頼を得て、鄯善国(楼蘭)の軍事使節となる。部下36名を引き連れて、交渉に向かう。国王と面会し、会談で手応えを得る。が幾日も待たされ、対応も悪くなる。どうやら匈奴軍使節130名が来ていると班超の部下から情報を得た。このままでは皆殺しにされると判断。少数の部下に決死の覚悟で呼びかける。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と。匈奴軍を制圧し、国王に後漢王朝への服従を誓わせた。その後の活躍で後漢の歴史に残ることとなる。

私事であるが、単独登山をしていると、困難にぶち当たることがある。山頂を手前にして、撤退するかリスクを負ってでも登り続けるかと。ちょっとオーバーではあるが、勇気を振り絞らねばならないときにこの言葉が役に立つのである。とは言え、石橋を叩いて渡る私でもある。危険は最小に、安全第一、自分が納得したら、「ゴー」である。

 


山岳修行

2021-03-09 08:19:55 | Weblog

私はよく山を登る。何のために。そんな難しい理由はない。ただ山が好きなのです。ただ長い山が終わるとホッとすると同時に自分をほめる。「俺はヒーローだ」と。最近、汗をかき、一生懸命夢中に登ることに「これも修行」だと思うようになった。妻を亡くしてからは孤独と戦っている。何もかもやる気がなくなる。全て面倒くさいのである。そんな時、テレビで築地本願寺の事務長らしき方が一日一生という言葉があり、すごく気になった。比叡山の千日回峰行の酒井雄哉氏の言葉に一日一生という言葉があった。人は弱いものである。おそらく誰も助けてくれない。自分が一日一日、何をするか決め、充実して懸命に生きようと決めた。すこし気が楽になった。丁度空海さんに関わる本を読んで、~土佐の室崎に於いて目を閉じて之を観すれば、明星、口に入って仏力の奇異を現ず。~という言葉を記してある。明星が口中にとびこみ、空海は目をあけて、まだほの暗い夜明けの空を見つめていた。しばらくして、彼はゆっくりと立ちあがった。それはまだ修行が足りないのだと仏が叱咤と激励である仏の奇跡ともいえる。山岳修行と断食である。これらは唐にて恵果和尚から灌頂を受けることになる。空海は偉大!人間社会を超越しているまさに仏なのでしょう。彼の一つ一つの行動に誰も口をはさむことはできない。なぜならば宇宙から来た神様だから。きっと皆さんの心に宇宙の神様がいると思います。

 


鄧艾(とうがい)

2021-01-17 15:00:01 | Weblog

有名な三国志のその後はどうなったのかと気になる。五丈原の戦いで孔明(蜀)が病死する。魏の仲達は孔明に翻弄されるが、魏を守り抜く。魏も曹操の時代から支配権は司馬兄弟(仲達の子)に代わる。その中で仲達から見いだされる下役人が活躍する。吃音のもち主であるが、知力と意志力の強さを兼ね備えている。司馬懿仲達は彼の才能を高く買い、尚書郎に抜擢する。その魏で厄介なのが蜀である。孔明の意志を継ぐ姜維(きょうい)が魏に攻め寄せる。彼と対等に戦える武将がいないのである。すでに仲達が亡く、優秀な軍師もない。がその中で知恵者の鄧艾が姜維と渡り合い、魏の窮地を救う。その後、姜維と鄧艾の戦が続くのである。が最終的には鄧艾の知力が勝ったのだと思う。蜀の内政は宦官がのさばって腐敗していた。姜維の軍事行動に批判的な蜀王の判断でいとも簡単に降伏してしまう。孔明なき蜀は姜維のおかげで辛うじて三国鼎立を保っていたが滅びる。鄧艾の活躍により、蜀を滅ぼしたが、彼も身内の罠により、魏へ捕らわれの身となり、洛陽に送られるが、途中で殺害されてしまう。蜀の結末と魏の功労者が殺害された。姜維と鄧艾という英雄は空しい生涯を閉じた。ふたりを敬うものは少ないのだろうか。~国とは良きリーダーと優れた知恵者のスタッフが揃わないと前進しないもの、国民も国政に感心を持ち、良きリーダー達とスクラムを組めると富める国となり、世界をリードし平和な社会に貢献出来るものと信じる。~


王莽と武則天

2020-10-22 15:15:00 | Weblog

この二人、どこか似ている。王朝簒奪者として、悪者扱いされている。王朝血縁者でない二人が血のにじむ努力と天性な支配力で腐れかかった王朝に活を入れた事には間違いがない。王莽(漢書では莽の字は草冠に大ではなく、犬である)は漢王朝(劉邦が祖)の10代元帝(劉奭/りゅうせき)の時代に登場する。(元帝の妃)元后の甥にあたる。彼は早く父親(他の兄弟は出世する)を亡くし、貧乏生活を送る。皇族の一員であるが恵まれなかったのである。だが都を離れ儒学を学び、他の叔父たちは恵まれた生活で才能に欠けているだけに優秀さが際立ってくるのである。朝廷に入り、実力を発揮してくると、中のからくりも手に取るように分かる。これからが彼の発揮する所である。11代、12代、13代の劉一族を操り、幼帝の摂政となる。彼の政治手腕も優れていて、改革も進める。国民を惑わし、自らが皇帝になる。(前漢の終焉)新帝国である。(紀元前・後)そこまでは順調であるが多く出された改革が裏目に出る。貨幣制度を変えるが混乱を引き起こし、官僚は不正を働く。蝗の被害による食糧不足で民衆も困窮する。反乱分子が増え、地方の劉一族も決起することになる。優秀な人間(人格的に劣化してくる)ほで、独走させると人の意見など聞かず、滅亡の道へと進むのである。最初の儒教精神も消え、道教的な神頼みな要素も増える。理性はなくなったのである。誰も信ずることも出来ない孤独な人である。実の子供であろうが殺す。自分に不都合なものは抹殺するのである。独裁者の末路である。(今でも独裁政治がまかり通っている国がある)彼を守るものはなく、朝廷内で殺される。そして後漢が始まる。優秀な劉一族が復活した。それに比較して武照(武則天/女帝)は生涯を全うした。利口な女性である。唐(李姓)を周武帝国(国教は仏教)に変えたものの、自分の血縁者で唐は復活するのである。同じ王朝簒奪者でも領民から愛される簒奪者の方が良かったのかな!彼女は民に強いることはしなかった。但し、朝廷、宮廷内の戦いは凄まじいものであった。頂点に立つものは部下に対して公平感を持ち、意見具申を聴ける度量をもつことだ。即決できる能力も必要で正しいと思ったら実行すべきである。国として国民に将来の希望を与えてくれる政治家、きれいごとでは政治はできないかもしれないがはっきりと設計図を持ってほしいと今の政治家に望みたい。

 


飛んでいく

2020-10-14 09:25:38 | Weblog

結婚しますと言われた

3年思い続けた心臓は

止まりかけた

でもこれでいいんだ

諦めよう

結婚しますと言われた

心に宿っていた愛鳥が

飛び立っていった

愛の巣箱は空になった

諦めよう

結婚しますと言われた

君の笑顔を思い出す

聞きたくなかった

でもおめでとうといった

諦めよう

 

I'm picking up and mending the pieces of my broken heart now,

and help me......

(今は失恋でバラバラになった心をもどそうとしいる、

たすけて!)

787 Imuzak Awago


官渡(コロナウィルス)の戦い

2020-05-19 13:49:00 | Weblog

中国後漢末期の200年に中原一帯で大きな戦(官渡)があった。曹操2万と袁紹10万の大軍の戦いである。当然兵力では袁紹軍が有利である。かつ袁紹には優秀な家来が多い。ところが家来たちの進言を聞き入れず、無能なリーダーの誤った判断で袁紹軍は敗れる。田豊(勝利をつかむ諫言をするも聞き入れられず、牢獄に入れられ、戦後腹いせに処刑される)、荀彧は将軍の力量を見極め、袁紹から曹操軍へ、張郃と高覧は敵陣である曹操軍へ寝返る。作戦参謀の沮授も袁紹に進言するも聞き入れられず、曹操に捉えられる。曹操に加わる事を進められるが断り、処刑される。なんと優秀な人材を失う袁紹にはリーダーの素質なく、自滅するのである。曹操軍の勝利でこれから三国志は面白くなる。~そのころ、呉の孫権(孫堅の子、孫策の弟)も素晴らしい人材が集まる。周瑜(孫策の友)、魯粛、諸葛瑾(公明の兄)、陸遜、黄蓋、蒋欽、周泰、陳武たちである。蜀の劉備玄徳(武勇に優れた関羽と張飛の他に知恵者が欲しい時)も中国史最大の宰相(政治家)を迎えることになる。曹操、劉備玄徳、孫権のリーダーが躍動する。~

今、世界中で悩まされるコロナウィルスに立ち向かう日本各地の知事が頑張っている。小池東京都知事、吉村大阪府知事の奮戦振りは見事というしかない。信念にもとずくリーダーの発揮振りである。コロナの対応も早い。政府、厚生省の対応の悪さが目立つ。各都道府県には優秀な人材がいる。その人材を活用するのがリーダーである知事なのだ。政党にしがみつく人間よりも優秀な知事の底力を見せてくれた。この災難に立ち向かうリーダーこそ我々の代表する、尊敬できるリーダーである。一部怪しい知事もいる。過去に台風上陸時、行方不明になるリーダーもいたが。それは知事を選ぶ県民にも責任がある。まだこのコロナは2次、3次感染と続く恐れがある。知事として人間として人間を守る智慧を絞り出して頑張ってもらいたい。我々もそれに最大限協力をしなければならない。この災難時に人間力を発揮できる人間こそ、今後国政にも任せられるものと思う。


悪魔のささやきに立ち向かえ

2020-04-02 08:15:01 | Weblog

コロナウィルスの緊急事態宣言は遅いほど良い。なぜか、死ぬのは高齢者だ。好機である。国家元首は人口構成が逆ピラミッドを是正するチャンスなのだ。厚生年金問題で高額な国家予算を念頭に置いて、将来も見据えるならば、高齢者の減少も考え方によっては良いのである。医療崩壊、大いに結構!悪魔の手下ども、緊急事態をおくらせよ!  お前たちを永遠に地獄の王に迎えよう。国民にウィルスを蔓延すれば、お前たちは悪の英雄になれるぞ。(国を救う呪者より)

 

人の命が先決だ。経済は2の次ぎだ。愚か者よ。迷うなかれ!すべての国民を救うのは決断だ。今だ!明日の日本はない。目覚めよ。愚か者よ。お前の判断が大勢の命を失わせる。医療者の声をきけ! 悪魔の声何ぞ、捨て置け!お前には仏の声を聴けば、まだ間に合う。決断しろ。周りの悪魔にそそのかされるのではない。(心の聖者より)

 


般若波羅蜜多

2020-03-19 14:49:28 | Weblog

仏教は宗教である。実は哲学そのものである。空海の三教指帰で示すものは儒教、道教よりも仏教の優位性から、彼は仏教の道を選ぶ。私は空海を甘く見ていたようである。優れた坊さんであることはわかっていたが、遣唐使で彼の行動で得たものが日本の宗教界を大きく羽ばたかせたものだと思う。語学が堪能であり、唐語からサンスクリット(梵語)まで操る天才である。恵果和尚(当時の仏教界の最高僧)から真言密教を灌頂し、真理を追求する偉大な僧として遇されたのである。ブッタとは悟りを開いた地球上の唯一の人物とある。仏様は数多くいるが、大日如来なのか阿弥陀如来になり、ブッタと楽しく話でも交わしているような気がする。そもそも如来、菩薩、観音、王、明王と呼ばれる方たちは何なのかもよく分からない私である。どちらが偉いのか、その程度の見識しかない。肝心なことは悟りを開く過程が大事なのであると思っている。それによってお釈迦さまのお経も少し理解できるのかな!摩訶般若波羅蜜多心経には難解な漢字が出てくる。サンスクリット語から漢語になり、我々の親しいお経に変遷してきた。色即是空(しきそくぜくう)、ひとつとってみても私には哲学に見える。観音菩薩がブッタの弟子舎利子に施す講義の不思議な読み物である。


范蠡の生きざまに学べ!

2020-01-17 09:32:44 | Weblog

中国の春秋戦国時代。中国は思想的に豊かな発芽時期だと思う。諸子百家が大活躍した。紀元前5世紀ころの話になるが、黄河流域を中心とする中原諸侯が覇権争いで凌ぎを削る中、新勢力として呉と越が加わってきた。楚国から優秀な人材が呉に流出していた。その中で極め付きな人物が伍子胥(ごししょう)である。彼は仇を討つために呉王政権に近づき、やがて楚を征伐した人物である。まだ伍子胥が表舞台に出る前、若き獅子が伍子胥の元に現れ、客人になる。若き獅子とは范蠡(はんれい)である。彼も楚国からきた流れ者である。彼は穏やかで知性と知識欲あふれている。学ぶことに貪欲であった彼は伍子胥から孫武(孫子の兵法)を紹介されて強引に弟子となる。孫武の人柄に篤く感じ、お互いの師弟関係は築かれた。その後、呉の内情(王家の争い等)を知り、活躍する場を越国に移す。若き范蠡は越が豊かな経済を牽引している計然のもとで間接的に学ぶ。呉の勢力拡大するにつれ、その隙間を越が独立せんと挑むことになる。そして越は敗れ、臥薪嘗胆の故事が生まれたわけであるが、范蠡の智略で越王を支える。范蠡は呉王(夫差)に世紀の美女、西施を送り、呉王から信頼されるように仕向けた。伍子胥は呉王に警告するが利く耳を持たない。呉は楚を破り、中原諸侯の覇権へと進む。伍子胥は呉王に忠告するも、かえって疎ましくなり、殺されてしまう。越は着々と軍備を整えて、呉が行き詰ってくるのを見計らって、強国の呉を破った。越王(句践)にしてみれば会稽の恥を注いだわけである。人間は権力を掴むとつつましく生きて来たことを忘れ、人の忠告を無視するものである。句践は呉に代わり、中原諸侯から覇者として認められてくる。ますます句践は助長する。范蠡は「狡兎死して走狗烹らる」で有名な故事があるが、越国句践から離れる決心をする。彼の運命も危ういと悟り、新天地を目指す。すべての財産は家来に分配し、無一文で斉の国へ渡る。名前も変えて、商人となる。巨万の富を得るが、そのうち斉で彼の正体が分かるや宰相として迎えようする。彼は固辞して、また名前を変えて別の所へ移る。巨万の財宝はに至るまでのすべての使用人と、知人、隣人、同郷人などに惜しげもなく、分け与えた。新天地でも陶(山東省)においても事業に成功し、利益率を考慮し、暴利を貪らず、貧窮者に手厚い保護を与え、人々から陶朱公と呼ばれ、尊敬される。

軍事は孫武から、政治は伍子胥、経済は計然から学ぶ、第一級の大人物である。世界をにぎわしている自動車業界の英雄ゴーンさんにも范蠡の生きざまを参考にしてほしい。